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靖国神社
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝申しあげます。
もう十日もするとお盆を迎えます。
先帝陛下の「ご聖断」の日から七十年の歳月が流れました。
しかし、東京・九段の靖国神社は毎年この日は騒然となります。 粛々と慰霊を行う為に参拝に訪れた遺族、近親者、戦友の方々の心をよそに、心無い人々によって慰霊の日が穢されています。 これらは、わが国の文化・伝統・習俗をも知らない愚かな人のなせることです。残念でなりません。 靖国神社に祀られているのは、特定の個人の御霊(みたま)です。もちろんその個人のみたまの多くは遺族がいます。戦没者の妻や親や子や孫、甥や姪といった人々にとって、靖国神社は自家の墓と同様に重要な場所なのです。
しかし、靖国神社は、こうした国民の私的な慰霊の対象を集合した場所であることにとどまらず、むしろ、戦没者は国の命令によって、公のために生命を捧げた人達であるので、靖国神社は根本的に国家公共の施設である。公的な慰霊を行う中において、個々の私的な慰霊を同時に行う場所なのである。
わが国に伝わる子孫が祖霊を祀り、祖霊が子孫を守護するという関係に照らして考えれば、靖国神社に祀る戦没者の霊とは、個々の国民の先祖だけではなく、日本人による共同体全体の祖霊でもある。また、その祖霊が守護するものも、個々の子孫だけではなく、日本という国家共同体の成員の全体でもある。
ですから、靖国神社を護持すべき立場にある者とは、戦没者の遺族だけではなく、国民全体なのです。
ここで重要な問題が一つあります。拙稿、靖国神社 花嫁人形で昨年一月十六日に亡くなった国士、故小野田寛郎氏の言葉を引用していますが、それは、遺族をもたない御霊(みたま)の存在です。戦没者の中には、若くして独身のまま、あるいは子孫を持つことなく亡くなった人々がいます。こうした人々は、自分の子孫に慰霊をしてもらうことができません。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学者の柳田国男先生は、『先祖の話』において、日本の祖霊信仰の伝統について研究されました。時は、わが国の敗色が濃くなっていた昭和20年の4〜5月頃の執筆です。柳田先生は、本書でとりわけ子孫を持つことなく亡くなっていく青年達の慰霊について、その必要性を強調されています。国のために死んでいった人を無縁仏にしてはならないと。 柳田先生の訴えはもっともであり、戦争において家族がすべて死に絶えた人々、いわゆる絶家になった人々もいる。これらの人々に対しては、国民が共同体の祖霊として、公的に慰霊をしていく必要があるのです。
国家公共の行為としての慰霊とは、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会であるのか、を明らかにするものです。そして、これは家族愛や友人愛といった私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという民族の課題でもあるのです。
拙稿靖国神社(一) 〜靖国神社(完)でも靖国神社の国家護持について述べていますが、全国民が靖国神社を護持すべき理由があるのです。これは、個々人がいかなる宗教・思想をもっていても日本人として為すべき事柄であり、またこのことは信教の自由を侵すものでもない。
補足しますが、個々の家で先祖代々の霊の救済を神に祈願する先祖供養は、私的な営みです。これに対し、国家による慰霊の儀式を行うことは、公的な営みである。前者は霊の真の救済を求める営みであり、後者は儀式による感謝と尊敬の表現である。また、靖国神社に祀られている人霊は、奇蹟救済を祈願する対象ではない。この点は明確に区別する必要があります。
わが国の宗教的伝統に基づく慰霊の在り方と靖国神社の参拝に対し、周辺諸国が口出しをするようになっている。これは明らかに内政干渉ですが、そこには宗教観の違いによる誤解も見られます。
靖国神社参拝をめぐる対立の本質は、「死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる」というわが国の精神文化と、「末代まで憎しみ続ける」というシナ文明の精神文化との摩擦ともいえるのです。
日本人は死者については敵も味方もなく「死後は神になる」として平等に扱うという寛容の精神を持っている。日本人は死者に鞭(むち)打つことをしない。死者に対して悪口を言う人間を軽蔑する。
また、日本人には、古来、敵味方の差別なく死者を祀る習わしがあった。例えば、愛媛県松山市には、日露戦争の捕虜で故国へ帰ることなく異郷で亡くなったロシア兵の墓があり、慰霊祭が毎年行われている。また、昭和20年4月、F・ルーズベルト大統領が逝去した時には、鈴木貫太郎首相が、敵を愛する武士道の精神にのっとり、交戦中のアメリカ国民に向けて弔意を表す談話を発表した。 靖国神社では、境内の鎮霊社において、世界各国の戦死者が祀られている。これらは日本人の博愛の精神の表れなのです。
しかし、わが国と異なり、シナ人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容であり、「生きてその肉を喰らい、その皮で寝る」ことを願うほど憎み、死後は「その魂を喰らう」と誓うほどである。敵は死後も永遠に敵であり、どこまでも和解がない。死者の墓をも暴いて死体を破壊する。それが伝統文化でもあるのです。
どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。シナ・韓国とて同じことです。
戦没者への慰霊は、その国の宗教的伝統に基づいて行われています。
慰霊という重要な問題に関して内政干渉をする現在のシナや韓国の政府は国際社会のマナーを著しく欠きますが、それ以上にわが国の政府の外交姿勢が間違っているのです。
日本には日本の伝統があり、わが国の伝統を堂々と主張し、少々の摩擦をおそれず、日本の立場を主張し、死生観までの容喙は内政干渉だと指摘し、その姿勢を貫徹することです。はっきりものを言ってこそ、相手もわかってくる。しかし、逆の場合は、ますます誤解を深め、相手の言い分に押されてしまう。それは決して自他のためにならない。真の相互理解・共存共栄のためには、誇りをもって毅然とした態度で応対することが必要です。
その点で、最大の問題は、中曽根元首相以降のわが国の指導層の姿勢にある。日本の伝統・文化をよく理解し、日本人としての精神を取り戻し、戦没者の慰霊と靖国神社の問題に対して、正しい対応をすべきです。
命を賭して日本を愛し、護った「みたま」
御国を愛せない人が後世の子孫を愛せるでしょうか?
日本人よ日本人の魂に帰ることこそ、護国の神々(みたま)に感謝の誠を捧げることなのです。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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靖国神社
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申しあげます。
今日の前夜祭にはじまり、第三夜祭までの四日間、九段の靖国神社では「みたままつり」が行われます。
大東亜戦争に敗れたことにより、日本国民の明日の生活もままならぬみたま祭りは民俗学者・柳田国男の発案により、昭和21年7月に始まりました。(正式には昭和22年から)。この時は長野県遺族会の人たちが盆踊りを奉納しました。
かつての日本人が靖国神社に寄せた思いは、現代の私たちが思うより遥かに強いものでした。国運を賭けた日清、日露の大戦で護国の神々たちは神風の如く突進された。
大東亜戦争で国のために命を捧げた人々の遺書には、死後もこの国土に魂を留めて子孫の行く末を見守っていこうという思いが表れており、そこには、日本人が持ちつづけてきた独自の死生観が息づいています。
靖国神社の社格は創建当時、別格官幣社でした。
戦後は民間の宗教団体となっている。昭和20年(1945)12月15日に、GHQの「神道指令」によって、「国家神道」が廃止された結果、やむなく一宗教法人となりました。
しかし、靖国神社は、全国8万社といわれる神社を統括する神社本庁には所属しません。単立神社です。
しかし、今日も「靖国神社はいずれ国家に返すべき神社である」という理由で属していません。
しかし、靖国神社は、戦後も政府とまったく無関係となったわけではなく、占領終了後、靖国神社の合祀は、国や都道府県と靖国神社との共同作業で行われてきたのです。膨大な数の戦没者の調査は、一民間団体のできることではなく、靖国神社に祀られる人々の選考は厚生省(厚生労働省)・都道府県が行い、靖国神社が祭神として合祀するかどうかを決定します。官民一体の共同作業で行われていまう。ただし、靖国神社は戦後、財政的には、戦没者遺族を中心とする人々の献金によって維持され、国の財政的な援助は行われていないのが実情です。
戦後長い間、靖国神社を国家が護持すべきという運動が続けられました。
靖国神社がやむをえず一宗教法人となったのは、いわゆる国家神道、特に靖国神社を標的にしたGHQの占領政策によるものであり、日本人自身の自主的な考えではないからです。
主権回復後、靖国神社に本来の公的性格を回復すべきだという議論が起こりました。これが靖国神社国家護持運動です。この運動は昭和40年代には一段と活発になり、昭和45年には、わずか数ヶ月で2000万人にも及ぶ国家護持要求の署名が集まりました。国会では、自民党が中心となって靖国神社国家護持法案が6回も提出されましたが、今日の自民党を見ておわかりいただけるでしょうが、自民党自体がもう一つ法案成立に熱心ではなく、しばしば野党との国会対策、政争の具にされ、結局、同法案は廃案となり、運動は挫折しました。
その後、昭和50年に三木首相が私人としての参拝を主張したのがきっかけで、憲法論議がされるようになり、昭和60年にはせっかく公式参拝という政府見解を出したのだが、支那、韓国から首相の靖国参拝に批判を受けるようになると、首相が参拝をやめてしまい、国家と靖国神社の関係について否定的な意見が増えました。事の本質を見失ってしまったのです。
靖国神社が国のために命を捧げた人々を慰霊する施設として、明治以来存続してきたことを考えれば、当然、国家が護持すべき施設なのです。
どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所がある。戦没者への慰霊は、その国の宗教的伝統に基づいて行われていると、何度も述べてきましたが、日本の国の戦没者慰霊という重要な問題に関して内政干渉をする現在の中国や韓国の政府は国際社会の常識を大いに逸脱していていますが、、それ以上にわが国の政府の外交姿勢が間違っています。
