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靖国神社(六)

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靖国神社
 
 
 
靖国神社(五)より続きます。
では、戦後日本は「極東軍事裁判」をどのように捉えていたのでしょうか?
 
戦後日本は、極東軍事裁判を戦勝国による日本への復讐と考える知性を持ち合わせていたのです。
国会は、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」の審議(昭和二七年、第十五回国会・衆議院)を通して、「極東軍事裁判」の違法性を宣言しました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」は、講和発効後も収監されたままの戦争犯罪人を、早期に釈放されることを求めたものでした。この決議は、自由党・改進党・左右両社会党・無所属倶楽部の賛成を得て、圧倒的多数で可決された(昭和二七年十二月)。なお、この決議に反対したのは、労農党・共産党だけだったのです。
 
以下にその決議文を記載します。
 
『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議』
「独立後、すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
よって衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。右決議する。」
 
この決議が、極東軍事裁判を否認する内容であることは、提案者のひとりである、山下春江代議士の趣旨説明演説から明らかであるので以下にその演説内容を抜粋します。
 
山下春江代議士(改進党)の演説
「・・・(戦犯裁判は)勝った者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸外国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。」
 
社会党の古屋貞夫議員も、同様に、極東軍事裁判の違法性を強く訴えている。以下にその演説内容を抜粋します。
 
「戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追求するということは、正義の立場から考えましても、基本的人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。・・・世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であって、われわれはこれを忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。」
 
戦後日本は、戦争裁判で処刑された「戦犯」をどう扱ったか。
 日本政府・国会・国民は、処刑された「戦犯」は戦死と同じ公務死であり、国家に殉じたものと考えました。
このことは、「遺族援護法改正」の審議(昭和二八年七月)を見れば明らかである。
この「遺族援護法改正」は、占領中何らの補償も受けられなかった「戦犯」の遺族へ弔慰金などの支給を可能とするものだった。

 山下春江代議士(改進党)は、昭和二八年七月二一日、衆議院厚生委員会次のように述べている。
「戦犯で処刑されました方々を公務死にいたしたいというのは、大体国会における全部の意見のように考えるのでありますが、政府はそれを公務死に扱うことは、いろいろ国際関係その他の情勢を勘案して、ただちに行うことはどうかというような答弁をかつてなさったのでありますが、外務省はどういうお考えをお持ちになりますか。・・・国民としては、当然すでになくなられた方には上も下もなく同一に国家のために公務で死没されたものと扱いたいのでありますが、そういうことに対する政府の見解をただしたいのであります。・・・」
これに対し、広瀬節男外務省参事官の答弁は、
 
「(戦犯の刑死は公務死との考えに基づき)被処刑者の遺族の援護は、社会保障的見地から見ましてももっともなことだと思いますし、国際関係上から見ましても支障ないものと認めまして、外務省としては何らこれに異議はございません。こういうことを省議決定いたしましたことをご報告申し上げます。」
今日の社民党では考えられませんが、堤ツルヨ代議士(社会党)は、遺族援護法改正に賛成して、次のように述べている。
 
「(戦争犯罪者として)早く殺されたために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社にさえも入れてもらえないというようなことを今日の遺族は非常に嘆いておられます。・・・遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然だと思います。」
 
 
少なくとも、昭和二八年当時の社会党は、「戦犯も一般の戦没者と同じく扱われるべきであるという」国民感情と政治上の理性を持ち合わせていたのである。
 
 平成日本の政治家よ、昭和二八年の常識に戻れ、と言いたい
今の日本は狂っています。
日本人の良識、日本国の政治家としての良心は何処へ行ったのか?
 
