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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
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両陛下、岩手行幸啓

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宿泊先の「三陸花ホテルはまぎく」に到着あそばされた天皇、皇后両陛下 ご尊影=28日午後、岩手県大槌町 画像は産経新聞より



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宿泊先の「三陸花ホテルはまぎく」に到着あそばされた天皇、皇后両陛下 ご尊影=28日午後、岩手県大槌町 画像は産経新聞より






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宿泊先の「三陸花ホテルはまぎく」に到着あそばされた天皇、皇后両陛下 ご尊影=28日午後、岩手県大槌町 画像は産経新聞より






天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。

謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては28日、国体総合開会式へのご親覧や東日本大震災の復興状況視察のため、岩手県入りあそばされた。国体開催県への訪問は例年2泊3日ですが、式典会場から遠い沿岸部の被災地に赴くかれるために、異例の4泊5日の長旅となられる。岩手県知事が花巻空港で両陛下を出迎えた際、陛下から真っ先に「台風の被害はどうですか」とのお気遣いがあったそうです。犠牲者や被害家屋などの具体的な数字を伝えると、深刻な表情で耳を傾けられた。

日々、私たち国民の安寧、平和を祈って下さる天皇陛下。 一天万乗の天皇陛下に感謝しながら、ともに歩み生きていく国民。 往古の昔から自然に感謝しながら、共生してきた歴史や文化を継承し、不器用だけどまじめで言挙げせず、裕福でないかもしれないけど、楽しく生きてきた国民。
そして「ありがとう」の言葉で成り立っている国。
日本人に生まれてよかった。

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国のまほろば大和の国、奈良へ行幸啓あそばされるため、JR東京駅を出発される天皇、皇后両陛下 ご尊影=2日午前、JR東京駅


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
謹んでお伝えいたします。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては二日、皇祖神武天皇二千六百年式年祭に臨みあそばされるため、国のまほろば大和に入られた。二日は橿原市の県立橿原考古学研究所で遺跡から出土した土器の破片の整理・修復作業を視察され、三日は皇祖の命日とされ神武天皇畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのみささぎ)で行われる親謁の儀には秋篠宮両殿下も同行される。宮城・皇霊殿の儀には皇太子両殿下が臨まれる予定。両陛下はその後、神武天皇をまつる橿原神宮にも親謁あそばされる。


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神武天皇畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのみささぎ)




古来より、わが国の美称として、「豊葦原瑞穂国」と言ってきましたが、正式には、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(とよあしはらの ちあきのながいほあきの みずほのくに)と言い、千年も五百年も悠久に続く、 稲穂の実る美(うま)し国という意味でもあります。
 
建国以来、我国は皇尊(すめらみこと・天皇陛下)による慈愛と和の国でした。
紀元前660年2月11日(皇紀元年)初代神武天皇が畝傍山の東南、現在の橿原神宮に都を開かれるにあたり、詔を発せられた。この「即位建都の詔」に、以来連綿として継承される日本国の理念と天皇の御心を伺う事ができます。
 
即位建都の詔
「夫(それ)大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に従う。苟(いや)しくも民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば何んぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わん。且た当(まさ)に山林を披(ひ)き払い宮室(おおみさ)を経営(おさめつく)りて恭みて宝位(たかみくら)にのぞみ、以って元元(おおみたから)を慎むべし。」
 
「大人(ひじり)の制(のり)を立て」とは、正に天照大神から連綿とつづく「神の子」の自覚と、謙遜の徳を表わし、「苟(いや)しくも民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば」とは、国民の利益になることが大前提とお考えであり、「民の為の政治」の原則を謳う詔です。
天皇政治下の民主政治であり、神武天皇の大御心は歴代の天皇に受け継がれ天壌無窮にわが国は弥栄ております。



 

両陛下 大分行幸啓

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「太陽の家」の創立50周年記念式典に行幸啓あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=10月4日午前、大分県別府市 産経新聞より引用










天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。

謹んでお伝えいたします。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては4日、大分県別府市に行幸啓あそばされ、日本の障害者スポーツとゆかりが深い社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典に出御あそばされた。
両陛下が出御あそばされた太陽の家は、東京パラリンピックの開催に尽力し、日本選手団長も務めた医師の故中村裕さんが東京パラリンピックの翌年の昭和40年に創設。敷地内には工場などの施設があり、障害者に働く機会を提供し、自立した生活ができるよう支援している。

余り知られてはいませんが、パラリンピックがオリンピックに併せて開催されたのは、昭和39年、東京オリンピックでした。
東京パラリンピックの名誉総裁をなされたのが、畏くも今上陛下(当時、皇太子殿下)でした。
 
 
貴賓席にお立ちになり、選手の入場行進にお手をふられる両陛下(皇太子殿下当時)
 
 



 
 
両陛下(皇太子殿下ご夫妻)は、当時の葛西大会々長の先導でフィールドに降りられ、各国選手をそれぞれ激励された。
 


 
両陛下のご尽力により、障害者福祉が大きく前進したのです。
天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典 において、日本身体障害者団体連合会会長、小川 榮一氏は当時を次のように述べられています。
 
