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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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両陛下、慰霊の旅





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西太平洋戦没者の碑」(左)に供花し、アンガウル島(奥)に向かって拝礼あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島





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「西太平洋戦没者の碑」に供花あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島(代表撮影・共同)



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慰霊のため「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」を訪れ、米兵の敬礼を受けあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=9日、パラオ・ペリリュー島(共同)





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「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」に供花あそばされる天皇、皇后両陛下=9日、パラオ・ペリリュー島(共同)







謹んでお伝えいたします。


戦没者慰霊のためパラオ共和国を行幸啓中の畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては9日午前(日本時間同)、激戦地だったペリリュー島で、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花あそばされ、犠牲者を追悼された。両陛下におかせられましては、日本から持ってこられた白菊の花を碑に供えあそばされ、深々と拝礼あそばされた。続いて、日本軍約1200人が犠牲になったアンガウル島に向かっても頭を下げられた。碑のそばで出迎えた同島などでの戦いの生還者の元日本兵らとも面会し、改めて苦労をねぎらわれました。

また日本を遠く離れた島での激烈な戦いで仲間をほとんど失い、重い戦後を生きた生還者の元日本兵2人が、万感の思いで立ち会った。
 「英霊たちが陛下に出会えて喜ぶことがとてもうれしい」。約1万人がほぼ全滅したペリリュー島守備隊で生き残った34人のなかの一人、土田喜代一(きよかず)さん(95)は、戦友の御霊(みたま)が陛下と邂逅(かいこう)する場に立ち会いたいと、車いすの老身を押して島に来られた。
「1万の英霊たちが喜ぶ姿がはっきりと見える」。土田さんはつぶやいた。
 「戦友に陛下のお声を聞かせたい」。西太平洋戦没者の碑から島影が見えるアンガウル島で戦った倉田洋二さん(88)は、島で散った陸軍宇都宮歩兵第五十九連隊第一大隊約1200人の仲間の名簿を手に、両陛下をお迎えした。
「生き残ってしまった」との思いは消えず、靖国神社にはなかなか足を運べないという。戦後はパラオに残した戦友の慰霊碑維持に尽力された。
筆者は多くの方々に説いています。我々の先人、大正生まれの人たちは、現在の我々の世代の人間と違い、他人のために生きた世代だと。家族や同胞を守るために戦い、戦後はコツコツと、黙々と働き続けて日本を復興させ、高度経済成長を成し遂げられた。そんな先輩方を貶めて、先人が歩んだ歴史を軽んじてきた。その結果、国にも先人にも誇りを抱けず、自分のためだけに生きる人間ばかりになってしまったのが今日のわが国の姿ではないでしょうか?。しかも、権利ばかりを主張し、安易に癒やしを求める人たちばかりが目立ちます。

両陛下のパラオ慰霊の旅によって、南の海で亡くなった護国の神々にとって無念は和らいだことと筆者は思います。
魂は靖国にあれど、その遺骨は未だ祖国の土に還ることなく、戦地で迎えを待ちわびておられることでしょう。一日千秋の思いで・・・・
筆者は思うのです、偉大なる大正世代の方々が、戦争に敗れた後もひたすら働き続け、20世紀の奇跡といわれる高度経済成長を成し遂げ大国となった。そして今、辞世されようとしている。彼らの生き様、こころを継承すれば、日本はいつでも復活できると信じています。

大正世代の方々がどんな思いで戦地に赴き戦ったか、彼らは何を後世に遺そうとしたのか。日本人は昔も今も、他人のために尽くすことを厭わない民族は何ら変わっていません。我々後世の「やまとなでしこ」は、世代を超えて語り継ぎ、顕彰せねばならない「歴史」があります。
大東亜戦争を戦った大正世代の矜持を継承せねばなりません。
人間だから忘れることもあります。忘れたものは思い出せばすみますが、捨ててしまったものは二度と取り戻せません。取り返しがつかなくなる前に、忘れかけているものをもう一度、引っ張り出してみることが必要ではないかと思います。陛下はそれを我々に示し、諭されておられます。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)

両陛下、パラオ行幸啓

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パラオ国際空港に到着あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=8日午後4時53分(代表撮影)






