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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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群青の鎮魂 



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海底に沈む英霊の遺骨収集



天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへご来訪くださり感謝もうしあげます。


大東亜戦争中に沈められた我が国の軍艦や商船を水中撮影 し、そこでの慰霊、遺骨収集を行なっている方がいます。昭和11年生まれの大阪の坪本公一さ んが十年前に出された写真集が「群青の鎮魂―太平洋に眠る連合艦隊を訪ねて」です。
氏は、この国の平和と繁栄の原点を撮り続けてと題し、出版について述べられておられます。以下に引用します。

今日、多くの日本人は快適な住居、お洒落な洋服、スポーツにレジャー、そしてグルメと世界に誇る平和で豊かな日々を享受しています。

 しかし、私たちの父母や祖父母の時代、この日本は国家存亡の危機に直面していました。愛する家族、山紫水明麗しい祖国を守るため、たったひとつの命を捧げて逝った先輩がいたことを決して忘れてはなりません。

 私がミクロネシア連邦のトラック諸島で沈没した日本軍潜水艦「伊 169」を初めて撮影したのは昭和四十八年六月のことでした。さびや珊瑚、ヘドロに覆われて朽ち果てた船。南国の美しい大自然とは全く無縁の、そこだけ時間が止まっているような感覚でした。以来、パラオ、フィリピンと、七か国の海に百回以上潜って、三十二年になります。

 この国では、その家やその会社の危機を救った人の賞賛は代々語り継がれてきましたが、わが国の国難を打破するため、命を捧げた同胞のことに、私たちはどれほどの思いを寄せてきたでしょうか。自分の家族や自分の土地には強い関心があっても、国のことを忘れてきたがために、北方領土は返還されないまま、その一方で拉致問題は起き、依然として未解決のままです。

 歴史を忘れ、国を愛する心を忘れてしまっているとしたら、この国は世間が騒ぐ少子高齢化などとは別の危機にさらされていると思うのは私ひとりではないはずです。

 戦後六十年。海底に長年眠っていた遺骨を目の当たりにするたび、日本の戦後の繁栄の礎になった人々のことを考えずにはおれません。彼らの存在をひとりでも多くの方々に伝えるのが、私の使命と思ってきました。

 この度、『太平洋の墓標を訪ねて』に続く第二弾の写真集を刊行する運びとなりました。

 長年の潜水のつけで左半身に少しまひが出ていますが、体力の続く限り、群青の海の底からの訴えを記すために、私は潜り続けたいと思っています。
麗澤大学教授、八木秀次氏は坪本氏の出版に際し次ぎのように推薦されています。

 
今年は戦後六十年。周りを見渡しても戦争の傷跡は何もない。街には近代的なビルが建ち、物が溢れ、人々も日々の生活の苦労はあるが総じて幸せそうに暮らしている。果たしてこれが僅か六十年前に本当に戦争を経験し、敗れた国の姿かと思うほどだ。戦争については首相の靖国神社参拝に近隣諸国が反発する際に辛うじて意識する程度--これが戦争を知らない世代の戦争観である。戦争は遠い過去のものになり、人々は戦争を忘れ去ろうとしている。

 しかし、たとえ人々が忘れ去ろうとしても、人々をして忘れ去らせないようにするものが厳然としてある。それが、本書に収録されている太平洋の海底に今も眠る旧軍の艦船や民間の徴用船の姿だ。六十年の歳月はあまりに長く、船はさびつき、ヘドロに覆われている。張り付いたテーブル珊瑚は巨大なまでに成長している。海のコバルトブルーの美しさが却って痛々しい演出となっている。しかも、そこには三十六万人もの戦没者が今も眠っている。引き上げられないままに。遺骨収集作業はほぼ手付かずの状態であるという。

 正直言えば、今日まで私はこんな事実があることを知らなかった。坪本公一氏が丹念に撮影したこの写真集を見るまでは太平洋にこんなにも多くの船が沈み、かくも多くの兵士や民間人が放置されていることを知らなかった。不覚を恥じるばかりだ。

 坪本氏はこの撮影に莫大な私財を投入しているという。彼は、戦後の日本人の圧倒的多数が太平洋の海底にかくも多くの同胞を放置していることに気付きもしないときに、黙々とシャッターを押し続けた。この事実を知らせることが英霊の鎮魂であると思い続けて。

