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林 建良 著
 
 
 
 
 
 
 
 
4.臓器移植は政府と軍のおいしいビジネス

●新興ビジネスとなった臓器売買


 八〇年代に入ってから、中国ではB小平の開放政策のもとで資本主義や市場経済を取り入れたため、経済が急速に発展してきたことは周知の事実だ。お金に敏感な中国人は、ここである新興ビジネスを編み出した。中国の政府や軍関係者と医療機関が連携して、まさに「金になる木」を生み出したのである。


 どういうビジネスかというと、臓器移植に関する商売である。


 中国では、八〇年代に入ってからさかんに臓器移植がおこなわれるようになった。臓器移植は、まず臓器を必要とする患者がいて、臓器提供を仲介するコーディネーターがいて、臓器提供者がいるという三つの要素からなる。需要があって、仲介者がいて、供給者がいる。需要と供給を仲介するのがコーディネーターであり、この三要素はどのビジネスでも必要不可欠のものである。


 臓器の需要が少なくないことは、日本でも腎臓移植や目の角膜移植、脳死による心臓移植、肺臓移植、肝臓移植、骨髄移植などがさかんにおこなわれていることから、一般的にもかなり知られている。腎臓の場合、日本では透析を受けている患者さんは二五万人もいる。透析の苦しみから抜け出すには腎臓の移植手術を受けるしかない。つまり、腎臓のマーケットは厖大だということになる。


 金に敏感な中国人がこのようなビジネス・チャンスを見逃すはずはない。実際、先にも述べたように八〇年代以降、中国では新しい薬や技術を開発したこともあって、移植するケースがかなり増えて年間一万件以上となり、先進国並みになってきている。


 臓器移植をする場合、最大のネックは提供可能な臓器が少ないという点だ。世界のほとんどの国は、医療として、人道的に臓器の提供をしている。日本でも「ドナー・カード」という制度があり、自分が脳死状態になったら、臓器を提供してもよいという意思表明のカードだ。臓器の提供は、もちろん売買を意味するものではなく、善意にもとづいて、困っている患者さんに臓器を提供するということである。


 中国人には伝統的に「全屍」(チェンスー)という信仰があり、死体は完全でなければならないと考えている。死んだあとでも、体にメスを入れて臓器を提供するなどという発想はない。だから、中国では一般の人が善意で臓器を提供するケースはほとんどない。
 しかし、不思議なことに中国では、前述したように八〇年代に入ってからさかんに臓器移植がおこなわれるようになった。なぜ中国で医療ケースが増えたのかといえば、もちろんそれは臓器の供給が可能となったからにほかならない。では、なぜ可能となったのか?


 誰が、誰の臓器を提供しているのか?


 実は、臓器の提供者は死刑囚だった。そして、臓器移植にからんでいるのは、政府、司法、軍と関係している病院の三者である。


 日本ではほとんど知られていないが、中国は八〇年代、開放政策とともにもう一つの政策を打ち出していた。それは「厳打政策」と呼ばれるものだ。「厳打」、つまり、犯罪者に対して厳しい打撃(厳罰)で臨む政策のことである。この政策のもとで、中国には大量の死刑囚が発生した。


 中国は人治社会であって法治社会ではない。法律は役人次第でどうにでもなる。犯罪者と見なされた場合、とても早い段階で刑が確定したり、死刑と決まった場合も早い段階で処刑されるケースが少なくない。刑が確定してから数日後に執行されることもある。もちろん、数年間拘留されて処刑されることもある。


 中国の死刑囚の数は、先にも述べたように全世界の死刑囚を上回っている。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調査によれば、中国における死刑執行件数は二〇〇四年で三四〇〇人にものぼっている。その要因の一つが、死刑囚が臓器提供者と位置づけられているからである。


●臓器売買の実態を暴いた呉宏達レポート


 ここに中国の死刑囚の臓器売買に関するレポートがある。このレポートの英文版は、中国からアメリカに移住した中国人の呉宏達(ハリー・ウー)氏により、二〇〇一年五月に出版されている。中国語版は翌〇二年二月に出版され、台湾でも話題になった。


 呉宏達氏はアメリカに移住したのちも、自分の家族に臓器移植を希望している者がいるとの触れ込みで数度にわたって中国に潜入し、臓器売買の実態を調査してきたという。当時しきりに呉宏達氏に臓器を売り込もうとしていたのは、なんと王誠勇という海南省の検事だったことも明かされていて、レポートには王検事の写真も掲載している。


 このレポートの題名がまたふるっている。『共産党の慈善事業』(Communist Charity)とつけられている。


 呉宏達氏の調査は一九九一年から始まり、翌九二年に米国ワシントンに「労改基金会」を設立、それから精力的に中国による臓器売買問題を提起している。一九九四年には英国のBBCが取り上げて注目を浴びた。


