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[4K]Autumn leaves in Urabandai 裏磐梯の紅葉 五色沼 中津川渓谷 桧原湖 日本の紅葉 Fukushima natural
さまから共有させていただきました。
動画説明文
撮影:October2014 福島県北部にある裏磐梯は、五色沼に絵原湖 など磐梯山と美しい景観が望める 磐梯朝日国立公園に属し、五色沼に代表される湖沼群が数多く点在。紅葉の名所として知られる中津川渓谷を始め、湖沼群は晩秋には朝もやが立ち、紅葉と共に美しい風景を見せてくれる。
筆者はいつも思うのです。
わざわざ異国へ観光に行かなくても美しい国土や史跡は日本人を待っています。そして見知らぬ同胞との一期一会の出会いがあり、同胞が潤うのです。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2015年10月25日
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コメント(7)
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こちらも奥日光の話題です(*・∀-)☆
竜頭の滝はブロ友さんの所で知り、行きたいと思った場所です こちらは人気のスポットでした☆ 早い時間から駐車場は列が出来ていて臨時の駐車場に止めて歩きました もっとも、滝をお店の脇から見るといった場所なので、そんなに長く待つと言う事はありません でも次から次へと訪れて来る方で凄く賑わっている場所ですね(^^)/ 以前に書いた奥日光三名瀑の一つです 滝壺近くが大きな岩で二分されて、その様子が竜の頭に似ているから竜頭の滝と呼ばれるそうです 向かう途中の景色(^_-)-☆ 駐車場から滝へ向かう途中(=^_^=) 紅葉が綺麗です〜足元も絨毯になっている所がありました どなたかのバイクの中にも景色が綺麗でした 足を止める方が多い所です〜 脇から見えた竜頭の滝 こちらが竜頭の滝の正面からですヽ(*’-^*)。 新しい木の誕生かな?? 落ち葉も拾っている方が多かったです(^^) 紅葉の綺麗な竜頭の滝でした(=^_^=) 臨時駐車場に止めた方が紅葉が楽しめると思いますよ〜(*'-'*) 今日は奥日光の話題を二つ続けました 各地でも紅葉が楽しみになっていますね〜 奥日光の話題はまだ続きます〜☆ 201510 奥日光(栃木県)戦場ヶ原 |
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日光国立公園 戦場ヶ原の三本松から散策話題です〜(*´ー`)
こちらでお弁当を食べて一休みです〜 でも周囲には美味しそうな物がありそうなお店が沢山ありますね〜(^^; 有名な戦場ヶ原の展望台の所です この一帯、広いですね〜(=^_^=) 木々の合間から見えた紅葉も終わりの頃 冬に近くなっている様な男体山のふもとですね〜 ちょうど雲が山の縁取りをしているかの様に見ました 山は不思議な事がありますね〜 この日、普段は見る事が出来ない事を二回も体験して、その夜は実は眠れませんでした(^^; ![]() 神様は見ているのですね〜そう感じます 戦場ヶ原はかつて湖だった所が湿原化した所です 標高は約1400m広さは約400haの高層湿原だそうです 男体山の神と赤城山の神が争った「戦場」だったと言う神話がこの地の由来ですね 奥が深い戦場ヶ原を大人になってから久しぶりにやって来ました 山の神様の息遣いが聞こえる様な気分になります ![]() 残念ながら三本松は現在は枯れて無いのです 紅葉にはやや遅かったのですが綺麗な景色と自然を楽しみました(=^_^=) ![]() 201510 奥日光(栃木県)戦場ヶ原 |
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。 神社こそがわが国柄を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信します。
幾十代もの我々の祖先と同じ神を祀り、神事を継承し、変わることのない鎮守の森は祖先と同じ景色を見ているのです。 我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。 今回ご紹介させていただく河上神社は兵庫県のほぼ中央、兵庫県加西市畑に鎮まります。
創建、由緒は不明ですが、拙記事、播磨乃國「ゆるぎ岩」、播磨乃國「高峰神社」 とほとんど隣接しており、往古の昔より信仰を集めていたことがわかります。河上神社は、稲荷社として大昔から勝負の神様として祭られてきました。河上神社には、たくさんの赤い鳥居をくぐって境内に入ると二つの名高い巨岩があります。一つはご神体となっている岩で、京都伏見稲荷神社とともに巨岩がご神体になっていることで有名です。もう一つは、境内にある鏡岩と呼ばれる岩です。その名のとおり、まわりの景色が、岩の表面に鏡のように映るという不思議な岩です。なお、横から光が入らないように手をかざしてのぞき込むのがポイントです。筆者ものぞきこんできましたが、周囲の景色が映りこんでいました。
