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前章、日本再生(上) では、大東亜戦争の総括 ・占領政策の克服、憲法、皇室の復興について述べさせていただきました。本章では、日本国民の復活、自主国防の整備 、誇りある歴史の教育 ・日本道徳の回復 についてです。
(四)日本国民の復活
占領は、6年8ヶ月に及びました。占領政策の多くはは、日本人としての誇りを奪い、愛国心を損ない、自ら国を護るという意思を挫くものでした。大東亜戦争を犯罪とみなし、誇張・捏造して宣伝・教育し、日本人が日本人であることに自己嫌悪に陥るように仕向けました。団結することは危険だという意識を植え付け、団結心を自己規制させ、その一方で、個人の自由と権利を拡大し、義務を縮小したのです。
その結果、国民としての意識が低下した。国民より個人や市民などという階級に関心を分散した。日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(正式名称)略称(日米安保条約)により、国防の義務をなくし、自ら国を護るという気概をなくしたことが、国民は運命共同体だという認識を大きく後退させました。 これらに対し、今わが国に必要ななことは、国民意識を興隆し、国民的アイデンティティを回復・強化することが必須です。それには、教育が最も重要です。愛国心や公徳心を涵養し、日本人としての自己意識を育てる教育を実施しなければなりません。安倍内閣で約60年ぶりに教育基本法が改正されたが、同法に基づいて、伝統を尊重し、国を愛する心を教えることです。 反日マスコミによる報道テロによって安倍氏は退陣を余儀なくされ、国士、中川昭一氏をも追詰めた。
多くの国民は、反日マスコミによる報道テロに扇動され、愚かな民主党政権という妖怪を誕生させた。これは、国益よりも、「私」を重視した有権者の失態でした。
良識ある日本国民は、国益という観念を取り戻す必要がある。国益とは、国民の共通利益です。個人の利益と対立するものではなく、個人の利益を護り、増大するものである。
戦後の日本は、優れた精神的伝統を棄てたことにより、敗戦以上の誤りを犯し続けています。今日の荒廃した世情が証明しています。 敗戦国が精神的に復興しなければ、3世代以内に滅亡する。日本人は日本精神、「やまと魂」を取り戻すのです。それ以外に日本の存続・繁栄の道はない。
安倍自民党総裁の再登板こそ、日本国民にとって「天佑」と言えましょう。
(五)自主国防の整備
戦後日本は、憲法第9条により、国防を規制され、アメリカに安全保障を依存する国家となりました。日本人は、自ら国を護るという意思を失い、他に運命を委ねる受動的な集団となってしまいました。
自ら国を守ろうとしない国民は、他国に頼って、平和と安全を維持しようとする。そのため、アメリカに依存すればアメリカ化、ロシアに依存すればロシア化、シナに依存すればシナ化するのです。独立自尊の姿勢を失い、大国・強国に従属することになるのです。今日の親米、親中の政治家が顕著な例であると言えましょう。 独立と主権、生命と財産、自由と人権を、自らの力で護るという姿勢があってこそ、精神的・文化的な価値も守ることができるのであって、国民が自ら国防をせず、他国に依存している国は、伝統・文化・国柄を護り得ないと言っても過言ではありません。他国が護ってくれるのは、その国の利益にかなう範囲での領土・権益です。自らを護る国民のみが、自らの伝統・文化・国柄を護り得るのです。 国防を怠っていると、日本人は、日本人としての国民的アイデンティティを失う。それによって日本文明は、文化的なアイデンティティを失い、他の文明の周辺文明または下位文明に変質していくこととなるのです。 現在、日本のマスコミでありながら、媚韓、媚中を恥ずかしげもなく展開しているメディアは、もはや日本のメディアに非ず。
日本が日本であるためには、国民に自ら国を護るという意思が必要です。 戦後の日本に欠けているのは、この意思です。自主国防を整備し、自ら国を護る体制を回復・強化なくして、御国の存続はありえないのです。
(六)誇りある歴史の教育 ・日本道徳の回復
