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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。 我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。
今回ご紹介させていただく式内社 播磨國 安志姫神社は兵庫県姫路市安富町三森に鎮まります。
成務天皇の時代(4世紀)、大和の穴師坐兵主神社から当地に勧請し祭祀したと伝えられています。
ご祭神は安志姫命(あんじひめのみこと)
神社参道と石鳥居
本殿 本殿 摂社 参道 姫路市安富事務所ロビーに設置しているこの陶壁は『播磨国風土記』宍禾郡安師里(しさわのこほりあなしのさと)の条を、原本「三条西家本」の文字そのままに製作してあります。
風土記は奈良時代の初め、和銅六年(713年)に朝廷が諸国へ編集を命じましたが、現在残っているのは五ヵ国に過ぎません。そのひとつ『播磨国風土記』は、江戸時代の末に三条西家に伝来するのがわかって、世に知られました。現在は国宝に指定され、天理大学附属図書館が所蔵。 『播磨国風土記』の地名伝説によれば、ある時里を通った伊和の大神は美しい安師比売(あなしひめ・あんじひめの別称)に一目惚れし求婚を迫りましたが、イラストにあるように大神は姫神に拒絶されてしまいました。姫神に拒まれた大神は腹いせに川上を石で堰き止めて三方の里に水を流したので、安師川(現林田川)は水量が少なくなってしまいました。後に安師比売は「安志姫」になり宍粟郡内の安志の里の名前になりました。(上記のイラスト参照)
伊和の大神の求婚伝説について、姫路市の播磨国風土記の伝承について次のように記述されています。
郡名・里名・里内地名について、地名の起源を語っているのが特色ですが、古くからの伝承を載せ、また史実を伝えています。
酒(須)加の里は、現在の宍粟市山崎町須賀沢を中心にした、安富町域より広い範囲の里でした。ところが、大化の改新で地方行政にも変革があり、山部三馬(やまべのみうま)が里長に任じられ、山守の里と改名しました。山部は山守部(やまもりべ)ともいって、山の産物を朝廷へ奉るのが任務でした。平城宮跡出土の「山守里 山部加之ツ支(かしつき)」と書いた木簡(もっかん:この場合は荷札)もあって史実であります。中央で勢力のあった山部連(やまべのむらじ)の管理する里でした。
風土記の編集に当って、再び安師の里と改名しました。安師比売の神は、もとは土地の女性神であったところへ、大和の穴師兵主神を分けて祀ったと考えられ、三森安志姫神社に祀ってあります。伊和の大神は風土記で最も活躍する出雲系の神で、播磨を占拠しますが、大和朝廷に国をゆずって、本拠地宍禾郡へしりぞきました。伊和の大神を祀ったのが、播磨一の宮、伊和神社です。この婚姻説話は、伊和の大神の土地占拠、農業用水の奪いあいを反映し、安師川(林田川)が古くから水の少ない川として知られていたので、このような説話が生れたのです。
このように、『播磨国風土記』の地名起源説話は、古代の安富町のすがたを今に伝えています。 筆者はイラストの求婚伝説のほうが人間くさくて好感がもてますが・・・
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
参考文献 姫路市 安富地域の歴史と沿革 他
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2015年06月25日
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