 
そして国挙げて、御國の為、命を捧げられた、靖国神社の英霊に誠の感謝を捧げるのです。
 
 

靖国神社(五)

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靖国神社
 
 
靖国神社に合祀されている人々の多くは、黒船来航より、大東亜戦争まで御国に命を捧げた人々であり、国家には戦死者を慰霊する責任と義務があります。国家護持すべきであり、慰霊が国家の行事として行われるものであれば、その行事に国家の代表である内閣総理大臣が、その資格において参拝するのは、当然である。また、閣僚の参拝も公務員としての義務であり、大臣という公的な立場による参拝が行われなければなりません。
戦後、首相による靖国神社参拝は、すべての首相ではありませんが、続けられてきました。終戦まもない昭和20年8月18日に、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこ・おう)首相が参拝したのを初めとして、昭和60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝するまで、12人の歴代総理大臣が参拝しています。それ以後、首相の参拝が途絶え、平成8年7月29日に橋本龍太郎首相が参拝したのを除き、平成13年8月13日に小泉純一郎首相が参拝するまで、実質16年間参拝がされていませんでした。
 
中曽根総理以前の首相は、何ら問題なく靖国神社参拝を行ってきた。歴代首相の靖国参拝回数は、以下のとおり。
第一期  首相の靖国神社公式参拝が、何ら障害なく行われた
 
 
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東久邇宮稔彦  一回(昭和二十年八月十八日)
 
 
 
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幣原喜重郎   二回(昭和二十年十月二三日、十一月二十日)
 
 
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吉田茂     五回(昭和二六年十月十八日、二七年十月十七日、二八年四月二三日・十月二四日、二九年四月二四日)
※占領下でも吉田首相は堂々と参拝した。
※吉田首相から田中首相にかけては、主として春秋の例祭に参拝した。
 
 
 
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岸信介     二回(昭和三十年四月二五日、三三年十月二一日)
 
 
 
 
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池田勇人    五回(任期四年四か月)
 
 
 
 
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佐藤栄作   十一回(任期七年八か月)
 
 
 
 
 
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田中角栄    五回(任期二年五か月)
 
第二期  首相の靖国神社参拝に障害はないが、私的参拝
 
 
 
 
 
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三木武夫    三回(任期二年)(私的参拝)
※三木首相は、私人としての参拝を表明したため、政治問題化した。
 
 
 
 
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福田赳夫    四回(任期二年)(私的参拝)
 
 
 
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大平正芳    三回(任期一年七か月)(私的参拝)
※いわゆる「A級戦犯」合祀の後も大平首相は参拝を続けた。
 
 
 
 
 
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鈴木善幸 八回(任期二年五か月)(六回は私的参拝、昭和五七年八月十五日・十月十八日の二回の参拝は、公人か私人か明言せず)
 

 第三期 首相の靖国神社参拝が、中韓両国の内政干渉により、中断に至る。
 
 
 
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中曽根康弘 十回 (昭和五七年十二月から昭和六十年八月、昭和六十年八月は公式参拝、一礼方式)

宮沢喜一 一回(平成四年) 但し、まぼろしの参拝。退任後の証言
 
 
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橋本龍太郎   一回(平成八年七月二九日)
※橋本首相は参拝したが、その日は自身の誕生日だった(公私不明)
 
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小泉純一郎   六回(平成十三年八月十三日)
 
 
 