 一九九五年、アメリカのパスポートで中国に入国した際、スパイ容疑で中国当局に逮捕されたもののアメリカ政府の圧力で釈放された。この釈放をきっかけに、中国による臓器売買問題はさらに関心を集め、アメリカの国会でも取り上げられ、数度にわたって公聴会が開かれている。そこで、国会から当時のクリントン大統領に対して中国への申し入れが提案され、そこでクリントンは一九九七年、江沢民国家主席が訪米した際に問題提起している。


 また、ほぼ同時期の一九九七年一〇月一五日、アメリカの全国ネットABCテレビが中国の死刑囚の臓器売買問題を「血生臭い金」(Bloody Money)というタイトルで取り上げ、ゴールデン・アワーの生放送で放映したのだった。


●臓器の注文を受けてから死刑囚を選定する


 呉宏達氏の『共産党の慈善事業』で取り上げられている内容の一部を紹介してみたい。
 まず、中国の臓器売買システムは、病院側がどのような臓器が必要なのかを刑務所に注文するところから始まる。


 中国では祝日の前日に死刑執行する。なぜ祝日の前日なのかというと、中国では八〇年代以前までは公開処刑が一般的で、処刑はお祭り気分で見るものとして定着していた。国民の娯楽の一つであったため、祝日の前日におこなわれるケースが多い。ここにも中国人の国民性が如実に現れているが、中国人にとって他人の苦しみは自分の楽しみなのである。


 次に、刑務所で病院側の注文に見合う死刑囚が選ばれる。なぜ死刑囚の臓器が対象となったのかというと、中国の刑務所には人権問題など存在しないからである。麻薬歴や肝炎あるいはエイズなどのウイルス感染の事前チェックが容易であるし、事前に処刑日を特定できる。また、死刑囚は若くて健康な人間が多いからでもある。


 臓器は新しければ新しいほどよいので、死刑が執行されたらすぐに臓器を取り出すため、刑場には医者が待機している。執行されるや臓器を取り出し、病院へ搬送して移植手術をするというシステムになっている。


「医食同源」の猿の脳味噌を食べるケースで紹介したように、中国人は新鮮なものほどよいと考えているため、死刑執行の前に臓器を取り出すケースもよくあるという。レポートでは、「開放雑誌」(一九九五年八月号)が取り上げた例を紹介している。思想問題で死刑とされた一九歳の女性、黎蓮のケースだ。これは、死刑を執行する前に、医者が待機する車のなかに強引に押し込み、麻酔なしで二つの腎臓を取り出したというのである。


 この残酷かつ残忍な実例を報告しているのが、なんとこの女性から腎臓を取り出した陳Bという成都華西医科大学出身の医師だった。現在、この陳医師は中国を脱出してドイツのハンブルグに住んでいるというが、レポートにはこの医者の実名と顔写真も掲載されている。彼によれば、研修医のとき、翌日に死刑が執行される死刑囚から何度も腎臓を摘出したという。


●臓器移植の手術費用は死体の七〇〇倍!


 では、病院が支払う死体の値段はいくらかというと、おおよそ三〇〇人民元から六〇〇人民元(一人民元=約一五円。四五〇〇円から九〇〇〇円)。一方、中国国内における臓器移植の値段はいくらかというと、一二万人民元から一五万人民元(一八〇万円から二二五万円)だそうである。外国人の場合はそれが倍近くにはねあがり、三万ドルから五万ドル(一ドル=一一〇円。三三〇万円から五五〇万円)になるという。なんと死体の六〇〇倍から七〇〇倍にもなるのだ。なかには、間に複数のコーディネーターが入った場合は一〇〇〇万円以上かかるケースもあるという。


 外国人患者のなかには日本人も少なくない。中国人コーディネーターの手引きにより、中国に渡って移植手術を受けている。それ以外は東南アジアを中心に、マレーシア、シンガポール、香港、台湾などからの患者が多くいるという。


私は栃木県の片田舎で医療に従事しているが、糖尿病を専門とする私のところには糖尿病腎症によって腎不全になり、人工透析を余儀なくされている患者も少なからずいる。そのうちの一人が「臓器移植を中国で受けたい。紹介してくれないか」と頼んできたことがある。なぜ中国なのかと訊くと、「すぐに移植できるし、若くて健康的な腎臓だと聞いている」と言うのである。


