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第64回全国植樹祭及び地方行幸啓のため、鳥取県へ出発あそばされた 天皇、皇后両陛下 御尊影 =25日、東京都大田区の羽田空港 君が代
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては24日、第64回全国植樹祭の式典ご親覧などのため特別機で鳥取県へ入られ、ラムサール条約に登録されている湖「中海(なかうみ)」周辺の米子水鳥公園(米子市)をご覧あそばされた。 公園内の施設からは、さまざまな水鳥の様子を熱心にご覧になられた。 畏くも両陛下は望遠鏡で、アフリカ大陸から日本まで幅広く生息する水鳥カイツブリの巣をご観察になられ、ちょうど巣に戻っていた2羽のつがいを見た皇后陛下は「よかった、いてくれて」と微笑まれた。
両陛下の同県行幸啓は平成23年の全国豊かな海づくり大会以来で、陛下の即位後3回目。26日に全国植樹祭の式典にご親覧あそばされ、27日に還幸啓あそばされる予定。
植樹祭 シンボルマーク「トッキーノ」 前回の鳥取での植樹祭は第16回でした。 昭和40年5月9日、大山町上槇原に先帝陛下、香淳皇后陛下をお迎えして開催されました。 先帝陛下、香淳皇后陛下は、ダイセンマツをお手植えになるとともに、大山町博労座において、ダイセンマツとオキノヤマスギの種子をお手播きされました。 また、参加者1万余人による大山山ろく上槇原8haへの3万2千本のダイセンマツの苗木の記念植樹が行われました。 お手植えのご様子
お手播きのご様子
植樹祭をうけて、秋には全国育樹祭がおこなわれます。
「親が植え、子どもたちが育て、利用し、また植える」という森林持続性理念の下、全国植樹祭において天皇陛下及び皇后陛下が植えた樹木を皇族(皇太子親王殿下及び皇太子親王妃殿下)が手入れするものです。
森林持続性だけでなく、人類普遍のありかた、伝統の継承を理念とされているように感じます。 心より感謝いたします。 伝統の継承は天壌無窮日本のお国柄です。 天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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皇室
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君が代
天皇皇后両陛下、都内の小学校を訪れ俳句の授業など視察される(13/05/23) 謹んでお伝えいたします。 畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては23日午後、東京都江東区の区立越中島小学校(児童約600人)を出御あそばされ、俳句の授業などをご覧あそばされた。 畏くも陛下は子供たちに「これからもいい俳句を作ってくださいね」と玉音賜わりました。 畏くも両陛下は毎年、「こどもの日」にちなんで子供の関連施設を行幸啓されていますが、両陛下の行幸啓は来年までで、平成27年以降は若い世代の皇族にお譲りになられます。 皇后陛下におかせられましては23日、宮城(皇居)内の紅葉山御養蚕所で、繭作りを始める直前の蚕を、わらなどで編んだ「蔟(まぶし)」とよばれる網へ移す「上蔟(じょうぞく)」の作業をあそばされた。
皇后陛下におかせられましては、4月末に孵化(ふか)しクワを食べて6〜7センチほどになった日本純産種の蚕「小石丸」を、自ら手に取られた。「病気も全然ないようね」と成長を確認しながら、ご自身で編んだ蔟へと移しあそばされた。
皇室のご養蚕の始まりは、西暦450年、今から1500年前のことであり、日本書紀に「雄略天皇が皇后に蚕を飼うようにすすめた」という記述があります。
現在は歴代の皇后が引き継ぐ形になっていますが、明治4年、昭憲皇太后が宮城・吹上御苑内で復興されたのが最初です。 ちょうど鎖国政策が解かれ、横浜、長崎、函館との貿易が始まった時代です。当時、輸出品の大部分は生糸、茶、蚕種でしたが、なかでも生糸は輸出額が特出していました。蚕糸業は殖産工業と外貨獲得の両面から、国の重要な産業となっていたのです。
皇室のご養蚕は、英照皇太后、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、美智子皇后陛下へと引き継がれています。