昭和20年の東久邇宮稔彦王から昭和49年の田中角栄首相まではすべて、
首相としての公式参拝でした。
この四半世紀の間は、内外ともに何ら問題はありませんでした。
 
昭和50年 三木武夫首相は私的参拝を表明した。首相としてではなく
私人として参拝し、公用車も使用しなかった。
戦後の「首相の靖国参拝」は、昭和四九年十月十九日の田中角栄首相の参拝までの二九年間、全て公式に行われました。この三木首相の私的参拝は、戦後ずっと行われてきた「首相の靖国公式参拝」という先人の行為を否定し、戦没者を冒瀆するものといえよう。しかも、それまでの「首相の靖国参拝」が、あたかも「私的参拝」であったかのような印象を、国民や反日マスコミに与えてしまった。
いずれにせよ、三木発言以降、福田・大平・鈴木の三総理は、わざわざ私的参拝とことわらなければならない羽目に陥ることとなった。
そのため、首相の参拝が憲法問題となり、公式か私的かの論議が紛糾したのです。以後、福田・大平・鈴木の各首相は、この点をあいまいにして参拝を続けたのです。本件に決着をつけようと考えた中曽根康弘首相は、有識者による「閣僚の靖国神社の参拝問題に関する懇談会」(靖国懇談会)を設けました。靖国懇談会は、首相の参拝は「合憲」との見解を答申した。中曽根首相はこの見解を受けて、昭和60年8月15日、首相としての資格で参拝した。三木首相以来10年間途絶えていた公式参拝でしたが、神道色を排した、祭神に対しては非礼な参拝でした。
同年9月20日、中国外務省が抗議した。靖国神社には「A級戦犯」が合祀されており、首相の参拝は「我が国人民の感情を傷つけた」といいがかりをつけてきました。「A級戦犯」とされた日本人の合祀は昭和53年に済んでおり、以後まったく問題になっていませんでした。突如として中国の批判を受けた中曽根首相は、以後の参拝を取りやめました。取りやめの理由は、中国政府内部の権力闘争に配慮したという。自国の戦没者の慰霊という重要な内政問題を、外国の内部事情に配慮して決めるというのは、愚かであリ、独立国の首相としては失格であり、今日の政治の堕落は中曽根首相によって始まったといっても過言でありません。
中曽根首相以後、竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山各首相は、中曽根氏にならって参拝せず、中曽根氏は退任後、靖国神社に代わる慰霊施設の必要性を述べたり、「A級戦犯」の分祀を働きかけたりするなどして、政界・世論を誤導しました。この戦後屈指の政治家の大きな汚点であり、国賊に値します。
中曽根氏の意を体していたのが、後藤田正晴元官房長官・金丸信元自民党副総裁らであり、野中広務元官房長官も同様の考えを明らかにしています。
 
昭和六十年十月二八日自民党幹事長金丸信氏は、「中国が問題にしているのは、東条英機らのA級戦犯が祀られているからだ。なぜ、A級戦犯が祀られているのか。」と、中国政府に迎合した発言しています。
 
昭和六十年十月三十日、自民党副総裁二階堂進氏は、駐日中国大使に
「率直に言って私も東條元首相らが合祀されていると知らなかった。中国国民の感情はよくわかる。私も個人的に反省している。」と述べた。
 
昭和六十年十二月四日桜内義男外相は、中国の呉学謙外相に、靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ平和条約第十一条から見て問題がある。戦犯合祀が当時表立って行われていれば、平和条約第十一条を指摘する政治家がいて、合祀は行われていなかっただろう」と、救いようのない売国的発言を行いました。
 
しかも、中国の内政干渉を呼び込んだのは、いつもながら反日新聞と言われる朝日新聞でした。
朝日は、昭和六十年八月七日、中曽根首相の靖国公式参拝を「中国が厳しい視線で凝視している」と書きたてた。これに呼応して、中国の人民日報は、八月十日、靖国問題に批判的な日本国内の動きを報道したのです。
これに反日野党、社会党が昭和六十年八月二六日、訪中した社会党田辺書記長の発言が、中国の対日非難に火をつけた。田辺書記長は、中曽根内閣が「軍事費の拡大・靖国への公式参拝・スパイ防止法策定の画策」を行い、「軍事大国」を目指していると非難し、中国政府に迎合した発言を繰り返した。この田辺書記長の行動は、まさに外国の干渉を誘致する売国行為と言わざるを得ません。政治家は、例え政敵であっても自国の政治家の悪口を、外国人に向かって言わないものです。田辺書記長も、かつて故松村謙三氏が言ったように、中国の政治家に向かって「わたくしの前で、日本の政治家の悪口を言うことを決して許しません」というべきであった。反日政党の反日政治家の暗躍、ここに極まりまっています。
 
その社会党の残党が多く在籍する、反日与党「民主党」の野田首相が、野党時代に「戦犯は存在しない」と国会で明言したことは、記憶に新しいところです。
 
投稿文字数に制限がありますので、靖国神社(六)に分割します。
コメントは、靖国神社(六)に頂けましたら、幸甚に存じます。
 
 
 
     
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

靖国神社(四)

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昭和天皇陛下 靖国神社 御親拝 御尊影
 
 
靖国の英霊を思い詠まれた明治天皇陛下、昭和天皇陛下の御製です。
 
 
よとともに 語りつたえよ 国のため
          命をすてし 人のいさをを
 
畏くも明治天皇陛下、明治37年の御製です。大意は、(国のために生命を捧げた人たちの功績を、いつの世までも語り伝えていって欲しい)
 