 中国の臓器移植(臓器売買)ビジネスがついに日本の田舎まで浸透してきたのだとつくづく感じた。


●軍と政府が関与する巨大ビジネス


 実は、この臓器移植には最初から最後まで中国政府が深くからんでいる。中国司法部(法務省に相当)から一九八一(昭和五六)年六月一三日付で出された公文書に「死刑囚の臓器摘出に関する注意事項」(八一司法普一六三号)があり、そのなかで「秘密を厳守せよ」と明記されている。また「医者が車を使う場合は、医療機関のマークを隠すこと」という事項も入っているし、「摘出した死体は速やかに処理するため火葬に付すこと」とも指示しているのである。


 また、実際、移植手術をおこなっている中国の病院のほとんどが人民解放軍や政府機関の病院、あるいは関係病院である。私の手元にはその医療機関のリストがあり、「北京友誼医院」から「人民解放軍第一四八医院」まで、ほぼ中国全土を網羅する一九地域、七〇カ所にものぼっている。その地域と病院数を次ページに掲載する。


 つまり、移植というビジネスは、中国の司法部の官僚や病院関係者にとっては非常に大きな財源となっていることがよくわかるのである。
引用ここまで
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、この章は分割します。
 
何にせよシナという国、民族は理解し難い国であることだけは間違いなさそうです。
 
 
 
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林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(二) より続きます。


3.「愛国という中国人の仮面」


■ 「愛国無罪」と「抗日有理」の本当の意味


日本人は「中国人は愛国心が強い」というイメージを抱いているように見受けられる。しかし、これは中国人に対するイメージの中でもっとも事実と異なり、むしろ錯覚と言っても過言ではない。


これは無理もない話で、例えば二〇〇五年四月に起こった反日デモや靖国神社や尖閣に反対するデモなどの映像は、中国人のヒステリックとさえいえる反応を映し出し、それが国を強く愛している民族だというイメージを日本人に焼き付けているからだと思われる。


現在、日本にはマスコミで活躍している約百五十名の中国人学者がおり、彼らは文章力に長け、宣伝力にも優れている。その中の十名ほどはコメンテーターとしてよくテレビにも出ている。特に中国にかかわる事件が発生すると、中国の宣伝機関に成り下がった感のあるNHKは中国人学者にすぐコメントを求める。


もちろん中国人学者は、ほぼ異口同音に中国人の愛国心を強調する。どうしてそうなるかというと、百五十名の中国人学者はすべて中国大使館の監視下にあるからに他ならない。彼らは定期的に大使館と連絡を取らなければならない立場にあり、従って彼らの発言は統制された言論活動といってよい。


では、中国国内には国民自らの意思で行う庶民レベルの反日デモはあるのだろうか。当時、ユーゴスラビアの中国大使館に対するアメリカの誤爆事件があって、アメリカ大使館にも激しい反米デモが行われた。一般的には庶民が自らの意思で行っている愛国行動と受け取られたようだが、果たしてそうなのだろうか。


これは、二〇〇五年四月の反日デモの際の一枚のプラカードを見れば分かる。プラカードには「愛国無罪」とあり、「抗日有理」とあった。「愛国無罪」とは「国を愛することは罪ではない」という意味であり、「抗日有理」とは「日本に反抗することは道理にかなっている」という意味である。


かつて中国では「愛国無罪」「造反有理」というスローガンが叫ばれた時期があった。造反(反逆)することは道理にかなっていると、次々と貴重な文化財を破壊し、権力の地位にある者を引きずりおろした。文化大革命のときである。

中国でのデモ活動は、実は庶民の娯楽になっている。なぜなら、言論の自由がない中国で唯一許されているのは「愛国」や「反日」に関してであり、デモは庶民にとっては日頃の鬱憤を晴らす絶好の機会として、愛国心の名の下であらゆる破壊活動をしているのが実態だからである。中国人の愛国心とは所詮この程度のものなのである。

なぜそう言えるのかというと、中国人の本質は自己中心的な民族であって、自分がいちばん大切なのである。その次が家族であり、そのまた次は宗族(信仰や血縁で束ねる部落)であって、それ以外の人間や組織は眼中にない。中国人にとって、自分の利益にならないことは大切だとは考えない。それ故、中国人の国民性からすれば、日本人がイメージする「お国のために」といような、愛国心に基づいた行動をとることはあり得ない話なのである。


■ エリート中国人学者の告白


私が一九八七年に日本に来たときにはまだ中国の開放政策ははじまったばかりで、外国に出られる中国人はごくわずかだった。留学という形で国外に出られるというのは、特権階級の子弟かエリート中のエリートに限られていた。


私は留学先の東大でいろいろな中国人に会い、彼らを家に招待して食事をしたこともある。そのときにもっとも多かったのは「どうしたら長く日本に留まることができるのか」もしくは「どうしたら中国に帰らないですむのか」という質問だった。