日本には日本の伝統・文化があります。我国の伝統・文化を堂々と主張し、摩擦をおそれず、日本の立場を主張し、死生観までの容喙は内政干渉だと指摘し、その姿勢を貫徹し、はっきりものを言ってこそ、相手もわかってくるでしょう。しかし逆の場合は、ますます誤解を深め、相手の言い分に迎合し、侮りをうけるでしょう。誇りをもって毅然とした態度で応対することが必要です。
その点で、最大の問題は、わが国の指導層の姿勢にある。日本の伝統・文化をよく理解し、日本人としての精神を取り戻し、戦没者の慰霊と靖国神社の問題に対して、正しい対応をすべきです。
昨年亡くなった小野田寛郎先生は次のように述べられておられます。
英霊には、遺族をもたない「みたま」も存在します。戦没者の中には、若くして独身のまま、あるいは子孫を持つことなく亡くなった人々があり、こうした人々は、自分の子孫に慰霊をしてもらうことができません。
また、戦争において家族がすべて死に絶えた人々、いわゆる絶家になった「みたま」も存在します。
国家が祀らなくてどうする。
国のために死んでいった人を無縁仏にしてはならない。と・・・
多くの戦没者は死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった。多くの将兵が近親者および戦友たちに「靖国で会おう」と言い残して散華していった。その人々の思いに応えることが、国民の義務であり、国家の義務です。内閣総理大臣が参拝するのは責務です。
戦没者の慰霊・顕彰は、どこの国にみられる普遍的儀礼です。どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地等、形は様々ですが、国民の魂のより所ともいうべき場所になっています。しかも国家指導者が戦没者の慰霊・顕彰するのにあらやこれや非難を浴びせる国は皆無です。わが国だけの現象です。
「国のまもりゆめおこたるな子猫すら爪とぐ業忘れざりけり」』
大正天皇の大御歌です。
国を護るということがいかに至難であり、尊いか。
護国神社で護国の神に思いを馳せ、国を思い、民族の安寧を願って散華された「みたま」に感謝の誠を捧げ、偲びたい。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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靖国神社
もうすぐお盆を迎えます。
東京・九段の靖国神社は毎年この日は騒然となります。 粛々と慰霊を行う為に参拝に訪れた遺族、近親者、戦友の方々の心をよそに、心無い人々によって慰霊の日が穢されています。 これらは、わが国の文化・伝統・習俗をも知らない愚かな人のなせることです。残念でなりません。 靖国神社に祀られているのは、特定の個人の霊です。その個人の多くには遺族がいます。戦没者の妻や親や子や孫、甥や姪といった人々にとって、靖国神社は自家の墓と同様に重要な場所なのです。
しかし、靖国神社は、こうした国民の私的な慰霊の対象を集合した場所であることにとどまらず、むしろ、戦没者は国の命令によって、公のために生命を捧げた人達であるので、靖国神社は根本的に国家公共の施設である。公的な慰霊を行う中において、個々の私的な慰霊を同時に行う場所なのである。
わが国に伝わる子孫が祖霊を祀り、祖霊が子孫を守護するという関係に照らして考えれば、靖国神社に祀る戦没者の霊とは、個々の国民の先祖だけではなく、日本人による共同体全体の祖霊でもある。また、その祖霊が守護するものも、個々の子孫だけではなく、日本という国家共同体の成員の全体でもある。
ですから、靖国神社を護持すべき立場にある者とは、戦没者の遺族だけではなく、国民全体なのです。
ここで重要な問題が一つあります。拙稿、靖国神社 花嫁人形で今年一月十六日に亡くなった小野田寛郎氏の言葉を引用していますが、それは、遺族をもたない御霊(みたま)の存在です。戦没者の中には、若くして独身のまま、あるいは子孫を持つことなく亡くなった人々がいます。こうした人々は、自分の子孫に慰霊をしてもらうことができません。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学者の柳田国男先生は、『先祖の話』において、日本の祖霊信仰の伝統について研究されました。時は、わが国の敗色が濃くなっていた昭和20年の4〜5月頃の執筆です。柳田先生は、本書でとりわけ子孫を持つことなく亡くなっていく青年達の慰霊について、その必要性を強調されています。国のために死んでいった人を無縁仏にしてはならないと。 柳田先生の訴えはもっともであり、戦争において家族がすべて死に絶えた人々、いわゆる絶家になった人々もいる。これらの人々に対しては、国民が共同体の祖霊として、公的に慰霊をしていく必要があるのです。
国家公共の行為としての慰霊とは、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会であるのか、を明らかにするものです。そして、これは家族愛や友人愛といった私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという課題でもあるのです。
