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西太平洋戦没者の碑」(左)に供花し、アンガウル島(奥)に向かって拝礼あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島 「西太平洋戦没者の碑」に供花あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島(代表撮影・共同) 慰霊のため「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」を訪れ、米兵の敬礼を受けあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島(共同) 「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」に供花あそばされる天皇、皇后両陛下=9日、パラオ・ペリリュー島(共同) 謹んでお伝えいたします。
戦没者慰霊のためパラオ共和国を行幸啓中の畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては9日午前(日本時間同)、激戦地だったペリリュー島で、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花あそばされ、犠牲者を追悼された。両陛下におかせられましては、日本から持ってこられた白菊の花を碑に供えあそばされ、深々と拝礼あそばされた。続いて、日本軍約1200人が犠牲になったアンガウル島に向かっても頭を下げられた。碑のそばで出迎えた同島などでの戦いの生還者の元日本兵らとも面会し、改めて苦労をねぎらわれました。
また日本を遠く離れた島での激烈な戦いで仲間をほとんど失い、重い戦後を生きた生還者の元日本兵2人が、万感の思いで立ち会った。
「英霊たちが陛下に出会えて喜ぶことがとてもうれしい」。約1万人がほぼ全滅したペリリュー島守備隊で生き残った34人のなかの一人、土田喜代一(きよかず)さん(95)は、戦友の御霊(みたま)が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、車いすの老身を押して島に来られた。
「1万の英霊たちが喜ぶ姿がはっきりと見える」。土田さんはつぶやいた。
「戦友に陛下のお声を聞かせたい」。西太平洋戦没者の碑から島影が見えるアンガウル島で戦った倉田洋二さん(88)は、島で散った陸軍宇都宮歩兵第五十九連隊第一大隊約1200人の仲間の名簿を手に、両陛下をお迎えした。 「生き残ってしまった」との思いは消えず、靖国神社にはなかなか足を運べないという。戦後はパラオに残した戦友の慰霊碑維持に尽力された。
筆者は多くの方々に説いています。我々の先人、大正生まれの人たちは、現在の我々の世代の人間と違い、他人のために生きた世代だと。家族や同胞を守るために戦い、戦後はコツコツと、黙々と働き続けて日本を復興させ、高度経済成長を成し遂げられた。そんな先輩方を貶めて、先人が歩んだ歴史を軽んじてきた。その結果、国にも先人にも誇りを抱けず、自分のためだけに生きる人間ばかりになってしまったのが今日のわが国の姿ではないでしょうか?。しかも、権利ばかりを主張し、安易に癒やしを求める人たちばかりが目立ちます。
両陛下のパラオ慰霊の旅によって、南の海で亡くなった護国の神々にとって無念は和らいだことと筆者は思います。
魂は靖国にあれど、その遺骨は未だ祖国の土に還ることなく、戦地で迎えを待ちわびておられることでしょう。一日千秋の思いで・・・・
筆者は思うのです、偉大なる大正世代の方々が、戦争に敗れた後もひたすら働き続け、20世紀の奇跡といわれる高度経済成長を成し遂げ大国となった。そして今、辞世されようとしている。彼らの生き様、こころを継承すれば、日本はいつでも復活できると信じています。
大正世代の方々がどんな思いで戦地に赴き戦ったか、彼らは何を後世に遺そうとしたのか。日本人は昔も今も、他人のために尽くすことを厭わない民族は何ら変わっていません。我々後世の「やまとなでしこ」は、世代を超えて語り継ぎ、顕彰せねばならない「歴史」があります。
大東亜戦争を戦った大正世代の矜持を継承せねばなりません。
人間だから忘れることもあります。忘れたものは思い出せばすみますが、捨ててしまったものは二度と取り戻せません。取り返しがつかなくなる前に、忘れかけているものをもう一度、引っ張り出してみることが必要ではないかと思います。陛下はそれを我々に示し、諭されておられます。
天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
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2015年04月09日
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コメント(5)
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自宅で特攻隊について話される板津忠正氏=昨年3月、愛知県犬山市
旧日本軍特攻隊員の生き残りで、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)の初代事務局長(館長職)を務められた板津忠正(いたつ・ただまさ)氏が、6日午後0時41分、慢性心不全のため愛知県犬山市の病院で逝去された。90歳。
衷心より哀悼の意を捧げます。
板津忠正さんは皆さんご存じのように、戦後日本各地の特攻で散られた御霊のご遺族のもとを尋ねられ、遺影、遺品、遺書などをご遺族の協力のもと知覧特攻平和会館初代館長を昭和61年から昭和63年まで務められ、その後も「特攻の真実と平和」と題してご高齢にも関わらず、御国のため、講演活動をされました。
人の寿命は永遠ではありません。時を刻む毎に大東亜戦争を戦い、銃後を支えた世代も少なくなり、やがてこの世から亡くなります。
私たち後世の日本人は、常に先人に思いを馳せ、大東亜戦争を風化させないことが大切です。
特攻から70年、先人の思いを後世へ語り継ぎ、強く逞しく、美しい日本を護持していくことではないでしょうか?
