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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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パラオ行幸啓尽力者茶会で乾杯あそばされる天皇皇后両陛下 御尊影=29日午後、宮殿・春秋の間 (代表撮影)産経ニュースより












天皇彌榮(すめらぎいやさか)

拙ブログにご来訪くださり感謝申し上げます。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては29日、戦後70年にあたり、4月に戦没者慰霊のためかっての統治領パラオ共和国行幸啓あそばされるのに尽力した関係者らを宮城(皇居)宮殿に引見あそばされ、茶会を催された。安倍晋三首相はじめ、パラオのフランシス・マツタロウ駐日大使夫妻ら335人の引見者を前に、天皇陛下が「みなさんに対し深く感謝致します」と玉音賜り、続いて両陛下が一人一人に歩み寄られ、労(ねぎら)いの言葉をかけられた。

現地での両陛下におかせられましては、海上保安庁のヘリコプターで島々を移動し、移動の時間を短くするために巡視船の「あきつしま」に宿泊されました。海上保安庁によると、両陛下はその際に、乗組員にねぎらいの言葉を掛けられたということです。両陛下が巡視船に宿泊されたのは初めてのことでした。
「あきつしま」とはわが国の古称で、皇祖「神武天皇」の国見の故事に由来するものです。
戦前の帝国海軍でも同じ艦名がついた軍艦が二代2隻、存在しました。
パラオ共和国にも国賓を宿泊する施設は存在するでしょう。
しかし、両陛下は「あきつしま」に泊まられた。
海上保安庁が保有する巡視船の中では最大の大きさを誇ります。
かっての統治領を護るために斃れた一万の護国の神々たちをお迎えするに相応しい艦船だと筆者は思います。
「あきつ(とんぼ)」はお盆の時期に先祖の魂の化身としてトンボになって帰ってくるという言い伝えもあります。
パラオで散った魂たちがとんぼ(あきつしま)に乗って帰ってくるんだと筆者は信じてやみません。

ペリリューはかって「天皇の島」と呼ばれました。
守備隊の凄まじい戦いぶりに、先帝陛下が毎朝、「ペリリュー島は大丈夫か」とご下問なさったという話も残されております。11回のご嘉賞(お褒めの言葉)にもあずかりました。それだけ陛下がお心をかけておられた地でありました。
約1万人がほぼ全滅した同守備隊の中で、昭和22年まで抗戦して生還した隊員34人の一人元海軍上等水兵、土田喜代一さん(95)は戦友の御霊(みたま)が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、車いすの老身を押してペリリュー島へ行かれました
慰霊碑「みたま」の前で、ハーモニカを吹き慰霊された土田さん。若くして帰れなかった戦友らを思い、南洋での海軍兵らの郷愁を歌った「ラバウル小唄」を。
土田さんは言われました。

「1万の英霊たちが喜ぶ姿が、はっきりと見える」と・・・

筆者はいつも思うのです。
陛下の赤子(せきし)に生まれてよかったと・・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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千本松原

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治水神社


木曽川の流れる濃尾平野は日本有数の穀倉地帯で、江戸時代には幕府直轄の公領地でしたが、水害が多発していたため木曽三川の治水を薩摩藩に命じました。
 
当時の薩摩は城下町で大火が起きた直後で、財政が大変苦しく、藩士達からは「幕府の命令に抗議すべき」という意見が出ました。
 
しかし家老の平田靫負(ゆきえ)は「四海同胞と申し、およそ日本国中の人々は、皆我らが兄弟同胞である。皆等しく天子様の赤子でござる。我らが同胞の難儀を救い、朝廷の赤子を助け参らするは、仁義を経とし、忠孝を偉とする薩摩武士の本分でござらぬか」と言いました。
 
平田に説得され947名の藩士がこの「宝暦治水」に取りかかりました。しかし工事は難航を極め、幕府役人に隠忍自重を強いられて28人が自刃。過酷な労働で赤痢になって病死した者を加えると88人が犠牲になりました。
 
そして1年半後、難工事を完成させました。平田は幕府の見分を終えて帰京する藩士を見送った後、自刃しました。
 
住み慣れし 里も今さら 名残にて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧
平田の残したこの歌には一片の恨みも記されていません。
これが本当の武士であります。
 
濃尾の人々は薩摩武士の功績を称える記念碑を建立し「薩摩義士」と呼んで毎年祭りを催しています。これは薩摩義士の肉体はなくなっても、その偉業はずっと語り継がれているのであり、これがたとえ身は滅んでもその精神は語り継がれて“生きている”ということなのです。

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宝暦治水の碑(薩摩藩(島津)の家紋「十」)

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

神宿る島 宗像大社

神勅(しんちょく)






神勅とは天照大神の御教えです。御親の神、天照大神は国づくりの前に、宗像の神に「歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いおまつりを授けられよ」と示されたという記述が、日本最古の史書、日本書紀に見られます。(宗像大社HPより)


沖津宮(島全体が御神体です)





中津宮(なかつみや)







辺津(へつ)宮








宗像三社位置図






天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)。 日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮でもあります。

上記の画像にも記載していますが、「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称です。
宗像大社は天照大神の三柱の御子神(みこがみ)をおまつりしています。この三女神(さんじょじん)のお名前は、田心姫神(たごりひめのかみ)湍津姫神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれおまつりされています。
記紀にも記載されている、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔男尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神です。
三女神は天照の神勅を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが宗像大社の起源とされています。
上記の動画に誓約(うけい)について述べられていますのでご参考にされてください。

