|
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。 神道こそがわが国柄を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信します。
幾十代もの我々の祖先と同じ神を祀り、神事を継承し、変わることのない鎮守の森は祖先と同じ景色を見ているのです。 我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、巨木や巨石をご神体と崇め、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。 昭和四年発行の加西郡志には、
富田村畑の字いなぎ谷の上にある岩を昔から「ゆるぎ岩」とも「ゆるぎ石」とも云い、神石として居る。岩は二つ並んで居るが、東の方の岩は高さ一丈六尺ばかり、上部尖って中部がふくらんで居る。そのまはりは二丈五六尺もあらう。下部は細ってまはり一丈ほどである。この岩の下にまた大きな岩があって、重ね置いたやうになって居るのだが、その上の岩を押すと揺れ動く。ゆるぎ岩の名は即ち揺れ動く岩との謂である。この岩について伝説がある。
白雉(はくち)年間(孝徳天皇の御代)法道仙人が印度(インド)より日本に渡来し法華山(一乗寺、西国三十三箇所第26番、および播磨西国三十三箇所第33番札所である。山号は法華山、本尊は銅造聖観音立像)を開いてから後、播磨国数十箇所に霊所を開いた。その時この畑村にも来て高峰を開き、猿田彦命のお告げによって伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀った。さうして善人か悪人かを試し、若し悪人であれば善人に還らしめやうと誓ひ、この山の大岩に封って呪文をとなへ、仙人自ら手をもってその岩を押し揺るがし「後世に至って貴賤貧富の別なく人若しここに来ってこの岩を押し試み、岩が揺らいだならばその者は善人である。揺るがなかったらその者は悪人である。即ち善人来って押すときはこの岩揺らぐべし。悪人来って如何に大力を以て押すともこの岩揺がざるべし」と云った。さうしてまた「この岩を押し試みて動かぬ時は自身に罪障あり、邪念あり、やがては神仏の罪を蒙るべきものと心得、早速伊弉諾、伊弉冉の御社に詣で罪悪を懺悔し、正直慈善に立還るべし」と里人に告げて去った。それから里人が時々、此所に来て岩を押し試みると仙人の誓言にわずか
の違いもなかった。里人はこの岩を霊石としてあがめた。その事遠境にも聞こえてこの岩に詣でるもの多くなった。
この地を今、「いなぎ」と呼ぶのは祭神の伊弉諾から「いざなぎの谷」と云ったものを訛ったものである。と云って居る。このゆるぎ岩を詠むだ詩歌が昔から随分あるがその二三を記して置く。
ゆるぎ岩
野々口隆正
ゆるぎてもねさしゆるがぬゆるぎ岩ゆるがぬ御世のたぐひなりけり
ここで言う悪人とは今日でいう犯罪を犯した人のことではありません。
神仏に対して一点の曇りもない清らかな清明心を言います。
今日の個人主義、身勝手な邪悪なこころは論外なのです。
かって奈良、平安時代の日本人の平均寿命は30歳前後と短命でした。
今日の飽食の時代に比べて信仰の理由からも粗食でした。今日は美食の時代とも言われていますが、かっては食べることは卑しいこととされていました。多産でしたが子供は成人になることなく亡くなることが多く、成人でも病気にかかるとすぐ死んでしまいました。いつも死と向き合って生きてきた我々の祖先は黄泉の国での清らかな幸せに満ち、どんな苦しみもない浄土を願って生きておられた。神仏のもとへ召されるについて清らかなこころでと身を律して生きたのが日本人の生き方でした。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・
日本のこころがここににあります。
天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
過去の投稿日別表示
-
詳細
2015年10月21日
全1ページ
[1]
コメント(4)
全1ページ
[1]