謹んでお伝えいたします。


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては8日、戦後70年の節目に戦没者を慰霊あそばされるため、羽田発の民間チャーター機でパラオ共和国に入られた。
畏くも天皇陛下におかせられましては、パラオ共和国主催の晩餐会で答辞を述べられた。

以下全文

戦後七十年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度の御招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領御夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領御夫妻がここパラオ国を御訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。

 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、御遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから二十年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を挙げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人の御健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。






畏くも天皇陛下におかせられましては、玉体が思わしくない状況であられますが、慰霊の旅に出向かれた。大東亜戦争において斃れた戦没者の慰霊、鎮魂、世界万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、大御心に、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえません。
今日のわが国は、先達の努力と多くの犠牲のうえに繁栄を享受しております。しかし、その先達を忘却の彼方にあるか如しが今日のわが国の状況ではありませんか?パラオは当時国連より委任統治下にあったいわばわが国の領土でもあったのです。植民地ではありません。パラオは、あくまで国連からの正式な委任によって、日本が統治したものであり、その日本は、パラオから収奪するどころか、教育、文化、行政、法制度、都市インフラにいたる、あらゆるものを与えました。今日もわが国の良好な関係が続く親日国であることがその証左です。しかし、多くの日本国民はそのことを知りません。事あるごとに陛下は我々国民に「慰霊」の大切さ、「歴史」を知ることの大切さを我々国民に示しておられるのです。
すべての日本人が、天皇陛下の大御心の下(もと)に結集する時、敷島の國は息を吹き返し、世界に冠たる道義国家として復活すると願ってやまないのです。

ご公務ご多忙の天皇・皇后両陛下・ご皇族の皆様がお健やかであられることを臣民のひとりとしてお祈りします。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)

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昭和57年に「ペリリュー神社」が再建されました。ご祭神は「天照大神」と「戦死者一万余名の護国の英霊」です。


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「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」 
米大平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ
 
Tourists from every country who visit this isand should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. 
 
この詩は、戦終ればかつて敵であった日本軍人の愛国心を、この島を訪れる旅人にその勇戦ぶりを伝えてくれと、日本兵戦死者に代って願っているのです。
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東日本大震災の復興状況視察のため宮城県岩沼市の「千年希望の丘」に行幸啓あそばされ、慰霊碑にご供花あそばされる天皇皇后両陛下 御尊影=13日午後、宮城県岩沼市(早坂洋祐撮影)



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東日本大震災の復興状況視察のため宮城県岩沼市の「千年希望の丘」に行幸啓あそばされ、慰霊碑にご供花あそばされる天皇皇后両陛下 御尊影=13日午後、宮城県岩沼市(早坂洋祐撮影)





国歌「君が代」



謹んでお伝えいたします。


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては13日、国連防災世界会議の開会式への御親覧と東日本大震災の復興状況をご覧あそばされるため、羽田発の特別機で宮城県に入られ、震災で津波被害を受けた岩沼市沿岸部に造成された「千年希望の丘」で慰霊碑に供花あそばされた。震災後の同県ご訪問は4回目。

慰霊碑は震災時の津波と同じ8メートルの高さに建てられ、市民や警察官、市職員ら155人の犠牲者の名前が刻まれている。両陛下は冷たい雨が降る中、コートを身につけず、碑の前で傘を外して拝礼あそばされ、白菊をていねいに手向けて鎮魂の祈りをささげあそばされた。
14日は仙台市で国連防災世界会議の開会式御親覧、東松島市で復興した農業生産法人によるイチゴ栽培をご覧に。
15日には石巻市で被災から約4カ月後に操業再開したかまぼこ工場をご覧あそばされ、同日夕に還幸啓あそばされる。

畏くも陛下は一昨日四周年の追悼式典におかれまして、被災地への思いを「依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。」と叡慮を述べられ、我々国民にお示しになられた。
震災直後に始めた節電でのご生活を今も心がけておられ、ご公務を電力消費が激しい宮殿からお住まいの御所に変更して行われることも。国民とともに苦難を受け止められておられます。