戦後、日本で流布されたのは、極東軍事裁判で勝者が日本を一方的に断罪するために作り上げた歴史観でした。この歴史観は、アメリカの太平洋戦争史観とソ連の階級闘争史観、シナの民族解放史観が融合したものであり、これを東京裁判史観と言います。 東京裁判史観は、戦後の日本人の意識を深く支配し、今日のわが国を蝕んでいるのです。その克服は、最も重要な課題なのです。日本人の立場に立った歴史観を取り戻すのです。 歴史とは、アイデンティティの確認であり、自分とは何者か。自分には親があり、親にはそのまた親がいてご先祖さまに繋がる。生命のつながりの中に自分はあり、親・先祖からの生命の連続性を、事象の継起を通して表現したのが、歴史なのです。自分とは何か?自分が今日あることを、親に感謝し、先祖、先人の苦難と努力に敬いの気持ちを持つ。そこに、日本人として生まれたことの誇りを持ち、喜びとなるのです。 これからのわが国を背負う青少年には、日本人のよいところを教え、誇りを持たせることが大切です。そこに自ずと愛国心が育つのです。過去の反省は、自己肯定の感情あってのものでなくてはいけないのです。自己否定や自己嫌悪からは、自嘲や自虐しか生まれず、その先に動き出すのは、自滅への衝動でしかありません。 明治時代にわが国の伝統的な道徳は、教育勅語に集約され、教育勅語に基づく教育が行われたことはご存知だと思います。教育勅語は、家庭道徳、社会道徳、国民道徳の徳目を並べ、伝統を踏まえつつ、近代日本の国民の育成を期したものでした。 大東亜戦争後、GHQは国会で教育勅語が廃除・失効されるように誘導しました。これにより、学校教育で、わが国の道徳は教えられなくなった。明治生まれ、大正生まれの世代が家庭や社会にいる間は、民間において民族の道徳が伝えられました。しかし、その世代が第一線を退き、少なくなるにしたがって、戦後教育の影響が顕著になりました。 現代の荒廃した世相はその産物と言えましょう。
戦後教育は、教育基本法に基づく。教育基本法は、日本国憲法の精神を教えるものである。憲法は、米国人が一夜漬けのように起草した、占領憲法は、米国的な自由主義・民主主義・個人主義の価値観に基づいています。わが国のお国柄など、一切考慮されていません。 その占領者の価値観を身に着けた日本人を育てる教育がされた。日本人を親や先祖とは違う価値観を持つ妖怪のような日本人に変える教育です。その教育が浸透するにつれ、利己主義や拝金主義が蔓延し、家庭が崩壊し、学校は荒み、道義を忘れ、社会が荒廃した。
日本人は、本来日本人が持っていた道徳を取り戻さねばならない。そのためにまずなすべきことは、教育勅語を復権することです。 来る10月30日は教育勅語が渙発されて、122年にあたります。
教育勅語は、人類普遍の教えであり、万国共通の御教えであると言っても過言ではありません。
園児たちが、国歌斉唱、教育勅語暗唱、五箇条の御誓文を暗誦しています。
これらの教育こそ、わが国の「お国柄」を表した教育と言えましょう。
日本全国の標準教育となることを、筆者は願ってやまないのです。
続く・・・・
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政治
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日本列島
今日の日本人は、日本の伝統・文化・お国柄に立ち戻り、日本独自の精神に基づいて、祖国日本の再建と世界的な文明の転換を図ることが必要です。
日本人が日本再建のために取り組むべき課題を、筆者が大正、昭和一桁世代との交流に基づいて、提言してみたいと思う次第です。 (一)大東亜戦争の総括 ・占領政策の克服
(二)占領憲法の破棄・自主憲法の制定 (三)皇室の復興
(四)日本国民の復活 (五)自主国防の整備
(六)誇りある歴史の教育 ・日本道徳の回復
(七)家族の復権
(八)自然との調和
(九)精神向上 以上の九項目についてのべさせていただきたいと思う次第です。
(一)大東亜戦争の総括 ・占領政策の克服
大東亜戦争は侵略戦争か、自衛戦争かという論議が繰り返されてきました。では、真実はどうだったか?