 
忘れめや 戦(いくさ)の庭に たふれしは
          暮しささへし をのこなりしを
 
畏くも昭和天皇陛下、昭和37年の御製です。大意は(忘れることができようか。戦場で亡くなったのは、みな家庭のくらしを支えていた男たちだったことを)
 
 
《歴代天皇陛下の靖国神社御親拝合計回数》
明治天皇陛下   七回
大正天皇陛下   二回
昭和天皇陛下  二八回
今上天皇陛下   五回(但し、皇太子殿下時代)

戦前戦後を通じて、靖国神社の春秋の例大祭では、皇室の勅使(天皇の使者)が差し遣わされ、「奉幣」が行われてきた。皇室の幣帛(へいはく=神に供える物)を、伊勢神宮と靖国神社に奉(たてまつ)る伝統は、現在に至るまで変更されていません。
終戦後、昭和天皇陛下は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社にご親拝あそばされた。 それ以来、30年間ご親拝が続けられていた。しかし、昭和50年、秋の例大祭に昭和天皇陛下が参拝されて以来、今上天皇陛下の御代もご親拝は途絶えています。
今上天皇陛下におかせられましては、皇太子殿下時代には5回、参拝あそばされた。死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇陛下がご親拝されると信じ、そこに栄誉を感じていたのです。昭和50年以降、天皇陛下のご親拝がないという日本の現状は、英霊の期待を裏切るものとなっています。
これは天皇陛下の責任ではなく、政治の責任です。
 
昭和天皇陛下におかせられましては、たえずご親拝の御意向を持ちつづけられていたのです。
天皇陛下の靖国神社ご親参拝は、内閣の指示があって、はじめて可能となるのです。それまで政府は天皇陛下の靖国神社ご親拝を許可してきたのです。
陛下が切望されていた「靖国神社御親拝」を、昭和五十年を境にして阻んだ原因には、次のようなものが考えられます。
同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが影響していることは明らかです。
また、日本の体制転覆を企む極左集団は、その闘争目標を昭和三十年代の政府と国会、昭和四十年代の学園闘争から、昭和五十年代には皇室へとかえたのです。
昭和五十年九月三十日の昭和天皇陛下訪米には、「天皇訪米絶対阻止」叫び、昭和五十年九月十五日、同時に三件の皇室へのテロ事件(伊勢神宮の内宮別宮の瑞垣御門焼き討ち事件、葉山御用邸火炎瓶事件、宮廷駅に接続する原宿駅での発煙筒事件)などが起こった。
この日から昭和天皇陛下訪米までの間、都内は、一万数千人の警察官を動員する程の非常事態となったのです。
昭和五十年代、左翼暴力集団による「反天皇運動」が激化する中、靖国神社への御親拝は、警備上の問題もあって差し控えられたものと考えられます。
また、国会においても、極左集団に呼応するように、昭和50年以降、社会党などから皇室を標的とする国会質問を行った。
秦豊参院議員(社会党)は参院内閣委員会において、昭和五十年五月二九日、皇室の御祭祀にまで難癖を付けたのです。
その内容は以下のとおりです。
 
【秦豊議員の「宮中祭祀・憲法違反」質問】
「侍従は国家公務員であり、天皇の名代ということも個人的な資格ということが許されないと思います。伊勢神宮は明らかに宗教法人であるというありようにあわせてこれは明らかに憲法二十条に抵触する習慣と思います。これを習慣として見逃すことは余りにも重大であると思います」
 
それに対して、角田内閣法制局第一部長は、あろうことか次のように秦議員の意見に賛意を表明した。
 【角田内閣法制局部長の「宮中祭祀・憲法違反」への賛成答弁】
「神社へお参りするという場合もいろいろな方法があるわけでございます。いわゆる神道の儀式によって正式に参拝をするというような、いろいろなやり方があると思いますが、そのやり方によって、ある場合は宗教的行為、あるいは宗教活動になるだろうと、しかし、非常に単純なおじぎをするだけではそういうものにならないというような考え方もあると思います。」
 

