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昨年の12月15日、一隻の旅客船がパラオ共和国政府に寄付されました。 船名は「NIPPON MARUⅡ」。 平成元年に日本財団がパラオ共和国に寄贈した旅客船「日本丸」(航路:コロール州〜ペリリュー州)の後継船です。 20年以上にわたりパラオの人々の足として運航されていました。しかし平成24年12月に同国を襲った大型の台風により沈没。 パラオの人々はガソリン等の危険物を搭載する貨物船への同乗を余儀なくされ、さらに年配者の通院機会の制限や生活物資の供給不足など、国民の基本的な生活にも影響を及ぼしていました。 日本財団(笹川陽平会長)はパラオ共和国政府から日本丸代替船の支援要請を快諾しました。 また、「海上保安能力強化支援プロジェクト」で寄贈した小型パトロール艇も活躍しています。 パラオ共和国にパトロール艇配備 ミクロネシア3国の海上保安能力強化 日本財団は途上国への医療、教育、人材育成、の支援、ハンセン病制圧に向けての取り組みなどの国際貢献されています。 筆者は日本財団の関係者でも縁者でもありませんが、117の国々で社会貢献活動をし、これほどの国際貢献をされているのにわが国ではほとんどと言っていいほど知られていないのが不思議でなりません。 わが国を貶めるウソの報道や、先人を否定するねじ曲がった事例などは耳を塞ぎたくほど報じられていますが、同じ日本人として共感を呼び、賞賛される事柄は一般の国民の耳に触れることはありません。 異常としか表現方法が見当たりません。 なぜでしょうか? わが国の歴史・文化に無知なる輩(やから)、意図的に日本人をよく思わない輩がメディアを牛耳っていることが、更に拍車をかけているのです。 戦後の我国では、誇りある歴史が教えられてきませんでした。占領下でそれまで日本人が持っていた歴史観が否定されました。その歴史観とは、神話の時代から2千年以上もこの国で生きてきた民族の歴史である。ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶と言語を一定期間奪えばよいと言われています。ここにいう記憶とは歴史です。歴史を伝承する言語、民族固有の歴史観を奪えば、その民族はやがて滅亡します。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)戦後の日本人には、占領後すぐ、連合国の立場による「太平洋戦争史観」が植え付けられました。新聞に連載され、全国の学校に本が配付されて教え込まれ、ラジオなどでドラマ化されて、『真相はこうだ』という番組で全国に放送されました。極東軍事裁判の判決を是とする東京裁判史観が、それを補強し、戦後の歴史教育のもとになっています。しかも連合国側が「裁判」という体裁をとって日本の指導層をリンチの如く殺したが、法律がなく、裁判所もないのだから裁判ではない。戦争に勝ったものが単にリンチ、報復をしただけであり、裁判でもないのだから犯罪人もいない、戦犯と呼ばないよう国会決議まで行っている。しかし、マスコミは戦犯と強調し、これらに洗脳された一般国民までが使っている。 尊い皇室の方々に尊敬の念をはらわず、心は言葉に表れ尊称を使わず「さま」を使う。これもマスコミに洗脳された結果です。 湯水のごとく支那や朝鮮半島に使ったODA。 しかも、その国の国民に知られることなく、感謝されることのない援助でした。 社会主義を礼賛し、反日闘争していた頃は、ただの阿呆で話が済みました。冷戦が終わって左翼は阿呆のみならず畜生以下に成り下がりました。 その阿呆たちがマスコミを牛耳り、言葉巧みに世論を形成、扇動して「民主党政権」ができました。しかし、衆知のように政権を担当する能力はなく、国を衰退させ混乱させました。 反日左翼勢力は巨大な権力となっています。 政権与党、霞ヶ関の官僚、マスコミと大きな壁となって、日本国民の前に立ちはだかっています。 インターネットのある程度の普及により、巨大マスコミによる自称「民衆の声」などでなく本当の意味での民衆の声がようやくわずかながら響き始め、常識的な意見、凡庸であたりまえの意見、ありきたりなしごく当然な意見がある程度まかり通るようになってきました。 右翼左翼云々以前に、日本を筋の通った普通の考えにもとずく国にしなければなりません。 日本を取り戻すことは、正しいマスコミのあるべき姿に戻すことにほかなりません。
我々の世代が後世の子孫に笑われぬ為にも・・・ |
