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「一月一日(いちげついちじつ)」の歌碑(出雲大社)
新年あけましておめでとうございます。
昨年は多くの方々のご来訪いただきありがとうございました。
本年も幾久しくよろしくお願いいたします。
拙記事は昨年正月エントリー記事に加筆して再エントリーします。
かって昭和の時代には唱歌「一月一日(いちげついちじつ)」はお正月には欠かせぬ歌でした。しかし、平成の御代になり他の唱歌同様歌われなくなりました。
日本人としてのアイデンティティが稀薄になったのではと思うのは筆者だけでしょうか?
【一番】
年のはじめの 例(ためし)とて 終(おわ)りなき世の めでたさを 松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに 祝う今日こそ たのしけれ 【二番】 初日のひかり あきらけく 治まる御代の 今朝の空 君が御影(みかげ)に 比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊けれ (筆者意訳)
日本は神国です。
年の初めに行うきまりごととして今上陛下の御代が天壌無窮に栄えるように祈る。門松は歳神さまを迎える依り代です。
神国日本をみんなでお祝いをしましょう。
初日の出を見ると少しづつ光が差してきます。
四方が曇りなく元旦にふさわしい。
四方拝で国民の幸せを祈られる陛下のご尊影と、空の様子を重ね、仰ぎ見る偉大な尊い存在です。
文部省は小学校の祝祭日に行う儀式で歌う曲を選定し、明治26年に「祝日大祭日唱歌」として官報で公布したのですが、その中の1曲に唱歌「一月一日(いちげついちじつ)」が含まれております。
昭和時代になると、一月一日(四方節)、紀元節、天長節(昭和天皇の誕生日4月29日)、明治節(11月3日)の4つの祝日には家の門柱に国旗を掲げて小学校へ登校してお祝いの儀式を行いました。
子供たちは儀式に出席することから、当然きちんとした服を着て登校する決まりでした。儀式では、天皇陛下と皇后陛下の御真影を掲げて最敬礼したり、君が代や「一月一日」のような儀礼唱歌を歌いました。儀式が終了すると、子供達に先生から紅白の菓子が配られて下校という流れでした。 我々の祖先がみな素晴らしい国家観を持ち得たのは学校教育、家庭教育の精華でした。唱歌「一月一日(いちげついちじつ)」の作詞をされたのが、出雲大社第80代出雲国造(こくそう)、明治政府で要職を務められた千家尊福翁でした。一昨年ご成婚あそばされた高円宮典子女王殿下のご主人、千家国麿氏にとって尊福氏は高祖父にあたります。千家家は出雲大社の祭祀をを司る国造の家であり、祖先は神宮に鎮まる天照大神の第二子、天穂日命(あめのほひのみこと)と伝えられています。
千家尊福氏は政治活動、神道の活動に尽力されるあまり大きな負債を負われました。天照大神の命をうけ先祖代々出雲で奉公を捧げ、重ね千家尊福氏は皇室、帝国のために東奔西走の一生であられた。皇室は万世一系の皇統を繋いでいますが、千家家も万世一系を繋いでおり、出雲では現人神として現在でも尊崇されています。また高円宮典子女王殿下ご成婚により、わが国の神道を代表する両家が一つに結ばれたことは日本国民として喜ばしいかぎりです。余談になりますが、筆者の友人は出雲へ十年以上単身赴任しておりますが、友人によると出雲地方の方々は他県の方々と違い「神話」にとても詳しく居酒屋談義でも神話が語られることは多々あるそうです。神話を学ばない都市部とでは神話に対する知識が出雲と大きな隔たりがあると述べていました。
学校では教えないわが国の神話を出雲の方々は今もわが国の神話を語り継いでいます。民族のアイデンティティをなくすとその民族は滅びるしかありません。
イギリスの歴史学者トインビーは、「12、3歳までに自分たちの国の神話を教えない民族は100年以内に必ず滅ぶ」と指摘しました。唱歌「一月一日(いちげついちじつ)」も歌われなくなった今日、日本人はどこへ向かっているのでしょうか?神話を知らないと日本人としての背骨ができません。
しかし、連綿と神話を語りついでいく地域も現在のわが国にはあるのです。
昨今、神社に参拝する方々が急増しています。
神話を学んで、神社に参拝すれば尚一層、思慮が深まります。
神話の里・出雲の誇りが全国へ伝播し、日本人が民族のアイデンティティを取り戻すことを筆者は願ってやまないのです。
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