「皇室の祭祀」を誹謗中傷する意図をもった社会党議員の意見に、法制局が賛成して、皇室の伝統である祭祀のやり方まで容喙するという異常事態となり、また社会党に遠慮した、宮内庁は内閣法制局の意見に合わせて、昭和五十年九月以降、突如として、それまで明治以降毎朝行われてきた宮中でのお祭りを大幅に変えてた。それは、明治以来慣例となっている、侍従が陛下にかわって、毎朝、宮中三殿への代拝を行うのを次のように変更しました。
 
①浄衣に笏を持った姿をモーニング姿にかえ、
 ②宮中三殿の殿上での拝礼を、庭上からとした、
 ③御馬車での参進を自動車へかえた。(当時、宮内庁掌典補永田忠興氏の証言による)

それだけにおさまらず、伊勢神宮をはじめ橿原神宮や靖国神社への勅使が、従来の侍従から掌典へと変えてしまいました。
由々しき事態です。
昭和五十年以降の「靖国神社御親参拝中断」の真因も、社会党を始めとする野党による宮中祭祀へのいわれなき批判と、政府部内にこの批判に呼応する勢力が強くなっていったのです。

 
昭和五七年の昭和天皇陛下の御製に次の御歌、
 
「わが庭のそぞろありきの楽しからずわざわひ多き今の世を思へば」
 
昭和五十年以降の靖国神社参拝を含めた皇室祭祀への内外の攻撃をも強く御憂慮された陛下のお気持ちが込められています。
 
 
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
 
前年の昭和六十年に靖国神社公式参拝した中曽根首相が、中国の内政干渉に屈し、この昭和六一年は靖国神社参拝を断念しました。
これは、日本政府の中国政府への「屈服・屈辱記念日」とも呼ぶべき、昭和六一年八月十五日に詠まれた昭和天皇陛下の御製です。
昭和天皇陛下は、日本政府の腰の据わらない対応に困惑されたばかりではなく、靖国神社へのご親拝が実現できないことを靖国神社に祀られている神々である英霊に詫びておられる叡慮がひしひしと伝わってきます。昭和天皇陛下が、靖国神社参拝を切望されていたことは、この昭和六一年の御製であきらかです。
 
畏くも昭和天皇陛下は崩御あそばされるまで、「靖国神社ご親拝」がおできにならないことに御心痛なさりあそばされておられた。そのことは、昭和天皇陛下が病床にあられながら、最後にご臨席された「全国戦没者慰霊祭」の日(昭和六三年八月十五日)に詠まれた御製で、あまりにも明らかであって、多言は要らないでしょう。
 
 
 
 
「やすらけき世を祈れどもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」
 
昭和天皇御製(昭和六三年八月十五日)
 
 
御國に命を捧げられた英霊は、畏くも天皇陛下のご親拝を待ち焦がれておられるでありましょう・・・一日千秋の思いで・・
 
 
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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下、最後の靖国神社 ご親拝 御尊影
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

靖国神社(三)

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靖国神社
 
 
靖国神社(一)では靖国神社のあらまし、靖国神社(二)では、靖国問題の根っこについて持論を述べさせていただきました。
今回は、世界から見た靖国神社について述べさせていただきたいと思います。
 
靖国神社(一)でも述べましたが、どこの国でも、祖国を守るために斃れた戦死者に敬意を表する場所があります。
アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地、中国の人民英雄記念碑、インドネシアのカリバタ英雄墓地など、形は様々ですが、国民の魂のより所とも言うべき聖地になっています。
いかなる宗教を持とうとも、国のために亡くなった人々の魂を鎮める場所を求めるのは世界共通の心情であり、近代国家の成立とともに世界各国はそれぞれの伝統に基づいて戦歿者追悼の国家施設を生み出してきました。
交通手段の発達とともに外交使節や政治家の往来が活発化し、相手国を訪れた際には戦歿者追悼施設に敬意を表することが外交儀礼のひとつとして重視されるようになりました。
 