拙稿靖国神社(一) 〜靖国神社(完)でも靖国神社の国家護持について述べていますが、全国民が靖国神社を護持すべき理由があるのです。これは、個々人がいかなる宗教・思想をもっていても日本人として為すべき事柄であり、またこのことは信教の自由を侵すものでもない。
補足しますが、個々の家で先祖代々の霊の救済を神に祈願する先祖供養は、私的な営みです。これに対し、国家による慰霊の儀式を行うことは、公的な営みである。前者は霊の真の救済を求める営みであり、後者は儀式による感謝と尊敬の表現である。また、靖国神社に祀られている人霊は、奇蹟救済を祈願する対象ではない。この点は明確に区別する必要があります。
わが国の宗教的伝統に基づく慰霊の在り方と靖国神社の参拝に対し、周辺諸国が口出しをするようになっている。これは明らかに内政干渉ですが、そこには宗教観の違いによる誤解も見られます。
靖国神社参拝をめぐる対立の本質は、「死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる」というわが国の精神文化と、「末代まで憎しみ続ける」というシナ文明の精神文化との摩擦ともいえるのです。
日本人は死者については敵も味方もなく「死後は神になる」として平等に扱うという寛容の精神を持っている。日本人は死者に鞭(むち)打つことをしない。死者に対して悪口を言う人間を軽蔑する。
また、日本人には、古来、敵味方の差別なく死者を祀る習わしがあった。例えば、愛媛県松山市には、日露戦争の捕虜で故国へ帰ることなく異郷で亡くなったロシア兵の墓があり、慰霊祭が毎年行われている。また、昭和20年4月、F・ルーズベルト大統領が逝去した時には、鈴木貫太郎首相が、敵を愛する武士道の精神にのっとり、交戦中のアメリカ国民に向けて弔意を表す談話を発表した。 靖国神社では、境内の鎮霊社において、世界各国の戦死者が祀られている。これらは日本人の博愛の精神の表れなのです。
しかし、わが国と異なり、シナ人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容であり、「生きてその肉を喰らい、その皮で寝る」ことを願うほど憎み、死後は「その魂を喰らう」と誓うほどである。敵は死後も永遠に敵であり、どこまでも和解がない。死者の墓をも暴いて死体を破壊する。それが伝統文化でもあるのです。
どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。シナ・韓国とて同じことです。
戦没者への慰霊は、その国の宗教的伝統に基づいて行われています。
慰霊という重要な問題に関して内政干渉をする現在のシナや韓国の政府は国際社会のマナーを著しく欠きますが、それ以上にわが国の政府の外交姿勢が間違っているのです。
日本には日本の伝統があり、わが国の伝統を堂々と主張し、少々の摩擦をおそれず、日本の立場を主張し、死生観までの容喙は内政干渉だと指摘し、その姿勢を貫徹することです。はっきりものを言ってこそ、相手もわかってくる。しかし、逆の場合は、ますます誤解を深め、相手の言い分に押されてしまう。それは決して自他のためにならない。真の相互理解・共存共栄のためには、誇りをもって毅然とした態度で応対することが必要です。
その点で、最大の問題は、中曽根元首相以降のわが国の指導層の姿勢にある。日本の伝統・文化をよく理解し、日本人としての精神を取り戻し、戦没者の慰霊と靖国神社の問題に対して、正しい対応をすべきです。
日本人よ日本人の魂に帰ることこそ、護国の神々に感謝の誠を捧げることなのです。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい) |
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靖国神社を参拝した安倍晋三首相(中央)=26日午前、東京都千代田区の靖国神社
安倍晋三首相が靖国神社に参拝しました。筆者はじめ、多くの国民、遺族の方々がこの日を待ち望んでいました。首相が国民を代表し国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげることは、国家の指導者としての責務です。安倍氏がその責務を果たしたことは当然とはいえ、筆者は率直に評価したい。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、今世間を騒がせている国会の諸問題よりも、日本という国の根幹にかかわる問題です。それほど大事なことなのです。
日本人は自分の国をどういう国でありたいと考えるのか?自主独立の国でありたいと考えるか否か?自ら自分の国を守ろうとする意思を持つか否か?世界最古にして、世界最長の国であり、常に国民と苦楽を共有される万世一系の畏くも天皇陛下を仰ぎ、一国一文明、独自の文化と歴史を持つ国として、その文化と歴史を継承・発展させていこうとするか否か? 単なる個人の寄せ集めではなく、一つの共同体としてまとまった国であろうとするか否か? 先祖と自分たち、そして将来を担う子孫との間に、生命と愛情の「絆」のある国であろうとするか否か? これらの問いに深く関係する問題なのです。
明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創設者でもある、福沢諭吉翁の、「一身独立して一国独立」を読んでいただきたい。
