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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
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すめらぎいやさか。
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
畏くも両陛下におかせられましては昨日、鹿児島の行幸啓より恙なく還幸啓あそばされた。本土鹿児島の県民、また多くの島民と触れ合われた離島を巡る今回の行幸啓の移動距離は、3日間で計3273キロ。
今回の鹿児島行幸啓で、即位後より全47都道府県を2回ずつ行幸あそばされた。
また戦時中疎開の為、沖縄本土より本土をへの航行中、米軍によって沈められ、多くの日本人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の殉難地悪石島(あくせきじま)を見ることを望まれたという。産経新聞によると厚い雲などで視界は開けなかったが、窓からじっと海域を見つめられていたそうです。
日本人が決して忘れてはならない先人への思い、災害で被災した同胞にこころをよせられる。
陛下の臣民のひとりとして感謝に堪えません。
陛下が行幸される先々において、笑顔が溢れ日本人の自覚が覚醒される。
陛下の御稜威があるかぎり日本は日本でありつづける。
日本国民の九割九分までは陛下を慕う方々ばかりです。
しかし、上記画像のように不埒な方が一部にいるのも事実です。
彼らの思想信条は自由ですが、公にふるまうのは陛下を慕う多くの日本人には我慢なりません。
しかし、忘れないで欲しい。
「公正無私」を第一義とされるのが陛下です。陛下にとっては右も左もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての陛下であられるのです。不埒なデモを計画する「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのがわが国の御門なのです。
昭和の初め、汚職事件の渦中にある高官の起訴について陛下の裁可を求める上奏書をもって内閣書記官が慌ただしく駆けつけてきました。一刻を争う上奏書でしたが、先帝陛下は司法大臣の起訴理由書を繰り返し御覧になるばかりで、なかなか裁可されません。しばらくしてようやく陛下は裁可の印を捺されました。書類を受け取り、部屋を辞する木下に陛下は語られました。「私が悪いのだよ」と。
のちに陛下はよく晴れた夕暮れ、天を仰ぎつつ、木下にたずねられました。「どうすれば政治家の堕落を防げるであろうか。結局、私の徳が足りないから、こんなことになるのだ」と。 降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ
戦後の苦難に、日本人が日本人たる矜持を忘れぬようにと願われた先帝陛下の大御歌。
一刻も忘れず胸に秘めたいものです。
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すめらぎいやさか
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
十一月十五日は七五三です。
七五三は、子どもの人生儀礼の代表にあげられます。
昨今、日本人が日本人らしさが無くなってきたと言われています。 しかし、七五三は神社を崇敬する方々が行う大切なものです。
人生儀礼とは、人生の節目ごとに行われる大切な儀式です。 神様に感謝と、奉告をしましょう・・・・・ 往古の昔より、我が国では、年令を数え年で数えてきました。数え年とは、誕生日に関係なく、生まれた年を1歳、翌年を2歳として数えます。
1月1日元旦をもって年が改まり、年令も日本人全てが一緒に年をとると考えられていました。
七五三や厄年祓い・年祝いは、数え年で行うのが昔からのしきたりです。
上図にあるように、日本人は母親が胎内に生命を宿してから人生の最後を迎えるまで多くの儀礼を迎え、命あること、感謝のこころを神さまに奉告し、ご加護を願う大切なものです。
女性が懐妊するとお母さんになり、五ヶ月目の戌の日に、母体の健康と、赤ちゃんが月満ちて元気に誕生するようにとの願いを込め、神社で安産祈願を受け、腹帯を着けます。「帯」を着けることから「帯祝い」とも「着帯の儀」ともいいます。この帯祝いの歴史は平安時代にさかのぼります。
神さまの思し召しで胎内に宿った胎児の健やかな発育を願い、帯び祝いをします。普通は木綿の腹帯で、長さは六尺ほど、あるいは縁起をかつぎ七尺三寸五分にします。腹帯を着けることにより、子供が育ちすぎず、お産が軽く済むように願う日本固有の出産文化でもあります。