大東亜戦争を経験された世代を経験された方々は、言われます。
先帝陛下の開戦詔勅(しょうちょく)がすべてだと・・・・
日本人ならば、日本人の立場での言い分を素直に知り、受け入れ、今後は堂々を言うことです。
私たちの先人は、この詔を胸に刻み大東亜戦争を戦ったのです。
戦後の日本人は、大東亜戦争の総括を行なえていない。そのため、多くの人々は、ますます日本精神を失ってきている。かっての自民党の腐敗・堕落も、民主党の迷妄・混乱も、そこに原因があります。
真の日本精神に基づく歴史観を理解する人が増えること。これなくして、日本の再生はありえません。 (二)占領憲法の破棄・自主憲法の制定
戦後、わが国で行われた占領政策は、今日では日本を民主化したものとして、肯定的に理解されている。しかし、実態は、異例の6年8ヶ月にも及ぶ軍事占領のもとで強行された国際法をも無視した蛮行でした。
目的は日本の弱体化です。わが国が再び米国及び連合国の脅威にならないように痛めつけることが、目的でした。占領憲法の押し付け、天皇陛下の権威の引き下げと権能の限定、国民との紐帯の断絶、神道指令、皇室の人員削減と経済的基盤の縮小、国防の規制、戦争に関する罪悪感のすり込み、民族の誇りの剥奪、勝者の歴史観の植え付け、伝統的道徳の否定、教育勅語の排除・失効の誘導等、列挙すればきりがありません。
こうした日本弱体化政策の本質をとらえ、これを克服することなく、経済政策、社会政策、外交政策等を行なっても、国家としての日本は再建されず、徒労に終わるでしょう。諸政策は、日本再建策の実行あってこそ、成果を生むのです。 現行憲法は、人類の理想を表したものとして護持すべきか、占領者によって押し付けられた憲法として破棄すべきか。この論議も繰り返されてきた。最も重要なポイントは、現行憲法は、日本人が自ら創った憲法ではないということである。
憲法は国の基本法であり、国の魂とも言います。 国の理念・制度・機構を規定している。しかし、その憲法が日本人の作ったものではない。このことが、日本人の自信や誇りを損なっているのです。占領憲法は、終戦後、GHQが約1週間で秘密裏に英語で書いたものが草案となり、その翻訳をもとに、制定された。明治憲法の改正手続きは踏んではいますが、占領下で押し付けられた憲法です。
主権回復後、日本人は即刻自ら改正し、自主憲法を制定すべきでした。それが制定後60年以上、一字一句改正されておらず、同じ敗戦国であるドイツが憲法を改正しているのと比較すればこの差は歴然です。 自ら憲法を破棄・若しくは憲法改正を実行しない限り、日本人は独立主権国家の国民という精神を取り戻すことができない。このまま現行憲法を押し頂いていると、わが国は亡国にいたります。日本の再建は、日本人自ら憲法を改正してこそ、力強く進められるのです。
その意味において、安倍元首相の自民党総裁復帰は大きな意味があります。
(三)皇室の復興
菊栄親睦会 御尊影
占領政策は日本弱体化政策だったことは前項でも述べました。最大のポイントとされたのが、天皇陛下のご存在です。わが国の強い団結力は、天皇陛下を中心に国民が結束するところに発揮されます。これを恐れたGHQは、天皇陛下の権威を引き下げ、天皇陛下の権限を少なくし、天皇陛下と国民の紐帯を弱めることを日本弱体化政策の核心としました。憲法の天皇条項を変え、皇室典範を占領憲法の下位に置き、皇室の経済的基盤を縮小させ、やむなく11宮家51方の皇族が臣籍降下されたのです。
主権回復後、皇室典範を初めとする皇室関係法を整備し、神道指令の解除、元宮家を皇族に復帰すべきだったのです。しかし、憲法破棄・改正がされないままであると同時に、皇室に関する改革もなされず、放置状態が続いている。皇族が減員し、そのうえ男系男子が41年間誕生されなかったことにより、次世代の皇族方が急激に少なくなり、皇室は存続の危機にあるのです。 皇室の維持・繁栄は、わが国の存続・発展の要、國體です。今のままでは、悠仁親王殿下が皇位に就かれるだろう30〜40年後には、皇族は悠仁親王殿下以外ほとんどいらっしゃらなくなっているかもしれない。旧宮家の復帰の方策を実行し、男系男子による皇位の安定的な継承ができるように整備する必要があります。 占領によって失ったものは取戻すしかわが国の再生はないのです。