当時、非常に印象的だったのは、中国の武漢大学で講師をつとめていて東大に留学してきた朱さんの言葉である。すでに大学で教えているエリートの彼が、真剣な眼差しで「日本に残ることができるなら、皿洗いでも何でもして残りたい。そうすれば中国にいる家族をすぐに呼び寄せ、日本で暮らしたい」と訴えるように言った一言ことだった。


中国のエリート階級がこのような考え方をしているのであるから、一般の人々はなおさらである。つまり、中国の知識人から一般庶民に至るまで、人生最大の目標のひとつは国を出ることなのだ。国を捨てることなのである。中国人にとって、中国というところはほとんど未来のない居場所で、とにかく中国を捨てて出たいのである。これこそ中国人の真実であろう。


■ 嫌っているはずの日本の国籍を取る中国人


中国社会科学院の統計によれば、外国に出て行った中国人がどれくらい帰国しているのかというと、せいぜい二割で、八割の人間が帰国していない。だから、中国人は愛国心が強いというのは真っ赤なウソであるといってよい。


中国でアンケート調査をすると、どんなアンケートでも一番嫌っている国は日本と答える。しかし、日本では年間約一万人の外国人が日本国籍を取得しているが、実はその半数が中国人なのである。すべての外国人の中で、率先して日本人になろうとしているのが、日本を一番嫌っている中国人なのである。


しかし、この五千人というのは小さな数字だ。二十年ほど前、中曽根首相が十万人留学生計画を打ち出したが、今や中国からだけで十万人近い留学生が来日し、それよりはるかに多い密入国者が日本に入り込んでいる。彼らが犯罪の請負人になることも少なくない。未だ記憶に新しいのは、九州博多での殺人事件だ。ある中国人留学生がわずか数万円で一家四人を惨殺した事件だった。


中国人は日本にばかり来ているわけではない。中国と国境を接するロシアのシベリアにはすでに数百万人の中国人が流れ込んでいる。しかも、年間五十万人ずつ増えているという。生活環境が厳しいにもかかわらず、中国から脱出しているのである。


また、南米にもすでに一千万人以上の中国人が住みついていると言われている。南米は中国とは縁もゆかりもなく、文化もまるで違うにもかかわらず、それほど多くの中国人が中国を脱出しているのである。


■ 政府に操作される愛国心


私は栃木県に住んでいるが、ある日、近くのレストランに餃子を食べに行ったときのことである。その店のオーナーは中国人のお嫁さんをもらっていた。その店で手伝っていたのは奥さんの姪御さんだった。中国語で奥さんと雑談をしていると、突然、その姪御さんの旦那さんを探してくれないかという。初めて入った店で、初めて会って、単に言葉が通じるというだけでとんでもない依頼をされてしまった。


取りあえず私は「そういうことはよく分からないが、どんな条件の人がいいのか」と聞き返すと、その姪御さんは「条件などない。結婚して、日本に残れればいい」という返答だった。試しに「年をとっていてもいいのか」と聞いてみると、「どんなに年をとっていてもいい。日本に留まりたい」と真顔で訴えるのである。


つまり、結婚相手は誰でもいいから、日本に残るために結婚したいということだった。このような栃木県の片田舎の町にまで中国人が生活していて、ここに残ろうと必死になっている姿にある意味で新鮮な感じを受けたが、それ以上に、彼女たちに祖国への愛国心のかけらもないことに驚かされた。


中国人が国を捨てたいと考えているのは、先のロシアや南米の例でも明らかだが、中国人の高官はほぼ全員、子供を外国に送り出し、その中の大半は外国の国籍を取っている。中国人は外国に出たら絶対帰国しないということではないが、外国で国籍を取得したり永住権を取得した後で帰っている。つまり、いつでも中国から出られるという保障があってこそ、中国に帰ってくるのである。彼らが帰国する本当の目的は、勝手知ったる中国で商売することであって、国を愛して、国のために働くという意識からではさらさらない。


中国人の愛国心というのは、中国政府によって操作されているひとつの宣伝であり、もしくは中国人の大衆的娯楽にすぎず、中国人が国を愛することなどあり得ないと言ってよい。中国人の愛国はあくまでも仮面にすぎないのである。
(引用ここまで)


日本はシナと国交を回復して以来、あらゆる面でシナを支援しつづけてきました。援助すれば日本の誠意が通じると期待したが、その当ては大きく外れ、シナは反日政策をさらに強めている。日本人はいつになったら気がつくのか。シナ人は話して分かる相手ではない。日本の常識が全く通用しない国なのです。


次回に続く・・・



林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(一) より続きます。


2、中国人の恐ろしい「医食同源」信仰

■ 中国人が猿の脳味噌を食べるのに理由がある


中国の料理がおいしいというのは、今やほぼ世界共通の評価になっている。とことんおいしい料理を追及するという面もさることながら、中国の食文化にはもうひとつの思想が入っていて、その中に中国人独特の哲学がある。それはなにかというと、「医食同源」という考え方である。


