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那須御用邸内の湿地を散策あそばされる先帝、昭和天皇と香淳皇后ご真影(昭和58年)
すめらぎいやさか。
今日一月七日は昭和天皇祭です。
先帝陛下が崩御あそばされてから三十年になります。 先帝陛下の御遺徳を偲び、皇室の彌榮を祈念します。 『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』
終戦の翌年詠まれた先帝陛下の大御歌(おおみうた)です。
深い雪に覆われても時が来れば青々と茂る松の木を 雄々しき日本人に例え、今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞されたもので、同時に日本人が日本人らしさを失わぬようにと願われたのです。 大東亜戦争終戦後、先帝陛下はマッカーサーとは戦後、11回にわたり会談あそばされた。
しかし、マッカーサーが解任されたとき先帝陛下はアメリカ大使館を訪問あそばされ、別れの挨拶をされました。
しかし、マッカーサー離日の日、GHQからの要請にもかかわらず、先帝陛下は見送りにいかず侍従長遣わされたのみでした。
昭和39年マッカーサーは84歳で死去し、バージニア州のノーフォークにはマッカーサー記念館が建設されました。
昭和50年、先帝陛下は訪米されました。このときマッカーサー記念館から記念館来訪と墓参の要請がきましたが、先帝陛下はこれを断りあそばされた。マッカーサーの未亡人から改めての要請の手紙がきましたが宮内庁はこれを拒みました。
訪米あそばされた先帝陛下はワシントンの歓迎行事を前にウイリアムバーグで2日間の休養をとられましたが、この町からマッカーサー記念館まで車でわずか40分の距離にありました。それでも先帝陛下は記念館には出御あそばされませんでした。 GHQは民主主義を米国が日本に持ち込んだと盛んに刷込みました。
現在でもマッカーサー信者がわが国にも存在します。
明らかにマッカーサー及び、米国の悪意ある占領政策を否定された先帝陛下。
昭和が終わった三十年前の今日。今一度、先帝昭和天皇の国民への思い、悪意ある占領政策を知ってほしいと願うばかりです。
天皇陛下萬歳。 |
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