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古代多賀城の栄華を再現する恒例の「史都多賀城万葉まつり」(実行委員会主催)が12日、多賀城市の東北歴史博物館周辺などであった。
「史都」とはあまり聞く言葉ではありませんが、どのような意味があるのでしょうか?
宮城の方々ならご存じの方が多いでしょうが、多賀城は奈良市の平城京、大宰府市の大宰府跡と並ぶ日本3大史跡のまちです。いまから、1300年前に多賀城には日本の政治や軍治を行う国府が存在し、その跡地として多賀城市川地区に政庁跡が残っています。史跡のある都として、多賀城のことを「史都」と呼んだりします。 奈良・平安時代の貴族や歌人に扮(ふん)した万葉衣装行列はかっての先人、先祖の文化を偲ぶに相応しいものです。 貴族の衣装で会場を歩く子どもたち(写真、河北新報) 歴史の浅いまつりですが、過去の事柄や思想などを勉強し、それを基に新しい道理や知識を見いだす日本人らしさがある「まつり」ですね。
歴史文化を蔑ろにしているのは、政治家であり、経済人かもしれません。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2014年10月30日
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日の丸を振るインドの人達
アジアでは白人の植民地支配を打ち崩そうと何度も戦いに臨んだがとてもかなわなかった。しかし大東亜戦争で日本軍はその白人を次々打ち破っていく素早さは、それまで白人不敗と信じ込んでいたアジア諸民族が驚愕しました。
日本はそれまでの白人支配者と違ってアジア諸国民に民族自決の精神を伝えました。現地の青年達に軍事訓練を施して厳しい規律や忍耐力を教え、勇猛心を持たせ、人々には高等教育を施し、言葉も公用語を普及させ、現地の人に高い地位も与え、民族が集結する組織をつくりました。
日本が終戦すると、いままで白人には羊のように従順だったアジアの人達が独立のために立ち上がります。いざ白人が戦ってみると見違えるほど強く、勇猛果敢で死をも恐れない、それはまるで屈強な日本軍のようでした。
インドネシアは350年もオランダに支配されていました。
日本軍はインドネシア青年に飛行機の操縦までも教えていました。彼らは日本軍の練習機の胴体の「日の丸」部分の半分を白く塗って紅白のインドネシアの国旗として戦いました。練習機には爆撃装置がなかったので爆弾は手で投げてオランダ軍に見舞ってやったのです。この紅白の練習機は今もジャカルタの軍事博物館にあります。
インドはイギリスに200年以上も支配されてきました。
昭和43年5月、日本政府が支援することを決定したインドのチャンドラ・ボースが東京に到着し、日比谷公会堂で名演説をしました。
約40年前に私がようやく小学校に通い始めた頃に、アジア民族である日本が世界の巨大な白人帝国ロシアと戦い大敗させた。
このニュースがインド全土に伝わると興奮の波が全土を覆った。インドのいたるところで「旅順攻撃」や「奉天海戦」や「日本海海戦」の勇壮な話によって湧き立った。
インドの子供達は東郷元帥や乃木大将を慕った。親たちが競って元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれが出来ず、その代わりに市場から日本製の品物を買ってきて『アジアの希望の光』のシンボルとして家に飾った。
その間、インドの革命家達はどうして日本が白人の超大国を打ち破ることが出来たのか学ぶために日本を訪れた。この度、日本はインドの仇敵であるイギリスに宣戦した。日本は我々インド人に対して独立のための千載一遇の機会を与えてくれた。我々はそれを自覚し心から感謝している。一度この機会を逃せば今後100年以上に渡って訪れることはないだろう。勝利は我々のものであり、インドが念願の独立を果たすことを確信している。
日本終戦後の昭和20年11月5日、イギリスは日本軍とともに戦ったインド国民軍の将校達を「イギリス国王に銃を向けた反逆罪」で裁きました。
するとインド全土で「不法な裁判を即時停止し、被告たちを即時釈放せよ。そしてインド統治権をインドに返還し、イギリス人は引き揚げろ」という運動が起こりました。インド人の心からの叫びがついに行動になったのです。インド人が立ち上がったのです。
インド人の抗議はどんどん拡大しました。イギリス人指揮官が警官隊に発砲を命じてインド人数百人が死傷します。これを知ったインド人は臆するどころか、全インド人がイギリス支配に対して抗議したのです。
手に負えなくなったイギリスはついに被告への刑の執行を停止しました。
ニューデリーではインド人による解放祝賀会が行われチャンドラ・ボースの巨大肖像画が飾られ、大歓声で沸き立ちました。
しかしイギリスは「イギリス軍に対する拷問や殺人の非人道的犯罪は法に基づいて裁く」と言い出しました。インド人は引き続き抗議デモを各地で起こし、警官の発砲でインド人の死者が出ました。
それを見かねたインド将兵が立ち上がります。軍港や兵営ではイギリス国旗を引きずり落とし、イギリス軍とは銃撃戦になりました。
そういう中、イギリスはニューデリーでマウントパッテン元帥やインド提督ウェーベル大将の観閲で、盛大に「対日戦勝祝賀パレード」を行おうとしました。
しかしニューデリーのインド国民は全戸に弔旗が掲げ、商店も工場も学校もすべて休み、数万人の抗議デモが行われました。このデモ隊に中には手づくりの「日の丸」を振っているインド人が何人もいました。・・・
日本はアジア諸国の独立に大きな役割を果たしました。日本が戦わなければアジアは独立出来なかったかもしれないとアジア各国からそういう声が出ていました。
日本は自己犠牲も厭わずあらゆる努力を惜しまなかったのです。この「私」よりも「公」の精神は本来、日本人が最も尊いとする考えであり、「教育勅語」によっても培われてきた日本人の精神です。
しかし、今日、日本はアジア諸国から尊敬されなくなった。
なぜか? 日本人にはよく考えてほしい・・
・・・・・・
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