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平和祈念公園内にある、国立沖縄戦没者墓苑へ供花あそばされる天皇皇后両陛下 御尊影=26日午後3時11分、沖縄県糸満市・平和祈念公園 平和祈念公園内にある、国立沖縄戦没者墓苑へ供花あそばされる天皇皇后両陛下 御尊影=26日午後3時11分、沖縄県糸満市・平和祈念公園
国立沖縄戦没者墓苑を訪れ、献花に向かわれる天皇、皇后両陛下 御尊影=26日午後、沖縄県糸満市 君が代
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては26日、戦時中の昭和19年に米軍によって心ならずも撃沈され、学童約780人を含む約1500人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の悲劇から今年8月で70年となるのを機に、犠牲者慰霊のため特別機で沖縄県入りし、国立沖縄戦没者墓苑(糸満市)で供花、拝礼あそばされた。
27日に対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜(こざくら)の塔」(那覇市)、撃沈の悲劇を伝える「対馬丸記念館」(同)を初めて訪れあそばされ、遺族、生存者と引見あそばされる。両陛下の沖縄ご訪問は即位後5回目で、皇太子・同妃時代を含めると10回目。
両陛下におかせられましては26日、沖縄平和祈念堂(糸満市)で拝礼したのに続き、近くの国立沖縄戦没者墓苑に。約18万5千人の遺骨が納められた納骨堂の前で白菊の花を供え、拝礼あそばされた。畏くも陛下は、出迎えた沖縄県遺族連合会の島袋秀子副会長(89)に「遺族のために尽くされてご苦労さま」とねぎらわれ、皇后陛下におかれましても「お参りさせていただきますね」と声をかけられた。沖縄から長崎へ向かっていた対馬丸は19年8月22日、鹿児島県悪石(あくせき)島付近で米潜水艦の魚雷を受けて撃沈された。犠牲となった学童は、疎開経験のある両陛下と同世代であり、「戦争を身近にお感じになった出来事の一つ」(側近)として、訪問は以前からの強いご希望であられた。
27日は「小桜の塔」で献花、拝礼後、近くの「対馬丸記念館」で遺族、生存者らを引見あそばされ、話を聞かれる。同日夕に還幸啓あそばされる。
大君は 神にしませば 天雲あまくもの 雷の上に 盧いほらせるかも
万葉集 巻3−2235 柿本人麻呂
両陛下に神を見る・・・そう感じるのは筆者だけでしょうか?
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい) |
皇室
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両陛下26日から沖縄ご訪問 撃沈70年「対馬丸」へ心寄せ 生存者・遺族とご面会へ天皇、皇后両陛下は26、27日、沖縄県を訪問される。先の大戦で沖縄から長崎へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」が撃沈され、学童約780人を含む約1500人が犠牲になってから今年8月で70年。この悲劇に長年にわたって心を寄せてきた両陛下は、「対馬丸記念館」(那覇市)などを初めてご訪問。生存者や遺族と面会、追悼の気持ちを改めて示される。
対馬丸は昭和19年8月22日、鹿児島県悪石(あくせき)島付近で米潜水艦から魚雷を受けて撃沈された。犠牲となった学童は両陛下と同世代であり、「沖縄の戦没者とともに、対馬丸犠牲者のことはいつもお気持ちの中にあった」(側近)という。
53年ぶりに海底で対馬丸の姿が確認された平成9年には、陛下は、「對馬丸見出ださる」と題して「疎開児の命いだきて沈みたる船深海(しんかい)に見出だされけり」とのお歌を詠まれている。
皇后さまも戦後60年の17年、71歳の誕生日に際しての文書で「対馬丸の撃沈で亡くなった沖縄の学童疎開の児童たちも、無事であったなら、今は古希を迎えた頃でしょう。遺族にとり、長く、重い年月であったと思います」と気持ちを記されている。
「やっとおいでいただける」。こう語るのは、対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会の高良政勝(たから・まさかつ)理事長(74)だ。4歳のとき家族11人で乗船し、両親ときょうだい計9人を失った。
両陛下が24年11月に沖縄を訪問された際、宿泊先のホテルで面会の機会があった。皇后さまに「記念館はすぐ近くです」と申し上げると、皇后さまが先を歩まれていた陛下に、「すぐ近くですって」と声を掛けられ、陛下は静かにうなずかれたという。
「沖縄の人たちに寄り添っていきたいという両陛下のお気持ちを感じた」と振り返る高良さん。「ご訪問は、遺族、生存者、ひいては沖縄県民、国民にとって一つの区切りになる」と心待ちにしている。
(引用、産経新聞)
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
