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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。

東日本大震災でも多くの方々が自らの命を犠牲にし、多くの方の命を救われました。
人が誰かの為に、自らの命を捨てること・・・
これ以上の至上の愛があるでしょうか?

国力を尽くし敗れた大東亜戦争の戦後間もない昭和二十二年皆が生きることに必死だった頃、乗客の命を守るため、バスの車掌だった鬼塚道男(おにづかみちお)(当時二十一歳)は、自ら体を張って輪止(わど)め(車のブレーキ)となり殉職(じゅんしょく)しました。
事故現場となった長崎県時津町元村郷(とぎつちょうもとむらごう)の国道二○六号線沿いの打坂峠(うちざかとうげ)には、鬼塚車掌の勇気をたたえて建てられた「愛の地蔵」が、道ゆく人々の交通安全を静かに見守ってくれています。
当時の打坂峠はくねくねと曲がっていて、バスの運転手からは「地獄坂(じごくざか)」と呼ばれていました。道路はまだ舗装されておらず、勾配が二○度もあり、馬力のない木炭バスにとってはつらい急な坂道でした。木炭バスというのは今のようなガソリンでなく車体の後ろに大きな釜(かま)を付け、木炭を焚(た)いて走るバスで、三○人も乗れば満員になるほど小さなものでした。
鬼塚車掌は、長崎自動車株式会社大瀬戸(おおせと)営業所の二階に住み込んで働き、彼が車掌を務めるバスは、大瀬戸から長崎までの道を一日一回往復していました。
朝八時の大瀬戸発であれば二時間前の六時には木炭をおこして準備をし、火の調子を整えておかなければなりません。また、走っていてもよくエンジンが止まり、そのたびに釜のなかの火を長い鉄の棒で突いて木炭をならしながら走っていました。このように釜の火の調子を整えることが、木炭バスの車掌の仕事でした。
事故の起こった昭和二十二年九月一日、鬼塚車掌が乗ったバスは、打坂峠の頂上までもう少しのところでギアシャフトがはずれ、ついに動かなくなってしまいました。ギアシャフトがはずれると、バスのブレーキはまったく効きません。バスはズルズル、ズルズルと急な坂道を後ろに下がり始めました。
「歯止めの石をかませ!」
と絶叫する運転手の声で飛び降りた鬼塚車掌は、手近にあった石をバスの車輪の前に置きましたが、加速のついたバスは石を粉々に砕き、あと数メートルで高さ二○メートルの険しい崖(がけ)のふちというところまで迫りました。崖にバスが落ちれば乗客の命が危ない…。
その日、最初に事故現場に駆けつけたのは、長崎自動車株式会社時津営業所に勤めていた高峰貞介(たかみねさだすけ)です。朝の十時を少し過ぎたとき、自転車に乗った人が「打坂峠でバスが落ちているぞ。早く行ってくれないか」といって、時津営業所に駆け込んできたのです。
高峰が木炭トラックに乗って急いで駆けつけると、バスは崖っぷちギリギリのところで止まっていて、運転手が一人真っ青な顔をして、ジャッキでバスの車体を持ち上げていました。
高峰は後に事故の状況をこう語ってくれました。
「鬼塚車掌は自分が輪止めにならなければと思ったんじゃないでしょうか。体ごと丸くなって飛び込んで、そのままバスの下敷きになりました。鬼塚車掌の体をバスの下から引きずり出して、木炭トラックの荷台に乗せました。背中と足にはタイヤの跡が付いていましたが、腹はきれいでした。十秒か二十秒おきに大きく息をしていたので、ノロノロ走る木炭トラックにイライラしながら、しっかりしろ、しっかりしろと声をかけて…。九月といっても一日ですから、陽がカンカン照って、何とかして陰をつくろうと鬼塚車掌に覆いかぶさるようにして時津の病院に運んで、先生早く来てくれ、早く早くって大声を出しました。その晩遅くに、みかん箱でつくった祭壇(さいだん)と一緒に仏さんを時津営業所に運んで来たのです」
鬼塚車掌は、炎天下のトラックの荷台で熱風のような空気を大きく吸い込んだのが最期でした。買い出し客や、市内の病院へ被爆(ひばく)した子どもを連れて行く途中の母親たち三○人あまりの命と引き換えに、若い生涯を閉じたのです。



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の悲しい事故から二七年の月日が流れた昭和四十九年十月十九日、長崎自動車株式会社は、鬼塚車掌の勇気をたたえ、交通事故をなくそうと、時津町元村郷の事故現場に唐津(からつ)石でつくった慰霊地蔵尊(いれいじぞうそん)を建て、入魂式(にゅうこんしき)を行いました。
この慰霊地蔵尊「愛の地蔵」は、赤いよだれ掛けを風に揺らし、鬼塚車掌の命日である九月一日には毎年供養祭(くようさい)が行われています。




打坂地蔵尊を訪れ、鬼塚車掌の勇気ある行動を顕彰し、御霊を慰霊する人々は後を亜絶ちません。至上の愛に散華された方々の死を風化させることなく、後世に語り継いでいかなければなりません。
民族の誇り、郷土の誇りとして・・・


参考文献:伝えたいふるさとの100話より

今回は5月5日の日に行われた大國魂神社のくらやみ祭りです☆
晴天に恵まれた良い日でした(^^)

この日は日中から混んでいました
以前にもアップしましたが、天然記念物大國魂神社欅並木です
以前はここで競馬式がありました
道路にゴムのの様な特殊な加工をされている部分がそうです
歩いたら確認して見て下さいね〜☆

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緑が茂る中に美しい鳥居

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この日も参拝からです
そして御先拂御太鼓を確認しました

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境内には多くの御太鼓が集まっています

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「道清めの儀」
神輿の渡御に先立ち、その道すじを祓い清めます

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この馬はこの日の最後にも見る事が出来ました

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大太鼓の送り込みが行われ一般は境内から出る事になります
その後にお神輿が花火の合図によって6張の大太鼓が打ち鳴らされてお祭りの見所でもある
「おいで」と呼ばれる神輿渡御が行われます

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頭を噛んで貰いました(^^)/

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一気にあたりも暗くなりお神輿が元気よくやって来ます

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見学者も凄い熱気で私も揺れて揺れてなかなか撮れません(笑)(^^ゞ

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注目の御本社神輿です
改修して綺麗になったそうです

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場所を移動しました
参道を通れないお神輿があります
少し個性がある形だからではありませんが〜
気がついた方は先に待機している方も多かったですね〜
私も関係者の方から聞いて知りました

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少し造りも長めのですね

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大事な儀式が行われました

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この日の最後に行われた宮司さんによる流鏑馬です

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これ以上は撮れませんでした
せっかく教えて頂いたのに申し訳ない気持ちです

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これで今回のくらやみ祭りは終わりです
この約三時間後からもお神輿などが見れる予定でしたが
今回は諦めました(^^ゞ

平成28年 大國魂神社例大祭 くらやみ祭り 5月5日

https://www.youtube.com/watch?v=Y1ccps2gowg



素晴らしい方から良いお話を聞けたり、良いお祭りをある意味体感出来てとても良かったです☆
ここでは書けない貴重な体験やお話を聞けて本当に感謝の気持ちでいっぱいでした
関係者の方々、ありがとうございましたm(__)m

お祭りは伝統を受け継いでいるだけではなくて人も育てていますね〜
人との関わりも良い物にしていくと感じました(#^^#)


2010605         大國魂神社例大祭 くらやみ祭り

転載元転載元: 桜の儚い想いを乗せて☆自衛隊と女子カメなワタシの自由日記☆

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