この「医食同源」という言葉は日本でも以前から使われていて、プラスの価値観を伴って使われている。しかし、日本で使われる「医食同源」と、中国で使われている「医食同源」とはまったく違った考えに基づいている。


日本人は栄養学的な観点から「医食同源」を考えている。口から入れるものは体にとって大切なもので、病気も、食べるものによって引き起こされたり、治すこともできると考えられている。つまり、病気を治すのも食事をするのも本質は同じで、生命を養う栄養学的な面から医食同源を捉えている。しかし、中国人が考えている医食同源とは、日本人が考えていることと次元が違うのである。


私も台湾の医学部時代、中国の漢方薬や漢方医学について勉強させられたことがある。というのも、私の出身大学ではこの漢方薬や漢方医学は必修科目であって、どうしても勉強しなければならなかったからである。


私たち学生に漢方について教えていたのは中国からやってきた先生で、彼らが強調する漢方医学の概念は、科学よりも哲学ということだった。この哲学の概念で人を治したり、薬を処方したりする。陰と陽、実と虚の概念を使うが、この薬の組成は金に属するか、土に属するか、水に属するかなど、陰陽五行の概念でものごとを判断する。


これはこれでいいのだが、恐ろしいことに漢方医学には、例えば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓にいい」という考え方が厳然としてある。どうしてもそのようなものが手に入れられなければ、似たような形のものを食べると体にいいと教える。科学的な根拠はないが、中国人は実際そう信じているのである。


そこで、中国の市場をのぞいて見たことのある人にはお分かりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」で、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」である。犬よりも虎が強いという発想からだ。


このような概念に基づけば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよいとされ、また新鮮なものほどよいとされている。例えば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に生きた猿を縛りつけ、頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。


中国人は平気でこのような残酷な食べ方をする。私には猿の脳がおいしいかどうか知る由もないが、単においしいというばかりでなく、脳にいいということで食べているのである。

実は、私も高校のときよく筋緊張性頭痛に悩まされたため、豚の脳を薬として飲まされたことがある。この時は台北のある中国人の漢方医にかかり、ある処方をされた。処方には条件があって、漢方薬は必ず豚の脳と一緒に煎じなければならないというのだ。そのため、高校三年間、週に一回のペースでその豚の脳と漢方薬を服用させられた。頭痛なら豚の脳だという発想に基づいた処方のようだが、今もって苦々しい思い出である。

これが実は、中国人の医食同源の発想なのである。つまり、人間に近ければ近いほど、その臓器に近ければ近いほど、体にいいと考えているのである。だから中国人は、好んで犬や虎のペニスを食べ、猿の脳味噌を食べるのである。


では、究極的な医食同源とはどういうものかといえば、もう読者はお分かりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児を食べたりすることもあるのである。


このように、中国人は体にいいという理由だけで、大自然にあるもの、命のあるものをすべて食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下では、医学よりも科学よりも一つの哲学が大事にされる。中国人の哲学として大事にされる。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。


■ 饅頭を持って処刑場に集まる中国人


中国の漢方医学の中でもっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。


この『本草綱目』では、綱目別に、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部と分けてあり、その下に処方した漢方薬を説明している。

なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。そこでは細かく、人間の髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などが何々に効くということが書いてあり、さらにその処方についても次のようい細かく書いてある。「再三、連年にわたる瘧(おこり、マラリア)、食にむせんで飲み込めないとき。生の人肝一個、もち米を十分に用意し、麝香を少々入れ、陰干しする。人肝の青い半分は瘧を治す。黒い半分は、むせる病を治す」。
生の人肝をどうやって手に入れるのかを考えるだけでぞっとする。しかし、その処方は中国人にしてみれば、四千年間積み重ねた経験による賜物のようだ。

要は、手に入れられるものは何でも使って人の病気を治すということなのだが、しかし、中国人は病気になる前に食べてしまう。だから、これが体にいいと知れば、手に入るものはすべて食べてしまう。それでよく中国人は「四本足で食べないのは机だけ」とも揶揄されるのである。だが、揶揄ではない。これが中国人の本当の姿であり、医食同源の本当の意味なのである。


日本人は「医食同源」は中国の素晴らしい文化だと、中国人を美化しているが、自らの体のためには、人間を含む他の生命を平然と犠牲にする中国人の哲学はいたって恐ろしいものなのである。