大田中将の最後の打電は先帝陛下、今上陛下に届いています。
ありがとうごいざいます。両陛下・・・・
肇国以来、「常に汝臣民と共にあり」を継承されてこられた畏くも天皇陛下。筆者は陛下の叡慮に幾度となく涙しました。
「陛下の臣民として、日本に生まれれてよかった」と・・・・・・・・・ 皇室は神代の昔より、御神勅を伝え、継承・体現あそばされておられる。 変わってしまったのは、戦後の臣民なのだと・・・ 一部の心無い臣民は同胞排斥しあい、時局を乱し、大道を誤り、信義を失い、挙国一家、子孫相伝えず・・・ 先帝陛下が最も戒められたことです。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)
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君が代
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては24日午前、国賓として来日したオバマ米大統領の歓迎行事を宮城(皇居)宮殿東庭おこなわれ、畏くも天皇、皇后両陛下、皇太子殿下が迎えあそばされた。
安倍晋三首相ら三権の長、閣僚らも陪席。両陛下がオバマ大統領と会われるのは平成21年以来、2回目。
国賓での米大統領来日は平成8年のクリントン大統領(当時)以来で18年ぶり。宮内庁によると、単身で来日した国賓は平成に入って12例目。
オバマ大統領は宮殿の表玄関にあたる南車寄に到着し、出迎えられた両陛下と、「再びお会いできてとてもうれしいです」と会釈しながら握手された。ケネディ駐日米大使も陪席。
陸上自衛隊の栄誉礼などの歓迎行事後、両陛下はオバマ大統領と宮殿「竹の間」でご会見。宮内庁によると、陛下が東日本大震災での米国の支援に「特にトモダチ作戦は多くの国民の心に残るものでした」と謝意を示しあそばされ、大統領は「日本と米国は苦しい時にも助け合える関係となっています」などと応じられた。
その後、オバマ米大統領は24日午後、東京都内の日本科学未来館(毛利衛館長)をケネディ駐日大使らと訪問。
オバマ氏は同館で、約30人の高校生と大学生らを相手に短く演説。「皆さんのような若者の指先には新しい技術・力が宿っている。あなた方には限界はない」と語り掛け、気候変動やエネルギー、医療などに関する困難な問題を解決に導いてほしいとエールを送った。 その後、明治神宮を参拝。流鏑馬(やぶさめ)などを見学した。現職の米大統領としては、1979年にカーター氏、83年にレーガン氏、2002年にブッシュ氏が参拝している。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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両陛下 御尊影
謹んでお伝えいたします。
奉祝、両陛下ご成婚55年を言祝ぎ、両陛下がいつまでもお健やかであられることを衷心より祈ります。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては今日、昭和34年の結婚から55周年を迎えあそばされた。陛下は昨年12月に御年80歳になられ、皇后陛下におかせられましても今年10月に傘寿、80歳を迎えられる。
拙ブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、わが国は世界で唯一、神代の時代から連綿と続く皇統を戴いている国家です。他国にも神話から続く王朝を戴く例がいくつかありましたが、今ではすべて途絶えています。わが国の皇統とは、まさに日本民族の「連続性の象徴」であり、日本人は歴史の連続性を基に独特の精神性を有するに至った民族なのです。日本がただ一つの国家だけで固有の文明を形成しているゆえんは、その連続性にこそあるといえるでしょう。
占領軍が日本の国民精神を壊してしまうまでは、祖国のお陰を蒙って生きていることを、皇恩といって感謝し、崇敬しました。
畏くも天皇陛下のお陰で、私たちが毎日生きているのを感謝することを意味していた。
「皇恩」というと、今日の多くの日本人が「民主的ではない」「古い」といって、過去の亡霊のように斥けてしまう風潮があります。東日本大震災後、畏くも天皇皇后両陛下が被災民を真心こめて見舞われた。当時の菅首相が避難所を訪れて、被災者から「もう帰るの?」と詰められたのと、何と大きく違っていたことか。多くの国民が、天皇陛下あっての御国だと心を打たれた。
今日、日本は125代目の天皇を戴いている。そして、古代から「天皇に 私(わたくし)なし」といわれてきたが、125代のなかで贅ぜいに耽ふけられた天皇陛下は、一人としておいでになりません。
日本のご歴代の天皇陛下は大規模な天災に見舞われた後に、第45代の聖武天皇が「朕(ちん)の教化に足らざるところがあった」、第51代の平城天皇が「朕の真心が天に通じず天災を招いたが、この災いについて考えると、責任は朕一人にある」、第56代の清和天皇が「朕の不明を恥じ、恐れるばかり」といって、 詔(みことのり)のなかで自分の不徳を責めている。多くの天皇が災いを自分に帰している詔を発せられた。
