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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブロブへご来訪くださり感謝もうしあげます。
阿波徳島の夏を彩る「伝統の「阿波おどり」が12日、徳島市で開幕し「ヤットサー」の掛け声や太鼓の音が夜空に鳴り響いた。15日まで熱気と踊りが街中にあふれます。
下の動画は阿波踊りの開幕を徳島藩藩主・蜂須賀家政公の墓前に奉告、奉納するおどりです。
祖先を敬う日本人ならではの一コマです。
日本のまつり、それは、日本古来の文化の伝承です。
祭りを運営する人、参加する人、そして見る人。 「まつり」年齢、性別、肩書き、身分の上下など関係なく、境界線を越え、人と人を結ぶ無心のエネルギーでした。
そしてこれらは今後も変わることなく無窮に続いていくのです。 「まつり」はすべての人がひとつになって夢中になれる唯一の文化といえましょう。 いま日本に必要なのは、そんな底知れぬ生命力に満ちた祭りの力と、一体感、人と人の心の絆、祖先・先人を敬愛し、皇室を崇め、天津神(あまつかみ)( 伊勢の大神宮)、国津神(くにつかみ)(氏神)、森羅万象を司る八百万(やほろず)の神々に感謝をし、よりよい日本を後世に残し、日本のこころを後世に伝えることではないでしょうか? 阿波おどりの文化は、我が郷土徳島の「こころ」の文化そのものです。 阿波おどりに見る、日本人の精神性を表したコメントです。
今回も記事としました、「阿波おどり」の淵源は、400年前に遡ります。
阿波おどりの起源については、主に関西で盛んに踊られていた風流(ふりゅう)踊りとする説、お盆に亡くなった人のために踊った精霊(せいれい)踊りとする説、天正15年(1587)に徳島城の竣工を祝って踊られたとする説があります。これら3つの説のうち、通説となっているのは徳島城の完成にまつわる説です。当時の徳島藩藩主・蜂須賀家政(はちすかいえまさ)は徳島城の完成を祝うために城下に盛大に踊ってよいとお触れを出しました。そこで、徳島城下の町衆たちは、夜を徹して踊り明かしたことが現在の祭りの原型だといわれています。この祭りは誕生してから長い間、正式な名称なかったそうです。阿波おどりという名称で呼ばれるようになったのは、昭和4年に徳島市出身の日本画家・林鼓浪(はやしころう)氏に命名されてからのことで、以後、全国にその名が広まっていきました。
阿波おどりは八月のこの時期に限ったものではなく、年がら年中踊られており、全国各地へ招かれ、出向いて踊っています。
上の動画でもご覧いただけますが、踊る人、見る人が一体となって踊る。
何人であっても拒否しない、わが国、我が民族の特性を見ることができます。
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2015年08月13日
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コメント(8)
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。 我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。 今回ご紹介させていただく皇子(おうじ)神社は揖保川のほとり、兵庫県たつの市御津町中島19-1に鎮まります。 ご祭神
第二三代顕宗天皇(記紀・『播磨国風土記』に伝えられる第23代天皇)の
弟君 弘計王命
第二四代仁賢天皇 兄君 億計王命 大炊命(オオタキノミコウト)
古刀比羅大神 (コトヒラノオオカミ) 拝殿 我々の祖先は皇室を中心として実に素晴らしい国づくり、地域づくりをしてこられました。現在の日本人には考えも及ばないものです。
祖先が残してきたすべてのもの、文化、慣習を時代につなぐことが不遜になってしまった現代日本人に一番求められています。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・
天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
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ひざまずいて謝罪 韓国で鳩山元首相
韓国を訪問中の鳩山由紀夫元首相は12日、ソウル市内にある西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)を訪問した。同刑務所は、日本の朝鮮半島統治時代に独立活動家らが収監されていた場所で、韓国では“抗日”の象徴。現在は独立活動家らの「苦難の歴史」が、写真や資料で館内に展示されている。
30分あまりにわたって館内を見学した鳩山氏は、独立活動家らをしのぶモニュメントに献花した。さらに、鳩山氏は靴を脱ぎ、膝を屈したうえ、モニュメントに向かって手を合わせ、ぬかずいた。
この後、記者会見した鳩山氏は、「元日本の総理として、ひとりの日本人、人間としてここに来ました」と述べた。その上で、「日本が貴国(韓国)を植民統治していた時代に、独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている。心から申し訳なく、おわびの気持ちをささげていきたい」と謝罪の言葉を繰り返した。
(2015.8.12産経新聞)
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絵に描いたような馬鹿です。
しかも反論するのも馬鹿らしいほど歴史に無知です。
「拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている」(鳩山)とありますが、日本が朝鮮を合邦する前に、朝鮮では残虐な拷問が横行していました。
しかし日本が合邦してから日本は「京城監獄」をつくり、拷問を禁止して拷問がなくなり、しかも日本式の運動場をつくったり、朝鮮時代にはなかった食事もきちんと3食与えるようになったのです。
ですから実際に拷問していたのは朝鮮人であり、朝鮮人というのは抵抗出来ない弱い者には調子に乗って徹底していじめ抜くという彼らの民族性・習性が拷問になっているのです。今も北朝鮮の収容所で残虐な拷問が行われていることや、戦後日本人が朝鮮人からされたことを思い起こせば理解できるはずです。
「鳩山氏は靴を脱ぎ、膝を屈した上、モニュメントに向かって手を合わせ、ぬかずいた」
「元日本の総理として、ひとりの日本人、人間としてここに来ました」
「心から申し訳なく、おわびの気持ちを捧げていきたい」
鳩山由紀夫が本当に日本人ならば、この言葉と態度は靖国神社の英霊達にこそ捧げるべきであります。
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