続く・・・
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航空自衛隊HPより
【地政学名言集】
一、隣接する国は互いに敵対する。 二、敵の敵は戦術的な味方である。 三、敵対していても、平和な関係を作ることはできる。 四、国際関係は、善悪でなく損得で考える。 五、国際関係は利用できるか、利用されていないかで考える。 六、「優れた陸軍大国が同時に海軍大国を兼ねることはできない(その逆も然り)」 七、国際政治を損得で見る。善悪を持ちこまない。 八、外国を利用できるか考える。 九、日本が利用されているのではないか疑う。 十、目的は自国の生存と発展だけ 十一、手段は選ばない 十二、損得だけを考える。道義は擬装である。 十三、国際関係を2国間だけでなく,多国間的に考える。 十四、油断しない 十五、友好,理解を真に受けない 十六、徹底的に人が悪い考えに立つ 十七、科学技術の発達を考慮する 「国家に真の友人はいない」 キッシンジャー 「隣国を援助する国は滅びる」 マキャべリ 「我が国以外は全て仮想敵国である」チャーチル 「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。 長く深淵を覗く者を、深淵もまた等しく見返す」 フリードリヒ・ニーチェ 地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究するもので、イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国等で国家戦略に科学的根拠と正当性を与えることを目的とした学問で、いわば現代版の兵法といっても過言ではないでしょう。 地政学で導き出される理論は、歴史的な事実に基づいており、、ほぼ真実と言えましょう。 四方(よも)を邪悪な国々に囲まれたわが国が、国際社会で国家が生き抜くためには、地政学に精通した指導者が不可欠であることは言うまでもありません。しかしながら、上記の地政学名言集を読めば分かる通り、わが国の政治家は、大部分が国を滅ぼすような政策を行う愚かな人間しかおらず、日教組教育に見られるように、教育が反日勢力に侵食されているので、まともな人材すら育たないのです。 マスコミ自体が地政学に反して、日本が一方的に損をする日中友好や日韓友好を煽り、政治家が率先して隣国の援助を行う現状は、わが国が亡国の危機にあることを示しています。現に日本企業の人材や技術を韓国に奪われ、日本の最大の強みである経済競争でも韓国企業などに先を行かれる事態が発生し、わが国の援助のおかげで経済発展をしたシナの軍事費は、今やわが国を凌ぐ。 大東亜戦争の敗戦後、占領憲法を押し付けられ、在日米軍と在日朝鮮人が日本に居座り、左翼政治家、左翼知識人が横行する退んだ世の中になりながらも、わが国が現在まで繁栄と平和を保ってこれたのは、天皇陛下と神々の御稜威(みいつ)にほかなりません。 拙稿、国防(二) では自衛権について述べさせていただきました。 本章では、交戦権について述べさせていただきたいと思う次第です。 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない 上記の第9条第2項には「国の交戦権はこれを認めない」という規定があります。この規定が最も重要です。2項の始めに「前項の目的を達するため」と記されているのですから、その「目的」とは厳密には侵攻戦争の放棄を意味するのです。だから自衛戦争に関する交戦権の有無は問題となっていないはずですが、現実には、日本は自衛権と自衛力を持ちながら、事実上、交戦権は禁じられ、交戦権を行使できない立場となっています。ここに、米国による日本の主権への制限が働いているのです。