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謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては8日、戦後70年の節目に戦没者を慰霊あそばされるため、羽田発の民間チャーター機でパラオ共和国に入られた。
畏くも天皇陛下におかせられましては、パラオ共和国主催の晩餐会で答辞を述べられた。
以下全文
畏くも天皇陛下におかせられましては、玉体が思わしくない状況であられますが、慰霊の旅に出向かれた。大東亜戦争において斃れた戦没者の慰霊、鎮魂、世界万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、大御心に、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえません。
今日のわが国は、先達の努力と多くの犠牲のうえに繁栄を享受しております。しかし、その先達を忘却の彼方にあるか如しが今日のわが国の状況ではありませんか?パラオは当時国連より委任統治下にあったいわばわが国の領土でもあったのです。植民地ではありません。パラオは、あくまで国連からの正式な委任によって、日本が統治したものであり、その日本は、パラオから収奪するどころか、教育、文化、行政、法制度、都市インフラにいたる、あらゆるものを与えました。今日もわが国の良好な関係が続く親日国であることがその証左です。しかし、多くの日本国民はそのことを知りません。事あるごとに陛下は我々国民に「慰霊」の大切さ、「歴史」を知ることの大切さを我々国民に示しておられるのです。
すべての日本人が、天皇陛下の大御心の下(もと)に結集する時、敷島の國は息を吹き返し、世界に冠たる道義国家として復活すると願ってやまないのです。
ご公務ご多忙の天皇・皇后両陛下・ご皇族の皆様がお健やかであられることを臣民のひとりとしてお祈りします。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)
「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」
米大平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ 「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
この詩は、戦終ればかつて敵であった日本軍人の愛国心を、この島を訪れる旅人にその勇戦ぶりを伝えてくれと、日本兵戦死者に代って願っているのです。 |
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天皇陛下はパラオにご訪問される羽田空港で、このようにお言葉を述べられました。
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本年は戦後七十年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲ばれます。
私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。
パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和十年頃には、島民の数より多い五万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。
この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。
この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。 平成27年4月8日
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陛下は空港で君が代で迎えられ、日の丸とパラオ国旗で迎えられた。
パラオは第一次大戦後に日本が委任統治した国で、台湾や朝鮮と同じく日本は学校をつくって教育を施し、病院をつくり、道路をつくり、産業を興し、住民の生活は向上しました。日本語を話し、日本の名前も持っていました。これによりパラオには優秀な人が増えたのです。
大東亜戦争後にパラオはアメリカの信託統治になると、日本否定を行い、パラオで尊敬されていた二宮尊徳の像を破壊し、神社を破壊し、「日本人は残虐で多くのパラオ人を虐殺した」と学校で教えました。
しかし、パラオ人にはそれは通じませんでした。当時は日本統治を知る人が多く、「日本は素晴らしい国だ」「日本統治が一番よかった」と言って、アメリカの捏造教育はパラオにはうまくいきませんでした。
そのパラオは1994年に独立します。すると台湾と国交を結びシナとは国交を結ばなかったのです。日本はその逆で親日・台湾と国交を断ち、敵国・シナと国交しました。この間違いが日本の国益を損じているのです。
パラオでは「強風が吹いたら日本人がつくった建物に逃げ込め」と伝えられています。2012年の台風も日本の建てた建物に逃げた住民は皆助かりました。パラオでは「日本人は決して手を抜かない。その誠実さこそ日本のすごさだ」と言います。
1977年、パラオのコロールからバベルダオブ島に架けられる橋を韓国の建設会社が日本の鹿島建設の半額で落札して完成させましたが、完成直後から中央部がへこんで崩壊すると言われました。その後日本とイギリスの調査により崩壊すると言われたため補強しましたが、1996年に崩壊しました。パラオは国家非常事態宣言を出し、韓国の建設会社に補償を求めるとすでに倒産しており、韓国政府に言うと「関係ない」と言われました。建設する費用のないパラオは困り、日本に声をかけると二つ返事で了解し、無償援助で鹿島建設が建設して「日本パラオ友好の橋」として完成したのです。
パラオは台湾とともに日本の統治時代の建物を大切に維持管理していますが、韓国という国は日本統治の代表的建築であった朝鮮総督府を破壊して屋根の先端部分だけをさらしものにしているのです。
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またパラオの国会議事堂の前に「韓国人慰霊碑」が建てられています。この碑には冒頭の陛下のお言葉に反する言葉が羅列されています。
「相当数の韓国人が、大日本帝国に主権を奪われ、パラオに連行され、日本軍のために重労働に従事した。韓国人女性はエンターテイナーとして日本兵のために働く事を強いられた。当時、韓国人は隔離され奴隷とされた 2000人にものぼる韓国人が、飢餓、病気、日本人による虐待・暴行、事故、米国機による空爆のため悲痛な死を遂げたとされる」と書かれているのです。
海外に行って、お金をかけて、反日の捏造歴史にいそしむ朝鮮民族の卑しい根性にはパラオの人達も呆れていることでしょう。
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