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坂の上の雲(明治村).wmv
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほど 人は強さを掴むから 夢を見る
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し
あなたと歩んだ あの日の道を探す
ひとりの祈りが 心をつないでゆく
空に手をひろげ ふりそそぐ光あつめて
友に届けと放てば 夢叶う
はてなき想いを 明日の風に乗せて
私は信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し
「Stand Alone」とは「自立」を意味します。 平成14年までは毎年9月15日が敬老の日でした。 敬老の日の起源は、筆者の生まれ故郷と隣接する、兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が昭和22年に提唱した「としよりの日」が始まりとされています。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、当時は農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが昭和25年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がりました。 筆者の幼少の頃、筆者の祖父母らはほとんど明治生まれでした。
「明治生まれ」というのは、当然ですが日本にしかありません。又、今現在明治生まれの方は最年少であっても103歳を越えています。 平成23年統計では総人口に対する明治生まれの方々が占める割合は、0.1%、大正生まれの方々が総人口に対する割合は、3.3%・・・ あと、10年も経てば・・・人間の寿命というものを考えてみた時、明治生まれの方はほとんどこの世の中にいらっしゃらなくなるでしょう・・・ 他界して30年になる筆者の祖母の口癖は「ありがたい」「もったいない」「人様のため」「自分を下に下に」「親を大切に」...でした。まさに教育勅語の精神でした。 また、「怒り・憎しみ・妬み・嫉妬・不平・不満」は全て、増上慢、思い上がりだと教えてくれました。いつも感謝と笑顔の人だったと...今でも記憶しています。 筆者が知る明治人は皆、「凛」としていました。 現在の人々にはない起居振舞や姿などがりりしくひきしまっていたように思えます。 筆者らの世代ぐらいまでが、明治人の薫陶を僅かながらに受けた世代ですが、荒んでいく世相、荒廃していく道徳。先人が遺してくれた大事なものを一つ、また一つ失っていく様は、日本に住みながら別の国にいるようです。 一日また一日、辞世されていく、明治、大正世代の素晴らしい先人たち。
しかも、何かを為し、使命を達成したかのごとく颯爽とされています。 「ありがとうございました」と感謝の言葉しか見つかりません。 拙記事は一昨年九月十五日にエントリーしたものです。
筆者が尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄は次のようにコメントいただきました。
大家族は継承家族とも言います。戦後、大家族が核家族になり、今ではその核家族も個人個人になっています。祖先の知恵を受け継ぐ場所がなくなって日本らしさがどんどん遠のいています。年寄りはよき知恵を継承も出来ずに孤独に亡くなっていきます。これで本当によいのでしょうか。
また煎茶道松月流家元、渡辺宗敬宗匠は 明治に生まれた人が素晴らしかったのは、江戸の世に生まれた人に育てられたからです。国風文化の頂点の香りを、色濃く残していたんだろうと思います。そこには、歴史と文化の継承が間違いなく存在してました。私達、団塊ジュニア世代には、その大切な継承がありません。何故か?親が大切な事を知らないから…。これが、戦争の一番の犠牲なんだろうと思って居ます。しかし、教育勅語を始め、正すべき「大和心」の範が沢山残って居ます。この原点に、今一度立ち返る事が必ず出来る筈だと信じて居ます。我々、大和の民は、常にこの原点帰りを繰り返してきた歴史があります。諦めず、沢山の教えを残してくださいませ。私の娘は、「凜」と申します。悠仁親王と、この子達の世代が活躍出来るお手伝いをするのが、中抜きされた私達の努めだと信じて居ります。
とコメントいただきました。
またタケシさまは
頑固者が明治生まれの代名詞みたいに言われる昨今ですが、とんでもない!
これほど美しい世代の先人に学ばねばモッタイナイです。 戦後日本が忘れた課題、問題点を提起してくださいました。
世代間の魂の継承がなされず断絶した感がある今日の日本。
しかし、日本を世界に知らしめ、尊敬された世代が間違いなく存在するのです。
筆者は常に自問自答しています。
凛とした日本人でありたい、先人が歩んだ道を照らせる日本人でありたいと・・・
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2015年09月19日
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コメント(11)
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愛媛縣護国神社の話題の続きですm(__)m
前回は境内の一部をアップしました 今回は、御社殿の斜め裏側に位置する所にありました碑の道しるべへ向かいました 万葉苑もありましたが、時折降る雨の関係でじっくりと撮る事は出来ませんでしたから、ぜひ機会は作って訪れて欲しいと願いますm(__)m 碑の道しるべがある事を教えてくれた二本の木 誰かの作為の様に感じた銀杏 それとも、たまたまなのかな?? ヒヨドリがそっと見つめていました 「俳句の里 松山」 後日、友がもっと詳しいスライドショーとして作ってくれました こちらです 愛媛縣護国神社 写真スライドショー https://www.youtube.com/watch?v=t6oV6-Xk_fc こういった碑を巡り先人に感謝していきたいと改めて思います ありがたい気持ちになりますね〜 全国に護国神社がありますから、こちらだけではなくて皆さんもお住まいの地域またはお近くの県などに訪れてみて欲しいと思います いつもありがとうございます(=^_^=) 愛媛縣護國神社HP http://www.gokoku.org/index.shtml 201509 愛媛縣護国神社 |
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今回は愛媛縣護国神社の話題ですm(__)m
ちょうど雨が降っている時間帯だったので、傘と荷物を持ちながらで上手く撮れていなくて申し訳ない気持ちです 全てアップは出来ないと思いますが二回に分けてアップしたいと思います 先ずは参拝からです 交通量の多めな車の途切れる事が少ない大きな鳥居の前です そして二つ目の鳥居です この手前の右手に駐車場があります この鳥居の右手にも鳥居がありました 上の方を見上げると、言葉が出ません 今回は狛犬も撮れました(^^; 有難いです〜 久しぶりのアゲハ蝶です(=^_^=) 特別攻撃隊 誤字があってはいけませんから写真を撮りました 奥に行って良いのか考えながら進みました 歩兵第二十二連隊記念碑がありました 忠魂社がありました ただ参拝するだけでは気が付かなかったと思います 神楽殿の右手でした また更に奥に行きました 奥には碑の道しるべがあります 改めてアップしたいと思います 「ありがとうございます」 と言う言葉しか伝えられる事が出来ませんが護国神社に行くと気持ちが引き締まります 愛媛縣護國神社HP http://www.gokoku.org/index.shtml 201509 愛媛縣護国神社 |
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