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わが国の民謡は、日本各地で悠久の歴史のなかで庶民の間に歌い継がれてきたもので、楽典に則りつくられたものではありません。
当然、拍子等、多くが不規則なものとなっています。 しかし、先人、先祖が古くから紡いできた民謡は、人々の心の中にあり、どこか私たちの心を強く打ち、惹かれるものがあります。
ゆっくりとしたテンポの歌、さびしい曲調の民謡、素朴な曲、そして、陽気な民謡とさまざまな調べを為しています。
また、北海道・東北の厳しい気候、風土の中で生まれた曲、そして、九州・沖縄で育まれた民謡などは、曲の感じも異なっています。
民謡の多くは、農村から生まれ、これらのほとんどが踊りを伴い、農民の慰安としての意味合いをもっているのです。
現在日本各地に伝わる伝統芸能は、もともと都で発祥したものが各地方に伝わり、それを自分たちの住む里、風土や生活習慣に合わせ手替え品替え昇華した結果、今日の独自の文化として残されたのです。 忘れ去られ、文献でしか見る事のできないものも、多々存在します。
昭和62年の調査では現存する民謡は、およそ58,000曲にもなります。「民謡」という呼び名は明治時代半ばに造語されましたが、かっては里謡、俚謡とも呼ばれていました。
日本全国に存在する民謡は、まさに先人・先祖が継承し、今日に伝えたものであり、その土地に暮らす人々のルーツを知り、生き様を知り、学ぶ生きた文化なのです。
豪雪地帯であるこの地では、雪の重みによって家が倒壊してしまわないように、合掌造りの家が建てられた。その姿は、山と緑に囲まれた牧歌的な景色とあいまって、日本の原風景を思わせる姿を見せてくれます。また、五箇山は民謡の宝庫でもあるのです。日本最古の民謡として有名な「こきりこ節」や「麦や節」、「五箇山追分節」、「といちんさ」、「お小夜節」などが知られています。
五箇山地域は、まだまだ、古いものを大切にし、その多くを受け継ぎ大切にしている稀有な地域です。 今後、五箇山の民俗や文化がどう変遷するか、若い世代、特に平高校のみなさんの活躍が光明でもあります、老若男女、子供達までもがマイマイの輪に入り、歌い踊る、そういう姿を見ているとわが国のお国柄、五箇山地区の土地柄を現すもので楽しみです。
五箇山独特の「まいまい」は、祭礼の日や盆などに若者が集まり、男女交互に並んで手をつないで、互いに問いかけるような唄をうたいながら踊ります。肩やかかとを触れ合わせながら円を描いて踊るそれは、日本最古のフォークダンスと言われています。まいまいで結ばれる男女も少なくなかったようです。大らかなわが国、五箇山の風土が生んだものと言えましょう。
「といちんさ」は五箇山地方に生息する日本一小さい鳥「サイチン(みそさざい)」が、水屋の樋(とい)のそばで遊んでいる様子を「トイのサイチン」と言っていたものが詰まって「といちんさ」となったそうです。雪に覆われる冬から春を迎える明るさ、軽快なテンポが特徴です。
また、娘を持つ母親が、自分の娘もこの小鳥のようにかいがいしく働く嫁になるようにという願いを込められています。
歌詞の中には母親が若かりし頃を思い出している場面もあり、たとえば「五尺」の袖は、農作業に出る若い女性の精一杯のおしゃれだったようです。
お小夜節は、もともとは「まいまい」の唄と踊りでしたが、お小夜の出現によって「お小夜節」と呼ばれるようになりました。
お小夜は、その昔五箇山小原(上平)に流されてきた遊女でした。元禄3年「加賀騒動」の首謀者・高崎半九郎ら4人と遊女20人が輪島(石川県)に流刑となりましたが、お小夜は輪島の出身だったため、それでは意味がないということで、小原に流されたのです。しかし、お小夜は流刑の身でありながらも、流刑小屋ではなく土地の庄屋へあずけられ、自由に外出することができました。また、美人で芸達者だったお小夜は、持ち前の芸を活かして村人たちに三味線や唄や踊りを教えたことから、たちまち村人たちの憧れの的となりました。
やがてお小夜は、吉間という村の青年と恋仲となり、何度目かの夏、彼の子を身ごもってしまいました。お小夜は、罪人の身で妊娠したことが藩に知れると、吉間や村人に迷惑がかかると思い悩んだ末、庄川に身を投げてその一生を閉じました。小原地区には、五箇山民謡の恩人・お小夜を偲んで村人たちが建てた「お小夜塚」があり、お小夜と吉間の出逢いの場であった女郎ケ池(現・民謡の里)では、毎年おさよ祭りが行われています。 五箇山合掌の里より引用
麦や節は、五箇山民謡の代表でもあり、全国的に知られています。歌詞のうたい出しが「麦や菜種は……」だったことから、「麦や節」と呼ばれるようになりました。
麦や節の由来についてはいろいろな説があり、平家の落人によって創られたとする説、平家の落武者平紋弥(もんや)が教えたことから「もんや節」と呼んだところから起こったとする説、さらには「お小夜節」の主人公であるお小夜が教えたものとする説などさまざまです。
五箇山合掌の里より引用
その昔、五箇山は加賀藩の流刑地でした、地形、気候の面からも周辺地域と隔離され陸の孤島でした。交通の発達が非常に遅い地域となりました。町へ出るときは、標高1000メートルもある唐木峠、朴峠を通って約20キロ離れた城端町まで五箇山の物産(塩硝や生糸)を運び、そして日用品や米を牛の背中に負わせて往復していました。その道中、牛の歩くテンポと牛につけた鈴が鳴る音に合わせて唄ったのが、この「五箇山追分節」でした。
村人たちは、町に出た牛方が戻ってくるのを今か今かと待ち、鈴の音と唄が聞こえると、こぞって出迎えたそうです。歌詞を見ると、軽快な鈴の音に合わせて唄う牛方と、鈴の音を頼りに牛方の帰りを待つ村人の様子がよくわかります。
五箇山合掌の里より引用
民謡の宝庫として知られる富山県 五箇山地方には30近い民謡が残されていると言われています。ほんの数例を紹介させていただきました。
五箇山は今も人々が生活する暮らしの場です。昔と変わらない小川の流れや田んぼのあぜ道、合掌造りの家々など必要以上に人の手が入っていない素朴でこじんまりとした農村集落は、日本の原風景そのものです。
好む好まざるに関わらず世界のうねりに流される今日の風潮ですが、わが国には多くの民謡が存在し、そこの土地柄、人柄を表す格好の教材、至宝と言っても過言ではありません。
日本人が日本の風土、文化に目覚めることを筆者は願ってやまないのです。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2016年10月11日
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