宮城内にある紅葉山御養蚕所は、木造二階建ての簡素な造りで、桑園は宮城内に3カ所、赤坂御用地に1カ所あります。 毎年200キログラム以上の繭を生産していますが、この量は大きな養蚕農家に匹敵する収穫量です。皇后陛下は2カ月弱の蚕期中、「養蚕始めの儀」「養蚕納めの儀」「給桑」「上蔟」「初繭掻き」のほか、まぶし編み、桑とりなど、20回以上のお出ましがあります。
明治38年から飼育されている「小石丸」という品種の蚕があります。これは繭形が美しく、飼いやすいけれど収穫量が少ないのが難点です。この品種を維持していくべきか否かを、皇后陛下にお伺いしたところ、「残しておきたい」というお言葉があり、現在も飼い継がれています。この小石丸がのちに、正倉院の絹織物を復元するのに役立つことになりました。
皇后陛下がご養蚕に携わっているお写真を見ることがあると思いますが、あのときの服装は、写真撮影用に着替えているのです。作業でお出ましになるときは、ズボンをはいたり作務衣などを着たり、一般の人の服装と変わるところはありません。 紅葉山の御養蚕所で収穫された繭は絹織物となり、外国訪問のときの贈答品や宮廷祭事などにも使われます。最近では、敬宮愛子内親王殿下がお生まれになったとき、産着として使われました。 皇后陛下におかせられましては22日、東京都豊島区の自由学園明日館で、女性誌「婦人之友」創刊110周年を記念して行われている、同誌表紙と大正〜昭和初期の絵本誌「子供之友」の原画展をご覧あそばされた。
皇后陛下は、安井曽太郎や東山魁夷、竹久夢二ら名画家が描いた表紙や絵本の原画約180点をご覧あそばされた。
皇太子殿下、妃殿下におかせられましては22日、東京・上野の国立科学博物館で、人類が地球各地に拡散した道のりをたどる特別展「グレートジャーニー 人類の旅」をご覧そばされた。 秋篠宮殿下におかせられましては23日、埼玉県東松山市の県こども動物自然公園をご覧に。フンボルトペンギンの飼育現場やカピバラ・ワラビー広場をご覧になられた。カピバラ飼育の経験があるという秋篠宮殿下は飼育方法について話された。また、同県熊谷市で、総裁を務める日本動物園水族館協会の総会にご台覧あそばされた。 天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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お田植えをあそばされた今上陛下 御尊影=21日午後、宮城
また、畏くも天皇、皇后両陛下が7月に東日本大震災の被災地、岩手県への行幸啓を検討されています。7月4、5日を軸に日程を調整中。同県行幸啓は震災2カ月後の平成23年5月以来。
君が代 畏くも天皇陛下にあらせられましては21日、宮城(皇居)の神田でお田植えあそばされました。
先帝陛下は昭和2年、御自身で稲作を始められました。今上陛下には大御心(おおみこころ)をお継ぎになり、御代替わり(みよがわり)の年からお田植えとお稲刈りをなされ、翌平成2年からは御播種(おんはしゅ)をなさる新例を開かれました。
国家の統治者が水田に足を踏み入れ、米作りをされる例は他国にはありません。なぜそうされるのでしょうか。そこにどのような精神的、文明論的意味があるのでしょうか。
我國は太古の昔より、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國と呼ばれてきました。豊かな葦原と瑞々しく美しい稲穂が実る国、という意味です。
皇祖天照大御神は天孫降臨の際、
一、天壌無窮の神勅 『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』
二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅 鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』
三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』
と、三大神勅を下されました。
皇孫であられる、畏くも天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。
日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあります。
これこそが我國のお国柄を現しています。 世界には君主制の国が少なくとも20カ国以上あるようですが、長靴をはいて水田に足を踏み入れ、田植えをし、鎌を手に稲刈りをなさるのは、日本の天皇陛下以外には聞きません。
皇祖 神宮(内宮)
神宮の祭祀は、殆どが稲作と関係し、稲作の時期に合わせて行われます。
