|
姫路駅から北西方向に行ったところに塩田温泉郷があります。
夢前川に沿って県道67号線が南北に走っており、塩田温泉郷の一角に置塩神社が鎮座しています。
神社は昭和二十九年の創建と新しい。寛延年間、姫路藩内で起こった大一揆の首謀者として極刑に処された古知之庄の住人、滑甚兵衛命・塩田利兵衛命、又坂与次右衛門命の三柱を祭神として祀る。
この当時、松平家は何度も国替えがあった結果、窮乏し、白河から姫路へ移る際も、引越し費用がなく、江戸の商人から引越し費用を借金する有様だった。寛延元年、九代将軍家重の就任祝いとして朝鮮国から使節が来朝し、姫路領の室津に寄港することとなったため、 幕府はその接待を姫路領主・松平明矩に命じた。藩財政に苦しんでいた姫路藩は、領内から金二万両の御用金を徴収し、領民たちを苦しめていた。
その年の九月、猛台風が播州一帯を襲い、農作物は甚大な被害を被った。さらに十一月には領主松平明矩が急逝し、代わる藩主は幼いため所替は必定となり移封費用の捻出が必要となった。 このような状態で十一月末の年貢の納期には厳しい取り立てが行われ、領内各地で一揆が発生。二か月にわたって約一万人の百姓が蜂起した。 大坂町奉行が一揆の鎮圧にのりだし、総計三百四十五人の領民が捕えられ、一年半余りの取調べの後、二人が磔、二人が獄門、三人が死罪となり、磔獄門の四名のうち三名が古知之庄近辺の百姓であった。
極刑に処せられた滑甚兵衛と塩田利兵衛は、死後何年も墓が作られなかったが、村人たちは三十三回忌にあたる安永十年(1781)、経塚を作って霊を慰めた。 その百七十年後の昭和二十四年、滑甚兵衛と塩田利兵衛の二百年祭が行われたのを機に、置塩神社が建設された。 名称 置塩神社
ご祭神 滑甚兵衛命・塩田利兵衛命、又坂与次右衛門命の三柱
鎮座地 兵庫県姫路市夢前町古知之庄
鳥居には神社の名称ではなく、寛延義民社とあります。
福岡県知事・奥田八二による灯籠。
戸井田は戦時中に衛生兵として学徒出陣で満州に渡り、そこで終戦を迎えた人物で、終戦後も1950年代まで帰国できなかった。 帰国後、この地区から出馬して衆議院議員となり、当選7回、1990年代には海部内閣のもとで厚生大臣。8期目の選挙中に急死。 又坂与次右衛門命 滑甚兵衛命 塩田利兵衛命 お米、塩、酒、玉串が捧げられていました。 |
過去の投稿日別表示
-
詳細
2015年04月11日
全1ページ
[1]
コメント(3)
全1ページ
[1]




