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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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言葉の裏側をご連想か 皇后さま82歳 お誕生日ご回答全文
陛下は平成227月、「参与会議」の場ですでに退位への決意を打ち明けられ、皇后さまもその場に同席されていた。陛下は当時、「譲位」という言葉で説明されていた。(2016.10.20産経新聞)
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日本では天皇陛下のお誕生日を「天長節」と言い、皇后陛下のお誕生日を「地久節」と言います。
 
1020日は「地久節」です。この日、皇后陛下はお言葉を発せられました。

それは畏れながら、天皇陛下は國體破壊であっても思うことを言えないお立場にあらせられるので、皇后陛下が、あえてお誕生日に報道を通して、国民に伝えたい、知ってほしい、という意味でお言葉を発したのではないかと察するのです。特に以下の部分です。
 
「八月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。ただ、新聞の一面に生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛み覚えたのかもしれません。」
 
これは非常に重要なお言葉です。マスコミ全社が「生前退位」という元々日本にない言葉、皇統断絶の革命用語をいまだに連発して、国民に広めていることに危惧されておられるのではないか。
 
上の産経の記事にもある通り、陛下は「生前退位」や「退位」という言葉は使われません。「譲位」というお言葉しか使われないのです。
 
「譲位」は皇位継承になるが、「退位」は王朝が変わる時にも使われる言葉で、革命につながる言葉です。
 
「生前」とは死ぬことを前提に使われる言葉で、陛下の場合にはもうすぐ「崩御」することを意味する「不敬」な言葉です。
 
皇后陛下が「生前退位」という言葉は「衝撃」を受けるほど違和感があると言われているのにもかかわらず、産経はじめ日本のマスコミ各社は皇后陛下の全文の報道に「生前退位」という言葉を連発して報道する。

どうなっているんだ、マスコミは。嫌がらせか。・・・
 
「生前退位」と言われている天皇陛下のお立場からすると「先のない年寄りは早く退け」と言われているようなものであり、非常に不敬な言葉であります。だからこそ皇后陛下は「衝撃」と言われているのではないか。
 
「生前退位」という言葉は昭和58年に江田五月が国会で使い始めた言葉で、彼ら皇室解体の反日左翼が好んで使っていた言葉を、今回、NHKが真っ先に報道して、マスコミ全社も一斉に使い始め、国民にこの革命用語を広めているのです。
 
何も知らない国民は「生前退位」という言葉は昔からあるかのように錯覚して使ってしまう。
 
この悪意ある言葉の正体に気付いた皆さんには、ぜひ、このことを知らない人に言葉の悪意とともに、國體を守るためにも、この言葉は使わないように拡散をお願いします。
 
また、産経はじめマスコミは「皇后さま」という言い方をしています。どうして「皇后陛下」と書かないのか。今の日本には「不敬罪」の復活こそ必要であります。


保守の会会長 松山昭彦が生前退位の危険性について述べる(10.16東京シンポジウム)
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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嘉納治五郎(かのうじごろう)


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。

筆者が寂しく悲しく思うのは、日本人が日本の伝統を忘れ、マスコミなどが扇動する欧米の文化に無条件に迎合することです。近年乱痴気騒ぎにまで発展するハロウィンは元々、ヨーロッパを起源とする「民族行事」ですが、ゴミを持ち帰らず街を汚すことに何ら「恥」「礼儀知らず」なる輩が横行することに将来の日本を危惧します。日本には往古から収穫に感謝する「新嘗祭」があり、連綿と継承されています。
明治の鹿鳴館時代も欧化主義全盛の時代がありました。近代化を推進するにあたり、何事も欧米一点張りで当時に捨ててしまった文化も多くあるのです。明治天皇は極端すぎる欧化による世相の乱れを正さんと「教育勅語」を渙発あそばされ、歯止めがかかりまた、岡倉天心などによる日本美の伝統の擁護、振興により日本らしさが維持されました。
柔道の嘉納治五郎もその一人と言えましょう。
嘉納治五郎翁は幼少時、虚弱体質で腕白少年たちにいじめられて悔しくてなりませんでした。治五郎翁は何とかして誰にも負けない強靱な体になりたいと願い、明治十年東京帝国大学に入学し、柔術を習い始め、学業の傍ら毎日稽古に励みました。今日の心身ともに虚弱、すぐに挫折する若者に見習ってほしいものです。

治五郎翁は心身ともに生まれ変わった思いがし、さらに修行を重ねられ、柔道を明治十五年二十三歳の時に創始されました。
治五郎翁は柔道の目的を体を鍛え心を練り徳性を磨き人格の形成におかれました。その修行の場を「講道館」と命名されました。

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治五郎翁は
「日本は今まで世界から種々のことを学んできたから、日本も何かを世界に教えなければならない。柔道は彼にない日本の優れた文化であり、この柔道を教えることによって世界の文化の上に寄与することができるのみならず、日本の世界的発展を助けることができる」と仰せられた。
柔道は世界的広がりをみせ、五輪の種目となったことは衆知のとおりです。
教育者としても御国に尽力し、明治15年1月から学習院教頭、明治26年より通算25年間ほど東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)校長ならびに東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)校長を務め旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長などを務め(部下の教授に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)等がいた)、さらには、嘉納自身が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」を校是とした兵庫県の旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)の設立にも関わるなど教育者としても尽力された。
また、日本女子大学の創立委員にも加わり、文部省参事官、普通学務局長、宮内省御用掛なども兼務した。
いじめから肉体、精神を磨き克服し、御国の発展にまで尽力された治五郎翁。いじめに耐えきれず安易に辞世してしまう今日の若者の風潮をなんとおおせられるでしょうか?
日本体育界の父と呼ばれる治五郎翁は、柔道をとおし「日本」を伝えた偉人でもあるのです。

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