赤ちゃんが生まれるとすぐに湯をつかわせます。生後三日目につかわす湯を昔は産湯といって重視していました。産湯には、氏神さまがお守りくださるその土地の水を使いました。映画や偉人の物語などで「〇〇で産湯をつかった」など、産湯が人の出生に大きく関わっていたことを聞かれたことがあると思います。赤ちゃんにとって産湯は、出産の際の穢(けが)れ祓い清める禊(みそぎ)であり、人間社会の仲間入りをさせるという重要な意味があるのです。
初宮参り(はつみやまいり)
初宮参りは赤ちゃんが初めて神社に参拝し、氏神さまの氏子として認めてもらい、社会の一員として披露し、健やかな成長と神様のご加護を願うものです。
日一日と可愛く成長するわが子。この子が丈夫に賢く育ちますようにと出産後初めて氏神さまにお参りに行くことを初宮参りといいます。初宮参りとは、お産の穢れを祓うと共に、子どもの無事誕生を感謝し、今後の健やかな成長を願い、氏神さま、または安産祈願をした神社にお参りします。「神さまの御霊(みたま)を賜ってお蔭様で無事誕生しました。今日よりこの子も神さまの氏子となります。末永くお見守り下さいますよう宜しくお願いします」と奉告かたがた神社でご祈祷を受けます。
七五三
日本人は子供の発育を願い、大切にしてきた民族です。
三つ子の魂百までも。あなたが行なう儀礼がお子さんの心を豊かに育みます。
七五三とは、古くからの風習に由来する子供の年祝いのことで、
・3歳の「髪置(かみおき)」〜男女ともこの日から髪を伸ばし始める儀式
・5歳の「袴着(はかまぎ)」〜男の子が初めて袴を着ける儀式
・7歳の「帯解(おびとき) 」〜女の子が着物の付紐から帯にかえる儀式
七五三は、子どもの人生儀礼の代表にあげられます。数え年三歳の男の子と女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が十一月十五日に氏神さまにお参りし、健やかな成長と健康を祈ります。 出生率が高かった割に、天寿を全うすることなく幼くして子供が病で亡くなった昔、何よりも子供の成長を願い、子供を大切にしてきたのが日本人です。
七五三と呼ばれる儀式の原型は江戸時代、将軍綱吉の子徳松君の髪置きに始まったとされています。庶民など一般に広まったのは明治の初めといわれています。古くは、平安時代の公家の習慣である髪置き(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解き(おびとき)に由来します。髪置きとは、誕生後初めて髪を伸ばし始める儀式で男女共に三歳の吉日を選んで行いました。袴着というのは、五歳の男の子が初めて袴をはく儀式です。碁盤(ごばん)の上に立って、吉方に向き、左足から袴をはいて、小袖を着て、扇を持ちました。碁盤の上に立つのは、宮中では、碁盤は吉方を占う道具であり、武家では碁盤の上の勝負を城取りになぞらえて、それに乗ることで天下を取ることを願ったのです。左から袴をはくのは、吉とされた陽の足から入れることに由来するものです。帯解きは、帯結びなどとも言われ、室町時代の上流階級の女の子が七歳になるまで着ていた着物から付け紐だけとって、初めて本格的な帯を締めることができるようになったことをいいます。「七つまでは神の子」といわれますが、七つになってはじめて社会からその人格が認められたのです。 七五三が十一月十五日に行われるようになったのは、その日が暦の上で満月に最も近い日であり、陰陽道(おんみょうどう)でいう最上の吉日とされているからです。稲の収穫を終え、比較的天候の安定した時期ということもあります。晴れ着を着て家族揃って神社にお参りし、長寿と健康の願いが込められた千歳飴をいただきます。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
本年は大政奉還より百五十年、明年は王政復古の大号令より百五十年の秋を迎えます。何ら意味を為さない11月3日という大切な日を、祝日法を改正して「文化の日」を「明治の日」に改めようとする動きが、保守系の市民団体や国会議員を中心に本格化しています。当然ながら戦前の「明治節」の復活を意図しております。
筆者が子供の頃、11月3日は明治節、23日を新嘗祭として祝う家庭がまだまだ多かったです。祝日には国旗が各家庭に掲げられ祝日を国民あげて祝ったものでした。筆者の子供の頃は明治生まれの方々が必ず身近にいて、そのお年寄りから多くを学んだものでした。
勿論今日11月3日は、明治天皇陛下の生誕の日、戦前は四大節の一つとして新年と紀元節、天長節とともに盛大に祝われていました。 明治天皇陛下の偉業は、多くの文献、史書にとりあげられています。
では、明治日本では天長節をいかに祝っていたのでしょうか?
