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三枝祭(平成25年)
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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大和国一之宮、わが国最古の神社といわれる大神神社(桜井市三輪)の摂社、奈良市本子守町の率川(いさがわ)神社で17日、「ゆりまつり」の名で親しまれる例祭「三枝祭(さいくさのまつり)」が営まれました。
筆者はこのお祭りに毎年参拝を希望していますが、未だはたしていません。
「三枝」とは、ささゆりのことを言います。ささゆりは古名を「佐韋(さい)」といい、先端部が3つに分かれることから「三枝の花」とも呼ばれていました。率川神社の祭神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、大神神社の近くを流れる狭井川(さいがわ)のほとりに住み、のちに神武天皇の皇后となった姫神で、川のほとりにはささゆりの花がたくさん咲いていたそうです。三枝祭はそのささゆりを捧げ、祭神をなぐさめると同時に、疫病鎮めを祈るもので、大宝元年または皇紀1361年(西暦701)年の「大宝令」(たいほうりょう)に定められた由緒あるお祭りです。参拝者お多くは「優雅で、ゆっくり時間が流れているようだった」と話しています。
かつての日本人は、米に生命のエネルギーとしての神の霊性を見ていました。その象徴が、神事に欠かせない餅であり酒であるのです。
大神祭の神饌の第一が酒であったこと、酒が神と人とをつなぐ聖なるものであったことなどの現代的意味を改めて深く考えたいものです。
拙稿でご紹介させていただいている大神神社の摂社で、飛鳥時代に起源を持つ奈良市内では最古の神社、率川坐大神御子神社(いさがわにますおおみわみこじんじゃ)の三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)でも、神楽「うま酒みわの舞」は舞われています。
作家の三島由紀夫氏が、仏教や神道など東洋思想をもとに、人間の「生」を説明しようとした長編「豊饒(ほうじょう)の海」。三島は、第2巻「奔馬(ほんぱ)」を書くために昭和41年6月、この神事を取材し、小説の中でこう描写しました。
《これほど美しい神事は見たことがなかった》と・・・・・
三島由紀夫氏の生き方、そして衝撃的な死は、いつの世も若い人たちの心を捉えて離しません。三島氏の揮毫「清明」碑は、現在、狭井神社の鎮女池(しずめいけ)のほとりに、静かにたたずんでいます。
三島氏の揮毫「清明」碑(狭井神社) 動画でも触れられていますが、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇の皇后陛下で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中で皇后陛下を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。皇后の名の中にある「タタラ」とは、たたら吹きを指したり、その時に用いられる道具を示す場合もあり、このことは、皇后の出身氏族が、製鉄と深い関係がある出雲地域であったと言われています。 三棟の本殿左側には父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈?五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外より崇敬を集めています。
天神地祇(てんじんちぎ)とは、すべての神々の総称です。
天神地祇は二つのグループに分類されます。
皇祖、天照大御神 (あまてらすおおみかみ) の命をうけて、高天原から地上に降りたとされる(天孫降臨)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天降った神々の総称を、天神(あまつかみ)、地祇は初めから葦原中国(あしはらなかつくに)に誕生した神々の総称を地祇といいますが、高天原から天降った素戔男尊(すさのおみこと)の子孫である大国主神(おおくにぬしのかみ)などは国津神とされています。
神武天皇の皇后陛下は、『日本書紀』では「媛蹈鞴五十鈴媛命」と記し、『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記されています。
天照大御神の子孫である神武天皇と出雲の媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を娶られることで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されたのです。八紘一宇(はっこういちう)のはじまりです。
万葉の刻を伝える「三枝祭(さいくさのまつり)」は、1300年の悠久の刻をきざみこれからも連綿と伝統は受け継がれて行くのです。やまとのこころ、そのままに・・・
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2015年06月21日
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