 同胞を放置しながら築いた繁栄は虚妄以外の何ものでもない。本書に収録された一枚一枚の写真は圧倒的な力をもってそんなことを私たちに訴えている。

また氏は、慰霊について以下のように綴られています。

 『致知』2006年9月号
         致知随想より

───────────────────────────────

 太平洋海底に眠る英霊の慰霊と沈没艦船の撮影を続けて三十余年。
 写真店経営で得た利益や本の印税をすべて注ぎ込み、
 切ったシャッターの数は四万回を超える。

 遺族でもない、軍隊経験もないおまえが
 私財を擲ってなぜそんなことをする、と誰もが訝しがる。
 自分自身にもはっきりした答えはない。

 ただ、私の活動をテレビなどで知った遺族の方が
 訪ねてこられたり、弟を亡くされた老人が
 「とにかく一緒に行ってほしい」と
 新聞を握り締めたまま飛んでくるのを見れば、
 どうしても放ってはいられなくなる。
 
 詰まるところそれは「自分が日本人であるから」
 とでも言えるのかもしれない。

 太平洋戦争の激戦地となった海底に、
 いまだ百万柱以上の遺骨が放置されている
 現状を知る日本人はほとんどいない。
 かつてはこの私もそうだった。

 沈没船の存在を知ったのは、昭和四十八年。
 ミクロネシアのトラック諸島で
 仲間とダイビングをしていたところ、
 海底に傷ついた船体と散乱した遺骨を発見した。
 
 帰国してからもずっとそのことが気にかかり、
 翌年撮影に行く準備をしていると、
 噂を聞きつけたテレビ局から番組出演の依頼があった。
 
 当初、私の目的は沈没船の撮影にあったが、
 共演していた薬師寺管長の高田好胤さんが突然、
 
 「坪本さんたちが今度、トラック諸島で水中慰霊祭をやる。
  故人をしのぶ酒や果物、戒名を書いたハガキ、
  なんでもいいから送ってください。現地で供養してきます」
  
 と茶の間に呼びかけたのである。
 
 番組には、全国から千通にも及ぶハガキと
 山のような供え物が届けられた。

 そして放映当日。
 テレビ局には番組が終わらないうちから
 「よくぞやってくれた」という反響が続々と寄せられ、
 自宅の電話もまる二日間鳴りっぱなしの状態。
 
 それが一段落すると、今度は手紙やハガキが
 嵐のように舞い込んだ。
 
 とりわけ印象深かったのが、ある老女から届いた手紙である。
 「主人の慰霊にいつか行きたいと思っていたけれど、
  いままでずっと行けませんでした。
  きょう番組を見ていて、思わずブラウン管の前で
  両手を合わせていました」。

 最後には、娘さんの言葉がこう添えられてあった。
 
 「母をいつの日か父の終焉の地に連れていってあげたい。
  それが私に残された唯一の親孝行だと思います」。
  
  
  ――私が亡き人々の慰霊と、鎮魂を込めた撮影を
  生涯の仕事と決めたのはこの時だった。

 以来、パラオ諸島やフィリピンなど、
 七か国の海を百回以上訪れたが、特に衝撃的だったのは、
 特設巡洋艦「愛国丸」の遺骨収容作業に同行した時のことである。
 
 同艦は米軍の爆撃に遭って轟沈し、船上には
 千名近くが便乗していたとされる。

 私も命がけで水深七十メートルまで潜り、
 真っ暗な船内を強烈なライトで照らし出すと、
 あたりは骨、また骨。何十センチと積もるヘドロに散乱した
 肋骨や大腿骨、こちらをギロッと睨むような頭蓋骨……。
 
 しかし、怖いという気持ちは不思議となく、
 私はとにかくこれを国民に知らせたい一心で、
 一秒でも長くフィルムを回そうと感じていた。

 一か月間をかけ、引き揚げた遺骨の数、三百五十体。
 甲板で遺骨を洗い流すとヘドロやサビが血のように流れ出て、
 青々とした海に赤茶けた帯がかかった。

 なお水中慰霊の際には、組み立て式の祭壇を海中に持ち込み、
 供え物をして両手を合わせる。
 同行した遺族は船上から花束を投げたり、
 酒を注いだりして慰霊を行うのだが、
 愛国丸の時には、父の顔も知らずに育ったという遺児の姿があった。
 
