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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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長崎国体の総合開会式に行幸啓あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=12日、長崎県諫早市の県立総合運動公園陸上競技場






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原爆落下中心地碑に供花あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=11日午後、長崎市の平和公園(村本聡撮影)

 
 


 
 
 
 
 明日10月20日は、地久節(ちきゅうせつ)の日です。
天皇陛下のお誕生日を「天長節」といい、皇后陛下のお誕生日は「地久節」といいます。
10月20日、皇后陛下におかせられましては、満八十歳のお誕生日を迎えあそばされます。
地久節(ちきゅうせつ)は、戦前は祝日の一つとして、皇后陛下の誕生日を祝う日でした。
天長節(畏くも天皇陛下誕生日)とことなり、祝祭日として勅令で定められることはありませんでしたが、とくに女学校などにおいて休日として祝われました。
天長節と地久節を合わせると「天長地久」という対句になります。
これは老子の言葉で、「天(てん) は 長 (なが ) く 、地 (ち ) は 久 (ひさ ) し」。から由来し、天地が永久に変らぬように物事がいつまでも続き繁栄する祈りがこめられた言葉です。
 
ご即位以来平成15年11月の鹿児島県の行幸を以て
全国47都道府県をすべて巡幸されておられます。
そして、畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、その年の歌会始の「幸」の御題に、次のように
詠まれています。

天皇陛下大御歌 
 
 人々の幸願いつつ国の内 めぐりきたりて十五年経(へ)つ


皇后陛下御歌 
 
 幸(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの
声渡りゆく御幸(みゆき)の町に
 
 

両陛下が、このような大御心(おおみこころ)を以て全国各地を行幸啓あそばされ、国民の苦しみにも悲しみにも心を寄せられ、励ましのお言葉をかけてこられたことに、感謝と感動を覚えずにはおれません。
 
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、臣民(国民)が苦しい時、悲しい時、大きな困難に絶望した時、いつ如何なる時も、常にお心をお寄せになり心の支えとなり生きる元気と希望の光をお与えくださいます。
普段は皇室の存在を意識することのなかった人々も、この度の千年に一度ともいわれている東日本大震災を通じて、両陛下の行幸啓により、両陛下の叡慮を賜わり、本来あるべき日本人の心の在り方を考える機会となったはずです。



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「恵の丘長崎原爆ホーム」に行幸啓あそばされ、入所者にご下問あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=11日、長崎市
 

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては今月11、12日、長崎県を行幸啓あそばされた。国体開会式臨席の機会を捉え、原爆犠牲者の慰霊と被爆者の慰問を強く望まれ、戦後50年での「慰霊の旅」以来19年ぶりに、平和公園と「恵の丘長崎原爆ホーム」(いずれも長崎市)に足を運ばれました。
 11日、長崎空港に到着された両陛下におかせられましては、平和公園に向かわれ、原爆犠牲者名簿の写しがそばに収められている原爆落下中心地碑に白菊の花束を供えられた。陛下は碑を見上げあそばされ、皇后陛下とともに一礼あそばされた。
 続いて、介護が必要となった被爆者らが生活する恵の丘長崎原爆ホームを訪ねられた。入所者約350人の平均年齢は87歳で、両陛下は76〜101歳の10人とご懇談、叡慮を賜りました。「爆弾が落ちた時はどうだったわけですか」。陛下は一人一人に当時の状況などをご下問あそばされ、「穏やかな日々を過ごしてね」と玉音賜りました。
 森山君子さん(96)とは19年ぶりのご再会。皇后陛下の励ましのお言葉を胸にリハビリを重ね、寝たきりの状態から車いすで生活できるまでに回復された。森山さんが涙を浮かべて感謝するのを聞き、皇后陛下は「よかった。うれしゅうございますよ」と無事を喜ばれた。
畏くも両陛下の大御心で、どれだけの臣民(国民)が勇気づけられ、生きる希望を与えられたか? ただただ感謝しかありません。

被災地の復興を願われ、大東亜戦争の戦没者の慰霊、鎮魂、万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえません。
すべての日本人が、天皇陛下の大御心の下(もと)に結集する時、敷島の國は息を吹き返し、世界に冠たる道義国家として復活すると願ってやまないのです。







天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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学校でも教えない、しかしこのまま知らないまま語られることもなく消してはいけない日本人として大切なものがあります。
 
ヤマトタケルノミコトは『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と書かれています。
12代景行(けいこう)天皇の時に日本武尊は天皇の詔(みことのり)により、服さぬ者を従えるために東方に遠征しました。
 
焼津では敵軍から火を放たれ、燃える火に追われながらも日本武尊は妻である弟橘姫(おとたちばなひめ)の身を案じながら、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を振って危機を脱しました。
 
日本武尊はさらに軍を進め、走水(はしりみず 横須賀)に着くと対岸に渡る船を出しました。すると急に海が荒れて転覆しそうになります。
 
弟橘媛は「これは海神の怒りに違いない。私が海に入り海神の怒りを鎮めますから、尊は無事に使命を果たしてください」と言って、自らの身を海に投じました(上の画像)。この時、弟橘媛は美しい辞世をうたいました。
 
さねさし相模の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて問ひし君はも
これは焼津で敵から火を放たれた時を思い出し、「あの時、燃えさかる火の中で、私の安否を気遣ってくださった君よ」という日本武尊の優しい気遣いに対する感謝の気持ちを歌ったものでした。
 
弟橘媛は自らの身を捧げたことで海はなぎ、日本武尊の軍は君津(きみつ千葉県)に着くことが出来ました。
 
そこから木更津に進むと日本武尊は「もしや媛(ひめ)が帰ってくるかもしれない」と思い、ここで7日間待っていました。木更津の地名はこの時の「きみさらず(君去らず)」からきているのです。
 
日本武尊はついにあきらめて、地方平定の任務を果たして帰途に着きました。
足柄(あしがら 神奈川県)に寄られた時に、日本武尊は坂道を登り、弟橘媛の亡くなった東に向かってため息をつかれ
あづまはや
と三度嘆かれました。
 
日本武尊はそこから東の国を「あづま」と名付けられて、以来、「東」を「あづま」と呼ぶようになりました。現在、足柄峠には「あづまはや」の標柱が立っています。
 
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今、学校で教えない弟橘媛は戦前の教科書には掲載されて教えられ、また軍艦や商船には「海の守り神」として神棚に祀られていました。
 
明治43年の日露戦争の日本海海戦で有名な東郷平八郎元帥は走水神社の裏山に弟橘媛の辞世碑を建てました(下画像)。
 
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平成9921日、ニューデリーで開催された「国際児童図書評議会世界大会」で皇后陛下がご講演なされた時、弟橘媛の感動するお話をされました。
 
国を守るために、それを果たす時が来たならば、自らの身を顧みることなく、死を選択する潔さ。さくらの花が短いながらも美しく咲き、散るべき時に潔く散っていくように、そして、國體を護り、愛する国のため、愛する人のために命を捧げた英霊たちのように・・・。
 
 
英語で「弟橘媛」の感動するお話をされた皇后陛下(ニューデリー基調講演)
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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