戦前、靖国神社も多くの外国要人、国家元首が参拝しました。
多くは欧米からの参拝でした。それはタイを除く多くの民族が、欧米の統治下にあり、独立国家ではなかったからです。
昭和六年八月二十七日、大西洋単独飛行で有名となったアメリカの飛行士リンドバーグ夫妻が、昭和七年三月二日、イギリスのリットン卿一行が参拝しています。
リットン卿一行とは、国際連盟リットン調査団のことで、我が国の満洲政策を実地に調査し、批判的な調査報告書を提出したことでよく知られていますが、我が国の行動を非難したグループでも、靖国神社には正式に参拝している事実を知る時、戦争の評価とは無関係に、戦歿者に敬意を表することが国際儀礼であることを改めて実感させられます。
昭和十六年十二月八日の大東亜戦争勃発とともに、参拝する外国要人の顔触れもがらりと変わり、我が国の同盟国の要人と、大東亜戦争を契機に欧米宗主国の軛くびきから脱し、独立を獲得し始めたアジア諸民族の代表者たちが次々と参拝しています。
 
大原康男著『神道指令の研究』では次のように述べています。
 
未曾有の敗戦の中で、敵・連合国のGHQは我が国を占領し、「再びアメリカを始めとする連合国の脅威とならないようにする」ため、我が国の諸制度に根本的な改変を加えてきた。特にGHQの中には、軍国主義・超国家主義を廃絶するという観点から、靖国神社と護国神社の廃絶を主張する者もいた。
しかし、ポツダム宣言で保障した「信教の自由」という建前はもちろん、それ以上に靖国神社・護国神社の存続を願う一般国民の願いを無視することはできず、神社の廃絶まではいかなかった。
特に神道に対して敵意丸だしの神道指令を起草したGHQの民間情報教育局(CIE)の幹部は、当初、神社の祭典は軍国主義的な行事や扇動的な説教があると思い込んでいたようであるが、終戦直後の昭和二十一年二月、靖国神社の祭典を視察した際、軍国調とはおよそかけ離れた静かで簡素な、しかも清浄な感じのものであったため、予想に反した強い印象を受け、これがきっかけとなって、靖国神社のみならず神社神道に対するGHQの認識が大きく変わったようである。
 
我国を侵略国として非難するためにGHQが開催した政治ショーである極東国際軍事裁判の効果もあって、国際社会において我が国は残虐な侵略国家との烙印を押さた。当然のことながら、靖国神社に対しても圧倒的なマイナス・イメージを植え付けられたのです。それでも、肉親を戦争で亡くした日本人の大多数は靖国神社に対する崇敬の思いを変えることなく、国家による靖国神社護持を強く政府に求めていきました。
しかし、GHQの政治宣伝に惑わされることなく、靖国神社を日本の公的な戦歿者追悼施設と見なす外国要人(在日米軍幹部を含む)も決して少なくはなかったのです。
神道指令の法的拘束により、日本政府は表向き靖国神社にかかわることはできなくなり、訪日する外国要人に靖国神社参拝を勧めることは難しい事態となったにも関わらず戦後、靖国神社に参拝した外国要人たちのほとんどは自ら望んで参拝してくれたのです。
その行動は外交的な儀礼にとどまらず、我が国の戦歿者に対する、特別な思いの現れとして受け止めることができます。
戦前に比較して、外国元首の参拝が少ないのは、外務省が「靖国神社は日本の公的な戦歿者慰霊施設ではない」という考えをもっているからである。実際にアメリカのアイゼンハワー大統領が参拝して日本の戦歿者に敬意を表したいと要望したのに対し、外務省が難色を示して潰れたことがあり、中国などから首相の公式参拝を批判された昭和五十四年以降は、参拝を公式日程に入れることを希望した元首級の要人に対して、外務省が婉曲的に反対しているので、元首クラスの参拝は、ほとんど実現を見ていないのが真実です。
 
世界各国の練習艦隊が遠洋訓練の途中、日本に立ち寄り、日本の戦歿者に敬意を表するべく靖国神社に正式参拝するケースもあります。
戦後初めて正式参拝に訪れた外国軍隊は、フランスの練習艦隊でした。
昭和三十八年二月十一日午前九時、遠洋訓練の途中、日本に立ち寄った巡洋艦ジャンヌ・ダルク号、護衛艦ビクトール・シェルシエ号の士官候補生及び乗組員百六十名は分乗したバスから降りて、神門前に整列。軍楽隊を先頭に隊列を整えて発進した。真っ白な手袋にゲートル、礼装用の剣を携え、中庭に参進。横隊に整列し、修祓の後、ジャンヌ・ダルク号艦長ストレリー大佐が本殿木階下に花輪を奉奠、この時ストレリー大佐以下全隊員軍楽隊の奏楽とともに捧げ銃をし、一分間の黙祷を捧げました。
昭和三十九年十月七日には、練習艦隊で来日中のイタリア陸海空三軍の士官候補生九十名が、ジュリオ・アンドレオツテイ国防大臣、練習艦隊司令官ダラデーネ海軍中将とともに参拝してくれました。
 
