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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
今回は、筆者の生まれ故郷、兵庫県加西市下道山村字祟磯に鎮まる「磯崎八幡宮」をご紹介します。
磯崎八幡宮は平成30年の創建1300年を迎えます。
筆者が通った西在田小学校とは目と鼻の先ほどの距離にあり、遠足や写生大会では必ず訪れていました。
神社は、西面して東側背後の神奈備形の山下まで長い参道が続きます。
祭神は、宗像三女神の田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命、応神天皇 比賣大神。
養老3年(719) 5月、僧行基が神勅によって創祀し、翌年に豊前の宇佐神社より八幡大神を勧請して磯崎八幡宮と称した。
境内には、高良社(祭神-武内宿禰)・住吉社(祭神-表筒之男命、中筒之男命、底筒之男命)・稲荷神社(祭神-沼倉魂命)・少名彦社(祭神-少名彦命)・天満宮社(祭神-菅原大神)があります。 奥野将監(おくのしょうげん)屋敷跡、現在は森に覆われ往事を偲ぶことはできない。 元禄14年(1701年)3月、江戸城松之大廊下で主君浅野長矩が吉良義央に刃傷におよび、浅野長矩は切腹。赤穂藩は改易となった。赤穂城明け渡しに際して、家老大野知房が逐電したために、代わりに大石良雄を補佐して明け渡しを行った。奥野は大石良雄の義盟に加わり、御家再興運動でも引き続き大石を補佐した。しかし、元禄15年(1702年)7月、浅野長矩の弟浅野長広の広島浅野宗家への永預けが決まり、浅野家再興が絶望的になると、京都円山の会議で大石は吉良義央への仇討ちを決定するが、その直後に奥野は脱盟した。
奥野は一党の中では大石に次いで禄が高く、討ち入り後に細川家にお預けとなった大石は奥野の脱盟を大変に残念がっている。この脱盟については大石が吉良を打ち洩らした際に備えた二番手だったとも、浅野長矩の隠し子の姫を育てるためだったともいわれるが、真相は不明である。
その後は播磨国に戻って、一女が嫁いでいた加西の下道山の磯崎神社神宮寺秀経に身を寄せて、名も右衛門と改めて新田開発に尽力した。晩年には播磨国多可郡中村の延明寺に移り隠棲したといわれ、その地の糀屋村に奥野のものといわれる墓が存在する。この墓によれば、法号玄徳院節厳禅義居士。この法号は磯崎神社に残る神宮寺過去帳と一致し、これによると1727年(享保12年)5月22日に死去したとある。享年81。
(wikipedia)より 拝殿 神武天皇遥拝所 神武天皇遥拝所 大きな御神域です。
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コメント(6)
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明治神宮で行われた春の大祭に行って来ました記事が続いていますが〜
今回は「浦安の舞」です お声掛けを頂いて崇敬会に入会していますm(_ _)m 崇敬者大会 特別な外国人の方のマナーがとても宜しく無い為にガードマンさんの機敏な対応にムッとされる方もいる事は知っていますが、きちんとしたマナーを守っていれば、とても素晴らしい神社だと思っています(=^_^=) ネット上で誰が何を言おうと、私の意志は変わりません 開門と同時に来たい気持ちですが〜 流石に連日となると三時間前がやっとでした(汗) 申し訳ない気持ちです 大きな太鼓☆ ドーンドーンと言う音の迫力に背筋が伸びます 浦安の舞が始まりました 1933年の昭和天皇御製 天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を 鈴舞の心地よい音が響きます 国家斉唱 宮司さんのお話を聞き、日本人で良かったぁ〜と改めて感じます 神職の方々も撮らせて頂きましたがアップは控えておきます これだけでも撮らせて頂けるなんて思っていなかっただけに有り難いです 通常は入れないご社殿の奥まで行き一人ずつ参拝しました お弁当まで頂きました 本当〜ありがとうございます 午後にも備える事が出来ました(=^_^=) 平成二十七年 明治神宮春の大祭 浦安の舞 https://www.youtube.com/watch?v=iwJYmQQF1lQ 念願の浦安の舞を鑑賞させて頂き本当に嬉しいです☆ これからも日本の伝統と文化に触れる機会があるならば行きたいと思います(=^_^=) 明治神宮の記事は、もう少し続きますが 宜しくお願いします(=^_^=) (教育勅語が配布されていますから、ぜひ手にとって読んで欲しいと願います) 2015/05 明治神宮 春の大祭 |
