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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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靖国神社







天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝申しあげます。

もう十日もするとお盆を迎えます。
先帝陛下の「ご聖断」の日から七十年の歳月が流れました。
しかし、東京・九段の靖国神社は毎年この日は騒然となります。
粛々と慰霊を行う為に参拝に訪れた遺族、近親者、戦友の方々の心をよそに、心無い人々によって慰霊の日が穢されています。
これらは、わが国の文化・伝統・習俗をも知らない愚かな人のなせることです。残念でなりません。


靖国神社に祀られているのは、特定の個人の御霊(みたま)です。もちろんその個人のみたまの多くは遺族がいます。戦没者の妻や親や子や孫、甥や姪といった人々にとって、靖国神社は自家の墓と同様に重要な場所なのです。
 しかし、靖国神社は、こうした国民の私的な慰霊の対象を集合した場所であることにとどまらず、むしろ、戦没者は国の命令によって、公のために生命を捧げた人達であるので、靖国神社は根本的に国家公共の施設である。公的な慰霊を行う中において、個々の私的な慰霊を同時に行う場所なのである。
 わが国に伝わる子孫が祖霊を祀り、祖霊が子孫を守護するという関係に照らして考えれば、靖国神社に祀る戦没者の霊とは、個々の国民の先祖だけではなく、日本人による共同体全体の祖霊でもある。また、その祖霊が守護するものも、個々の子孫だけではなく、日本という国家共同体の成員の全体でもある。
ですから、靖国神社を護持すべき立場にある者とは、戦没者の遺族だけではなく、国民全体なのです。

ここで重要な問題が一つあります。拙稿、靖国神社 花嫁人形で昨年一月十六日に亡くなった国士、故小野田寛郎氏の言葉を引用していますが、それは、遺族をもたない御霊(みたま)の存在です。戦没者の中には、若くして独身のまま、あるいは子孫を持つことなく亡くなった人々がいます。こうした人々は、自分の子孫に慰霊をしてもらうことができません。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学者の柳田国男先生は、『先祖の話』において、日本の祖霊信仰の伝統について研究されました。時は、わが国の敗色が濃くなっていた昭和20年の4〜5月頃の執筆です。柳田先生は、本書でとりわけ子孫を持つことなく亡くなっていく青年達の慰霊について、その必要性を強調されています。国のために死んでいった人を無縁仏にしてはならないと。 柳田先生の訴えはもっともであり、戦争において家族がすべて死に絶えた人々、いわゆる絶家になった人々もいる。これらの人々に対しては、国民が共同体の祖霊として、公的に慰霊をしていく必要があるのです。

国家公共の行為としての慰霊とは、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会であるのか、を明らかにするものです。そして、これは家族愛や友人愛といった私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという民族の課題でもあるのです。
拙稿靖国神社(一) 靖国神社(完)でも靖国神社の国家護持について述べていますが、全国民が靖国神社を護持すべき理由があるのです。これは、個々人がいかなる宗教・思想をもっていても日本人として為すべき事柄であり、またこのことは信教の自由を侵すものでもない。
補足しますが、個々の家で先祖代々の霊の救済を神に祈願する先祖供養は、私的な営みです。これに対し、国家による慰霊の儀式を行うことは、公的な営みである。前者は霊の真の救済を求める営みであり、後者は儀式による感謝と尊敬の表現である。また、靖国神社に祀られている人霊は、奇蹟救済を祈願する対象ではない。この点は明確に区別する必要があります。


わが国の宗教的伝統に基づく慰霊の在り方と靖国神社の参拝に対し、周辺諸国が口出しをするようになっている。これは明らかに内政干渉ですが、そこには宗教観の違いによる誤解も見られます。
 靖国神社参拝をめぐる対立の本質は、「死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる」というわが国の精神文化と、「末代まで憎しみ続ける」というシナ文明の精神文化との摩擦ともいえるのです。
日本人は死者については敵も味方もなく「死後は神になる」として平等に扱うという寛容の精神を持っている。日本人は死者に鞭(むち)打つことをしない。死者に対して悪口を言う人間を軽蔑する。
また、日本人には、古来、敵味方の差別なく死者を祀る習わしがあった。例えば、愛媛県松山市には、日露戦争の捕虜で故国へ帰ることなく異郷で亡くなったロシア兵の墓があり、慰霊祭が毎年行われている。また、昭和20年4月、F・ルーズベルト大統領が逝去した時には、鈴木貫太郎首相が、敵を愛する武士道の精神にのっとり、交戦中のアメリカ国民に向けて弔意を表す談話を発表した。 靖国神社では、境内の鎮霊社において、世界各国の戦死者が祀られている。これらは日本人の博愛の精神の表れなのです。
しかし、わが国と異なり、シナ人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容であり、「生きてその肉を喰らい、その皮で寝る」ことを願うほど憎み、死後は「その魂を喰らう」と誓うほどである。敵は死後も永遠に敵であり、どこまでも和解がない。死者の墓をも暴いて死体を破壊する。それが伝統文化でもあるのです。

どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。シナ・韓国とて同じことです。
戦没者への慰霊は、その国の宗教的伝統に基づいて行われています。
慰霊という重要な問題に関して内政干渉をする現在のシナや韓国の政府は国際社会のマナーを著しく欠きますが、それ以上にわが国の政府の外交姿勢が間違っているのです。
日本には日本の伝統があり、わが国の伝統を堂々と主張し、少々の摩擦をおそれず、日本の立場を主張し、死生観までの容喙は内政干渉だと指摘し、その姿勢を貫徹することです。はっきりものを言ってこそ、相手もわかってくる。しかし、逆の場合は、ますます誤解を深め、相手の言い分に押されてしまう。それは決して自他のためにならない。真の相互理解・共存共栄のためには、誇りをもって毅然とした態度で応対することが必要です。
その点で、最大の問題は、中曽根元首相以降のわが国の指導層の姿勢にある。日本の伝統・文化をよく理解し、日本人としての精神を取り戻し、戦没者の慰霊と靖国神社の問題に対して、正しい対応をすべきです。


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皇室ジャーナリスト 高清水有子氏の「献句ぼんぼり」


靖国神社には鎮霊社という社があります。ここに靖国神社に合祀されていない死者の霊と、国籍を問わず、万国の戦死者あるいは戦禍犠牲者の霊が祀られています。また、毎朝奉仕がされ、毎年祭事も行われているという。鎮霊社は、昭和40年7月の創建であり、後から設けられた施設である。そうであれば、こうした施設をさらに充実させ、祭事を盛大にしていくことは可能です。それが、靖国神社が、真に日本人全体にとっての慰霊の場となり、世界各国の人々ともに世界平和を祈る場所ともなる道ではないだろうか?
命を賭して日本を愛し、護った「みたま」
御国を愛せない人が後世の子孫を愛せるでしょうか?

日本人よ日本人の魂に帰ることこそ、護国の神々(みたま)に感謝の誠を捧げることなのです。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)



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