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靖国神社
靖国神社は、明治二年(皇紀2529年)、明治天皇陛下によって、現在の東京都千代田区九段に創建されました。当初は「東京招魂社」と呼ばれましたが、明治12年(皇紀2539年)に靖国神社と改称されました。
その淵源は、文久三年(皇紀2523年)高杉晋作の発議により、奇兵隊専属の招魂場として、元治元年(皇紀2524年)下関に桜山招魂場が完成し、現在は桜山神社となっています。全国で最初に招魂社として建てられた招魂社です。
「靖国」という名称には「国の平和を願う」という思いが込められています。その淵源は古く、「日本書紀」のの神武天皇の条に「安国」の文字が見えます。「昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰(いわ)く、日本は浦安国(うらやすくに)、細(くはし)戈千足国(ほこちたるくに)、磯輪上秀真国(しわかみのほつまくに)」とあります。「浦安国」の「うら」は心を意味し、「安国」は安らかに治まる国、泰平の国の意味であり、『延喜式祝詞』の「祈念祭」には、「四方(よも)の国を安国と平らけく」とある。国の内外の平和を祈る言葉として、「安国」が使われています。
「浦安国」とは、古の日本を意味します。神祇の安寧慰撫と国の平穏無事 を祈り現在でも「浦安の舞」は各地の神社の例大祭などで舞われていす。靖国神社の名称を「安国」ではなく「靖国」と表したのは、わが国では重要な漢語は、中国の古典に典拠を求める慣習により、『春秋左氏伝』に、「吾は以て国を靖んずるなり」「以て国を靖んぜんと曰へり」とあり、これが出典とされています。
このように、「靖国」という名称には、平和への願いが込められている。命名は、明治天皇陛下によるとされています。
靖国神社とは別に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。東京都千代田区にあり、靖国神社からは徒歩5分ほどの場所である。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、国立の合葬墓地として昭和34年(皇紀2619年)に建設されました。ここは昭和12年に勃発した支那事変以降の戦没者を対象としています。戦没者の遺骨のうち、名前が解らなかったり、あるいは名前は分かっていても遺族が解らないため引き取り手のなかったりする遺骨を収容しています。
記事の冒頭にもありますが、靖国神社は、明治維新以来の内戦・事変・戦争等で亡くなった人々を対象としています。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は墓であるから、遺骨が納められているが、靖国神社には遺骨は納められていません。位牌もなく、戦没者の氏名が記載された霊璽簿(れいじぼ)が置かれているいます。遺骨は各家族が自家の墓地に納め、位牌は主に家庭の祭壇で祀っています。 靖国神社は遺骨を収容する場所ではありませんから、別に氏名・遺族不明の戦没者のための墓苑が必要です。千鳥ヶ淵に埋葬されている人々の霊も靖国神社に祀られている。それゆえ、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、どちらも必要な施設なのです。
筆者の住んでいる姫路市にも、護国神社があります。
護国神社は全国各地にあります。これは、東京招魂社を前身とする靖国神社とは別に、各地方の藩などが創建した地方招魂社を起源とします。
上記の桜山神社とは別に山口県では護國神社があります。
靖国神社と護国神社は、本社と分社の関係ではありません。分社とは、本社以外にその分霊を分け祀った神社をいいます。しかしながら、靖国神社と護国神社は、ともに国事殉難者の霊を祀っており、靖国神社は全国、護国神社は主としてその地域を対象としており、祭神を一部同じくするので、提携しながら、慰霊・顕彰のための活動を行っているのです。
現在、靖国神社には、246万6千柱の御霊が祀られている。御霊は神社の祭神(さいじん)であり、柱という単位で数えられます。