大東亜戦争で被害を蒙ったと主張する中国人や、欧米統治下における中間管理者としての地位を失った東南アジア諸国の一部華僑が今なお、大東亜戦争のシンボルとして靖国神社を非難していることはご存知だと思います。
しかし、
「アジア=大東亜戦争の被害者」という構図だけでは、なぜアジアの要人たちが次々に靖国神社にそれも自主的に参拝するのかは理解できないでしょう。
アジアには、中韓両国とは違った感情が存在しているのです。
昭和三十年代に入ると、大東亜戦争とその後の独立戦争を勝ち抜いて独立を達成したアジアの要人たちの参拝が増えてくる。特にビルマ(現ミャンマー)、インドネシア、タイの要人が参拝しました。
ビルマのタキン・バセイン副首相は何度も来日し、そのたびに靖国神社に参拝しています。
ASEANセンターの中島慎三郎氏によると、タキン・バセイン氏はある時、靖国神社の社頭で参拝し、涙を浮かべてこう語ったという。
 
「ビルマの独立のためにたくさんの日本兵が死にました。アジアが貧乏で弱いから、独立というビルマ自身の仕事を日本兵に頼みました。(インパール作戦では)二十万以上の日本兵が死去しました。いまもビルマの山野に眠っています。ビルマ人は兵隊さんに申し訳無いと思っています。ビルマ人は兵隊さんの志を忘れません。兵隊さんよ、ビルマを立派な国にするから見ていて下さい。兵隊さんが作ってくれたタイ・ビルマ(泰緬)鉄道は使っています。兵隊さん、ありがとう。」  と・・・・
 
 
ビルマは、独立運動の指導者として有名な「三十人の志士」が日本軍の鈴木敬司大佐(南機関)によって育てられた上、昭和十八年八月一日、日本軍の支援のもと独立を宣言した(国家代表バー・モウ)という経緯もあって、日本を抜きにしては独立を考えることはできない歴史を持っています。
 
インドネシアの政府関係者の参拝も多いのです。
三百五十年にわたってオランダに支配されたインドネシアはその間幾度となく、反オランダ独立闘争を起こしましたが、その都度制圧されていました。
それだけに、僅か七日間余りで宿敵オランダを打倒した日本軍に対する期待は熱狂的でした。そして日本軍に物資や労務を提供する代わりに、インドネシア人による軍隊(独立義勇軍=ペタ)の結成や官僚組織の確立、教育体制の整備などを日本軍の支援のもとに着々と進めました。
日本軍は降伏しましたが、二日後に独立を宣言し、再び植民地化を目論むイギリス、そしてオランダ軍と四年間にわたって激しい独立戦争を戦い抜いた。この独立戦争のために、日本軍はひそかに大量の武器や資金を提供しただけでなく、約千人(一説では二千人)の日本兵がインドネシアに残り、独立軍の一員としてオランダと戦ったと言われています。
インドネシアのサンバス少将が昭和五十年代のある時、ASEANセンターの中島慎三郎氏とともに靖国神社に参拝し、こう嘆やかれたそうです。
 
「アジア諸国の独立を促した大東亜戦争の勇士たちを尊敬し、その英霊に敬意を払おうと思っているのは、何も日本人だけではない。大東亜戦争はわれわれアジアにとっての独立戦争だったのであり、その意味で、靖国神社はアジア独立の聖地でもあるのだから、それにふさわしい威容を備えてほしい」
 
