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沖縄戦慰霊の集いにご台覧あそばされた、左より、佳子内親王殿下、文仁親王殿下、文仁親王妃紀子殿下、悠仁親王殿下、ご尊影 =17日、東京・新宿の京王プラザホテル
沖縄戦慰霊の集いにご台覧あそばされた、佳子内親王殿下 ご尊影
悠仁親王殿下、ご尊影
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
謹んでお伝えいたします。
畏くも秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下、佳子内親王殿下、悠仁親王殿下におかせられましては17日、東京・新宿の京王プラザホテルで、沖縄戦においてなくなった子どもらを戦後70年の節目に慰霊する集い「沖縄地上戦と子どもたち」にご台覧あそばされた。佳子内親王殿下、悠仁親王殿下も両殿下とともに犠牲になった「みたま」を追悼あそばされた。
「みたま」の魂が安かれと衷心よりお祈りします。
両陛下はじめ、皇族方がお健やかであられることを願ってやみません。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2015年08月17日
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〈17日の夜、櫓に飾られる切子灯籠〉
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝を申し上げます。
お盆をふるさとで過ごされた方々も多いでしょう。近年はレジャーにお盆を充てられる人も増え、かっての日本のようにお盆=慰霊とは様子が変わっているようです。
「日本古代の神祇と道教」などで知られる歴史学者の、故下出積興博士は、クニ(地方)の成立を語る中で、日本人の霊魂感に触れて、人は死ぬとその魂は親しい故郷を見下ろす裏山にしばらく留まり、その裏山からはその地方を代表する秀麗な山が見え、やがて弔い上げが終われば祖霊はその秀麗な山に移っていきますが、必要に応じて裏山に戻り、子孫の生活を見守ることもできる。そのような祖霊の交通をネットする中心的な山が一つ日本のクニ(地方)にはあり、祖霊の寄り集う地理的範囲として成立したと述べられています。
筆者の住居に近い兵庫県福崎町に生まれ、民俗学生みの親とされる故柳田国男氏の墓は丘の上にあり、下界を見下ろす素晴らしい場所に建っています。 その柳田国男が賞賛した盆踊りがあります。
盆踊りと言えば楽器に合わせた踊りが一般的だが、長野県下伊那郡阿南町新野に伝わる盆踊りは三味線、笛、太鼓といった鳴り物を一切使わない。櫓の上にいる音頭取りの「音頭出し」と、その下で踊る踊り子の「返し」の声だけで踊りが進められる、素朴な盆踊りである。大正15年に民俗学の祖である柳田国男先生が来訪し、「この踊りは盆踊りとして完全な特徴をもっている珍しいもの。後世に伝えるように。」と言い残し、その志を継ぎ今日まで継承されている。先祖を招き、先祖と共に三日間踊り明かすお祭りです。踊り台には注連縄が張られ、踊りはじめには台の下で神事が行われます。最終日の夜半すぎには、各家では送り火を焚いて先祖の霊を送り返します。新仏と無縁仏が踊り場に残り、この瞬間から朝大火を焚いて踊神を送り返すまで人々はたたり伝承を聞かされ踊ります。送り終わった後決して振り返ってはならないと言われています。
新野の盆踊りのはじまりは、定かではありませんが、室町時代の末期、享録2年瑞光院建立の折、入仏式に三州振草下田の人々来て踊った「おさま」を村の人たちが習ったのがはじまりといわれています。 動画をご覧いただければおわかりいただけるでしょうが、時代は移ろうと日本人の死生観、他界感も変わることなく引き継がれていきます。
祖先の思いを後世へ。
廃れつつある、伝統、風習ですが、継承してくださる人々がいるかぎり日本の文化は無くなることはありません。
伝統を継承される方々は、この国が現世の我々だけのためにあるのではなく、遠い祖先から紡いだ歴史を無窮の子孫へと繋がねばならぬ使命をご存じです。
盆踊りは絶えることなく続いていくのです。祖霊への感謝と後世への責任とともに・・
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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