祀られている人々のうち、特に多いのは大東亜戦争の戦没者であり、現在、213万3915柱です。現在も、新たに身元が判明した戦没者の遺族から合祀の依頼が続いています。
祀られているのは、軍人ばかりでなく、大東亜戦争に限ると、戦死、戦傷死、戦病死もしくは公務殉職した軍人、軍属、およびこれに準ずる者が、合祀の原則。軍属とは、軍人(武官)以外の軍に所属する文官・文官待遇者のことをいい、従軍看護婦なども含まれます。
また軍人・軍属以外に、主婦、小中学校の児童・生徒、それに2歳にも満たない童女も、祀られている。女性も約5万7千人含まれている。例えば、沖縄から鹿児島へ強制疎開する途中、撃沈された輸送船「対馬丸」に乗っていた生徒達、沖縄戦のひめゆり部隊、白梅学徒隊、終戦後、「氷雪の門」で知られる、ソ連軍の侵攻を内地に通報し自ら命を絶った樺太真岡(まおか)の女性電話交換手、ソ連軍の侵攻で虐殺された満州開拓の従事者といった人々も祀られています。 当時は日本国籍だった朝鮮人約2万1千柱、台湾人約2万8千柱も含まれています。
極東軍事裁判で「A級戦犯」と断罪され、処刑された昭和殉難者も祀られています。わが国は、昭和20年(皇紀2605年)8月15日昭和天皇陛下の「ご聖断」により戦闘は停止しましたが、昭和27年4月28日に主権を回復するまでは、引き続き国際法上の戦争状態にあり、極東軍事裁判以外にも「B・C級戦犯」の軍事裁判が国内外で行われました。この時期に連合国によって有罪・処刑された者は、公務に殉職した法務死と国が決議しました。その基準に基づいて、昭和殉難者も合祀されています。
戦没者の慰霊・顕彰は、どこの国にみられる普遍的儀礼です。どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地等、形は様々ですが、国民の魂のより所ともいうべき場所になっています。
慰霊の方法は、国によってその国の宗教的伝統に基づいて行われています。アメリカのアーリントン国立墓地には、「無名戦士の墓」があり、その前で年3回、大統領が参加して、ユダヤ・キリスト教式の戦没者追悼式を行っています。戦没者の中に、ユダヤ・キリスト教以外の信者が含まれていても、国家による公的行事として行われています。異教徒であっても、国家の行事として、アメリカ国民は受け容れています。国民として当然だからです。
わが国においても、儀礼である戦没者の慰霊が、国家による公的行事として行われるべきであり、また、国家が靖国神社を護持するのは当然です。単一民族である我国は、独自の宗教的伝統に則って行うべきです。
投稿文字数に制限がありますので、次回に続きます。
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靖国神社
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戦死された23歳の息子さんに贈った花嫁人形(遊就館)
靖 国 神 社 花嫁人形靖国神社・遊就館に祀られている独身の御霊に家族や肉親が捧げた花嫁人形が展示されていることを御存じの方は多いと思います。
上の画像は84歳になったご英霊のお母様が、沖縄で戦死された、当時23歳の息子さんにあてた手紙とともに奉納されたものです。 23才の若さで家を出て征く時「今度逢う時は靖国神社へ来てください」と雄々しく笑って征った貴男だった。 小野田寛郎氏は、(祖國と青年2005年7月号) で次のように述べている。 「靖國神社に異論があってお参りしたくない人は、来ていただかなくて結構だと私は思います」
