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昭和41年に「ASEANセンター」を設立した中島慎三郎さんは、大東亜戦争で支那大陸からマレー、ニューギニア、インドネシアと転戦して、上等兵として終戦した。
昭和61年3月、中島さんはインドネシアのジャカルタのカリバタ国立英雄墓地に参拝した。
そこにはインドネシア独立戦争で戦死した日本兵の墓も並んでいるが、中島さんは真っ先に前年に亡くなったアリ・ムルトポ将軍の墓を詣でた。
墓に近づくと中島さんは墓石を抱きしめるようにインドネシア語で語り始め、顔を泣きはらして、涙をポタポタと地面に落とした。・・・
アリ・ムルトポは1924年生まれで、才能を見込まれて情報将校となった。1965年のインドネシア共産党事件では、ムルトポの戦略でスハルトの登場を促し、共産党を壊滅に追い込み、反共のASEAN結成に動いた。
昭和48年4月、マニラでASEAN諸国を中心に安全保障の国際会議が開かれた。
会議が始まると韓国代表が演説した。
「日本帝国主義が三十数年間も韓国を侵略したために、韓国は防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある」。
日本側はこれに何も言わなかった。
するとインドネシア独立戦争を戦ったムルトポ将軍は、韓国は日本の庇護の下で日本人として生きてきたくせに、日本が戦争に負けたとたん戦勝国民だとうそぶき、独立戦争を戦ったと嘘を言う。自ら独立戦争を戦ったムルトポ将軍は朝鮮人のその性根が許せず、立ち上がって韓国代表にこう言った。
「朝鮮人は自ら戦わなかったくせに責任を日本に押し付けるとは何事か。もしアジアに日本という国がなかったと仮定してみよ。
1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に大軍を駐留させ朝鮮を狙っていた。朝鮮が戦わないから日本が戦ったのだ。これが日露戦争だ。朝鮮は日本が敗けると思って裏でロシアと繋がっていたではないか。もし日本が戦わなかったら朝鮮はロシア領になっていたことは間違いなかった。 ロシア領になっていたのは朝鮮ばかりではない。支那も北半分はロシアが支配し、揚子江以南はイギリスとフランスが支配しただろう。遅れて登場したアメリカはどうやって支那大陸に食い込むか企んでいた。
そもそもアジア混迷の遠因は支那にある。支那はアヘン戦争でイギリスの不当な要求に屈して簡単に降参してしまった。その時支那はなぜ徹底して戦わなかったのか。イギリス・フランスを大陸に引き込んで蒋介石のように戦えば勝てたかもしれない。
“中華”と誇る支那が不甲斐なく敗けたから日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなったのではないか。この責任は支那にある。
そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか。もし日本という国がなかったらアジアは半永久的に欧米植民地勢力の支配下に置かれていたのではないか」
そして最後にムルトポ将軍は「戦後、アジア諸国は日本から経済、技術、資金でいかに多くの支援を受けたのか」と言った。
真実を言われた韓国代表は何も言えなかった。
参照:『昭和の戦争記念館』
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