畏くも今上陛下におかれましても、常に被災地、被災された方々に思いをよせられておられることは多くの国民が知るところです。
陛下が君臨あそばされる日本は過去、現代においても世界でも希にみる美し国であります。
日本人は何事においても、人が見ていなくても手抜きせず、正直であり、国民の末端まで物事を正確にこなす国民性があります。
日本のどこを訪ねてもインフラの整備はもとより、人々の規律さえも整っているのです。
道路や繁華街にはゴミ一つ落ちていず、他国にある貧民街もなく、他国で見られる自動車のクラクションの騒々しさもなく、路線バスやその他の交通機関もほぼ時間の狂いもなく運行しています。
世界各国が注目する新幹線も開業以来死亡事故がありません。また数人の僻地の児童、生徒の為に分校などを置き続け、何人であっても身体に異常を認めれば救急車は病人を病院に届ける、読み書きソロバンは多くの国民に浸透し、何より素晴らしいのは社会の為に働けることを見いだしていることです。
日本人という国民性は世界に比肩なきものであると筆者は常に思うのです。
これらの素晴らしい民族性は、往古の昔より日本人は「清き明き心」を大切にしてきました。
これの伝統を歴代の皇室とその伝統を紡いできたのが我々の先人、先祖であります。
畏くも天皇陛下はにあらせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。 天皇陛下はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。
民とともにある天皇陛下はいつの時代も、國家の栄光ばかりではなく、苦悩のただ中におられます。
戦後最大の國難ともいわれる東日本大震災。
今上陛下の御心を深く痛めておられます。
「天皇陛下に私なし」といわれますが、天皇陛下はひたすらすべての民のために祈られます。 「公正無私」を第一義とされるのが天皇陛下です。天皇陛下にとっては右翼も左翼もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての天皇陛下なのです。「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのが天皇陛下なのです。
今日なお多様で多面的な國家、民族、社会の中心に位置し、「国平らかに、民安かれ」と日々、祈り続けておられる天皇陛下の価値というものを私たちが失わないかぎり、日本人が民族の英知を失わないかぎり、天皇陛下と國家は、國民とともに、未来永劫に発展していくことでしょう。
そして、臣民として唱えられずにいられません。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳! |
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君が代
昭憲皇太后崩御式年を前に両陛下ご親謁
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、2日午前、明治大帝の皇后陛下、昭憲皇太后の崩御から11日で100年の式年あたるのを前に、明治神宮でご親謁あそばされた。モーニング姿の陛下は神職の先導を受けて本殿に向かわれ、玉串をささげて拝礼あそばされた。続いて皇后陛下がご拝礼。皇太子殿下も拝礼あそばされた。
昭憲皇太后陛下 御真影 冒頭にも前述していますが、明治の国母、昭憲皇太后陛下は大正3年4月11日、明治天皇陛下のみあとを追われるごとく崩御されて今年が式年の百年にあたります。
昭憲皇太后陛下は、明治天皇陛下の皇后陛下であらせられました。
昭憲皇太后陛下は、(嘉永2年4月17日(新暦5月9日))従一位左大臣一条忠香の三女にご生誕あそばされ、諱は勝子(まさこ)。通称は富貴君(ふきぎみ)、富美君(ふみぎみ)寿栄君(すえぎみ)(明治元年)12月26日、美子(はるこ)と改名あそばされ、2月9日、入内して女御の宣下を蒙り、即日皇后に立てられあそばされた。
この際、天皇より3歳年長であることを忌避して、公式には嘉永3年の出生とされた。当初、中世以来の慣行に従って中宮職を付置され、中宮と称されたが、翌年、中宮職が皇后宮職に改められ、称号も皇后宮と改められた。この時を最後に、中宮職は廃止され、我国最初の皇后陛下でもあられます。
昭憲皇太后陛下は、明治天皇陛下とともに、わが国民の道徳の向上に、大きな感化を与えました。明治天皇陛下には、自己修養に努めていることが伺われる御製が多数あります。昭憲皇太后陛下の御歌は2万7千余首、明治天皇陛下と琴瑟相和(きんしつあいわ)し、歌聖としても仰がれています。
明治天皇陛下は「教育勅語」を発するとともに、和歌の内に人の道を詠み、国民に人としての在り方を諭しあそばされました。
昭憲皇太后陛下もこれに和して、多くの道徳的な歌を詠んで、国民の心の向上を促しあそばされました。
朝ごとに むかふ鏡の くもりなく
あらまほしきは 心なりけり