 慰霊が終わると、彼はズボンを下ろし、
 海パン一丁になったかと思うと、看板の縁に駆け寄って
 「お父さーん!」と叫びながら
 海の中に飛び込んでいった。
 
 しばらく周辺を泳いで戻ってきた若者は
 
 「親父と同じ海水を飲んできた。
  これで自分も同じ気持ちになれた」
  
 と言って胸の支えが下りたような顔をしていた。
 
 終戦五十年の年には、パラオ諸島で給油艦「石廊」の
 水中慰霊を七十歳の方と行い、全国で放映された。
 
 それを見ていたのが当時、七十七歳だったある老人。
 彼はその日からずっと日本海で泳ぎの練習を続けたという。

 沈没から六十年を迎えた一昨年、八十六歳になっていた彼に、
 水中慰霊祭をやるから来るかと尋ねたら、
 即座に「行く」という答えが返ってきた。

 二人で現地へ向かい「ここ(船上)から花束を投げるか」
 と言ったが、彼は
 
 「いや、潜ってやらせてくれ。死んでも俺はやる」
 
 と言う。結局水深二十五メートルまで潜り
 二人で慰霊を行った。

 船が沈没した当時、老人は部下二十人を率いる
 上等機関兵だったという。
 
 自分だけが偶然、機関室を離れていたところへ直撃弾が落ち、
 そこで部下全員の命を失った。
 
 六十年もの間、部下たちを思い続けてきた老人の気持ちは、
 一体いかほどのものであっただろう。

 戦後六十一年目を迎えた今年。
 毎年夏になると行われる慰霊も、
 メインとなるのは陸上ばかりで、
 水中慰霊はほとんど話題にも上らない。
 
 戦争の傷跡が姿を消していきつつある現在、
 太平洋各地にいまも残る艦船は、沈没した当時のまま、
 英霊の遺骨とともに朽ち果てていく運命にある。

 しかし今日の日本を考える時、
 私はこの平和の礎となってくれた英霊たちの存在を
 思わずにはいられない。
 
 今年七十歳になる私だが、一人でも多くの方に
 沈没船と遺骨の存在を知ってもらい、
 二度とこのような惨劇を繰り返さぬよう、
 体力の続く限り活動を続けていくつもりだ。


引用の羅列になりましたが、明日八月十五日の慰霊の日に今なお、祖国へ還らぬ、戦没者の遺骨について、また病めるわが国の内情とともに考え行動したいと思うしだいです。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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硫黄島



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硫黄島西方海上での洋上慰霊祭




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硫黄島西方海上での洋上慰霊祭



天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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今年も70回目の8月15日がやってきます。
日本各地で官民併せて多くの戦没者追悼式が行われます。
520人が犠牲となった日本航空ジャンボ機の墜落事故から30年となった12日、航空機が墜落した群馬県上野村で追悼式典が行われ、遺族らがろうそくに火をともした。また、数百人が墜落現場の山間部に登り、犠牲者を追悼しました。
東日本大震災で亡くなった方々、各地の災害等で亡くなった方々の慰霊も行われます。
日本人にとって慰霊とは故人の無念を慰め、供養し、且つ故人に語りかけ、故人に誓い、故人に見守っていて欲しいと願う儀式でもあります。
これは一個人の慰霊であろうが、官製の慰霊祭とて同じです。
しかし、政治に絡む慰霊祭は遺族の思惑をよそに政治闘争の場に変質させてしまうのが病めるわが国の実情です。冒頭の画像は硫黄島の戦いにおいて硫黄島近海で沈んだ艦船の慰霊祭です。
亡くなった方々の終焉の地で遺族の方々は亡くなった故人を偲び感極まり涙されます。長い年月を過ぎながらも思いは故人が亡くなった年月を遡っていくのです。
筆者は大東亜戦争を含めわが国の近代史について尋ねられますが、こう答えています。
「歴史はその時代に生きた時代の人が生きた証であり、後世の我々が賞賛こそすれ、批判するものではなく、ただ感謝し、慰霊するものです。現在を生きる我々を100年後の後世の日本人が今の時代を酷評したらどう思うか?」とも尋ねています。

