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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花。
と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として古事記伝の作者、本居宣長は表しました。
日本の精神文化の最大の特徴は、いったい何でしょうか?
端的に表すと清明心、清浄感でしょう。
かって外務省関係の文章として「日本と中国は”一衣帯水”の隣国、しかもともに東アジアに属し、我が国は中国から儒教や仏教を中心に、計り知れない文化的恩恵を受けてきました。云々」 とありました。また、また朝日新聞に次のような記事がありました。「(中国と日本は)”一衣帯水”の隣国であり、歴史的、文化的なつながりも深いのに、双方の国民が互いに不信感を抱くのは不幸なことだ。云々」
はたしてそうでしょうか?
確かに一時期はシナ、朝鮮の文化の影響を受けました。
しかし、それらのすべてを先人が受け入れたわけではなく、古代日本から連綿と続く神話や価値観、文化、国民性、習慣、習俗をみればわが国は一国一文明であり、答えは「否」です。
「怨」「恨」のお国柄の朝鮮、「疑」「詐満」の国シナ、「恩」「感謝」のお国柄のわが国、すべてに相容れるものがありません。 隣国、支那、朝鮮の文化と日本の文化は往古の昔より異なっていました。
食ですが、和食とは、わが国でなじみの深い食品を用い、日本の国土、風土の中で発達した伝統的な料理をいう和食といいます。和食は淡白で、できるかぎり自然をそのまま取り入れ、素材の味を損なわずに、旬を大切にし、自然の恵みを楽しみます。
また和食は食事の席にあって欧米と違い刃物(ナイフ・フォーク、包丁)を使用することもありません。
特に精進料理は、『不殺生戒』により、肉や魚など、追いかけると逃げる食材は避け、だしは昆布と干ししいたけ。煮干しやかつお節は使いません。
支那や、西洋の料理は、人の手が加わりすぎています。
インド料理も素材の味を、そのまま活かすことがなく、東アジア料理も、強い香辛料が売りです。
漢字で「家」を漢和辞典でひくと、ウ冠の屋根の下に、豕(ぶた)がいると説明していますが、これは人と豚が同居していたことを意味し、支那や台湾では墓、廟に豚の頭を丸ごとお供えします。
かって遣隋使、遣唐使の方々は多くの大陸の文化を受け入れましたが、生臭すぎて相容れなかったと思われます。
支那の紫禁城は故宮博物院として今日は多くの財宝が展示されていますが、台湾の故宮博物院と併せると相当数の財宝が見込まれますが、これらは支那の歴代皇帝が集めたコレクションです。
しかし、民とともに歩んだわが国の皇室に財宝はありません。
京都の京都御所、東京の宮城(皇居)にも金銀の光るものが1つもなく、しかし、気品が漂っています。
日本人の美意識は金銀のような光る華美なものを嫌い、ほのかな美しさやありのままの美しさや香りを好みました。
絶えず異民族の征服に怯え、侵攻に備え、盛者必衰を繰り返した支那、朝鮮の歴史。異民族の征服をうけることなく、世界最古の王朝「皇室」をいただき、世界最長の国であるわが国の先人たちは、人はどうあるべきかを考えてきました。神道、茶道、華道、歌道、剣道、柔道、合気道、すべて人としての道に繋がります。
また、「花道」とは活躍した人物が惜しまれて華々しく見送られることに使うほか、引退や退任が決まっている人の最後の仕事として、実績や評価を高められるような大仕事についても使われます。
神道では神前に、榊(さかき)を供えますが、榊はツバキ科の常緑樹で、清々(すがすが)しく光沢が美しい。
人として、自分をそのまま、自然に見せる。みずからを誇張することがなく、日本人は心の民として、つとめて自制することと、自然の清らかさを求めてきた民族です。
その民族性が求めた日本の美は細部にいたるまでゆるぎない美しさが漂っているのです。
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隣同士の国と言うのは、大抵もめ事を抱え、仲が悪いものだ。インドとパキスタン、アメリカとメキシコなど、例を挙げればきりがない。わが日本の最大の不幸は、韓国のような国が隣にいることだろう。
韓国人どもは、あの「少女像」を、今度はプサンの日本大使館の前に建てた。こんな稚拙ないやがらせをして恥ずかしいと思わないことだけでも十分に民族レベルの低さを見せつけている。他国の共感を得られるわけでもないのに、とにかく日本憎しで、日本に恥をかかせるためなら、ウイーン条約でも日本との契約でも屁みたいに無視する。
私は女だが、もし「慰安婦」なるものが本当にあったとして、自分か自分の母、もしくは祖母がそれに従事していたとしても、死ぬまで黙っているであろう。女なら、そんなこと、人生の最大の汚点であり、恥ずかしいからだ。なので、元慰安婦なるババアが名乗り出、それを「言える」ということは、つまり、女である私の感覚からしたら、十分異常なのである。「言える」のはつまり、演技であるか、恥をしらないかということだと思う。「恥をしらない」としたら、この婆さんはもともとプロの売春婦であったに相違ない。素人でかつて犠牲にさせられたのであれば、とうに精神を病んでいるだろう。日本人である私の感覚で判断してはあの国に高邁すぎるかもしれないが、「私は昔、兵士たちにレイプされ続けていました」なんて、堂々と言えるものではない。あと、それが言える動機としたら、「金をくれニダ」という強いもの以外に無いだろう。
日本女性も、ロシアが日ソ不可侵条約を突然破棄して、終戦前のどさくさに紛れて日本に侵攻してきた兵士らにレイプを受けた。しかし、韓国人と違って大人である日本女性は、その事実を叫ばない。政府は、韓国の売春婦より、日本女性の被害をこそ優先すべきであると思うが、日本女性はつつましいので、過去に調べたとしても、名乗り出なかったであろう。
72年もたっても、まだ「慰安婦」なるネタで日本をゆすり続ける韓国。そもそも、河野をはじめとした国会議員が、歴史的検証も行わないまま、報道されたことだけにすぐ謝ってしまうという愚行が最大の失態である。日本人は何でも簡単に謝ってしまうが、これが、謝罪という行為を極力嫌う国際社会において、どれほど愚かであるのか、政治家らは理解しているのだろうか。今朝の報道によると、自民党の二階幹事長が「韓国は重要な国(え?)だが、交渉にはめんどうな国」と発言しているのを見て「なにをいまさら」と思った。あの国は、契約を守らない。裁判所まで法律も無視する。あるのはひたすら「反日感情」のみ。
政府は、こんな国と「交渉」「契約」ができると思って10億円も払ったのであろうか。
つくづく思うのは、「被害者でいるほど楽なことはない」ということだ。韓国の人々は、「ウリは日本の被害者」という立場を永遠の拠り所として存続していくのだろう。何と愚かなことだろうか。被害者でいれば、何でも日本のせいにして、努力も何もせずに済むからだ。日本の場合、原爆まで落とされた国と戦後最も親密な関係を築き続けたが、「日本は被害者、アメリカは謝れ」などと言わず、黙って精進し続け、先進国の仲間入りを果たした。どちらの態度が大人かは明白である。韓国人は、永遠に大人にならず、火病を起こしながら死んでいく。それに安住して疑問に思わないとしたら、徹底的に救われない。そんな疑問を口にしたら、「日帝時代は良かった」と口にした老人のように殺されてしまうのだろうけど。
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