この医食同源の概念は中国の医学分野に止まらず、一般庶民の生活にも浸透している。例えば、日本でも有名な魯迅の『薬』の中にも、実は医食同源を表した描写がある。


この作品の中に、公開処刑の場面が出てくる。これは実際に行われた女性革命家、秋瑾の処刑の情景をモデルにしたものだ。作中では、処刑場の周りに人垣ができているが、その人々は手に手にお饅頭を持っている。なぜ人々は処刑場にお饅頭を持っていっているのか。実は処刑された瞬間に血が噴出するが、その血をお饅頭に染み込ませるためである。なぜそんなことをするのかというと、新鮮な人間の血は体にいいという発想があるからだ。


人々には処刑者に対する同情心も恐怖感もない。ただただ自分の体にいいからということで、手に饅頭を持って処刑場に走り、我先にと飛び散る血を待っているのである。この『薬』には、人肉を漢方薬として売っている場面も出てくるのである。


■ 親孝行として人肉を奨励する中国人


また、中国には昔から『二十四孝』という子供の教材がある。二十四の親孝行の例を著した本で、そのひとつに「割股療親」がある。つまり、自分の太腿をえぐって病気の親に食べさせて病気を治すことを親孝行として奨めているのだ。中国ではこのようなことを平気で子供に教えているのである。


さらに、中国の南宋時代の有名な将軍である岳飛がつくった「満江紅」という漢詩がある。この中に「壮志飢餐胡虜肉」、つまり、お腹が空いたら胡人の俘虜の肉を食え、「笑談渇飲匈奴血」、談笑して喉が渇いたら匈奴の血を飲め、というフレーズがある。中国ではこの漢詩に曲を付け、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている。


このように中国では、子供の教育の中でも、人の肉を食えとか人の血を飲めと奨め、親孝行として人肉を食べさせることを、教材として子供たちに教えているのである。


■人間の皮膚から作った化粧品を最高とする中国人


二〇〇五年九月十三日付のイギリスの「ガーディアン」という新聞に、次のような記事が掲載された。中国の化粧品会社が処刑された死刑囚の皮膚を利用して化粧品を開発し、ヨーロッパに向けて輸出しているという内容だった。


これもまさに皮膚なら肌にいいという考え方をする「医食同源」から出た商売で、人間の皮膚から作った化粧品なら最高最善とする考え方に基づいて作られたものだ。このように、死んだ人間の皮膚まで商品化してしまうのが中国人の考え方なのである。


恐らく日本人にはショッキングな内容の記事かと思われる。しかし、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。日本人には見たくないものから目をそむける国民性があり、信じたくないものを信じないようにする傾向があるので、非常にショッキングな記事にもかかわらず報道されなかったのかもしれない。


因みに、中国での死刑数は明らかにされていないが、二〇〇四年に世界で執行された死刑数は約五千五百件であり、その中の少なくとも三千四百件は中国だ。非公開で処刑されるケースもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。


中国ではなぜこんなに死刑数が多いのかというと、実は死刑囚の人体は役人の収入源だからである。役人の収入源とはどういうことかというと、死刑囚の人体は商品であり、臓器売買が行われているということだ。


■中国人医師が語った恐ろしい話


中国ではまた、子供の誘拐も頻繁にある。その中の一部は商品として臓器の売買が行われている。その数こそ定かではないが、かなりの件数に上るものとみられている。それを証言する話を実際に中国人から聞いたことがある。


十九年前、日本に来て東大で研究していたとき、たまたま同じ第三内科に中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学にきていた。彼の日本語はあまり通じないので、日本人の医師たちとうまくコミュニケーションをとれず、そのためか北京語のできる私とよく雑談をしていた。その雑談のなかでのことである。


当時は骨髄移植がはじまって数年しか経っていない時期で、白血病や骨髄の癌に冒された患者さんはわざわざ放射線で骨髄を破壊して、他人の骨髄を移植する。当時としては最先端の医療技術だった。しかし、なぜか蘭州大学のその教授は日本で行われた骨髄移植手術を軽蔑していた。彼は私に「このようなことは、中国ではとっくにやっている」と言うのだ。

しかし、骨髄移植というのは、日本ならまず骨髄バンクをつくり、そこに集めた骨髄の中から患者さんと遺伝子的に合っているようなタイプを探し、マッチングしたものしか使えないので、骨髄バンクを持たない中国がそのような最先端の医療技術を持つ日本よりも優れているとはとても考えられなかった。

そこで彼に「中国ではすでにこのような移植をやっているのか」と聞くと、彼は、胎児の肝臓を使うのだと答えた。確かに肝臓というのは血液の再生能力がある臓器で、骨髄と似たような機能を持っている。

そこで、「どうやって胎児の肝臓を患者さんの体に入れるのか」と問うと、彼は「胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と強調するのだった。「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか」と聞くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放ったのである。

その時に私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいことなのかもしれないが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。その教授が「いくらでも手に入る」といったときの乾いた笑い声は、未だ耳朶から離れない。
(引用ここまで)