2月17日〜2月23日 祈年祭(としごいのまつり) 五穀豊穣祈願祭 旧正月後の田作りの前の祭
4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい) 稲種を神田にはじめて下し奉る祭 稲の籾種まき無事早苗が育つように。
5月14日 風日祈祭(かざひのみさい) 風日祈宮(風の神様)に風雨の恵み、五穀豊穣のお祭り。
6月15日〜6月25日 月次祭(つきなみさい) 由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。田植えが終るあたり。
8月4日 風日祈祭 風の神へ御幣を奉り、風雨の恵み、五穀の豊穣をお祈りします。
9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい) 神田にて神嘗祭に奉るご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつるお祭り(神宮神田)。
10月15日〜10月25日 神嘗祭(かんなめさい) その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げるもっとも由緒深いお祭り。
11月23日から 11月29日まで 新嘗祭 (にいなめさい) 新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣(ごさけん)されて、奉幣の儀が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。 *新米は陛下が食しめし(きこしめし)いただいた後、臣民はいただきます。
12月15日〜12月25日まで 月次祭 由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。
毎日 日別朝夕大御饌祭 (ひごとあさゆうの おおみけさい) 年中、毎日朝夕の2度、外宮の御饌殿で、両正宮、同相殿神(どうあいどののかみ)および各別宮諸神にお供えものを奉ります。
現在の稲作は、地域によって異なりますが、五月の連休に田植え、九月上旬には刈り入れます。これは、殆どが兼業農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするためです。 そのため日本の神社の田祭の時期と今の稲作サイクルがずれてしまって、神々に対しての感謝の実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてしまっている感じがあります。つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、先祖伝来の田畑を欲得の為手放し、誠に申し訳ない事をしているようです。日本人の伝統的な思いでは、古事記や書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神々です。神の子として誠に申し訳ない事をしているようです。
神々に対しての畏れを忘れてしまったのが現世の臣民であります。
畏くも天皇陛下は「祭祀王」「祈る王」だとされます。
昭和天皇の御製に、 わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々
畏くも天皇陛下は臣人が見ないところで日々、祭りを行い、「国平らかに、民安かれ」とひたすら公正無私の祈りを 捧げておられるのです。
そして、皇祖以来の伝統を継承されておられるのです。
戦後、権利、人権などを誇張し、日本人としての自覚を忘れ、皇祖、先祖、先人よりの御教えを忘れ、豊葦原の瑞穂の国を汚し、変わってしまったのは我々臣民なのです。 畏くも、天皇陛下にあらせられましては、皇祖以来の伝統を護り、臣民を護るお姿は神代の昔から普遍なのです。
畏くも、 天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。 誠に神勅の隨々(まにまに)です。 天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・ 津波被害を受けた陸前高田市など、2年前には訪問されなかった県南部の地域を中心に、日程が調整されている。遠野市の被災者住宅もご行幸啓の日程として検討されています。
天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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洋画家木村荘八の作品を集めた企画展をご覧あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=10日午前、JR東京駅の東京ステーションギャラリー
「生誕120年 木村荘八展」をご覧あそばされるため、東京ステーションギャラリーに出御あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影 =10日午前10時48分、東京都千代田区
特別展「生誕120年 木村荘八展」をご覧あそばされ天皇、皇后両陛下 御尊影=5月10日、東京都千代田区の東京ステーションギャラリー
君が代
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては10日、東京駅丸の内駅舎(東京都千代田区)にある展示施設「東京ステーションギャラリー」に出御あそばされ、洋画家、木村荘八(明治26年〜昭和33年)の特別展をご覧あそばされた。 木村荘八氏は洋画家。東京に生まれる。父の荘平は牛肉店〈いろは〉の盛業で知られ,姉の曙は小説家,兄荘太は文芸評論家。弟の荘十は小説家,荘十二は映画監督。白馬会洋画研究所に学び,岸田劉生を知り,ともに1912年フュウザン会の結成に参加。《エル・グレコ》《未来派及立体派の芸術》などを翻訳出版し,後期印象派以後の新美術の紹介にも尽力した。フュウザン会解散後,岸田劉生,高村光太郎らと生活社を起こし,15年岸田,中川一政らと草土社を結成,二科会,日本美術院洋画部にも出品。
仮設住宅の集会所で、住民のフラダンスに拍手を送られる秋篠宮殿下、妃殿下 御尊影=10日午前、福島県郡山市の富岡町生活復興支援センター 仮設住宅の集会所を訪れ、拍手で迎えられる秋篠宮殿下、妃殿下 御尊影=10日午前、福島県郡山市の富岡町生活復興支援センター
福島県に御成りあそばされた秋篠宮殿下、妃殿下におかせられましては10日午後、車でご帰還あそばされ、2日間の同県御成りを終えられた。
10日午前には、東京電力福島第1原発事故で全町避難中の富岡町民らが暮らす、郡山市富田町の仮設住宅に御成り。秋篠宮妃殿下は住民らに「お寒かったり、暑かったりすると思いますけど、お大事にお過ごしください」と声をかけられた。
両殿下におかせられましては、住民らのフラダンスもご覧になり、音楽に合わせて歌を口ずさまれた。県水産試験場(いわき市)で水産物の放射性物質検査の状況もご覧になられた。
天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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君が代
謹んでお伝えいたします。 畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては8日、東京・上野の東京国立博物館で全国の神社の宝物や神像などを集めた特別展「国宝 大神社展」をご覧あそばされた。 特別展は神宮の社殿を20年ごとに造り替える第62回式年遷宮を機に開催されており、現在、国宝など145点が展示されている。畏くも陛下は国宝に指定されている平安時代後期の神輿の制作時期について、「いつでしたか」とお尋ねになられ、担当者から熱心に説明を聞きあそばされた。
謹んでお伝えいたします。 日本赤十字社名誉総裁を務めあそばされる皇后陛下におかせられましては8日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれた全国赤十字大会に行啓あそばされた。名誉副総裁の秋篠宮妃殿下、常陸宮妃殿下もご台覧あそばされた。
皇后陛下におかせられましては、赤十字活動に貢献した人々に贈られる「有功章」受章者の代表13人に、メダルと賞状を授与あそばされた。
式典は全国の赤十字社員やボランティアら約2千人が参加。東日本大震災被災地の小中学生を北海道に無償で招いたサマーキャンプなどの活動が報告された。
赤十字の父とされるアンリ・デュナンが生まれた5月8日は世界赤十字デーとされ、例年、世界中で関連イベントが行われる。
本ブログの5月5日の拙稿、明治大帝を補佐された有栖川宮 熾仁親王 でも日本赤十字社のわが国における成立ちを記事としていますが、当初明治新政府は、敵味方の区別なく救護を行う博愛社の精神を理解せず、設立を許可しなかった。西南の役のさなか、佐野常民や大給恒から「博愛社」(後の日本赤十字社)設立の建議を受けられ、官軍のみならず逆徒である薩摩軍をも救護するその精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮ることなくこれを認可されました。
近代化を目指す日本でも昭憲皇太后陛下(明治大帝皇后)が積極的に活動に参加され(正式紋章「赤十字竹桐鳳凰章」は昭憲皇太后陛下の示唆により制定された)、昭憲皇太后陛下は、日本赤十字社を手厚く保護なさり、様々な人道的支援にご尽力された。昭憲皇太后のご尊徳は今もなお語り継がれ、日本赤十字社では、「名誉総裁」はご歴代の皇后陛下がなされておられます。
「赤十字竹桐鳳凰章」 右より、昭憲皇太后陛下、貞明皇后陛下、香淳皇后陛下、今上皇后陛下 御尊影 本ブログでも幾度か記事としましたが、建国以来の仁の精神、仁徳天皇の「民のかまど」の精神が連綿と皇室に伝わっています。
我国では、皇后陛下を、「国母(こくも)さま」と呼ぶ古い言い習わしがあります。
また、悲田院などで知られる奈良時代の光明皇后以来「国母さま」の伝統も生きている。
「天長節」は天皇陛下の誕生日ですが、皇后陛下の誕生日は地久節(ちきゅうせつ)といい、「天長節」と対になる行事でした。
近代では、明治天皇陛下皇后、後に昭憲皇太后と呼ばれる明治大帝の皇后陛下の誕生日が今日5月9日です。
昭憲皇太后陛下は、(嘉永2年4月17日(新暦5月9日))従一位左大臣一条忠香の三女にご生誕あそばされ、諱は勝子(まさこ)。通称は富貴君(ふきぎみ)、富美君(ふみぎみ)寿栄君(すえぎみ)(明治元年)12月26日、美子(はるこ)と改名あそばされ、2月9日、入内して女御の宣下を蒙り、即日皇后に立てられあそばされた。
この際、天皇より3歳年長であることを忌避して、公式には1850年(嘉永3年)の出生とされた。当初、中世以来の慣行に従って中宮職を付置され、中宮と称されたが、翌年、中宮職が皇后宮職に改められ、称号も皇后宮と改められた。この時を最後に、中宮職は廃止され、我国最初の皇后陛下でもあられます。
ご幼少の頃より資性ご聡明で仁慈、博愛、謙譲、貞節など尊くも美わしい婦徳のかがみと仰がれておりますが、殊に女子教育のご奨励と博愛、慈善の事業については、きわめて大きな役割をお果たしになりました。お茶の水の東京女子師範学校の設立の際には多額のお手許金を下賜(かし)され、また開校式にも行啓されました。
戦前の修身教科書には、「第一 皇后陛下」
皇后陛下はおちいさい時からしっそにあらせられ、又下のものをおあはれみになりました。皇太子妃にならせられましてから、ごじしんでかひこをおかひあそばしたり、いくさの時にははうたいをおつくりになって、ぐんじんにたまはったりなさいました。又皇后におなりあそばしてのちも、けういくのことやさんげふのことにお心をとめられ、まづしいものをおあはれみになるなど、ありがたいことがたくさんございます」(第三期尋常小学校修身書 巻三 大正八年)。 上記のように記述されています。
明治37年、明治期最大の国難といえる日露戦争が始まると、その行方に心を砕きあそばされ、自らは包帯を戦場に送ることに専念されました。『教科書が教えない歴史』によると「宮中の一室は包帯製作室と化し夜を徹して包帯作りに精励された」とのことです。 お話を日本赤十字社に戻しますが、日清戦争時、帝国陸軍近衛師団軍楽隊楽手でもあった加藤義清が出征する友人を見送りに駅に行った際、同じく大陸の戦地に向けて出発しようとしている日本赤十字社従軍看護婦達の凛々しい姿に強い感銘を受け、一夜で作詞したといわれている軍歌『婦人従軍歌』がある(従軍看護婦を唄った歌曲は世界的にも珍しく、同時に明治日本軍歌を代表する曲の一つに数えられている)。 【軍歌】婦人従軍歌 カイコの卵をクヌギの木に付ける「山つけ」の作業をされる皇后陛下 御尊影=7日午前、宮城(宮内庁提供)
謹んでお伝えいたします。
皇后陛下におかれましては7日、宮城(皇居)内の養蚕施設で「天蚕(てんさん)」と呼ばれる蚕の卵を、クヌギの木に付ける「山つけ」の作業をなされた。明治時代から代々、皇后陛下が受け継いできた伝統の養蚕作業。
皇后陛下におかれましては、網で囲われた「野蚕室」で、蚕の卵約25粒が付いた短冊状の和紙12枚を、丁寧にクヌギの枝に巻き付けられた。10日ほどで卵から幼虫が生まれ、7月ごろには繭をつける。絹糸にして絹製品などに使われるという。
山つけは4月26日に予定されていたが、皇后陛下が頸椎(けいつい)症性神経根症の症状で首から腕にかけ激しい痛みを感じられ、延期になっていました。
天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
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