「とにかく、私たちが『死んだら神さまになって会おう』と約束した場所が靖國神社であり、その靖國神社を国家が護持しないということは、借金をしておいてそれを支払わないようなものです。 それはまだ我慢するとしても、靖國神社とは別の追悼施設をつくるなどというのは、死んだ人間に対する反逆、裏切りであります」 「残された奥さんや子どもさんは大変お気の毒だったとおもいます が、亡くなった本人はお詣りしてくれる人がいるのだなあとつくづく思 います。 お子さん、お孫さんと代々家でお祀りしてくれる人がいる。 しかし、独身で亡くなった私たちの仲間は、親兄弟が亡くなった後は 誰がお祀りしてくれるのだろう。 最近はついついそういう事を考えてしまいます。 そうしますと、簡単に『死んだら神様だ』と言いながら散華していった 人たち祀ってあげるのはやはり靖國神社しかないのです」 *** 遊就館の花嫁人形は彼らに親族が捧げたものだ。 国が祀らなくてどうする。 *** 「靖國の英霊に対して『心ならずも戦死された』などという人がいます が、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。」 (祖國と青年2005年7月号)
下の動画の後半は「たかじんのそこまで言って委員会」で評論家の三宅久之氏が遊就館を訪れた時のものです。胸が熱くなりました。
現世の我國は祖国の為、愛する家族、愛する人の為、後世の我々の為に、尊い命を散華されたご英霊にあまりにも非情ではありませんか。
今年の8月15日は靖国神社に参拝した閣僚ゼロという悲惨な有様です。これはいったいどういうことでしょうか。
民主党政権にとっては、靖国に祀られる英霊は、国家の敵なのでしょうか。 彼らはいったいどこの国の総理・内閣なのでしょうか。 そもそも
「民主党政権は『村山談話』の精神を尊重する。
私が首相になったら靖国神社には参拝しない。 閣僚にも自粛を求める」 と言っていた政党を支持し、多数を与えたのは日本国民です。
尖閣諸島、北方領土問題、閣僚の不適切な発言に右往左往する情けない政権。
民主党に限らず、保守という名を語る野党もそうです。
靖国神社を国家護持もせず、腰ぬけ外交を繰り返した結果が情けない今日の我國です。ご英霊がお嘆きでありましょう。
「こんな國にする為に、命を捧げたのではないと」
靖国に祀られる英霊
246万6,532柱 ひとりひとりの御霊に人生があった、物語があったはずです。
我國は、靖国をもっと大切にしなければならない。
中国、韓国、北朝鮮、この三国の恫喝を恐れることなど何もないのです。
堂々と我國の主張を述べればよいのです。
そして堂々と靖国神社に参拝するのです。
そして、政治にご配慮されている、天皇陛下にもご親拝していただけるようにするべきです。
ご英霊は陛下のご親拝を一番喜ばれるでありましょう。
私は國民すべてが靖国に参拝することを義務づけるべきだと思います。
それができないのなら、日本の國から去るべきです。
ご英霊の尊い犠牲の上に今日の繁栄を享受しているのです。
憲法で保証された信教の自由を述べる人がいるかもしれない。靖国は宗旨が違うからという方です。
しかし「靖国で会おう」というのは、日本国と亡くなられた英霊たちとのお約束です。 日本は、道義国家です。 お国柄を忘れた国家のいく末は、悲惨なものでしかありません。 花嫁人形はそれを語っています。
靖国神社国家護持
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昨今の國の惨状、迷走する国政、国家観なき、能力なき、居座る総理。 はたして、先人はこんな國にする為に、好き勝手、やりたい放題の現 世の我々に、命を賭して國を護られたのでしょうか?
愛する祖国、愛する家族を、そして未生の子孫の為に「豊葦原の瑞穂 の国」を護られたのではないでしょうか?
そして我々は子孫に何を残せるでしょうか? 凛として愛(7/7) 最後までご視聴ありがとうございました。
日本人として生まれ、日本に住むものならば、真の歴史を知り、先人に感謝し、この誇り高き素晴しい日本を次の世代へ語りつぐことこそ現代日本に生きる我々の使命ではないでしょうか?
そして素晴しい日本文化・伝統を否定し、破壊した間違った者の手から日本を取戻さなくてはなりません。
そして一人一人が日本人としての矜持を・・・・ |
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舞鶴引揚紀念館
歴史を繙く時、時に心が引き裂かれるような悲しみに襲われ
時にそれは怒りにすら変わります。
終戦後65年が経過しても、我々日本人は父祖のなしたとされる謂れなき暴虐の数々を飽く事ないまでに宣伝され、声高に非難され、それに反論することさえ許されないばかりか、同じ日本人が自らの父祖を貶めて恥じません。
