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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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三菱マテリアル、中国人強制連行訴訟で和解の方針
中国で歴史問題を突きつけられた日本企業が苦渋の決断です。中国の裁判所で起こされた強制連行訴訟で、被告の三菱マテリアルが、原告である中国人の元労働者に1人当たり200万円を支払って和解する方針を固めました。日本政府が問題は解決済みとする中で、日本企業が自主的に謝罪して補償に踏み切るのは極めて異例です。
 
「人生で日本にいたときが一番つらかった」(劉士礼さん)
河北省・唐山市に住む劉士礼さん、89歳。劉士礼さんは71年前の8月、突然、日本軍に村を囲まれ、家族に別れも言えないまま連行されました。連れて行かれたのは北海道にある三菱の炭鉱でした。
「12時間働いてシャワーを浴びて食べて寝る。寝たら働き、働いたら寝るの繰り返しだった。思考も停止し、何も考えなくなった。どうしようもなくなった」(劉士礼さん)
 
第二次大戦中の日本による中国人労働者の強制連行は、実に3万8000人を超え、うち6800人以上が死亡したとされています。最もつらかったのは、「人としての尊厳を奪われたことだ」と劉さんは言います。「中国人は人間扱いされなかった。名前すらなく、1、2、3、・・・で呼ばれ、日本語を話さなければ名前はなくなった」(劉士礼さん)
 
元労働者たちは過去にも提訴してきましたが、すべて、受理されませんでした。しかし、戦後70年を前に、去年、各地で日本政府や三菱マテリアルなどを相手取り、謝罪や賠償を求め、改めて提訴。裁判に向けた準備が進んでいました。
 
こうしたなか、三菱マテリアルは今月19日、元アメリカ兵捕虜に対する強制労働を謝罪。そして、24日、三菱マテリアルと中国側被害者の一部は和解する方針を固めました。関係者によると、対象は元労働者と遺族、あわせて3765人で和解条件は、三菱側による「謝罪」の表明と、被害者1人あたり10万元=およそ200万円を支払うなどというものです。
 
「ひどいことをしたのに知らんぷりをする。これはあまりにも失礼で、道徳と人間性に欠けるものだ」(劉士礼さん)
強制連行という問題は、ようやく解決に向けて動き出しました。しかし、当事者たちの心にはまだ大きな傷と怒りが残ったままです。(2015.7.24 TBS
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三菱マテリアルが戦時中に自称・連行されたと言うシナ人に対して謝罪と一人200万円を支払うことにしました。
 
国際法上は個人は請求の権利は持たないので、企業がこういう個人請求に応じる必要はありません。シナ人にお金を払えばさらに自称・被害者が増えて行くことは簡単に予測出来ます。それを承知で三菱マテリアルは支払ったのでしょう。
 
三菱マテリアルはシナ人に謝罪とお金を払うことを決める前、719日に元米兵捕虜に対して強制労働したと謝罪しました。
 
この三菱マテリアルの謝罪の式典は「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の「寛容の博物館」で行われたもの、つまりユダヤ人権団体が間に入って行われたものです。
 
この組織は世界でも大きな影響力を持ち、ユダヤ人を悪く言うとこの団体が潰しにかかるという恐ろしい組織です。日本でも雑誌『マルコポーロ』がこの組織に潰されたのは有名な話です。
 
以来、日本のマスコミがユダヤのことを書くと、この団体が抗議し、潰される前に謝罪するのが光景となり、今や原稿の段階でユダヤのことを書くとその部分だけ削除されるようになりました。ユダヤに関しては自由な言論がないのです。
 
三菱マテリアルも世界で生き残るにはサイモン・ウィーゼンタール・センターの言うことには従わなければならないということです。
 
だから「当時の労働環境は大変厳しいものがあり、戦争捕虜の方々には大変なご苦労を強いてしまいました。三菱鉱業の事業を継承する会社として、過去の不幸な出来事に道義的な責任を痛感しております」(三菱マテリアル木村光常務)と発言したのでしょう。