国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず。その次第三ヵ条あり。
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。 外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。 第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。 第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。 世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。 右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。 (福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋) いかがでしょうか?
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持つでしょう。他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、自国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱くでしょう。自分達の子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持つだろう。そういう意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に感謝と尊敬を禁じえないでしょう。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。
逆に独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となろ、それによってますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国となるでしょう。祖国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなるだろう。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解、退化していきます。一旦、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、下手をすると亡国にいたる。それが現在の日本という国の姿ではないでしょうか?。
過去において我々の先祖や先人が国のために命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、国を護ろうされたのです。自分の家族やその時代の国民のためだけではない。これから生まれてくる子孫や、将来の祖国・国民のためでもあったのです。しかし、戦後のわが国では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、だとすれば、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて国を護ろうとするでしょうか? そして、自分が命を賭けてでも守る値があると感じるのでなければ、この国の文化や精神を本気で守ろうとする人はどれほどいるでしょうか?。
戦没者の慰霊という問題は、過去に亡くなった人たちの慰霊という問題だけではなく、現在、そして将来に渡って、自国をどのように国を維持し、発展させていくかという問題につながるのである。
わが国では、大東亜戦争後、くだらない憲法により、公より私、全体より個人を尊重する考えが大勢を占めています。個人主義・利己主義が蔓延し、長年にわたり倫理道徳が低下してきた。この傾向の背後・根幹には、国のために命を捧げた人々の存在への軽視があるのです。
わが国は、幕末の危機を乗り越えるために明治維新を成し遂げ、明治大帝の下、近代国家を建設し、主権国家として国際社会を歩んで来る過程で、多くの人々が尊い命を国の将来のために捧げた。その人々への感謝や恩義が忘れられていることが、国民道徳の崩壊の要因となっている。国民道徳の究極の拠り所を失ないつつあるからである。
靖国神社は、こうした国事に命を捧げた人々を追悼するための施設です。だから、靖国神社への正しい理解なくして、日本という国のあり方を根本的に考えることはありえません。それとともに、日本人の公共心、社会道徳の再建もありえません。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題とは、日本という国が、一つの共同体であろうとするか否かという大きな問題でもあるのです。すなわち、日本国民が共通の先祖を持ち、その先祖から受継いできた生命を共有し、独自の文化と歴史を継承してきたことを自覚し、今後とも生命と文化と歴史を共有する社会であり続けようという意思を持つか否かという、「国のかたち」を為す問題なのです。
慰霊と靖国という問題は、国家、主権、道徳、生命、文化、歴史、伝統等が結集する国家・国民の重要問題である。言い換えると、日本人が互いを結ぶ「絆」に関わる問題なのである。
