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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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すめらぎいやさか。

今上陛下のご即位を祝う一般参賀が4日、宮城(皇居)で行われました。
1日に即位あそばされた今上陛下が、公式行事で国民の前にお成りああそばされた。
宮内庁によると、午前9時10分時点で4万9300人の参賀者が集まったため、午前9時30分予定だった開門を20分早めた。
午前10時からの1回目の参賀で、陛下は皇后陛下、秋篠宮皇太弟・同妃両殿下、皇族方とともに宮殿「長和殿」のベランダに立ちあそばされ、「このたび、剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀、および、即位後朝見の儀を終えて、今日、このように皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、深く感謝いたします。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、わが国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております」と叡慮を賜った。
 宮城に集まった参賀の皆さん、誰一人として招集された方はおられません。皆さん、お祝いの為に参じた方ばかりです。ここに他国に無類なき文化、伝統を伝承し、世界最古にして最長の皇室を仰ぎみる素晴らしさを感じます。

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日々、私たち国民の安寧、平和を祈って下さる天皇陛下。 一天万乗の天皇陛下に感謝しながら、ともに歩み生きていく国民。 往古の昔から自然に感謝しながら、共生してきた歴史や文化を継承し、不器用だけどまじめで言挙げせず、裕福でないかもしれないけど、楽しく生きてきた国民。
そして「ありがとう」の言葉で成り立っている国。
一般参賀を見るとき、悠久の昔よりの皇室と国民の紐帯を感じ、日本人に生まれてよかったと思うのは私だけではないでしょう。

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(宮内庁提供)

天皇彌榮(すめらぎゐやさか)

聖壽萬歳(せゐじゆばんざゐ)


天長節を臣民の一人として奉祝ゐたします。
天皇陛下、皇后陛下にをかせられましては、ゐつまでもを健やかであられることを祈念ゐたします。

陛下お誕生日に際し

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会見年月日:平成30年12月20日
会見場所:宮殿 石橋の間

(以下ご会見全文)

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終 焉 えん を迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安 堵 ど しています。
そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め, 爾来 じらい この伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から 労 ねぎら いたく思います。
そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。



「大日夲帝國は萬世一系の天皇之を統治す」「天皇は胆擦砲靴匿すへからす」
天壤無窮の我國の國體であられます。
けふ 、壱弐月23日は極東軍事裁判で云はれなき罪状で執行された、殉難七士の命日でもあります。起訴は先帝陛下の誕生日でありました。
日夲人は此屈辱も忘れてはならなゐ日でもあります。

天皇陛下萬歳、日本國萬歳

両陛下、福島行幸啓

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画像は産経新聞より

すめらぎいやさか。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては9日、全国植樹祭の式典ご親覧などのため、2泊3日の日程で福島県入りあそばされた。東日本大震災後の同県ご訪問は6回目。日々、私たち国民の安寧、平和を祈って下さる天皇陛下。 一天万乗の天皇陛下に感謝しながら、ともに歩み生きていく国民。 往古の昔から自然に感謝しながら、共生してきた歴史や文化を継承し、不器用だけどまじめで言挙げせず、裕福でないかもしれないけど、楽しく生きてきた国民。
そして「ありがとう」の言葉で成り立っている国。
日本人に生まれてよかった。

筆者はいつも思うのです。ご歴代の天皇陛下はお姿は人間でも、お心はまさに神の領域、高天原にお住みのお方と思います。私心なく国家国民の安寧、人類の幸せ、世界の平和のみ願われておられます。

 「先帝陛下ありがとう。今上陛下を見習おう」の大合唱が津々浦々からわき上がってくるとき、日本国民は本来の清さ明るさを取り戻し、ぬくもりのある「こころ」、芯(しん)の強い日本は必ずよみがえると思います。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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与那国空港に到着し、集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下、ご真影=28日午後、沖縄県・与那国島


画像は産経新聞より


すめらぎいやさか。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては28日、沖縄本島から特別機で与那国島(よなぐにじま)に入られた。日帰りで島内をまわられ、「日本最西端の碑」を訪れられ、日本在来種の「与那国馬」や世界最大級の蛾「ヨナグニサン」をご覧になられた。国の重要無形文化財「棒踊り」もご覧になられた。
 畏くも両陛下におかせられましては日本各地の離島に行幸啓あそばされ、沖縄でも宮古島、石垣島などに行幸啓なされ、在位中最後になるとみられる今回は日本最西端の与那国島行幸啓を望まれていた。動画は27日夜、沖縄本島で行われた天皇陛下奉迎パレードの様子です。

天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳。



両陛下、沖縄行幸啓

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画像は産経新聞より

すめらぎいやさか。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては27日、羽田発の特別機で沖縄県入りあそばされた。同日は国立沖縄戦没者墓苑(糸満市)で先の大戦の戦没者を慰霊し、遺族に「がんばってこられましたね」「ご苦労さま」などと声をかけられた。
畏くも両陛下の沖縄行幸啓は、皇太子同妃時代を含め11回目。激しい地上戦の舞台となり、戦後も米軍施政下に置かれた沖縄に心を寄せてきた両陛下が強く希望された。先帝、昭和天皇も崩御されるまで沖縄を気にかけておられた。今上陛下は先帝陛下の大御心を継承され、臣民皆に等しく慈しまれる。感謝の言葉しか見つかりません。
28日は日本最西端にある与那国島(よなぐにじま)を初めて行幸啓あそばされ、日本最西端の碑などをご覧あそばされ。29日に還幸啓される。両陛下はじめ皇族の方々がお健やかであられることを衷心よりお祈りします。



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