シナ人は「四つ足で食べないのは机だけ」と言われるほど、 何でも食べてしまいます胎児の死体であっても・・
おぞましい限りです。

次回に続く・・・



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著者、林 建良(りん けんりょう、1958年9月7日-)氏は、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 現在は栃木県在住。医師としての仕事のかたわら台湾正名運動を展開されています。
平成18年七月に出版された著書、「日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言」より、今日日本人が惑わされているシナという国にご一考願えたらと思う次第です。

氏は冒頭で次のように述べています。

「日中友好」という呪い

 「日中友好」という言葉ほど滑稽なものはありません。あの言葉の本当の意味は、日本が中国に友好的でなければならないという片務的な義務のみで、その逆は成立せず、実際も存在しません。

 「日中友好」は中国が日本にかけた呪いなのです。その強烈な呪いで、日本は中国に従順的でなければならないように操られています。それだけではなく、道徳的にも常に中国より下位にならなければいけません。そして、中国に永遠に貢がなければなりません。

 不思議なことに、日本人がこの呪いから脱出しようとしません。それどころか、その呪文を大声で唱え、布教さえしているように見えます。小泉総理の靖国参拝中止を求める経済同友会の声明はまさにその象徴です。と・・・

生真面目な日本人には見えないシナという国の老獪さを著されています。
以下に要点を抜粋して引用します。


■ 中国の文学や芸術は権力者のためだけに作られる

日本人は「和」を大切にする民族である。公の席では他人の悪口を言わないことを美徳としている。また、できるだけ相手の美点を見出そうと努めるのも日本人の特徴である。しかし、こと中国人に関する限り、日本人の見方は往々にして見誤っていることが少なくない。台湾人から見れば、表層的見方が目につく。

個人と個人の関係においてなら、その美徳はおおいに発揮されてよい。しかし、今の中国はとてつもない影響力を持っている。経済力にしろ政治力にしろ、もはや昔の貧しい中国ではない。しかも、中国は日本に敵対心を露にしている。日本を敵と看做してはばからない。それ故に、日本人は中国及び中国人の本質を知る必要がある。

まず、日本人は「中国四千年の歴史」ということで、例えば万里の長城に象徴されるような建造物を思い浮かべ、素晴らしい文化があるとイメージしている。あるいは、李白や杜甫などの漢詩を思い浮かべることで、中国には偉大な文学があると思い込んでいる節がある。このような建造物や詩の中に中国人の心があるのではないかと思い、中国人を美化して、その本質を見誤らせる傾向がある。

ところが、中国の文化というのは、一人の権力者のために作られたものであるということを、まず頭に入れておかなければならないのである。


中国で大家と言われる文学者はほとんどが官僚である。作品は貴族のために、あるいは権力者のために作られるのであり、けっして庶民の心理や社会文化を反映しているものではない。この点が、日本とのもっとも大きな相違点である。中国文化、イコール中国が残した文学や芸術と勘違いしているのが日本人の中には少なくない。


日本人ははっきりした信仰を持たなくても、命のあるものにはすべて霊が宿っていると考え、それなりの信仰心を持っている。いわば「万の神」の存在があらゆる形で日本人の心に宿っている。それ故、日本文化は命のあるものに対して一定の畏敬の念を抱いているし、自然にも畏敬の念を持って対している。

 日本人はまた、木や花を大切にして、季節の移り変わりを非常に繊細に感じとり、俳句や和歌を生み出したことに見られるように、庶民のレベルにおいてもいろいろな言葉で表現する。日本人は自然に対する愛着を、そしてその変化を生活レベルで表現している。それは、偉大な芸術でもなければ偉大な文学でもなく、またごく一部の人間しか楽しめないものでもない。

 さらに日本の場合は、芸術だけで生きている、作品を作るだけで生きているような芸術家や文学者が存在してきた。もし中国に日本のような芸術家や文学者が存在していたとしても、それはごくわずかでしかない。

 そのような日本人の心性に比べると、中国人は信仰心に欠けるといってよい。中国人には命のあるものに対する畏敬の念や、自然に親しむという概念あるいは心性が欠落しているのである。いかにして自然を利用するか、別の命をどうしたら自分の命のために利用できるかという考え方が非常に強い。

 その点で、中国人は信仰心のない民族と断言してさしつかえない。中国人は現実的、現世的にものごとを捉える民族であって、万物に対する見方考え方には日本人とかなりの違いがある。

 もちろん、中国にも自然を対象とした描写は文学や芸術の中にたくさんある。ただし、日本人が正しく理解していないのは、あのような文学や芸術は権力者のために作られたものであって、けっして一般庶民が楽しむために作られたものではない、ということだ。中国四千年の歴史の中では、庶民とは官僚などの権力者に利用されて虐げられる人々であって、このような作品を楽しむ余裕を与えられてこなかったというのが実情なのである。