サンバス少将の訴えがいまの日本人にとって奇異に聞こえるのは、日本人のほとんどが、そもそも大東亜戦争自体は日本人だけの戦いではなかったという事実をすっかり忘れ去ってしまっているからで、当時日本人だった韓国、台湾、パラオの人々、同盟国だったタイ、フィリピン、ミャンマー、自由インド仮政府、中国の汪兆銘政権の人々が大東亜戦争をともに戦ってくれたという事実をも知らないからです。
 
インドネシア独立戦争の指導者の一人ブン・トモ情報相は昭和三十二年にこう述べている。
 
《われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人にたいして何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、“これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本にだけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった。》(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』)
 
「大東亜戦争はわれわれの戦争である」と思っているからこそ、いくら連合国や中国・韓国などが大東亜戦争を侵略戦争と非難し、靖国神社を軍国主義の中心と批判しても、そして当の日本の外務省が嫌な顔をしてもなお、アジアの要人たちは靖国神社に特別の思いを寄せ続け、自ら望んで靖国神社に参拝し続けてきたのではなかったのではないでしょうか?
 
我が国の為政者たちは、靖国神社公式参拝を見送っても、一部の保守層から反発があるだけだと安易な思考しかありません。しかし国際的に見れば、一国の首相が靖国神社に参拝しないということは、「為政者たるものは自国の戦歿者に最大級の敬意を払うべきである」という国際常識に背を向けることであり、そうすることによって欧米諸国からもアジア諸国からも、侮りと不信感を持たれ、国際的信用も失っていることを知らねばならないし、日本の信用は先人の血によって得られていることも忘れてはならないのです。
 
世界の常識は日本の非常識とはこのことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

靖国神社(二)

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靖國神社
 
 
 
前回は、靖國神社のあらましについて述べさせていただきました。
今回は靖國問題の根っこについて、述べたいと思います。
 
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、日本という国の根幹に関わるる大きな問題なのです。
今現在、日本列島に住む我々日本人は、日本の國がどうあるべきか?独立した國でありたいのか、自分の國を護って行こうとする意志があるのか、建国以来の文化、歴史、伝統を護り、継承していく意思があるのか、単なる個人の寄せ集めの國ではなく、戦前のように纏まった國でありたいのか、何より大事なことは、先祖と現世の我々、未生の子孫との間に、生命と愛情の絆のある國であろうとするのか?ないのか・・深く、大きな問題なのです。
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持ち、他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、母国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱きます。
我らの子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持ち、そういった意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に誠の感謝と尊敬を惜しみません。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。
反対に、独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となるり、ますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国と成り下がります。母国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や我欲、繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなっていくのです。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解していき、一旦緩急あって、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、蹂躙され、滅亡にいたる。それが現在の日本の国の姿ではないでしょうか?
戦後、國を裏切り、同胞を裏切った多くの日本人がいます。人権、平等、の美名の名の下に、國の体制転覆を目指している日本人は、後者に当たります。
建国以来、國を護る為に、我々の先祖や先人が命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、國を守り、自分の家族やその時代の國民のためだけではなく、これから生まれてくる子孫や、将来の国民のためでもあったということを忘れてはならない。
戦後のわが國では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて國を守ろうとするでしょうか?
現世の若い世代には、大東亜戦争で米国と祖国日本が戦ったことすら知らない人もいます。國を衰退させる為に反日教育をしている、日教組教師から教えられた嘘・捏造の歴史を疑うこともなく信じています。
また、確たる歴史認識もなく、行政の長「内閣総理大臣」が世界に向けて贖罪を繰り返している有様です。
戦没者の慰霊という問題は、過去に亡くなった人たちの慰霊という問題だけではありません。
現在、そして将来に渡って、自国をどのように国を維持し、発展させていくかという問題につながる日本人の根っこの問題なのです。
 
中国・韓国などからの靖国に対する恫喝など、さしたる大きな問題ではありません。為政者にありながら、諸外国に配慮などと、適当な言い訳に終始し、靖国に参拝せず、またこれ等に関心をもたない国民、蔑ろにする精神のほうが大きな問題です。
 
慰霊と靖国という問題は、国家、主権、道徳、生命、文化、歴史、伝統等が結集する国家・国民の重要問題です。言い換えると、日本人が互いを結ぶ絆に関わる大きな問題なのです。
 
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回は「世界から見た靖国」について述べさせていただきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
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