 
 
小川栄一氏
 
 
ただ今ご紹介に預かりました日本身体障害者団体連合会会長の小川榮一でございます。一言、天皇皇后両陛下に対し感謝の言葉を申し述べたく存じます。 
日本身体障害者団体連合会が昭和33年に創立して以来、障害者福祉に関わってはや五十年が経ちました。その間、なかなか障害者に対する社会の理解が進まず胸の痛む思いをしてきましたが、そんな私共を一貫して支えて下さったのが、天皇皇后両陛下でした。正確に申し上げれば、両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進したと言っても過言ではありません。 
どういうことかと申しますと、障害者に対する社会の見方が大きく変わる契機となったのが、昭和39年、東京オリンピックにあわせて開催されたパラリンピックでした。 
障害者がスポーツを通じて交流を行うこの世界大会が初めて日本で開催された際に、皇太子同妃両殿下であられた両陛下は、連日会場を廻られて選手を激励し、大会終了後は東宮御所に関係者を招かれて労われました。 
その際、陛下は、こうお述べになりました。 
「日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました。このような大会を国内でも毎年行ってもらいたいと思います」 
この御言葉がきっかけとなって昭和40年から毎年、国民体育大会にあわせて身障者スポーツ大会が開催されるようになったのです。この大会のおかげで、閉じこもりがちであった身障者たちが施設の外に出てスポーツに取り組むようになり、「障害があってもやればできる」という勇気と自信を持てるようになりました。 
家族もまた、その姿に励まされ、支えられてきたのです。スポーツを通じ、社会参加の助長と、障害や障害者に対する社会の理解が深まったことが、今日の障害者福祉向上の原動力にもなりました。 
さらに両陛下は、地方行幸啓に際して障害者施設をご訪問になっていらっしゃいます。おかげで、どちらかというと閉鎖的だった障害者施設も社会の脚光を浴びるようになり、国民の優しさが障害者に伝わるようになりました。 
数年前、園遊会にお招き戴いたときも、「障害者の皆さんはどうですか」と質問があり、「皆、明るく頑張っております」とご返答申し上げたところ、「障害者のため頑張ってほしい」と、ありがたい御言葉を賜りました。 
ハンディーがあっても国民の一人として尊重して下さり、障害者とその家族・関係者に、勇気と自信を与えて下さっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております。 
これまでの両陛下のご活動に感謝申し上げるとともに、両陛下の御健勝を心よりお祈り申し上げます。
 
筆者ごときが論評・補足する言葉がありません。
 
ハンディーがあっても国民の一人として尊重して下さり、障害者とその家族・関係者に、勇気と自信を与えて下さっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております。
 
これらの言葉に皇室の素晴らしさがすべて込められています。
日本人は素晴らしい君主を戴いており、稀に見る幸せな民族であると言えましょう。






畏くも、天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。



君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)

 

両陛下、常総市行幸啓

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関東・東北水害の避難所「水海道あすなろの里」の訪問を終え、被災者らの見送りを受けられる天皇、皇后両陛下=1日午後5時9分、茨城県常総市(代表撮影)
産経新聞より引用







天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。

謹んでお伝えいたします。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては1日、東日本豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、2人の同胞が亡くなられた茨城県常総市に行幸啓あそばされ、被災者らを見舞われた。両陛下におかれましては、発災当初から甚大な浸水被害を気にかけられ、早期の行幸啓を希望されておられた。






畏くも両陛下におかせられましては、被災状況の説明を受けられた後、三坂町地区の堤防の決壊現場をご覧あそばされ、雨が降る中、同地区で濁流にのまれ、犠牲になった男性が発見された場所に向かわれ、傘を差さずに黙礼あそばされた。
 また約180人が避難生活を送る施設において、被災者6人とご懇談あそばされ、畏くも陛下は「復興に向かって進んで行かれるよう願っています」といたわられ、救助活動に尽力した自衛隊、警察、消防の関係者ら労を労われた。
日々、私たち国民の安寧、平和を祈って下さる天皇陛下。 一天万乗の天皇陛下に感謝しながら、ともに歩み生きていく国民。 往古の昔から自然に感謝しながら、共生してきた歴史や文化を継承し、不器用だけどまじめで言挙げせず、裕福でないかもしれないけど、楽しく生きてきた国民。
そして「ありがとう」の言葉で成り立っている国。
日本人に生まれてよかった。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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全国戦没者追悼式にご親覧あそばされた天皇陛下、皇后陛下 御尊影=15日、東京都千代田区の日本武道館 産経新聞より引用





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全国戦没者追悼式にご親覧あそばされた天皇陛下、皇后陛下 御尊影=15日、東京都千代田区の日本武道館 産経新聞より引用






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全国戦没者追悼式にご親覧あそばされた天皇陛下、皇后陛下 御尊影=15日、東京都千代田区の日本武道館 産経新聞より引用






謹んでお伝えいたします。

畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、全国戦没者追悼式典におかれまして、次のように叡慮を賜りました。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に七十年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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