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当用漢字字典
近年テレビ等で芸能人などが漢字等の知識を競い、その無知ぶりを強調する番組に筆者は啞然とさせられます。
国語こそ日本人としての土台となるべきものであるはずが、国語力の衰退が叫ばれて久しい。
わが国はこの150年余りの間に大きな文化の変遷がありました。
明治のご一新と大東亜戦争以降です。
筆者は拙ブログで江戸時代の文化の素晴らしさを時折、記事とさせていただいております。江戸時代の人たちが他者のために貢献することの美しさ、必要性を明確に認識し、実行していました。日本人は公のため、他者のためにという価値観を実践しつつ、個人的にも幸福な社会を築いていた世界に稀な善き文明を作りあげていたのです。
この素晴らしい先人たちが作り上げたよき文明を我々は受け継いできませんでした。わが国の悲劇は大きな歴史のうねりに前進し、吸収しようとする余り旧きよきものを残す努力を怠ってきたことです。
明治という時代は江戸時代までの日本を否定することから始まりました。
教育面においては義務教育制度を導入しました。義務教育制度は日本の国の未来を担う人材の育成という善意、責任を国家がはたそうとしたものでした。江戸時代には藩校や寺子屋などの教育が充実していましたが、農村などでは子供たちは労力として使われていました。義務教育は、教育をうける機会が少ない子供たちをなくし、すべての子供に教育をとの理想を実現することにあったのです。
もちろん、押し寄せてくる欧米列強に対抗する国づくりが根底にあったことは言うまでもありません。
「教育勅語」は日本人が日本人らしさを担保するために明治大帝が渙発されたものでした。
大東亜戦争に敗れたことにより、わが国の歴史、文化は大きく否定されていきます。明治の変遷は日本人の手による近代化のためのものでしたが、70年前の否定は完膚なまでの否定です。明治以降のみならず建国以来の日本をも否定されたのです。戦勝国、米国の狙いは二度と日本が米国を脅かす存在にならない、刃向かわせないことにあったのです。
世界屈指の賢い民族、日本人をそのままにしておけば再び米国の前に立ちふさがると考えたのです。それを防ぐためには、精神的、文化面を解体することだと米国は「明治憲法」「教育勅語」を破棄させました。
一定の期間、言語と歴史を奪えばその民族は滅ぶと言われています。
日本人を改造するために考えられたのが日本語の否定でした。
言葉、つまり言語は民族のこころです。こころを表現するのが言葉です。言葉を失うのはこころをなくすことに等しいのです。
実際にGHQは日本語を取り上げることを実行しようとしました。昭和21年3月第一次米国教育使節団が提出した報告書には「漢字、ひらがな、カタカナを廃止し、ローマ字のみにする」と国語改革の必要性が明記され、提言されたのです。
日本の子供たちには将来漢字を教えないとし、漢字の全廃を前提に、全廃までの間使用できる漢字としてリストされたのが1850字の当用漢字でした。当用とは当面の間は使用してもいいという意味です。
漢字全廃の反対論は多く見送られましたが、当時の常用漢字6300字以上から1850字までの縮小は日本人の物事を考える力を削ぎました。
当用漢字になることによって日本の漢字文化は変化しました。横書きも、それまでの右から左→左から右と(この記事の表記のように)表記方向が変わったのです。表記方法を歪めたのも日本をアメリカ文化圏にするという事にほかならなかったのです。
昭和56年常用漢字1950字が告示され、当用漢字は廃止されました。
もっと多くの漢字を教えようという意見がある一方で、小学校から英語を教える学校がでてきました。
著書「国家の品格」で知られる世界的数学者、藤原正彦氏は、一に国語、二に国語と、国語の重要性を力説されています。
国語は民族の文化、歴史を次代へと繋ぐ魂であると同時に、すべての教育の基礎を為すものであるからです。筆者は戦後の当用漢字から今日の常用漢字が物事を考え、表現する語彙力の衰退を招いたと思えてなりません。
また小学校から英語を教えることを歓迎する人々に70年前のGHQの亡霊を見る気がします。
日本は結果としてアメリカの思惑通りには事が進まず、中途半端な状態の日本漢字の文化となっているのが現在の日本です。
戦後のアメリカ支配が、日本語や漢字文化そのものを解体し、日本の英語文化圏化を目論んでいたことを日本人は知り、現代日本人が当たり前だと思っている日本語や漢字の文化も、既にアメリカ支配の影響が及ぼされ、歪められたものであるという事実を多くの日本人は知るべきです。
語彙力の衰退によって、わが国の漢字文化、言語が危機を迎える秋が間近に迫っているのではと筆者は心配でならない。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2015年04月13日
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コメント(11)
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皇居一般参観の見学の時間となりました〜(=^_^=)
この時期は桜の人気で予約も希望の日にちの中ではこの日しか空いていませんでした 今回も来る事が出来て嬉しいです〜☆ この左手の石垣が何度か書いていますね〜 丸に十字で島津藩です この様に使われていない階段も気になる所です☆(=^_^=) 上を見ると立派な鯱ですね〜☆ 今の時期はハナニラが咲いていました☆ 可愛いですね☆ 小さい星の様に見えました〜 やっぱり見事な桜の木ですね〜 ソメイヨシノの時には来る事が出来ませんでしたが〜 こういった桜も綺麗です☆ 向かいにある白い桜も満開でした〜 オオシマザクラかな?? 皇居内の珍しい消防車☆ カラーリングが紅白なのですね〜☆ 富士見櫓が見えて来た所ですが〜 こちらも見所なので〜また続きにしたいと思います(=^_^=) 春の皇居も美しく自然を生かしながら整備されていますね〜(=^_^=) この辺りで早くも水分を取っています(汗) 桜の時期の皇居の良さも感じる事が出来ました☆ いつもありがとうございます〜 2015/04 皇居一般参観(宮内庁) |
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古来より「豊葦原瑞穂國」と称された我が国は、稲をはじめ穀物が実り豊かに実る国として遠く神話の昔より日の神「天照大御神」を崇め、田の神、山の神を崇め、「和」を大切にし、自然に感謝し、自然と共に文化・伝統を育んできました。
わが国は神の国です。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。神社は全国津々浦々に存在し、過去、現在、未来も氏子や崇敬者によってそれらは継承されていきます。
大宮天神社(おおみやてんじんじゃ)は昔、大汝命(おおなむちのみこと)大国主命とともに日本の国造りをされた小比古尼命(すくなひこねのみこと)(別名牛間天神)を祀っていました。
播磨国風土記には品太天皇(ほむだのすめらみこと)(応神天皇)の時代に百済人の子孫たちが川辺里(かはのべさと)で暮らしていたと記されている。
郷社 天満神社
主祭神 菅原道真
合祀祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大国主命(おおくにぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのかみ)、須佐之男神(すさのおのみこと)葺不合命(ふきあえずのみこと)誉田別命(ほんだわけのみこと)
鎮座地 兵庫県神崎郡市川町(カンザキグン イチカワチョウ)小畑(オバタ)905 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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