(大意:毎朝見る鏡が曇りなく、ものを映すように、曇りのない状態でありたいものが、心です)
日に三度 身をかへりみし いにしへの
人のこころに ならひてしがな
(大意:一日に三度、自分を反省したという古人の心を、見習いたいものです)
人ごとの よきもあしきも 心して
きけばわが身の 為とこそなれ
(大意:人の話は良いことも悪いことも、注意して聞かせてもらえば、なんでも自分のためになるものです)
このような御歌で人の道を諭しあそばされた昭憲皇太后陛下は、女子教育の奨励にも力を入れあそばされ、女性教師を養成する東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の設立の際には、多額の手許金を下賜給い、開校式にも行啓あそばされました。そして、次の御歌を下賜あそばされました。
みがかずば 玉も鏡も 何かせむ
まなびの道も かくこそありけれ
(大意:宝玉も鏡も磨かなければ、何の値も出てきません。学業の道も同じことで、自分を磨く努力が大切です)
この歌は、同学の校歌となっています。また、戦前、唱歌として広く歌われた「金剛石・水は器」は、昭憲皇太后陛下が自ら作詩し、華族女学校(女子学習院)に下賜あそばされました。
◆金剛石 金剛石も みがかずば 珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ まことの徳は あらはるれ
時計のはりの たえまなく めぐるがごとく 時のまの
日かげをしみて 励みなば いかなるわざか ならざらむ
(大意:ダイヤモンドも磨かなければ、宝石としての光は出てきません。人もまた、学問をしてこそ、真の徳が表れてくるのです。時計の針が絶え間なく回るように、時を惜しんで励むならば、どんなことでも成し遂げられないことがあるでしょうか)
◆水は器 水はうつはに したがひて そのさまざまに なりぬなり
人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり
おのれにまさる よき友を えらびもとめて もろともに
こころの駒に むちうちて まなびの道に すすめかし
(大意:水は器の形に従って、さまざまな形に変わります。それと同様に、人は交際する友人によって、良いようにも悪いようにも影響を受けるものです。ですから、自分より優れた、良い友を選び求めて、その友と一緒に、自分の心にむち打って、学びの道に進んでいきましょう)
昭憲皇太后陛下の御歌や唱歌には、人を信じ、愛し、助け合うという心があふれています。こうした精神は「昭憲皇太后基金」とともに、実践され、現在も世界の多くの国々の人々に、博愛の手が差し延べられているのです。
とりわけ日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となり、いまでも世界各国の赤十字助成のために活用され、今日までその恩恵に浴した国は、延べ500ヶ国におよんでいます。
日本赤十字社の名誉総裁は以後、ご歴代の皇后陛下がなされておられます。 戦前の修身教科書には、「第一 皇后陛下」
皇后陛下はおちいさい時からしっそにあらせられ、又下のものをおあはれみになりました。皇太子妃にならせられましてから、ごじしんでかひこをおかひあそばしたり、いくさの時にははうたいをおつくりになって、ぐんじんにたまはったりなさいました。又皇后におなりあそばしてのちも、けういくのことやさんげふのことにお心をとめられ、まづしいものをおあはれみになるなど、ありがたいことがたくさんございます」(第三期尋常小学校修身書 巻三 大正八年)。
上記のように記述されています。
明治37年、明治期最大の国難といえる日露戦争が始まると、その行方に心を砕きあそばされ、自らは包帯を戦場に送ることに専念されました。『教科書が教えない歴史』によると「宮中の一室は包帯製作室と化し夜を徹して包帯作りに精励された」とのことです。
(参考文献、引用 明治神宮HP)
昭憲皇太后陛下 御尊影
また、画像の昭憲皇太后陛下がお召しあそばされたティアラが、ご歴代の皇后陛下にも継承され、皇后陛下へと至っています。
ここにも伝統を重んじ、継承あらせられる皇室の神髄が窺われます。
右より、昭憲皇太后陛下、貞明皇后陛下、香淳皇后陛下、今上皇后陛下 御尊影 明治の国母、昭憲皇太后陛下崩御より100年の式年にあたり、強く逞しかった明治の時代を偲び、失いつつある「日本人のこころ、やまとたましい」を取り戻したいものです。
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならなりません。
筆者は菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。
誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」ありたいものです。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳 |



