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有終の美野村監督胴上げ。

球界の重鎮、野村克也監督がユニホームを脱ぎました。(本人はまだやる気なので他球団でまた着られるかもしれませんが・・)
現役時代は、長嶋、王に次ぐ実績を残し監督としても、南海、ヤクルトでリーグ優勝、ヤクルト監督時代は日本一に三度輝きヤクルトの黄金時代を築きました。
阪神監督時代は不遇にも芽が出ませんでしたが、球界の寄せ集め選手、しかも戦力外通告を受けた選手が集まったと言っても過言ではない楽天を、わずかな期間でCSシリーズ出場まで鍛えあげた手腕は、他に追随を見ません。
これからも球界の重鎮として、ご意見番としてご活躍を祈念してやみません。

長いあいだお疲れ様でした。

書聖 王義之

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書聖 王義之

王 羲之(おう ぎし、303年 - 361年)は中国東晋の政治家・書家である。
王羲之は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。
秦・漢代の字体などを研究し、それぞれの字体を楷書、行書、草書などと組み合わせ、貴族的で力強く優美典雅端正な書体が特徴的で、『雪の如く、竜の如し・・・』と形容されるほどである。『書道の革命家』、『書道の最高峰』とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達(初唐の三大家、三筆など)に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』が書道を志した方ならご存知の有名な書である。
中国の代々の皇帝が宝としたそうです。
王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏に生まれ、その人格と識見を認められ政府の高官に要請されますが、その都度固辞し地方転出を願いでて、地方の役人に就任しますが、ここでも民衆を思う行政に力を注ぎましたが、妬まれてこれに嫌気がさし病気を理由に官を辞しました。
赴任先の会稽では、山水に恵まれた土地柄を気に入り、ここを終焉の地と定め、隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだそうです。
唐の太宗(李世民)は王羲之の書を愛し、真行290紙草書2000紙を収集したそうですが、崩じた時に収集した「書」を一緒にお墓に埋めてしまったと言われています。
書聖と称されただけあり、後世の書道界への影響は絶大で、後の時代の書家はほぼ全員が王羲之を手本として、何らかの影響を受けたと言われています。 そのため、『書道を習う者はまず王羲之を学んでから他を学べ』とさえ言われた。科挙においても王羲之の技法で書かなければ答えが合っていても合格にならなかったと言われている。文字通り『王羲之の文字でなければ文字にあらず』とさえ言われたのである。
パソコンワープロが普及した今日、書道とは縁がなくなりつつありますが、今一度考えなければならない時代でもあると思います。

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中国の始聖人 禹

日本では中国の聖人として名高い孔子(こうし(儒教の始祖)紀元前551年‐紀元前479年)を遡ること紀元前2070年頃に中国に始めて国家という形をなした王朝「夏」という国が誕生しました。
三皇五帝(さんこうごてい)は、中国の神話伝説時代の帝王。現在ではこれらは実在の人物とは考えられていないので司馬遷の史記に記述にある最初の「帝」でります。

皇帝という呼称は、万里の長城などで有名な、秦の始皇帝前(在位期間246年 - 前210年7月)が自分が中国を初めて武力をもって統一したので、この三皇五帝より尊い存在であると言う考えから皇帝と言う言葉を造語し、自分に対する呼び名として使わせた(『史記』など)そうで、以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになりました。

夏朝の創始者「禹」の祖父は五帝の1人である帝顓頊で、従って、禹は、帝顓頊の孫である。また、帝顓頊は黄帝の孫であるので、禹は、黄帝の玄孫にもなる。
黄帝(5000年前黄河中原で部族を統一したと言われ、中国古代伝説上の帝王で
中華民族の始祖とされ、その後の中国政治思想の基礎を築いた人物です。)黄帝の墓とされている黄陵には、歴代王朝のみならず今の中華人民共和国政府も、毎年参拝の使者を送って中国の現状を報告しているそうです。

今も昔も中国の黄河の治水は国家の大事業とされ「禹」もこれに取組み、自らも仕事に打ち込みすぎ、子供も育てず、家庭も顧みなかったので、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという伝説があります。

「禹」は即位後しばらくの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めてくるようになった。さらに禹は河を意図的に導くなどしてさまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動したそです。

中国の、春秋時代の中国の思想家は「禹」を聖人としてあがめ、尊敬し、為政者は「禹」の志を受継ぎ、踏襲したそうです。

現在も中国では別格な存在であるそうです。
日本の為政者も「禹」のような志が欲しいですね!

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