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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへご来訪くださり感謝を申しあげます。
わが国は二千年以上の歴史があり、世界最古にして最長の国であり、神話に出てくる神々を祖先神とする皇室を仰ぐ、情緒、文化豊かな国です。
明治大帝は明治37年、次の和歌を詠まれています。
『敷島の 大和心の雄々しさは 事あるときぞ 現れにけり』 大和心(やまとごころ)とは日本人らしい自然で素直な心であり、その日本人の雄々しい気骨や気概は、平時には判らないが、有事に際してはっきりと判るものだ、日本人は古来より、一旦何か大きな事があったときには、必ずや、雄々しく立ち上がる民族だと大帝は詠まれたのです。 筆者は必ずや大和心(やまとごころ)を多くの日本人が取り戻してくれると信じてやみません。
政治の怠慢とは別に一握りの日本人ですが、日本の文化と伝統の灯を消してはならぬと伝統を紡いでくれています。
冒頭の画像は、昨年11月26日に島原の太夫(たゆう)として約50年ぶりに昔ながらの手順を踏んで誕生した葵太夫の舞姿です。 筆者若い頃、京都・壬生(みぶ)に住んでいました。
昔ながらの佇まいが残るところでした。
島原と壬生は目と鼻の先の距離でしたが、昔ながらの太夫(たゆう)の伝統が紡がれていることは恥ずかしながら葵太夫が現れるまで知りませんでした。
拙記事をご覧いただいている皆様も太夫など遠い昔の存在だと思っておられるでしょう。しかし、諸芸に通じた太夫が本当に存在するのです。
太夫=吉原の花魁(おいらん)と思われている方も多いと思いますが「似て非なるもの」まったく別物です。花魁は吉原で京都は太夫、また京都の島原は花街で、吉原は遊郭です。
太夫 太夫とは江戸時代初期、当時は女歌舞伎が盛んで芸達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれ、美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女に与えられ、京の島原、江戸の吉原、大坂の新町、長崎の丸山に配置されるようになり、京の花街を中心に登場した「幕府公認遊女の最高位」で、舞や琴などの芸事に秀で、和歌や俳諧の教養に長けた最高位の遊女に与えられた「格」の事を言います。
江戸では宝暦年間に吉原で太夫が消滅し代わって「散茶(さんちゃ)」と呼ばれる遊女が「花魁」と呼ばれるようになりそちらが主流になりましたが、出発は同じだったようです。
遊女は現在では娼婦と同意とされる場合が多いですが、かっては芸能に従事する女性一般を指したものでした。
今日誤解されている「太夫」は朝廷から「正五位」の官位を授かっていました。これは十万石の大名に匹敵し、「正五位」というのは御所において天皇による謁見を賜ることも可能な官位であったことを見れば今日の認識とは大きく異なります。
明治維新の正当性のために多くの江戸文化が歪曲して伝わっているのが残念です。
現在、太夫は花扇太夫、司太夫、如月太夫、薄雲太夫、葵太夫がおり、また元高砂太夫(櫛田一栄)のところには菊川太夫が在籍していて、講演会等にて舞や琴を披露し、太夫の伝統の灯を消さぬよう活躍されています。
京都の文化は女性によって護られていると言っても過言ではありません。
京都は千年の歴史と文化が凝縮されたところです。
京都に住む方々は日本の文化を紡ぎ、伝統を培われ、後世へと繋いでいかれます。
筆者は時事問題などは得意ではありません。世情に疎いほうだと常々思っていますが、折を見てわが国の伝統文化、伝統芸能をお伝えできればと思う次第です。
拙ブログの副題は、
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ
です。先帝陛下が大東亜戦争直後の昭和21年(1946年)の歌会始(うたかいはじめ)で詠(よ)まれた和歌です。
戦後の混乱にあっても、進駐軍の占領下であっても、いかに洗脳の嵐が吹き荒れても日本人の魂、やまとごころを失わないで欲しいと願われた先帝陛下の大御心(おおみこころ)です。
生活様式も思想まで欧米の感化を受けているわが国、日本人ですが、伝統の灯を消すことなく紡いで欲しいと筆者は願ってやまないのです。
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