我々の祖先は皇室を中心として実に素晴らしい国づくり、地域づくりをしてこられました。現在の日本人には考えも及ばないものです。
祖先が残してきたすべてのもの、文化、慣習を時代につなぐことが不遜になってしまった現代日本人に一番求められています。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・
日本のこころが神社にあります。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
所在地地図 |
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【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝を申しあげます。
冒頭の動画に出演されている楊素秋 (ヨウソシュウ)さんは、昭和7年、日本統治下の台湾、台南市に生まれられました。
台南師範学校附属国民小学校、長栄女学校(中学、高校)を卒業され、「日本と台湾の架け橋の釘1本となりたい」と、貿易や、通訳、日本語教師な等、多方面で活躍され、金美齢氏、西村幸祐氏とも親しい方です。楊素秋さんは、42歳で初めて来日され、ずっと行きたいと思っていた靖国神社に、何を差し置いても一番にお参りされました。「なぜなら、国のために惜しげもなく命を投げ出した御霊(みたま)にすくなくともありがとうと言いたかった」から、と・・・・。 楊素秋さんが書かれた本に、「日本人はとても素敵だった」(桜の花出版)という著書があります。
初版は今から9年ほど前に刊行されたものですが、今日も多くの人々に共感されています。
その著書のまえがきで母国、日本、祖国、台湾について述べられています。
以下に引用します。
【はじめに】 楊素秋さんは終章に、「日本は私の故郷です。私には日本と台湾、祖国が二つあります。どちらが私の心を余計に占めているかというと、どちらとも言い難い。どちらも同じです。半分半分です」と書かれ、
「日本時代は私にとって、素晴らしい時代であり、私の人生の道標をこしらえてくれたと言っても過言ではありません。 私の心の中には、いつもとても綺麗な日の丸の旗が翩翻とはためいています。」と、締められています。 楊素秋さんは、今を生きる日本人には、「もっとしっかりしてほしい」と苦言を呈しています。それが、『日本人は素敵だ』ではなく、『日本人は素敵だった』である所以です。「素敵だった」のは、楊素秋さんにとっては、日本の統治に接した日本人なのです。 今の日本人に、どういう点でしっかりしてほしいかというと、第1に、今の豊かさと幸せを当たり前のものだとは思わず、豊かな国を築いて生き、そして死んでいった先人と、豊かさを与えてくれる母国に感謝して生きてほしい、第2に昭和20年に敗戦した戦争には「東亜開放」という面もあったことを忘れず、罪障観を持つばかりではなく、誇りも持ってほしい、ということです。そして、よりよい日本を築き、世界のリーダーとなり得る気概を持ってほしい、楊素秋さんは望んでおられるのです。
「日本の若者よ、背筋をシャンとしてお立ちなさい。そして自信と誇りを持って前に進みなさい!」と叱咤激励もしていらっしゃいます。筆者の子供の頃は、姿勢が悪いと言って、両親に物差しで打たれたことを思い出して欲しい。 台湾、高雄にいる筆者の友人はわが国が台湾を裏切り、支那と国交を結んだことを責めたりしません。しかし、今日のわが国を見るにつけ「日本は強くあってほしい」と楊素秋さんと同じことを言います。
友人は戦後生まれで、わが国の統治時代を知りません。
しかし、日本時代がいかに素晴らしい時代であったかを知っています。
先人を貶める今の日本人に対し、友人はいつも言います。
「今の日本人が素晴らしいと思うのなら、当時の日本人も同じ日本人です。先人を敬わぬ民族に未来は来ない」と・・・
最後にタイのククリット・プラモード元首相が、一九五五年に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人氏に語った言葉を紹介します。
「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なった。しかし、生まれた子はすくすく育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるか。それは身を殺して仁を成した日本というお母さんがあったためである。十二月八日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心された日である。更に八月十五日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない」 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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