日本人が、国と国民を結ぶ「絆」、アイデンティティーをも否定する、国が決してしてはならないことです。
前述した、福澤翁は、、「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」 と、日本人があるべき姿を説いておられます。 護国の神々(英霊)が望まれているのは、この精神ではないでしょうか? 動画は是非ご覧いただきたい。
動画に出演されておられる楊素秋さんは、著書『日本人はとても素敵だった』の終章に、「日本は私の故郷です。私には日本と台湾、祖国が二つあります。どちらが私の心を余計に占めているかというと、どちらとも言い難い。どちらも同じです。半分半分です」と書かれ、
「日本時代は私にとって、素晴らしい時代であり、私の人生の道標をこしらえてくれたと言っても過言ではありません。 私の心の中には、いつもとても綺麗な日の丸の旗が翩翻とはためいています。」と、締められています。 楊素秋さんは、今を生きる日本人には、「もっとしっかりしてほしい」と苦言を呈しています。それが、『日本人は素敵だ』ではなく、『日本人は素敵だった』である所以です。「素敵だった」のは、楊素秋さんにとっては、日本の統治に接した日本人なのです。 今の日本人に、どういう点でしっかりしてほしいかというと、第1に、今の豊かさと幸せを当たり前のものだとは思わず、豊かな国を築いて生き、そして死んでいった先人と、豊かさを与えてくれる母国に感謝して生きてほしい、第2に昭和20年に敗戦した戦争には「東亜開放」という面もあったことを忘れず、罪障観を持つばかりではなく、誇りも持ってほしい、ということです。そして、よりよい日本を築き、世界のリーダーとなり得る気概を持ってほしい、楊素秋さんは望んでおられるのです。
「日本の若者よ、背筋をシャンとしてお立ちなさい。そして自信と誇りを持って前に進みなさい!」と叱咤激励もしていらっしゃいます。思わず、子どもの頃、姿勢が悪いと言って、両親に物差しで打たれたことを思い出して欲しい。 楊素秋さんは、42歳で初めて来日され、ずっと行きたいと思っていた靖国神社に、何を差し置いても一番にお参りされました。「なぜなら、国のために惜しげもなく命を投げ出した御霊(みたま)にすくなくともありがとうと言いたかった」から、と・・・・。 |
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靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間の期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行されます。
春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、畏くも天皇陛下よりの御幣物が献じられ、御祭文が奏上されます。当日祭後は、第二日祭、第三日祭と当日祭同様の祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われます。
靖国神社例大祭勅使参向 戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、今世間を騒がせている国会の諸問題よりも、日本という国の根幹にかかわる問題です。それほど大事なことなのです。
日本人は自分の国をどういう国でありたいと考えるのか?自主独立の国でありたいと考えるか否か?自ら自分の国を守ろうとする意思を持つか否か?世界最古にして、世界最長の国であり、常に国民と苦楽を共有される万世一系の畏くも天皇陛下を仰ぎ、一国一文明、独自の文化と歴史を持つ国として、その文化と歴史を継承・発展させていこうとするか否か? 単なる個人の寄せ集めではなく、一つの共同体としてまとまった国であろうとするか否か? 先祖と自分たち、そして将来を担う子孫との間に、生命と愛情の「絆」のある国であろうとするか否か? これらの問いに深く関係する問題なのです。
明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創設者でもある、福沢諭吉翁の、「一身独立して一国独立」を読んでいただきたい。
国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず。その次第三ヵ条あり。
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。 外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。 第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。 第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。 世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。 右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。 (福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋) いかがでしょうか?