有り難くて言葉が見つかりません。
被災地の復興を願われ、大東亜戦争の戦没者の慰霊、鎮魂、万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえません。
すべての日本人が、天皇陛下の大御心の下(もと)に結集する時、敷島の國は息を吹き返し、世界に冠たる道義国家として復活すると願ってやまないのです。

ご公務ご多忙の天皇・皇后両陛下・ご皇族の皆様がお健やかであられることを臣民のひとりとしてお祈りします。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)

参考文献 産経ニュースより



両陛下、広島行幸啓





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平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=4日午前、広島市中区(森田達也撮影)産経ニュースより




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平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=4日午前、広島市中区(森田達也撮影)産経ニュースより




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豪雨の被災地に行幸啓あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=3日午後、広島市安佐南区八木(森田達也撮影)







君が代




謹んでお伝えいたします。


畏くも広島県行幸啓中の天皇、皇后両陛下におかせられましては、4日午前、広島市中区の平和記念公園を訪れ、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に供花して拝礼された。同碑でのご供花は平成8年10月以来、18年ぶり。今年は戦後70年を前に、沖縄、長崎に行幸啓あそばされ、宮内庁によると、広島での慰霊も強く希望あそばされ今回の行幸啓となりました。
また昨日3日には、8月の土砂災害で74人が亡くなった広島市、52人が犠牲になった同市安佐南区八木地区の被災現場をご覧になられ、被災者らにいたわりの言葉をかけられた。




わが国の国土を襲う大自然の驚異。
亡くなる同胞。
そしてその地に行幸啓あそばされ、犠牲になられた「御霊」に慰霊を、遺族に激励を、被害者救出に奔走した方々に労いをあそばされる両陛下。
選挙期間中不適切ですが、両陛下の大御心にふれると、下らない政治家などどうでもいい、わが国には天皇陛下がおられるから被災地の被災者、国民は生きる希望を見いだし、頑張れるのだと痛感いたします。

ご公務ご多忙の天皇・皇后両陛下・ご皇族の皆様がお健やかであられることを臣民のひとりとしてお祈りします。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)





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大神神社に到着あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=17日午前、奈良県桜井市(画像は産経ニュースより)



君が代









謹んでお伝えいたします。


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては17日午前、桜井市の大神(おおみわ)神社を御親拝あそばされた。宮内庁によると、両陛下は拝殿で玉串をささげ、静かに拝礼されたという。
 宮内庁によると、両陛下の同神社ご訪問は、昭和45年以来。皇后陛下は今年10月、地久節のお誕生日の文書回答で、同神社で毎年行われる疫病除けの祭事「鎮花祭(はなしずめのまつり)」に心を引かれたことを打ち明けられている。



三輪山(大神神社HPより)

古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。
山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。


昭和59年10月13日の、昭和天皇陛下ご親拝を記念し、また御在位60年を奉祝して建立され、昭和61年5月28日に竣功しました。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇る、日本一の大鳥居です。材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1、300年と言われています。


畏くも両陛下が御親拝あそばされた、奈良県桜井市にある『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。大和国で中世には延喜式内社・二十二社の中七社のひとつとされました。旧社格は官幣大社。
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。
神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀し、祀られています。
大神神社の由緒によれば、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。
それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら)して依り来る神」が あった。その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は、 「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、 「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。その後に、 「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。
つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、これが大神神社ということであります。続いて、同じ『古事記』中巻の 神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」であることが記されます。

また『日本書紀』には、同じ内容が書かれ、大国主神の別名である大己貴神(おおなむちのかみ) が、協力者の少彦名神(すくなひこなのかみ)がなくなられたので、嘆き悲しんでいるところへ、 海を照らしてやって来た神があり、この神は、大己貴神の「幸魂(さきみたま)・奇魂 (くしみたま)」であると言い、「日本国(やまと)の三諸山(みもろやま)に住みたい」と答える。 そして「この神が大三輪の神である」と記しています。
続いて『日本書紀』の崇神天皇8年に、大田田根子(おおたたねこ)が三輪君族の始祖であり、 三輪の神が大物主神であることが示されています。
大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(大田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。

摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっています。
元伊勢とは、
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。
伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神ですが、崇神天皇の御代までは大君(天皇陛下)と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり宮城内に祭祀されていましたが、その状態を畏怖した崇神天皇が皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)にその神霊を託して倭国笠縫邑(わこくかさぬいむら、かさぬいのむら)に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とされ、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地の伊勢に遷座したと伝わっています。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されていますが投稿文字数に限りがありますのでまたの機会にご紹介したい。

大神神社は三輪山そのものを御神体としていることは上記にも述べましたが、山中には、苔むした神の憑依(よりしろ)である磐座(いわくら)が各所に厳存し、山頂には奥津磐座(おきついわくら)、中腹付近には中津磐座(なかついわくら)、山麓付近には辺津磐座(へついわくら)があります。

神宿る山ゆえに、早い時代からみだりに足を踏み入れることの出来ない禁足(きんそく)の山となり、江戸時代には幕府より厳しい制札が設けられ、神社の山札がないと入山することは出来ませんでした。

明治以降は、この伝統に基づいて、「入山者の心得」が定められ、現在ではこの規則を遵守すれば登拝(とはい)することが出来ます。
狭井神社(さいじんじゃ)で、申し込みを行い、許可を得て、「三輪山登拝証」と書かれたタスキをかけ、お祓いをすませてから、登拝します。
道中このたすきを外すことは禁止されている。行程は上り下り約4kmで、通例2時間ほどで下山できるが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められています。また山中では、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止され、下山以降も山中での情報を他人に話す事を慎むのがマナーでもある。午後4時までに下山しないといけないため、午後2時以降は入山が許可されない場合があります。
入山せずに参拝する際には、大神神社の拝殿から三輪山を仰ぎ拝みます。
下記の画像は大神神社HPのものをお借りしました。


狭井神社入山登拝口 




磐座(山の神) 



最近は、特に入山登拝の人たちが多く、登拝道に沿って、磐座(いわくら)を熱心に拝む姿が見られ、太古よりの信仰が今に生きています。
磐座とは、神の御座所(おましどころ) を意味します。
三輪山麓には聖水思想が古代から存在したことが指摘されており、。纏向遺跡尾崎花地区の井泉と家ツラの導水施設は、古典で言う井水を浄化して聖水とする為の施設であると推測し、「三輪の磐井」と呼ばれる井泉があり、大泊瀬皇子(後の雄略天皇)と「三輪の磐井」のほとりで戦った御馬皇子が、「この水は、百姓のみ唯飲むこと得む。王者は独り飲むこと能(あた)はじ」(『日本書紀』雄略天皇即位前紀)と呪詛したことを挙げ、5世紀頃の三輪山麓に聖水思想があったことが証明されています。



大神神社詳細(大神神社HPより)




三ツ鳥居(みつとりい)は、鳥居の様式の1つである。三輪鳥居(みわとりい)ともいいます。

明神型鳥居を三つ組み合わせた、一名「三輪鳥居(みわとりい)」とも言われる独特の鳥居で、いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明ですが、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです。
左右には、長さ16間の瑞垣(みずがき)が設けられ、ご祭神とゆかり深い動物、花鳥など、すぐれた木彫りの欄間が、はめ込まれています。三ツ鳥居、瑞垣ともに重要文化財に指定されています。



四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。

人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはならないでしょう。

両陛下の御親拝は、大自然をご神体とする三輪山をはじめとする神々への、畏れと畏怖を忘れかけている現世の日本人にご教授いただいているように筆者は思うのです。

両陛下は午後には奈良市の県立美術館で古事記の特別展を鑑賞するなどされ、同日夜に宮城へ還幸啓あそばされた。

皇紀2674年11月17日(月)
(宮内庁発表分)
【午前】
 両陛下 大神神社ご参拝、展示ご覧(奈良県桜井市)
【午後】
両陛下 昼食会ご主催《県知事、県議会議長、天理市長、市議会議長および警衛関係者》(天理市・市文化センター)
両陛下 特別展「大古事記展」ご覧(奈良市・県立美術館)
両陛下 県知事、県議会議長、県警察本部長からあいさつ、少時ご歓談(同)
両陛下 奈良県から臨時専用列車にて京都府経由でご帰京

ご公務ご多忙の天皇・皇后両陛下・ご皇族の皆様がお健やかであられることを臣民のひとりとしてお祈りします。

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