 中国の庶民は、野生動物にしろ植物にしろ、命のあるものを見ると、まずなにを思い浮かべるかというと、「これは食べられるのかどうか」「換金すればいくらになるのか」ということだけで、いかにして自分のためになるのかと考えるのである。それしか頭にないのである。


今日の日本人が描いている幻想が虚実であることを述べられています。
シナは、易姓革命の国です。
統治者に都合のよくない思想、文化は淘汰されます。
秦の始皇帝が焚書坑儒を行い、言論統制、弾圧を行なったことは周知のとおりです。
勿論、文化にも同じことが言えるのです。
しかし、わが国は、皇祖の御神勅を体現される天壌無窮の皇室を仰ぎ、肇国以来2672年の時を刻んでいます。
わが国は、世界最古にして、最長、万世一系の君主の国です。
「和」をもって尊しと為すのお国柄の国です。
わが国の文学や芸術は、権力者によって作られたものはありません。「やまとうた」と言われる和歌は、まさしくお国柄を表したものです。
歴史は勝者によって歪められたこともなく、今日心無い日本人が言うような「階級社会、身分社会」でもなく、自由闊達な社会だったのです。

「和歌の前の平等」と往古の昔よりわが国では現します。
現存する最古の
和歌集である万葉集には天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集められています。

大須賀松江

つはものに召し出(いだ)されし我せこはいづくの山に年 迎ふらむ  

日露戦争中の明治38年の歌御会始(現在の歌会始) で、1万余首の詠進歌の中から選ばれた一首。「山梨県、陸軍 歩兵二等卒妻、大須賀松江」と作者名が披露されたとき、参会 者一同、ハッとしたという。二等卒といえば、軍人の中でももっ とも位の低い妻である。そういう者の歌も、まごころがこもっ ていれば、天皇の大御歌と同じ場で朗唱される。まさに「和歌 の前の平等」を具現した出来事でした。「つはもの」とは兵士、「せこ」とは妻が夫を親しんで呼ぶ言 葉。出征した我が夫は、いづこかの山で無事に新年を迎えてい るのだろうか、と案ずる妻のあるがままの気持ちをそのままに 歌った歌です。
当然、他国ではありえない事でした。

まさにわが国は、美(うま)し国だったのです。

君主も人民もいかにして自分のためになるのかと考えないシナとわが国は対極の存在です。こんなシナとつきあっていけるのでしょうか?

次回に続く・・・
中国を考える。 (その弐)
 
5、責任を転嫁する。
「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。
たとえば、普通は列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因があるが、中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。
文革が終わると「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされたが、毛沢東の過ちは不問でした。社会的混乱は、すべて四人の政治指導者に押付けたのは、中国人の破廉恥は無責任意識のなせるわざです。
西欧文明がアジアに大きな影響を及ぼしたのちの中国人の不幸・没落はすべて西欧の責任にしてしまいました。
近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべての列強の侵略の結果に帰され、中国自信に問題があってもそれには目も向けることもしない。
こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れです。自己の過信によって独善的となり、日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。 
 
 
6.土匪国家 (土着民で武装して集団となって略奪暴行をする賊。
日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いのです。
日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。
九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。台湾の李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。 中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼります。
それが中国の伝統文化なのです。「天下は馬上で取る」「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。易姓革命は、盗賊を正当化する中国の歴史の原理といえる。チベットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。
中国人の犯罪が世界中に広がり、ますます嫌中感情が広がっている。
尖閣諸島の問題を見ていただければおわかりでしょう。
こんな中国人に入国を緩和した我国の与党民主党は中国人をあまりにも知らなさすぎる。
必ず犯罪が現状より増えていくでしょう。
 
 
7.友好
親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別です。新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。
中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われるそうです。
中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜなのか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあるからです。
中国の規定する「友好」は日本人の考える「友好」ではありません。都合のいい時だけの「友好」なのです。
日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手なのです
中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係がピークに達した時期にあたり、老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になっています。
人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などありえません。中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。日本人は中国がたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくでしょう
中国では7月1日より、「国防動員法」が施行されます。
この法案は 「有事の際に軍務を優先し国民を動員する」 という法案で、2月に中国の全国人民代表大会 (日本の国会に相当)で可決しました。中国に進出している外国企業も徴用の対象となり、技術・物資も徴用され中国のものとなる。
撤退の余裕すら日本の企業は残されていません。
在日の中国籍者が、中国の法の発動で、急に日本での人民解放軍の「兵員」になる可能性も否定できないのです。
先人は言われています。
「中国に関わり合いをもつなと」
 
 
 
 
最後までよんで頂きありがとうございました。


 
 
 
 
 
 
 
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