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国土交通省の「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」(調査基準:2006年[平成18年]4月、2007年[平成19年]1月中間報告、2008年[平成20年]8月17日最終報告)がある。
この中で過疎地域を抱える全国775市町村に対して、そこに所属する62,273集落の状況を尋ねた結果は以下のとおりです。
戦後の誤った国の家族への施策、農林業の退化によりやむを得ず先祖代々の地を手放し、故郷を離れる方々が後を絶ちません。
労働力を海外に求め移民政策を行おうとしている政府やそれらを推進する政治家の頭の中身を見て見たいものです。
以下に高知県越知町後山地区に伝わる「早起き太鼓」のお話を転載します。
現在の後山集落
越知町 ( おちちょう ) の市街地を一歩離れて山間を歩くと、茂った森林のなかに、水田跡や 屋敷 ( やしき ) 跡の石垣を見かけることがあります。先人たちが苦労して開いた土地が、 過疎 ( かそ ) の波をかぶって消え去った跡です。 後山地区 ( うしろやまちく ) もそんな過疎の危機にさらされている土地の一つです。この地区は、越知盆地で 仁淀川 ( によどがわ ) の流れを大きく 蛇行 ( だこう ) させている 横畠丘陵 ( よこばたけきゅうりょう ) の中腹にあります。 地区の中央に建つ後山公民館には、古びた 太鼓 ( たいこ ) が大切に保存されています。「 早起太鼓 ( はやおきだいこ ) 」と呼ばれるこの太鼓は、昭和初期の 大恐慌 ( だいきょうこう ) を生き抜いた先人の、血を吐くような 開墾 ( かいこん ) の歴史を物語るものです。 昭和二年(一九二七年)八月、 高吾北地方 ( こうごほくちほう ) は 猛烈 ( もうれつ ) な豪雨に 襲 ( おそ ) われ、地すべりや 山津波 ( やまつなみ ) (山崩れによって起こる土石流)などで多くの人が亡くなりました。豪雨によって耕地も土砂の底に埋まってしまいました。 あまりの被害の大きさに驚いた県の役人は、耕地を拡張するための調査を行い、その結果、後山地区の「 唐岩 ( からいわ ) 」と呼ばれる土地なら耕地に開墾できるという報告が出されました。 折からの深刻な不況で、食うや食わずの生活だった農民は、耕地の拡張にもろ手を上げて賛成しました。さっそく 片岡豊吉 ( かたおかとよきち ) を中心とする一八名が耕地整理組合をつくり、唐岩開墾に着手しました。 唐岩は後山から 渓流 ( けいりゅう ) に沿った急な坂を三〇分ほど登った尾根に広がる土地で、岩石が多い山林のため簡単に開墾できる地形ではありませんでした。もちろん当時は今のような機械もなく、 鍬 ( くわ ) 、 槌 ( つち ) 、のこぎり、のみ、もっこ(土などを運ぶ縄を編んだ道具)などの開墾道具を使い、大勢の人を使っての開墾でした。 唐岩にいたる道は険しく、開墾道具を持って歩くことができないため、まず、道をつくるところから始めました。 ようやく開墾が始まっても苦労の連続で、木を切り倒し、切り株を掘り起こして取りのぞき、地表に出ている岩を 砕 ( くだ ) く作業が続きます。そして適度な大きさに砕かれた石を拾い集めて、畑のあぜの石垣に積み上げていくのです。 また、斜面の表土をきれいにはぎ取り、高い場所を 削 ( けず ) ったり、くず石を敷いたりしてゆるやかな 勾配 ( こうばい ) の 床 ( とこ ) にならします。その後、地面から掘り起こした切り株に取っ手となる 柄 ( え ) を付けただけの、「たこ」という道具で床を十分に固めていき、平らに固まった床の上に、表土を盛り上げていきました。 開拓者たちは、このように大変な作業をいく日もいく日も続けました。しかし、汗みどろで働いても、作業は 遅々 ( ちち ) として進みません。 そこでもっと朝早くから作業をすることにしました。こうして「早起太鼓」の登場となるのです。 夏ならば午前五時、冬ならば午前六時半。 威勢 ( いせい ) のよい大太鼓の音が朝のしじまを破ります。人々は 一斉 ( いっせい ) に飛び起き、重い体を引きずって唐岩に向かいます。そして普通ならまだ寝ている時間から開墾に 没頭 ( ぼっとう ) したのです。 今も残されている早起太鼓