思想的に欠陥がある元総理「鳩山某」が先日、隣国において「相手がよいと言うまで謝罪せよ」とか河野某が「慰安婦の強制連行はあった」などとわれわれの先人、先達を貶める発言をしました。特に河野某、村山某が発した無責任な言動は多くの遺族や先人の心情をないがしろにし、後世の日本人へ大きな負荷を背負わせるものでした。
日本人は往古の昔より、慰霊のこころ、慰霊の日、慰霊を大切にする民族です。
こころ静かに、わが国の歴史を紡いできた、先祖、先達、戦禍、災害に斃れた「たましい」に感謝の誠を捧げたい。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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「間違った戦争」47%…本社世論調査
毎日新聞は戦後70年の終戦記念日を迎えるにあたって全国世論調査を実施し、有権者の歴史観などを探った。
日本が米国や中国などと戦った先の大戦を「間違った戦争だった」という回答は47%で、「やむを得ない戦争だった」「わからない」はそれぞれ24%だった。
この戦争について、近隣諸国への日本の謝罪は「十分だ」は44%で、「不十分だ」(31%)と「そもそも必要ない」(13%)を上回った。
 
調査は8月8、9日の2日間、コンピューターで無作為に数字を組み合わせて作った電話番号に、調査員が電話をかけるRDS法で調査した。有権者のいる1627世帯から、1015人の回答を得た。回答率は62%。(2015.8.13毎日新聞)
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「間違った戦争」を世論調査する毎日新聞。しかし毎日新聞のこういう調査をすること自体が「間違っている」のではないか。
 
ここには「白人の植民地支配からアジアを解放する聖戦だった」「仕掛けられた戦争だった」という選択肢はなく、「間違った戦争」「やむを得ない戦争」「わからない」しかないようです。これでは明らかに誘導するための調査、つまり答えがありきの調査です。
 
しかも、今年は特に8月に入って「戦後70年」を利用して、「日本軍は悪い」「戦争悲惨」の自虐史観の歴史認識を植え付けるための番組ばかりを報じており、その最中に「あの戦争は間違っていたと思いますか?」と聞かれれば、どう考えても「正しい戦争だった」と答える人はほとんどいないでしょう。
 
つまりこの調査は「自分達の報道でどこまで誘導が出来たか」という報道効果を試すための調査としか思えません。
 
しかも近隣国、つまりシナと韓国への謝罪が不十分だと答えた人が31%もいるという。日本人としては信じられない高い数字が出ています。この回答者には在日が多く含まれているのではないかと勘繰ってしまいます。
 

本来、こういう意識調査は国籍を日本人に限定すべきであり、在日の考えが混じっているとしたらこういう調査自体が出来レースです。


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マスコミ報道は日本人への自虐意識植え付けがひど過ぎるとともに、保守派が期待した安倍談話に「おわび」が記載されるということであります。

我々の先人達には恥ずべきこと謝罪すべきことは何もありません。まして「おわび」するなど先人に対する冒涜以外の何物でもありません。
日本人は次の正しい言葉をしっかり胸に焼き付けて、815日を迎えて頂きたいと思います。
 
これは、戦後、インドのレッド・フォート裁判で藤原機関の藤原岩市の主席弁護士であったデサイ弁護団長は日本側証人に述べた言葉です。
「日本は東條首相や山下将軍はじめ多くの指導者や将軍が逮捕され、多くの将軍が相次いで自決されている。日本は初めて敗戦の痛苦を舐めることになりお気の毒である。
しかし、どの民族でもこのような悲運は何度も経験している。一度の敗戦は失望落胆するに当たらない。ことに優秀な貴国国民においてである。
私は日本が極めて近い将来に必ずアジアの大国として再び復興繁栄することを信じて疑わない。そして、インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で30年早まった。この恩は忘れてはならない。これはインドだけではなくビルマ、インドネシア、ベトナムはじめ東南アジア諸国共通である。インド国民はこれを深く肝に銘じている」。

 
この動画で日本は「おわび」の必要があるかどうか、一度真実の言葉をご確認ください。


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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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