三女神(さんじょじん)は朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから崇敬された神々です。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表されています。
地図上で辺津宮・中津宮・沖津宮を線で結ぶと、その直線は朝鮮半島の方向に向かっており、古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路でありました。
14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后(きさき)神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐(さんかんせいばつ)際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされています。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえます。

宗像大社は、またのお名前を「道主貴(みちぬしのむち)」と呼ばれています。
「貴(むち)」とは神に対する最も尊い呼び名で、すなわち宗像大神は最高の道の神であると日本書紀は記しています。
大社には二千数百年前に交通安全のためにお供えされた、人形(ひとがた)馬形、舟形といわれる石製の形代(かたしろ・実物に代わるもの)が、現在国宝として保存されています。
これは古代より、道の神様としての篤い信仰を集めていたことを表し、遠く大陸に渡った遣唐使などの使節団も安全祈願のために必ず参拝をしていました。
明治時代になり、全国に鉄道が敷かれるようになると、鉄道関係の人々の参拝も多くなり、現在では、自動車交通の発達に伴い、車を運転される多くの人々が安全運転を誓って参拝しています。

今日大化の改新と呼ばれる、乙巳の変(いっしのへん)以降、国郡の制が敷かれると、宗像一郡が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになりました。

辺津宮は宗像市田島に鎮座する辺津宮は、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)をおまつりしています。また、古くから三宮の総社として、数々の祭祀を行っています。 境内には、重要文化財の辺津宮本殿、辺津宮拝殿のほか、宗像神領の七十五末社、百八神(やおよろずのかみ)もおまつりされています。
辺津宮には、宗像大神ご降臨の地と伝えられる「高宮祭場」があります。悠遠のいにしえより、この地でお祭りが行われて以来、現在も古式にのっとって続けられています。 神籬(ひもろぎ)・磐境(いわさか)というお祭りの原点を今に残す、全国でも数少ない古代祭場です。高宮へと続く宗像山入り口に、沖津宮、中津宮の御分霊をお祭りする、第二宮・第三宮が鎮座しています。第二宮、第三宮は、伊勢神宮の第60回御遷宮古材によって再建された唯一神明造の社殿です。 伊勢神宮の別宮である伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)・伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の古殿で造営され、第二宮が沖津宮(沖ノ島)、第三宮が中津宮(大島)の御分霊をお祀りしています。

宗像市大島に鎮座する中津宮は、湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祭りしています。海運漁業者の信仰が、とりわけ篤いお宮です。 大島の北側には「沖津宮遙拝所」があります。沖津宮の鎮まる沖ノ島は、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っているため、往古(おうこ)の昔より、女性の方々は遙拝所で祈りを捧げました。


沖津宮遙拝所

拙稿、神社のお話(十四)富士山では、富士山そのもの御神体であることを述べさせていただきました。
前述していますが、沖津宮の鎮まる沖ノ島は、島全体が御神体とされています。
今でも女人禁制です。また、男性でも毎年5月27日外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されています。
宗像大社の神職が1人で10日ごとに常時滞在している以外は、誰もいない無人島です。

動画にもありましたが、一般人の上陸が許可されるのは、通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られています。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人の男性のみです。
但し、海が荒天の場合はとりやめ、順延はありません。
上陸はすべて神事の一環として行われるため、前日に筑前大島の中津宮に参拝して事前の手続きを受け、船で現地に着いたあとは裸で海に入って禊(みそぎ)をします。
玄界灘に浮かぶ孤島であるため、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるよう港湾設備が整備されていますが、そうした際に寄港して上陸する場合にも、社務所に許可を取って禊をすることが必要とされています。


禊(みそぎ)


島全体が御神体の神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされていますので、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ることは許されていません。ただし、島内の湧き水(ご神水)は例外とされています。
現地大祭が日本海海戦記念日に行われるのは、日本海海戦の戦勝記念と英霊の鎮魂が祭礼の発端であったからである。現在は、神への感謝と交通安全の祈願が主目的となっているが、神官より沖ノ島沖で繰り広げられた日本海海戦が紹介される。 これは、沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎氏が、樹上から日本海海戦の始終を目撃したことに由来し、仔細は、創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されています。
かっては神宿る島として、島の有様については一切口外が許されなかった神聖な島であるのです。
戦後、宗像大社復興期成会が結成され、三次の発掘調査が行われ、古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土(そのほか約2万点の縄文時代、弥生時代の遺物が出土)し、第一次、第二次調査出土品は昭和37年に国宝に指定、第三次調査出土品は重要文化財に指定された。
国宝と重要文化財を統合、未指定物件が追加指定され、関連遺物全てが国宝に指定されている。こうしたことから、沖ノ島は海の正倉院と称されています。
平成21年1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載されています。

宗像大社の秋季大祭は毎年10月1日〜3日の3日間行われます。放生会(ほうじょうえ)ともいい、国家の平穏、五穀の豊穣と海上安全及び大漁を感謝する祭りで宗像最大の祭りです。
初日の10月1日の初頭を飾るのが海上神幸「みあれ祭」です。この「みあれ祭」は田島の辺津宮(宗像大社)で宗像三女神が一同に会して秋祭大祭を行うために、辺津宮にお祀られている(三女)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が沖の島にある沖津宮にお祀りしている(長女)田心姫神(たごりひめのかみ)と筑前大島の中津宮にお祀りしている(次女)湍津姫神(たぎつひめのかみ)を乗せた2隻の御座船をお出迎える祭りです。宗像三女神それぞれの御輿を載せた3隻の御座船を中心に大規模な船団が周回します。




宗像市伝統の祭り 海上神幸 みあれ祭.avi



四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族、海洋民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。


自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません。

神宿る島、宗像大社はそれを語っています。

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