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持つでしょう。他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、自国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱くでしょう。自分達の子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持つだろう。そういう意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に感謝と尊敬を禁じえないでしょう。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。
逆に独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となろ、それによってますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国となるでしょう。祖国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなるだろう。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解、退化していきます。一旦、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、下手をすると亡国にいたる。それが現在の日本という国の姿ではないでしょうか?。
過去において我々の先祖や先人が国のために命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、国を護ろうされたのです。自分の家族やその時代の国民のためだけではない。これから生まれてくる子孫や、将来の祖国・国民のためでもあったのです。しかし、戦後のわが国では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、だとすれば、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて国を護ろうとするでしょうか? そして、自分が命を賭けてでも守る値があると感じるのでなければ、この国の文化や精神を本気で守ろうとする人はどれほどいるでしょうか?。
戦没者の慰霊という問題は、過去に亡くなった人たちの慰霊という問題だけではなく、現在、そして将来に渡って、自国をどのように国を維持し、発展させていくかという問題につながるのである。
わが国では、大東亜戦争後、くだらない憲法により、公より私、全体より個人を尊重する考えが大勢を占めています。個人主義・利己主義が蔓延し、長年にわたり倫理道徳が低下してきた。この傾向の背後・根幹には、国のために命を捧げた人々の存在への軽視があるのです。
わが国は、幕末の危機を乗り越えるために明治維新を成し遂げ、明治大帝の下、近代国家を建設し、主権国家として国際社会を歩んで来る過程で、多くの人々が尊い命を国の将来のために捧げた。その人々への感謝や恩義が忘れられていることが、国民道徳の崩壊の要因となっている。国民道徳の究極の拠り所を失ないつつあるからである。
靖国神社は、こうした国事に命を捧げた人々を追悼するための施設です。だから、靖国神社への正しい理解なくして、日本という国のあり方を根本的に考えることはありえません。それとともに、日本人の公共心、社会道徳の再建もありえません。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題とは、日本という国が、一つの共同体であろうとするか否かという大きな問題でもあるのです。すなわち、日本国民が共通の先祖を持ち、その先祖から受継いできた生命を共有し、独自の文化と歴史を継承してきたことを自覚し、今後とも生命と文化と歴史を共有する社会であり続けようという意思を持つか否かという、「国のかたち」を為す問題なのです。
慰霊と靖国という問題は、国家、主権、道徳、生命、文化、歴史、伝統等が結集する国家・国民の重要問題である。言い換えると、日本人が互いを結ぶ「絆」に関わる問題なのである。
日本人が、国と国民を結ぶ「絆」、アイデンティティーをも否定する、国が決してしてはならないことです。
前述した、福澤翁は、、「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」 と、日本人があるべき姿を説いておられます。 護国の神々(英霊)が望まれているのは、この精神ではないでしょうか? 動画は是非ご覧いただきたい。
動画に出演されておられる楊素秋さんは、著書『日本人はとても素敵だった』の終章に、「日本は私の故郷です。私には日本と台湾、祖国が二つあります。どちらが私の心を余計に占めているかというと、どちらとも言い難い。どちらも同じです。半分半分です」と書かれ、
「日本時代は私にとって、素晴らしい時代であり、私の人生の道標をこしらえてくれたと言っても過言ではありません。 私の心の中には、いつもとても綺麗な日の丸の旗が翩翻とはためいています。」と、締められています。 楊素秋さんは、今を生きる日本人には、「もっとしっかりしてほしい」と苦言を呈しています。それが、『日本人は素敵だ』ではなく、『日本人は素敵だった』である所以です。「素敵だった」のは、楊素秋さんにとっては、日本の統治に接した日本人なのです。 今の日本人に、どういう点でしっかりしてほしいかというと、第1に、今の豊かさと幸せを当たり前のものだとは思わず、豊かな国を築いて生き、そして死んでいった先人と、豊かさを与えてくれる母国に感謝して生きてほしい、第2に昭和20年に敗戦した戦争には「東亜開放」という面もあったことを忘れず、罪障観を持つばかりではなく、誇りも持ってほしい、ということです。そして、よりよい日本を築き、世界のリーダーとなり得る気概を持ってほしい、楊素秋さんは望んでおられるのです。
「日本の若者よ、背筋をシャンとしてお立ちなさい。そして自信と誇りを持って前に進みなさい!」と叱咤激励もしていらっしゃいます。思わず、子どもの頃、姿勢が悪いと言って、両親に物差しで打たれたことを思い出して欲しい。 楊素秋さんは、42歳で初めて来日され、ずっと行きたいと思っていた靖国神社に、何を差し置いても一番にお参りされました。「なぜなら、国のために惜しげもなく命を投げ出した御霊(みたま)にすくなくともありがとうと言いたかった」から、と・・・・。 |