しかも、開拓者たちの本業は農業ですから、開墾だけに 専念 ( せんねん ) はできません。田畑の農作業もあれば、家畜の飼育や 養蚕 ( ようさん ) もあるのです。 まさに寝る 暇 ( ひま ) もないような労働を何年も続け、やっと六 町 ( ちょう ) 三 反 ( たん ) 二 畝 ( せ ) (約六・三二ヘクタール)の畑をつくり、大不況のなかで厳しい生活をしながらも、何とか家族を養えるようになっていきました。 現在、唐岩へは車で楽に行くことができます。しかし広大な耕地の半分以上は、クズバカズラがうっそうと茂り、人を寄せ付けない荒れた耕地となっています。 先人が築いた石垣も、ならした床に盛り上げた表土も、カズラに覆われてまったく見えず、当時の苦労を伝えるものは隠されてしまい、早起太鼓で起き、身を粉にして開墾してきた地区が、今消え去ろうとしています。 しかし、目に見える先人の功績は消えても、先人の情熱や誇りは私たちの心のなかに息づいているのです。 伝えたいふるさと100話より転載 美しい日本が地方より消え去ろうとしています。 たった88年前の先人の苦労が水泡に帰してしまうのです。 物質的な裕福を求めひた走ってきた戦後の日本人。 現代日本人たる私たちが苦しんでいるのは「日本人としてのプラ イド、日本人の誠実さ」を失ったからです。
「粗末なものを食べなければならなくなっても誠実さは失いたくない、地方で先祖伝来の土地を護る」という旧来の日本文化に帰ることがもっとも大切です。
かって日本人は道に迷い、道が崩れたら原点に返る民族でした。
多くの日本人は「ふるさと」へお正月に帰省されたことでしょう。
今一度、国のありかた、民族のありかた、日本人のありかたを一考されてみてはいかがでしょうか?
早起太鼓は現代日本への警鐘でもあるのです。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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新年早々の1月4日のTBS「サンデーモーニング」では「群衆」を特集していました。
サンモニの製作会社「スタッフ東京」は元はパチンコタイガーを展開する朝鮮人社長の東洋コンチェルンの子会社であり、在日朝鮮人寄りの偏った報道というのは周知の通りです。
今回の特集はル・ボンの『群衆』を使って、ある明らかな意図をもって印象操作して作られた内容です。
例えばル・ボンの『群衆』の中から「群衆は過激に走りやすい」を取上げてこのようなことを語りかけていました。
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戦前の日本でも悲劇の歴史が関東大震災の資料を保管する復興記念館の1枚の絵にあります。そこには棒切れを振り上げた群衆が一人の朝鮮人を取り囲む絵があります。これは震災後、ある噂が広まったためでした。「朝鮮人が井戸の中へ毒を入れて歩いている」、他にも「放火した」「爆弾を投げた」と根拠のない噂があちこちで聞かれました。警視庁はデマを戒めるビラを配布して鎮静をはかります。
しかし朝鮮人を恐れた群衆が朝鮮人を襲ったのです。当時の政府は殺害された朝鮮人は200人余りだとしていますが、実際にはもっと多かったという調査報告もあります。
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さすがに朝鮮番組です。「群衆」に掛けて「関東大震災の朝鮮人虐殺」を取上げていました。しかし、これは工藤美代子著『関東大震災朝鮮人虐殺の真実』で詳細に書かれています。
この時、殺害された朝鮮人は日本人に対する朝鮮人テロ集団「義烈団」一派かそれに付和雷同したテロリストで、テロリストを「虐殺された」とは言わないのが戒厳令下の国際常識です。
「実際にはもっと多かった」と番組で言っていますが、地震で犠牲になった朝鮮人まで虐殺にカウントすると多くなりますが、震災で朝鮮人だけ死者がいないというのはあり得ないことです。
この当時は日本に朝鮮人が急増して、同じく日本にいた共産主義者の国家転覆に煽られた朝鮮人が多くいたのを当時の日本人は知っていたのです。当然警戒するのは当然で自警団を組んでテロ行為を阻止していました。
そして番組で言いたかったのが、ヒトラーの巧みな群衆操作を暗に安倍総理に結びつけて報じていたことです。
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当時ナチスの青年団のビッカートさん(84)はヒトラーが支持された理由を「ヒトラーが現れた時すべてが今よりずっと良くなると約束したのです」と言い、ナチス時代にはナチスの歌が彼らを高揚させました。
「世界は共産主義との戦争を恐れている 我々は怖さを打ち破る偉大な勝利を収めた」
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かつてドイツ人はユダヤ人に虐殺され、第1次大戦ではユダヤによって3800億マルクという永遠に払えないような莫大な賠償額を要求され、しかもドイツ領土の多くが奪われました。そのユダヤ人支配のドイツから脱したいと民衆が支持したのがヒトラーでした。ユダヤ人こそ共産主義をつくった張本人であるのはドイツ人はよく知っていました。