では、我々日本人の婦女子、民間人は誰もが天寿を全うしたのでしょうか。
本土にあっては、米軍の国際法を無視した広島長崎への非人間的原爆投下すら、日本軍の蛮行を懲らしめる神の鉄槌であるかの様に喧伝され、焼夷弾を投下して日本各地を焦土とした米軍の無差別絨毯爆撃に非を鳴らすことは勿論、終戦直後の米軍の暴挙すら今だ闇の中です。
「真相箱」は「真相」を隠して日本を闇社会にし
戦後65年が経過した今も日本人の目を塞いでいます
たとえ苦痛を伴い、涙を流しても
歴史の事実をしっかりと受け止め
語り伝えなければなりません。
冒頭の「母子地蔵」は、東京の浅草寺の境内にあり、
別名「まんしゅう地蔵」とも呼ばれます。
通常、お地蔵さんといえば子供の姿をして一人路傍に佇んでいるものですが、この変わった名前のお地蔵さんは、子供を背負い、今一人の子供を抱きかかえた母親と思える女性の姿をしています。そして、なぜか子供に力はなく、母親の顔は悲しみに満ちているように思います。
昭和16年12月8日に始まった長い長い戦いは、昭和20年8月15日に先帝陛下の御聖断によって収束しました。しかし、日ソ中立条約の有効期間中にも拘らず、終戦を懼れるかのように、火事場泥棒のごとく満州に、樺太に、千島に土足で踏み込んできたソ連軍は、瞬く間に満州国を蹂躙し、武装解除した日本軍の武器共々中国共産党に譲り渡し、日本領土を強奪して支配下に置いて今に至っています。その間の彼らの暴虐の魔の手から日本婦女子を守ろうとした女傑「お町さん」のお話は以前に紹介させて頂きました。ソ連の満州占領はまもなく終わり、変わって中共軍が支配者となって満州国全土を蹂躙し、今も満州を理不尽に占領しています。
彼ら中共軍もまた、ソ連軍同様、日本の婦女子を陵辱し、物品を略奪し、男女を問わずに徴用して使役し、日本人の子供はその優秀さ、勤勉さ故にでしょうか、略奪、売買の対象にさえされたといいます。そんな中共軍にとって「お町さん」のような女傑は目障りだったのでしょう。終に処刑されてしました。
しかし、惨劇は、これだけでは終わりませんでした。
終戦時、海外にいた660万人を超えるとされる日本人たちの内、半数が一般人であったといいます。軍人が武装解除と捕虜・収容所生活を余儀なくされる中、一般人は、営々と築き上げた財産を持ち帰ることも許されず、日本が投下した膨大な資産は全て没収され、まさに石持て追われる如く家屋も、商店も、工場も田畑も全てを奪われた上に、自力での帰国を余儀なくされました。苦難の道、満州からの帰還者の一部は、舞鶴に帰り、多数の日本兵、日本人がシベリアの極寒の地に連れ去られた史実があの「岸壁の母」を生みました。しかし、満州だけではありません。朝鮮半島にも、中国大陸にも南の国々、島々にも数多の日本人がいました。満州を不法に進撃してきたソ連軍は、満州のみならず現在の北朝鮮にまで進んできます。その地でも暴行が日本人に加えられました。そして、南朝鮮においても日本国内においてさえもその惨状は変わることはありませんでした。
外地に取り残された同胞を速やかに本国に帰還させることは当時の政府の急務でした。海外の日本人は、失意と恐怖に体を震わせながら廃墟の祖国に帰ってきました。中には大陸で、もしくは半島で生まれ育った人もいたでしょう。初めて祖国の土を踏んだ人もいたでしょう。しかし、彼らの誰もが着の身着のままでした。財産を強奪され、生命の危険に晒されながらの帰国。そんな帰還者を受け入れたのは舞鶴だけではなく、博多港にも、佐世保港にも連日鈴なりの海外在留邦人を乗せた船が到着しました。
二日市保養所
浅草寺にある「まんしゅう地蔵」と同じように、九州の地には「水子地蔵」が立っています。母親と思しき地蔵さんの胸には、この世の生を享受することなく闇から闇に葬られた水子が抱かれています。
命からがら祖国の土地を踏んだ同胞婦女子の中には異様な姿をしている人がいたといいます。疲労と栄養不良で痩せ衰えながらもお腹だけは異様に膨らんでいる女性。女性の命ともいえる黒髪をばっさりと切り落として少年のように「坊主頭」の人もいたようです。