田山花袋の『田舎教師』は病死した青年教師の日記などをもとに明治の末、書かれたものですが、その中に11月3日の天長節、つまり明治天皇陛下誕生日のことが記述されています。
先生や生徒、父兄、それに村の有力者らが晴れ着姿で集まり「君が代」などを歌い、子供たちはお菓子をもらって帰る。
先生や村長たちは茶話会に移り、さらに田んぼの中の料理屋での「2次会」に繰り出す。そこで校長と村長は今年の豊作について話しこむ。
地方の隅々に至るまで、天長節が楽しい行事として国民の生活に溶け込んでいたことが偲ばれます。
明治時代は古きよき習俗も近代化にともない捨ててしまった残念な時代でもあります。しかし、その一方で明治とは古きよき時代の息吹を残そうと我々の先祖が必死だった時代でもあります。
平成日本は昭和の息吹すら簡単に捨ててしまう軽薄な時代です。
とても残念でなりません。
明治という文字は失ってしまった日本人のこころを、明治という時代の日本人の一体感のようなものをも感じさせます。
明治日本を訪れた諸外国の識者、文化人はこの頃の日本を絶賛しています。
家に鍵をしなくとも生活できるくらい安全だ った治安、貴重品を公共の場に忘れても、財布の中身も無事に届けられた節度が この頃の日本にはありました…
台湾の国策顧問を成し、日本人に帰化された金美齢女史は、2010年1月の「正論」で次のように述べられていますので抜粋します。
一国のパスポートは身分証明書であり、外国に出たら「最後の頼みの綱」である。その頼みの綱を失ったとき、私は個人にとっての国家がいかに大切であるか、個人は国に守られて生きているということを肌で感じた。台湾(中華民国)のパスポートではどこへ行くのにもビザ(査証)が必要になるが、パスポートがなければビザの申請自体を受け付けない国がたくさんある。 先人の偉業、戦禍に倒れた英霊に感謝のこころさえ忘れてしまった日本人。 金美齢女史が述べられているように、今の日本の信用は今の日本人が築きあげたものではありません。
建国以来、道義を大切にし、それを行なってきた先人の遺産なのです。
これを、現世の日本人の都合で変えてはならないのです。
明治日本は僅か半世紀足らずで、極東の小国「日本」を世界に知らしめました。
明治節の日にあたり、明治大帝の御遺徳をしのび、明治大帝の下、道義国家日本を世界に知らしめた先人に感謝し、失ってしまった「日本人の誇り」「日本人としての矜持」を取戻して欲しいと願うばかりです。
明治大帝が人の心のあり方について詠まれた大御歌(おおみうた)に、次のようなものがあります。 久かたの 空に晴れたる 富士の根の
高きを人の こころともがな
(大意:晴れた大空にそびえる富士山の高根のように、気高い心を自分の心としたいものだ)
あさみどり すみわたりたる 大空の
ひろきをおのが 心ともがな
(大意:浅緑色に澄みわたった大空のように、広々とした心を自分の心
としたいものだ)
目の見えぬ 神に向ひて 耻(はじ)ざるは
人のこころの まことなりけり
(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)
人は親に育てられ、やがて自らの人生を歩みだします。誰にとっても親は、人生について教えてくれた最高の恩人です。明治大帝は親について次のように詠まれています。
たらちねの みおやのをしへ 新玉の
年ふるままに 身にぞしみける
(大意:年々、新しい年を重ねるにしたがって、身に染みわたるのは、
自分を育ててくれた親の有り難い教えである)
人には誰しも友だちが必要です。真の友情は、人を磨き、人を成長させます。明治大帝は、そのことを次のように詠まれています。
あやまちを 諌(いさ)めかはして 親しむが
まことの友の 心なるらむ
(大意:過ちがあれば互に注意しあって、親しんでゆくが、本当の友だちの心である)
明治大帝は、一人一人の自分の努力の大切さを、わかりやすく歌に詠まれています。
つもりては 払ふがかたく なりぬべし
ちりばかりなる こととおもへど
(大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、
そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなって
しまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)
思ふこと おもふがままに なれりとも
身をつつしまん ことを忘るな
(大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人は
わが身を慎むことを忘れてはならないぞ)
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならない。 他国の習俗であるクリスマスや、商業イベントである、バレンタイン、ハロウィーンに踊らされることなく、日本人本来のお祭り、祝い事を大切にしたいものです。
11月3日が「明治の日」になり、菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。
誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」・・・・
今日は、国旗を掲げましょう・・・・・・ 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい) |
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