交戦権とは、武力による戦闘だけを意味するのではないことに注意しなければならず、交戦権の中には、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として存在します。しかし、現在のわが国は、悪意ある国が突然、宣戦布告をして侵攻してきた場合でも、こうした非軍事的な手段による対抗もできない状態にあり、日米安全保障条約によって米国に護ってもらう以外に方法はありません。米国はこうした防衛上の依存構造を作り、日本を自国の国益の追求のために管理し続けているのです。すなわち米国は、日本に僅かな防衛力を持たせ、あくまで米国が管理下におき、日本自身が自分の意志で防衛力を行使することはできないようにしているのが実情です。それが米国による"宗主国対従属国""保護国対被保護国"の構造であると理解できます。つまり、わが国は、安保条約による軍事同盟国ではありますが、首根っこは捕まえているという絵図なのです。第9条が主権制限条項であることの最も深い意味がここにあるのです。
しかし、多くの日本国民は深層なる部分には興味すら示さず、対米追従をひた走っているのが現在のわが国なのです。
対米自立を唱える方々は現在少数ですが、事の本質に気づいているのです。
国連は集団安全保障機構ですが、集団的安全保障を自然権と認めています。また、加盟国には共同防衛の義務を課しています。しかし、もともと国連は軍事同盟です。第2次大戦(わが国では大東亜戦争)の「連合国」と「国際連合」は、英語では同じ United Nations です。United Nationsを「国際連合」と翻訳しているのはまさに欺瞞であり、本来は「連合国」と訳すべきものです。そして、「連合国=国連」という軍事同盟の加盟国には、相互の安全保障のために軍事力を提供する義務があるのです。このことを考えると、わが国の政府が言っていることは、支離滅裂、本末転倒なのです。続く・・・ |
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10式戦車(ひとまるしきせんしゃ)は、自衛隊が運用する国産戦車としては4代目。平成21年に制式化された。
自衛権
拙稿、国防(一) では、憲法前文、九条の平和条項について述べさせていただきました。
第9条の第1項と違い、第2項の「戦力の不保持」は大変特色があるもので、独立国では、これこそ世界唯一の規定です。
しかし、果たしてこれは、自衛権の放棄を規定したものだと言えるでしょうか?草案者の意図はどうだったのでしょうか。
答えは「否」です。
起草に当たったGHQのケーディス中佐は、これは自衛権の放棄を規定したものではない、と否定していますし、占領憲法を押し付けた米国は、サンフランシスコ講和条約によって、日本の個別的・集団的自衛権を認めているのです。
これに関連して、現行憲法の第66条には「首相は文民でなければならない」という文民条項があります。
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
これは、武官の存在を前提としている表現です。つまり、日本には武官すなわち軍人(軍事官僚)がいるという前提に立っています。ですから、第9条は本来、自衛権と自衛の軍隊の存在を認めていたことが明らかなのです。侵攻戦争のための陸海空軍その他の戦力は、保持しないが、自衛のための戦力は保持できるという規定なのです。
自衛権とは何を守るのでしょうか。防衛の目的は、国民の生命と財産を守ることであり、また国家の主権と独立を守ることです。前者はいうまでもありませんが、それも後者の主権と独立が保たれてこそのものです。
解り易く言えば、国が存在してこそ、国民の生命と財産を守れるのです。
具体的には国家の意思決定機構を守ることであり、国民が自分の国について自分の意志で決める権利を守ることです。自分たちの運命を他に強制されないことといっても過言ではありません。その国家の主権と独立を支える最後の保障は、「力=Force=軍隊」と言えましょう。また、自衛権とは、国民が自国の文化を防衛するための権利でもあります。自分たちの伝統・文化・精神を他に奪われず、他から文化を強制されないようにする権利でもあるのです。
ところが最近まで、日本は自衛権または自衛力をも放棄した、自衛隊は違憲であると解釈する日本人が、根強く存在しました。かってはサヨクと呼ばれ、今日では「プロ市民」と呼ばれる方々です。
