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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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「日立の大煙突」のプロフィール
建 立:1914年(大正3年)12月
所在地:茨城県日立市三作山頂(標高328m)
高 さ:155.7m(当時世界一)
材 料:鉄筋コンクリート(382トン)
規 模:延べ36,800人、9ヶ月間
目 的:銅精錬の煙害防止
所有者:日鉱金属日立工場

一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

 ご来訪の皆様もご存じ、聖徳太子の「十七条憲法」の第一条の冒頭にある名文です。
現代語訳では、

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

 爾来、日本人はこの言葉をどれほど尊重し、肝に銘じてきたことでしょう。
 では、この場合の「和」とは何か? 
 和は、和食、和歌、和紙、和英辞典などが示すように、「日本」という意味を表します。それだけでも、この一字が往古の昔より日本の核になっていることは明らかです。
 ここでいう和とは、自分を失って相手に合わせるのではなく、しっかり自分を保った上で、相手を尊重し、調和すること。神仏習合や和食の基本がそれです。わが国には神道が肇国以来ありました。しかし、それを保ちつつ新来の仏教を取り入れた。和食の素材は仕上がったときに他国の料理のように元来の素材がわからぬような料理はしない。つまり、「自分」というものを見失いません。
 ですから、「和」とはやみくもに迎合するのではないということ。しかも、相手の価値観も認め、バランスをとっていくということ。それが自然体でできるのは、地球広しといえど、日本人以外しかないと思うのです。

しかし、大東亜戦争後、かって日本人が大切にしてきた価値観、慣習、文化、伝統も大きく変わろうとしています。
もっとも政治の世界では、目の前に課題が山積しているというのに、現在の国会を見れば明らかですが、対立をあおる動きばかりが目立つ。政治家がこうだから民間までもが右習えで対立ばかりが目立ちます。






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かつて市のシンボルだった煙突は、高さ156メートル、大正3(1914)年の建設当時は世界一だった。平成5年に崩落し、3分の1の高さになる。植樹されたオオシマザクラに囲まれて、現在も使われている。

「芙蓉の人」「孤高の人」などの著書で知られる、新田次郎氏の著作、『ある町の高い煙突』を原案として映画『ある町の高い煙突』の撮影が茨城県日立市で始まります。
明治後期に開業した日立鉱山(前身は赤沢銅山)は、富国強兵を掲げる政府の下、銅の生産量を飛躍的に伸ばしていた。同時に精錬所から排出される大量の亜硫酸ガスは、農作物を枯らし、住民の健康をむしばんだ。




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小説、映画は実話を基にしている。主人公のモデルとなったのは、地元の旧家出身の関右馬允(うまのじょう=上記写真)という人です。村のリーダーとなった関は郷土を守るため、粘り強く日立鉱山と交渉していきました。



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鉱山の創業者である久原房之助(上記写真)は、気象観測の結果に基づき、社運を懸けて大煙突の建設を決意、乗り切った。




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日立鉱山側の煙害対策の中心人物、角弥太郎(かどやたろう)日立に着任前に小坂鉱山で煙害を経験し、自らの社会使命は煙害問題にあると覚悟し、「煙害による損害は、鉱業主が進んで賠償の責を果たさなければならぬ」という基本方針の下、地域との共存共栄を」理想とし、被害者側との信頼関係と交渉のルールを確率した。

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建設中の大煙突の足場。
大煙突建設に従事した労働者数は、日立鉱山史によれば男性32,389名、女性4,451名の計36,840人に及んだ。多くの労働者は東北地方から募集に応じて日立までやってきた。工事現場の日当が当時は通常18銭から20銭であったというが、大煙突建設工事の場合、倍以上の45銭であり、日当の良さのため労働者はすぐに集まり、現場での生活環境も東北などより好条件であったこともあって、勤務状況も良好であったという。また高所で足場を組む鳶職には驚くほどの高賃金を支払ったと言われている。

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建設終了して足場解体中の大煙突。これだけの大工事でありながら工事による物故者は2、3名と言われています。現場の最高責任者、尾崎武洋は現場監督として日夜現場労働者と寝食をともにし、高所でも陣頭指揮をしたと伝えられています。

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現在、日立市は「さくらのまち」と言われています。今年も4月1日から15日まで「さくらまつり」が開かれます。前述した角弥太郎は煙害の状況が一変するとただちに自然環境を回復させるために「オオシマザクラ」「ヤシャブシ」「スギ」「ヒノキ」などの植林を開始しました。18年に渡る植林の面積は1200町歩(約1190ヘクタール)に及び植えられた苗木は500万本、そのうち「オオシマザクラ」の植林面積は595町歩、260万本が植林されました。日立鉱山による植林とともに周辺地域の希望者に対する苗木の無償配布も大規模に行われました。大正4年度の日立村はか17か村に対する29万本の配布をはじめ、昭和12年までの23年間に約500万本の無償配布が行われ、そのうちオオシマザクラの苗木は72万本に及びます。オオシマザクラの苗木がうまく育つようになるとこの苗木のソメイヨシノの苗木を接ぎ木して大量の苗木を作りました。角弥太郎はこの桜の美しさに着目し、大正6年頃、日立の社宅、学校、道路、鉱山電車線路沿いに2000本の桜を植えさせこれが「さくらのまち日立」の原点となっています。日立市の桜はその美しさの背景に、地域の煙害を企業と住民が克服した歴史と環境回復への悲願のもとに懸命に努力を重ねた地域の人々の歴史が秘められています。

新田次郎が『ある町の高い煙突』を発表した昭和40年代前半は、日本全国で公害問題が深刻化し、企業と住民が対立していた。その半世紀以上も前に日立では難題を解決していた、夢のような話に引かれたという。気象庁の職員でもあった新田氏の著書『ある町の高い煙突』はあとがきでまず、日立市天気相談所所長だった山口秀男の名前を挙げている。気象庁職員時代の先輩にあたる新田に、大煙突をテーマに小説を書くよう勧めた。ちなみに、現在の公明党代表の山口那津男氏の父親である。
日本人は公害については、克服しつつある。しかし、対立ばかりが目立つ今日、「和をもって貴しと為す」のやまとごころが薄れていくのは残念でならない。捨ててしまったものは二度と元へは戻りませんが、忘れ物はいつかもとへ戻ることもあります。日本人が「和をもって貴しと為す」の精神を再び身につけていくことを願うものである。



参考文献:日立市報2018年3月5日号、産経新聞3月23日「産経抄」、日立の大煙突アルバム、より引用、加筆

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