|
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝を申し上げます。
一年を刻むごとに荒んでいくわが国。
江戸の香り残るわが国を旅した、イザベラ・バードが賞賛した日本はどこへいったのでしょうか?
今日の世情を遡ると明治維新に辿り着きます。
近代日本の基礎を為したのは明治であり、明治大帝は明治そのものでした。
グローバリズムという激流に飲み込まれそうになりながら、日本のありかたを示されたのが孝明天皇でした。
平安安寧、庶民の文化が栄えた江戸時代と富国強兵に明け暮れた明治とではまったく異質の文化、歴史を歩みます。
いま維新の英雄は日本の英雄、歴史の英雄といわれていますが、果たしてそうでしょうか?明治維新は、成功だったのでしょうか?
NHKの大河ドラマは 明治維新を扱ったものが多いですが、筆者は時々首を傾げたくなることがあります。
確かに、國體である皇室が残ったのですから、筆者はあえて失敗だとは言いませんが、 ひとつ間違えば朝廷の存在が失われた可能性すらあるわけです。
しかも、維新がもたらした開国、文明開化、鹿鳴館へと続くグローバリズムは我が国に様々な恩恵を与えてくれました。僅かな期間で国は富み、兵は強く、日本は列強の仲間入りを果たしました。 日本の繁栄の基礎を築いた明治維新には一定の価値があったことは否定できません。 しかし、光だけでなく、影もありました。 それらの恩恵の代償として、私たち日本人は日本人として最も大切なものを置き去りにしてきたのではないでしょうか。
わが国は明治維新後、欧米と肩を並べて世界に通用する強国になるため、脱亜入欧を促進し、日本の伝統・文化・精神など我々の先祖が大切に育み守ってきたものを「古臭いもの」としてことごとく捨ててしまいました。 冒頭の画像は宮中の晩餐会で供される食器類です。
外国から国賓が訪れ、晩餐会でもてなす料理はフランス料理が供されます。
支那で国賓をもてなす晩餐会では中華料理、韓国では韓国料理、タイではタイ料理、インドではインド料理、そのほかの国でもその国、その民族の大切にしている料理を供しますが、わが国はフランス料理です。
ではわが国には民族料理がないのでしょうか?
わが国には「和食」というものがありますが、フランス料理です。
明治に入って西洋文明こそが真っ当な文明であるとし、他の文明は野蛮な文明とみなしたのです。
明治の顕官たちが夫人や令嬢を伴い、洋装、在京の西洋諸国の使臣を招き、様式の宴会、仮装舞踏会を催した鹿鳴館が顕著な例と言えましょう。
現在の喪服 現代日本での葬儀には当たり前のように黒い喪服を着用します。
明治に入るまでわが国の葬儀は必ず、白装束でした。
明治政府が白衣を着ると野蛮国とみなされるから西洋に倣い黒服を着るようにと通達を出しましたが、今日のように情報が行き渡らなかったために白装束が後年まで残りました。
歌舞伎の中村勘三郎夫人、好江さんの白喪服
白喪服は亡くなった人の白装束に合わせる意味もありますが、本来、未亡人が着る場合は「再婚はしません」という証をその場の人たちに披露する意味も含まれていると言われています。
混浴が主流であった江戸末期、混浴銭湯に冷や水を浴びせる出来事が起こりました。明治維新の起因とされる幕末の黒船来航です。さまざまな日本文化は来日したペリーを驚かせました。裸でぶつかり合うわが国の国技、「相撲」などもそうですが、特にペリーを驚かせたのは混浴銭湯だったそうです。「日本遠征記」には上記の画像が挿絵されています。「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ないと・・・
ペリーの直後に日本を含む北太平洋に遠征したリングゴールド提督率いるアメリカの艦隊の一員であるハーバーシャムが出版した『北太平洋岸調査航海記』では下田の公衆浴場の混浴について「ふしだらで」「堕落した」風習であり、日本人の「放蕩性」「わいせつ性」「道徳性の欠如」を表すものであると記されました。 この「日本人=混浴=淫蕩」という図式は、当時日本社会に広まっていた浮世絵の春画が外国人の目に触れることによって一層増幅されました。 こうした理由もあり、江戸期に開花した浮世絵も衰退していきます。 他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民であるとわが国を叩く格好の素材に使われてしまったのです。 単なる文化、風習の違いであるにも関わらず、その後、明治新政府は、欧米への体裁を気にし、混浴禁止令を出しました。 新政府の混浴禁止令はたびたび出されたが、完全になくなったのは明治末期になってからでした。 わが国の混浴文化は古事記に記載のある神代の昔からの大らかな民族性が開花したものと言えるでしょう。 いわば「お国柄」でもあったと言えるでしょう。 混浴文化も近代化を急ぐ政治的な配慮で衰退し、欧米の価値観がわが国の文化を席巻してしまった今日、日本人が日本人でいられるのも困難な時代かも知れません。 昨今、我が国の歴史や文化、伝統を見直す風潮がありますが、このような流れは、明治維新により失われた日本の大切な部分を取り戻すことではないかと筆者は信じてやまないのです。
忘れ物は探せば見つかりますが、捨ててしまえば戻ってきません。 忘れ物を探すことは今だからできることですが、あと五十年も経ったら取り戻すことは無理かもしれません。
本当の保守を失ったことは、日本人の心を置き去りにしてきたようなもので、そこに明治維新の影の部分があると筆者は思うのです。 明治大帝の御父、孝明天皇、あるいは会津藩といった維新の「負け組」は、本当の意味において保守でした。
孝明天皇は、歴史と伝統に依拠して、グローバリズムという激流にただ一人立ち向かった、孤独の天皇でした。 孝明天皇に光を当てると日本の進むべき道が見えてくると筆者は思います。 明治維新以降、とりわけ大東亜戦争後のわが国は、歴史と伝統を顧みず、改革を進めること、古き良き日本に決別することに価値を見出す社会になってしまっています。 しかし、本来の日本人の気質は、新しいものを作り上げることよりも、むしろ古いものを守ることに重きを置いていたのです。 いま、明治維新前に立ち返ることを考えなくてはと筆者は思うのです。 いたずらに倒幕に血気をあげた薩長土肥。
維新以来の歩みを見つめ直し、孝明天皇、争いを好まなかった幕府や幕臣が守ろうとした日本の姿を、そして日本人の気概、矜持を取り戻すことが肝要であり、それこそが守るべき本当の日本及び、日本人の姿なのです。 大和王朝(やまと・ちょうてい)が今日まで二千年以上も続いています。 そのおかげで現在も日本語が存在し、また日本の文化、歴史は二千年間一度も途切れることなく積み上げられ、紡いできました。 一つの王朝の元で、二千年以上積み上げられた文化を持っているのは世界でも本朝だけです。 それを明治維新、明治維新以降に置き去りにしてきたことは、子孫に対する罪だと考えるべきでしょう。 伝統に裏打ちされた文化、伝統を回復し、これを取り戻さなければ、未来の日本はありません。それが今だと筆者は思うのです。 現代に生きる我々は、維新以降の頃よりも激しいグローバリズムの波に翻弄され、本来の日本人を見失っています。 我々が心に刻むべきは、伝統や文化を軽視する人や、個人主義や拝金主義に走る人の姿ではなく、「和を以て尊し」であり、ただ一人でグローバリズムの大波に立ち向い、やまとごころを護らんとされた孝明天皇の姿ではないでしょうか。 天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
過去の投稿日別表示
-
詳細
2015年08月25日
全1ページ
[1]
コメント(11)
こうのとり宇宙基地到着 油井さんがキャッチ
|
全1ページ
[1]