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第一次世界大戦の敗戦で打ちひしがれていたドイツ国民。ヒトラーはユダヤ人への偏見を煽り民族意識を鼓舞したのです。
その一方でヒトラーは秘密警察を使い自らに批判的な市民を弾圧・迫害しました。
さらにメディアにも厳しい規制がかけられ政府の方針と相いれない論調には容赦ない弾圧が加えられました。
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TBSが言いたいのはヒトラーを安倍総理にたとえ、ユダヤ人を在日にたとえているのでしょう。安倍総理の在日への政策、住民登録や生活保護の締め出し、特別永住者証明書で通名が使えなくなっていることに対する牽制です。
そして「メディアにも厳しい規制がかけられ政府の方針と相いれない論調には容赦ない弾圧」というのは特定秘密保護法制定や昨年末の衆議院選挙時に公正な報道を求めた安倍政権に投影させているのです。
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ヒトラーが政権に就いてから失業者が劇的に改善している。ヒトラーは高速道路アウトバーン建設など大規模公共事業で世界恐慌の煽りで増え続けていた失業者を激減させた。
しかしドイツは武器製造を制限する国際条約に違反して再軍備を宣言。ナショナリズムを煽る一方、生活面での恩恵を与えて第二次世界大戦へと突き進んで行った。
ホロコースト記念館。ヒトラーに虐殺された600万人のユダヤ人に捧げられたものです。しかしこうした努力の一方で今、移民排斥を掲げる極右勢力が勢いを増しています。この日のデモには極右政党の幹部も参加してこう言いました。「外国人との共存は終わりにしなければならない」。
ナチスドイツによって行われたホロコーストと侵略戦争。その終結から70年。かつての群衆が呼び戻される日が来るのでしょうか。
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安倍総理のアベノミクスによる経済効果は特に失業者改善、そして財政出動による公共事業によるデフレ脱却効果も功を奏しています。消費増税だけが問題でした。
「ドイツの武器製造」「再軍備」は武器輸出緩和や集団的自衛権の解釈行使、それが戦争につながるような印象操作を行っています。
ドイツ極右による「移民排斥」は、在特会を極右に仕立てて在日に対する所謂「ヘイトスピーチ」を言っているのでありましょう。
ナチスのホロコーストは日本の南京大虐殺や慰安婦と同じく、ドイツや日本から賠償をとるために押し付けられた捏造歴史であることはもはや常識になっています。
そして最後に岸井がこのように述べました。
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今年、戦後70年で非常に大事なことで、安倍総理が70年に当たって総理談話を世界に発信するという重要なあれがあるんです。その中身がどうなるか全くわからないんです。ただ後ろを向くんではなくて前向きにいきたいと言っているんですけれど、今のコーナーを見ていて思うのは他人事じゃないということです。
もちろんまたああいうナチス政権が出来るという状況じゃないんですけれど、当時あのヒトラーと日本は同盟を組んでいたんですよ。たまたまですけれど日清日露から120年、第一次大戦から100年、それから日本の侵略や植民地化が進むんですよ。そして戦争に至るんですよ。
そういう歴史をもう一回見直す、今非常に大事な時です。そういう所に総理の談話が出るんですよ。そこで気になるのが若い人たちがそういう歴史の事実を教えられなくなっているということです。本当のことを学校でちゃんと教えなければいけないと思っている。
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安倍総理の衆議院選挙圧勝と在日にきつい政策をとり始めた安倍政権への悔しい敗北感が漂っていました。今回の選挙は次世代は残念でしたが、安倍自民党圧勝は日本人はまだまだ良識があるということです。
その良識ある日本人を「群衆」に見立てるTBS「サンデーモーニング」こそ視聴者という「群衆」を間違った方向に向かわせている元凶ではないでしょうか。
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