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憲法記念日に開かれた憲法集会に参加する人々=3日、横浜市西区
当然のことながら、今年も5月3日、「憲法記念日」がやってきました。
筆者は納得のいく祝日の国旗掲揚は行っていますが、この日ばかりは国旗を掲げません。日本人の起草による日本人のための日本の憲法ではないからです。
この日は、全国で各地で改憲、護憲両派の集会が開かれた中、横浜市西区の臨港パークでは「平和といのちと人権を! 5・3憲法集会〜戦争・原発・貧困・差別を許さない〜」(実行委員会主催)が行われた。会場には作家の大江健三郎、木内みどり、雨宮処凛、香山リカ、(敬称略)などの護憲派の人々が3万人以上集まった(主催者発表ゆえ実数は?)。それぞれが安倍晋三首相を「安倍」と呼び捨てで批判し、集団的自衛権反対を訴えた。
「この暑い中、熱中症で誰か倒れたら全部安倍のせい」と他人の責任にすり替える有様。
彼らはそれぞれの屁理屈、御託を並べ持論を展開しました。
確かに紛争を回避し、平和的解決を目指すことは当然のことであり、素晴らしいことです。しかし、彼らの主張や理念には大きなものが抜け落ちています。
「国を護る」「同胞を護る」大義です。
憲法を護ることと、国を護ることは別のものです。
彼らの主義、主張は自己満足にしかすぎず、「憲法護って、国、民族が滅ぶ」危険性を大いに孕んでいます。
彼らの主義、主張や抗議はすべて国内のみにおいてであり、南北朝鮮、ロシア、支那共産などの行動にはスルーであり、言論の自由と安全を保障された寛大な日本だからできるものだからです。
筆者は問いたい彼らに、
わが国の主権を侵害し、同胞が殺(あや)められた時、憲法を楯にして侵略者に対し、命を賭して議論する決意ありやと・・・
護憲派の集会と同じ日、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は3日、東京・平河町の砂防会館別館で開かれた公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし!」で基調提言を行った。櫻井氏は中国を具体例にあげ、憲法前文のいびつさを訴えた。
憲法前文には日本国政府は愚鈍でよろしい。何もしなくてよい、能力もなくてよい、政府、政治家は何もしなくてもよいということが事実上書いてあるのです。
国民の命、幸福、安寧を守っていくことが為政者の一番大きな責任だが、前文になんと書いてあるか。私たちの命を「国際社会に預けなさい」と書いてあるのです。「中華人民共和国のような平和を愛する国の公正さと信義の厚さを信頼して、日本国と日本国民の安寧と生存を守っていこうと決意した」と憲法前文の曖昧さを指摘しされ、櫻井よしこ氏は尋ねられた。
皆さんの命、ご家族の命を中国に預けますか? 中学生に聞いても小学生に聞いても同じ返事が戻ってくるはずだ。「おかしい」。でもおかしいと思うことが前文に書かれている。それを私たちは70年間も変えずにきてしまった。本当に悔しい。中国は四半世紀以上も歴史に例のないような異常な軍拡を続けてきたから、これに追いつくのはとても困難だし不可能だ。また、わが国は中国のような軍事大国になる気は毛頭ない。 わが国に見合った軍事力を持ち、憲法改正をして自衛隊を軍隊として行動できるようにしながら、突出した軍事大国になる道を選ぶのではなく、日米安保条約をもとにしてインドともオーストラリアとも東南アジアとも、自由や民主主義や人権や弱い人を大事にする、環境を守る、色々な意味で価値観を共有する国々と互いに手をつなぎながら、軍事的な抑止能力をつくっていくのが良い。
それは簡単なことではない。私たちの心が問われることだ。戦後ずっと「日本人がやらなくたってアメリカがやってくれるんじゃないの?」「私は嫌だからアンタやって」。これが日本人の精神世界だった。そうではない。どんなに小さな国であっても、どんなにお金がなくてもわが国は立派に日本国民の手で日本国を守ってきた。それが私たちの国の誇りある伝統だ。
筆者はいつも思うのです。
多くの日本国民は前者の戦わずして国滅ぶことを唱える護憲論の前者ではなく、後者の日本の未来を選択するであろう。
日本人ならば・・・ |
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