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爆音注意!!! 2015 立川まつり国営昭和記念公園花火大会
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにお越しくださり感謝もうしあげます。
物資補給機「こうのとり」5号機が19日夜、打ち上げに成功しました。国際宇宙ステーション(ISS)は生命線ともいえる物資の安定的な輸送手段を確保した。米露の補給機の失敗が相次ぐ中で日本は高い技術力を世界に示し、大きな役割と責任を果たしたといえるでしょう。関係者各位、宇宙技術の開発に携わった先人、技術者すべての精華といっても過言ではありません。
打ち上げと言えば花火を連想します。
「日本の花火は世界一」と言われています。
これは主に技術面を述べたものですが、最近は花火の世界でも国際交流が盛んになり、世界の多くの国でも奇麗な花火が見られるようになりました。これもほとんど日本の花火製造、花火打上げの技術が輸出された精華だと思います。
では、なぜ日本の花火技術がこれだけ進んだのかというと、見る側、観客たちの花火に対する関心が高いことが起因しています。また花火師が切磋琢磨し競争する環境が醸成されたのが大きいです。
こうなった最大の理由は、社会のイベントの中で「花火」の地位が高いことです。
多くの国では「花火を上げる日」というのが国によって決まっています。
国によっては独立記念日や、革命記念日、あるいは新年の年明けだったりするのですが、国民が集まってお祝いするイベントがあるのです。そこで花火を上げて祝賀ムードを盛り上げようと言う趣旨で花火が用いられます。
わが国では、現在行われているほとんどのイベントでは「○○花火大会」という名前が付くように、花火そのものがメインになっている場合が多いのです。また日本の花火は時間が長く、玉の量も多く、1時間から長いもので2時間くらいのものも見られます。これは世界的に見ると長く、支那では1時間くらい、アメリカやヨーロッパでは30分以内のことが多いのです。
質、量とも抜きでています。
わが国の花火の歴史は1543(天文12)年、種子島に鉄砲の伝来とともに黒色火薬がもたらされたことに始まります。日本の花火の歴史が始まりました。
1613(慶長18)年に、明の商人がイギリス人を案内して駿府(静岡)に徳川家康を訪ねた際、持参の花火を打ち上げ家康がこれを見物した、という記録が残っています。当時は打ち上げ花火ではなく、黒色火薬(硝酸カリウム、木炭、硫黄を混合したもの)を筒に詰め、これに点火し、筒から吹き上がる火花を観賞したようです。1615(慶長20)年には、駿府で伊勢踊りが流行し、この時、外国人に頼んで花火を上げたという記録も残っています。初めのうちは外国人に頼んで花火を上げていたようですが、次第に国内でも花火をつくるようになり、江戸の町へも広がり大流行しました。 では今日のような花火大会はいつ頃から始まったのでしょうか?
葛飾北斎「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図」 1732(享保17)年の大飢饉に加え、疫病コロリ(コレラ)が江戸で猛威を振るい多くの犠牲者が出ました。その死者の霊を慰め厄災を打ち払うため、1733(享保18)年5月28日、時の八代将軍吉宗は江戸の大川(現在の隅田川)で川施餓鬼(かわせがき)(川で死んだ人の霊を弔うために川辺などで行う仏事)を行い、花火を打ち上げました。これが両国の川開き(現・隅田川花火大会)のはじまりです。以降、川開きの初日に毎年花火を上げるようになりました。
今でこそ華やかなイメージが強い花火大会ですが、はじまりは慰霊のためでした。わが国は慰霊と鎮魂の文化の国と言われています。 花火を楽しむことは、本来、ずっと昔から連綿と受け継がれてきた“日本人の祈り”なのかもしれません。
我々日本人は先人が継承してきた文化、伝統、の上に繁栄を享受しているのです。
これまでも、これからも・・・
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2015年08月20日
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