多くの同胞日本婦女子は、ただ日本人であるという、ただそれだけの理由で辱めを受けました。辱めを受けただけではなく、命を奪われた人も決して少なくはないでしょう。中には、数え切れないほどの陵辱に耐えかねて自ら命を絶った婦女子もいたでしょう。そして、昨日まで友人と信じていた朝鮮人が突如として襲い掛かり、時として暴虐の徒、ソ連兵を案内してきたというのです。裏切られた彼女たちの失望はいかばかりでしょうか。そんな中の少なからざる人たちは、屈辱を胸に秘めて祖国に戻ることに一縷の望みを抱いて帰還船に乗りました。その帰還船の中でも外地で受けた陵辱に耐え切れない人の中には祖国を前に海に身を投じた人もいたといいます。
「不幸なるご婦人方へ至急ご注意!」
「不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり……そのため体に異常を感じつつある方は……診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にお申し出下さい」 本国を目指す帰還の人たちを満載した船中でこのようなビラが配られたといいます。ビラを手にじっと見詰める女性たちはどのような思いでこの文章を読んだでしょうか。
「不法な暴力」「体の異常」「健全な体」こうしたキーワードを彼女たちはどのような思いで読んだでしょうか。これが、強姦にあったのみならず、憎い犯罪者の子供を心ならずも宿してしまった女性にとってそれは一縷の希望の光であったかもしれません。
優生保護法が施行されたのは、昭和23年のことで、この当時はまだ断種法とも呼ばれた国民優生法が有効であり、単なる中絶は違法行為(堕胎罪)以外の何者でもありませんでした。しかし、このビラは、京城帝大医学部の医師たちのグループが「妊娠中絶の手術をします」、ということを女性たちに伝えているのです。その外にも性病に罹患した女性もおり、その治療も施されました。
「厚生省博多引揚援護局保養所」・・・その診療所には、こう記された看板がかけられていたと言います。福岡県筑紫野市にある二日市温泉にあった愛国婦人会の保養所跡がその診療所でした。かつての教え子の惨劇を知った京城帝大医学部の医師たちは、朝鮮人を始め、ソ連兵、中国人などに陵辱された日本人婦女子の窮状を救う決意をし、その願いがやがて公的な診療所として開設されることになりました。終戦の翌年昭和21年3月超法規的措置で、非合法な中絶手術を実施する施設ができました。それが通常「二日市保養所」と呼ばれるところです。
浴室を改造した手術室、麻酔もない時代、女性たちは激痛に耐えました。
こうした女性たちの悲実を埋もれさせてはいけません
当時の大陸で、朝鮮で我が同胞婦女子が受けた陵辱は、口にするのも恐ろしい悪夢にも似ています。当時の日本軍、日本政府、日本国を非難する前に日本人婦女子、抑留され、酷使された同胞の受けた惨劇の実態を知って下さい。昨日までの隣人の豹変と、禽獣にも等しい暴挙に遭った彼女たちのことを想い、闇から闇に葬られた水子たちの霊を弔う為に立てられたのが「水子地蔵」であり、「仁」の一文字を刻んだ石碑です。
世に蔓延る従軍慰安婦なる被害者面した売春婦に諂うことなく、陵辱に死を選ばざるを得なかった日本女性、生き永らえながらも我が子を堕胎しなければならなかった日本人婦女子の存在を忘れないで下さい。日本人婦女子が半島で、大陸で受けた言語に絶する惨劇は、声なき彼女たちに代わって、歴史にはっきりと記し、永久に語り継がれなければならないのではないでしょうか。
ある日本人女性は、自らの目で見た朝鮮で我が同胞婦女子が受けた陵辱の様子をほぼ実話のままに小説化しました。その書籍がその教育的価値の高さからアメリカの学校で副教材に指定されるや、何一つとして事実を知らない在米の韓国人少女は狂ったように叫び、在米韓国人団体は不当な圧力をかけてその書籍を学校から葬り去り、あまつさえ、著者の父を誹謗中傷さえしています。
今も精神的陵辱を受け続けていることを肝に銘じるべきです
こうした事実を知っても尚陵辱に耐えろといいますか
辱めを受けた同胞の為にも沈黙は出来ません
昭和12年の通州事件
通州の丘 結城道子(超希少盤?)
= 我々こそ最大の被害者であることを忘れないで下さい =
参照サイト:
二日市保養所
舞鶴引揚紀念館
竹の森遠く
知らずに死ねるか!