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ユダヤに組み込まれた岡本行夫
 
これに対して元アメリカ兵捕虜 ジェームス・マーフィーは「とても輝かしい日です。70年間この日を待っていたのですから。こういった歴史的な出来事が世界中に広がり、人々を救うことにつながればと思います」と発言しました。
 
この日を待っていた?
ならば言う。ポツダム会談でチャーチルはスターリンに炭坑労働者が不足していることを言うと「ドイツ兵捕虜を労働力にすればいい。ソ連ではそうしている」と言い、4万人のドイツ人捕虜に強制労働させました。
シナでは今もシナ政府や企業が人民を強制労働させています。
 
「12時間働いてシャワーを浴びて食べて寝る。寝たら働き、働いたら寝るの繰り返しだった。思考も停止し、何も考えなくなった。どうしようもなくなった」。
12時間働き、しかもシャワーも浴びられ、食事も与えられ、寝る時間もきちんとありで思考停止?何を言っているこのシナ人。
 
日本兵は、例えば英軍の捕虜となり「激しい強制労働に服させられました」と実際に捕虜になって強制労働させられた会田雄次さんは著書『アーロン収容所』でその堪え難き悲惨さを書き綴っています。またシベリア抑留では100万人以上が過酷な環境の中で強制労働させられ、それにより35万人が死亡しています。
 
「当事者たちの心にはまだ大きな傷と怒りが残ったままです」と報じるTBS。少なくなりましたがシベリア抑留で帰国できた方々がまだ生きていらっしゃいます。日本のマスコミならばご苦労されたこの日本の方々にこそ「心にはまだ大きな傷と怒りが残ったままです」と報じるべきです。

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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鳥居



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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。

日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。
我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。

今回ご紹介させていただく蛭子(ひるこ)神社は姫路市白浜町宇佐崎南一丁目に鎮まります。
当社由緒によると、天平宝字七年(763年)伊諾尊(いざなぎのみこと)第三子夷子(えびす)三郎(蛭子神)を小島山頂に鎮座。当時この地(小島)はその名のとおり海の中にありました。現在の八家(やか)川はその当時、棲神川(やかかわ)神のすむ川と呼ばれていました。



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参道右側の碑は蛭子神社山上奉遷記念新塩浜開発由来碑です。


今も昔も海を埋立ることは大事業です。寛文八年(1668年)沖新浜は宇佐崎住民によって開発に成功し、この地(蛭子神社)は陸続きとなりました。この事業の成功は蛭子の神のご加護の賜物と宇佐崎住民の篤い信仰の対象となりました。
寛保三年(1743年)現在の地に齋遷。
昭和二十五年頃、木造社殿が荒廃し、礎石、狛犬、灯籠の石造物が残った。昭和五十九年現在の社殿を再建、平成元年灯籠を奉献。
ここ姫路市白浜町は「灘のけんか祭り」でも知られています。
筆者も播州人ですが、白浜町の方々の神社を崇める崇敬心は全国屈指と言っても過言ではありません。白浜の地から日本各地へ出て行った人々も10月14日・15日の「まつり」には必ず帰ってこられると聞きます。

平成元年に灯籠を施工した石材店より筆者らに土工事、石工事の依頼が昨年四月にあり、五月一ヶ月で階段工事を行いました。
完成より一年が経ち施工に異常がないか参拝させていただきました。
異常箇所も認められず安堵いたしました。



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改修前の石階段





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改修後





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改修後






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参道





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参道 





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社殿





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社殿





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改修前からの狛犬





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改修前からの狛犬






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社殿から播磨灘を望む。





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海からの参道



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境内より播磨灘を望む。






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境内より播磨灘を望む。


我々の祖先は皇室を中心として実に素晴らしい国づくり、地域づくりをしてこられました。現在の日本人には考えも及ばないものです。
祖先が残してきたすべてのもの、文化、慣習を時代につなぐことが不遜になってしまった現代日本人に一番求められています。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)




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