朝鮮人による我が国の被害(石根せいいちろう)
本当の日本の歴史(歴史)
飯山達雄「敗戦・引揚げの慟哭」より
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戦死された23歳の息子さんに贈った花嫁人形(遊就館)
靖 国 神 社 花嫁人形靖国神社・遊就館に祀られている独身の御霊に家族や肉親が捧げた花嫁人形が展示されていることを御存じの方は多いと思います。
上の画像は84歳になったご英霊のお母様が、沖縄で戦死された、当時23歳の息子さんにあてた手紙とともに奉納されたものです。 23才の若さで家を出て征く時「今度逢う時は靖国神社へ来てください」と雄々しく笑って征った貴男だった。 小野田寛郎氏は、(祖國と青年2005年7月号) で次のように述べている。 「靖國神社に異論があってお参りしたくない人は、来ていただかなくて結構だと私は思います」
「とにかく、私たちが『死んだら神さまになって会おう』と約束した場所が靖國神社であり、その靖國神社を国家が護持しないということは、借金をしておいてそれを支払わないようなものです。 それはまだ我慢するとしても、靖國神社とは別の追悼施設をつくるなどというのは、死んだ人間に対する反逆、裏切りであります」 「残された奥さんや子どもさんは大変お気の毒だったとおもいます が、亡くなった本人はお詣りしてくれる人がいるのだなあとつくづく思 います。 お子さん、お孫さんと代々家でお祀りしてくれる人がいる。 しかし、独身で亡くなった私たちの仲間は、親兄弟が亡くなった後は 誰がお祀りしてくれるのだろう。 最近はついついそういう事を考えてしまいます。 そうしますと、簡単に『死んだら神様だ』と言いながら散華していった 人たち祀ってあげるのはやはり靖國神社しかないのです」 *** 遊就館の花嫁人形は彼らに親族が捧げたものだ。 国が祀らなくてどうする。 *** 「靖國の英霊に対して『心ならずも戦死された』などという人がいます が、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。」 (祖國と青年2005年7月号)
下の動画の後半は「たかじんのそこまで言って委員会」で評論家の三宅久之氏が遊就館を訪れた時のものです。胸が熱くなりました。
現世の我國は祖国の為、愛する家族、愛する人の為、後世の我々の為に、尊い命を散華されたご英霊にあまりにも非情ではありませんか。
今年の8月15日は靖国神社に参拝した閣僚ゼロという悲惨な有様です。これはいったいどういうことでしょうか。
民主党政権にとっては、靖国に祀られる英霊は、国家の敵なのでしょうか。 彼らはいったいどこの国の総理・内閣なのでしょうか。 そもそも
「民主党政権は『村山談話』の精神を尊重する。
私が首相になったら靖国神社には参拝しない。 閣僚にも自粛を求める」 と言っていた政党を支持し、多数を与えたのは日本国民です。
尖閣諸島、北方領土問題、閣僚の不適切な発言に右往左往する情けない政権。
民主党に限らず、保守という名を語る野党もそうです。
靖国神社を国家護持もせず、腰ぬけ外交を繰り返した結果が情けない今日の我國です。ご英霊がお嘆きでありましょう。
「こんな國にする為に、命を捧げたのではないと」
靖国に祀られる英霊
246万6,532柱 ひとりひとりの御霊に人生があった、物語があったはずです。
我國は、靖国をもっと大切にしなければならない。
中国、韓国、北朝鮮、この三国の恫喝を恐れることなど何もないのです。
堂々と我國の主張を述べればよいのです。
そして堂々と靖国神社に参拝するのです。
そして、政治にご配慮されている、天皇陛下にもご親拝していただけるようにするべきです。
ご英霊は陛下のご親拝を一番喜ばれるでありましょう。
私は國民すべてが靖国に参拝することを義務づけるべきだと思います。
それができないのなら、日本の國から去るべきです。
ご英霊の尊い犠牲の上に今日の繁栄を享受しているのです。
憲法で保証された信教の自由を述べる人がいるかもしれない。靖国は宗旨が違うからという方です。
しかし「靖国で会おう」というのは、日本国と亡くなられた英霊たちとのお約束です。 日本は、道義国家です。 お国柄を忘れた国家のいく末は、悲惨なものでしかありません。 花嫁人形はそれを語っています。
靖国神社国家護持
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