自衛権は独立主権国家の主権の核心的な要素であり、これを放棄したとすれば、独立主権国家とはいえません。他国から侵攻されても正当防衛による抵抗さえしないということになりかねません。具体的には、米国の従属国・被保護国いわば半植民地となるか、支那・ロシアの侵攻を招き共産主義の衛星国となるか、いずれにせよ他に運命を委ねるということを意味します。犯されても、殺されても抵抗しません、どうそお好きになさってください、それが平和と呼べるのでしょうか。これでは、自虐自滅行為です。
自衛権というものは、国際法上、自然権として確立しています。国連では、国連憲章第51条に自衛権を規定し、個別的自衛権と集団的自衛権をともに国家に固有の権利と認めています。また、12カ国が参加したサンフランシスコ講和条約は、日本の個別的自衛権と集団的自衛権を認め、日米安全保障条約の締結を認めています。日本は、講和条約を結び、国連に加盟しているのですから、自然権としての自衛権を持ち、国際法上、個別的自衛権と集団的自衛権を持つことは自明です。現実にも、自衛隊が組織され、日米安全保障条約が締結され、国際的に認められているのです。自衛権ないし自衛力の放棄という解釈は、憲法学の問題ではなくイデオロギー闘争の手段だったわけです。
日本の自衛権ないし自衛力を放棄させるというのは、アメリカの支配下から、日本を無抵抗のままに共産国へ組み入れようという赤い悪魔の謀略だったのです。
そして今尚、その勢力は存在し、手ぐすね引いているのです。
続く・・・
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海上自衛隊観艦式より
現在、わが国は、シナの核ミサイルや、火事場泥棒「ロシア」や国際的なテロリズム等の脅威に、日夜さらされています。平成15年6月7日、ようやく有事三法が成立したものの、わが国の国防における基本条件は何ら変わっていません。それは、憲法において、大きな制限が課せられているからです。憲法、特に第9条の改正なくして、国防の整備は極めて不可能に近い状態にあります。すなわち、わが国は自力では、国の主権と独立、国民の生命と財産を守ることができない状態にあるのです。
戦後、連合国は、GHQによって日本弱体化政策を行いました。大日本帝国の強さ、精神的強さを知っていたからです。日本弱体化の狙いの一つは、武力の制限でした。しかも、それは日本人の精神を骨抜きにし、自ら国を守る、自分で自分を守ろうという意志までを奪うものでした。
ですから、国防の問題は、現行憲法の欠陥と矛盾を明らかにすることなくして、本気で考えることはできないのです。
現行憲法の前文には、日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」したこと、また「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と信ずることが、書かれています。
大東亜戦争は、わが国一方的に起こした侵略戦争である、という一方的な見方が基本となっています。戦勝国による「太平洋戦争史」や極東軍事裁判と同じ観点に立って作成されています。前文の持つ根本的な性格が顕著に表れています。その性格とは、誰かに宛てて書いている文章だということです。その相手とは米国を中心とした連合国であり、前文は敗者が勝者にあてた謝罪と誓約の文章の構成になっています。
勿論、この謝罪誓約文を書いているのは日本人ではありません。米国の軍人ハッシー海軍中佐です。 GHQが、謝罪と誓約まで代わりに書いて、日本人に「このように謝れ、このように誓え」と迫っているのが前文です。その内容を、日本国民に対し、国民自身の決意であり、宣言であり、誓いであると、公言させているのです。ここにおける日本国民は、侵攻戦争の戦争犯罪の受刑者であり、囚人のようなものです。 前文には、日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されています。ここにおける「諸国民」とは、実質的には連合国です。戦後当時、未だ独立していないアジア諸国は入っていません。つまり戦勝国である連合国の「公正と信義に信頼して」、連合国に「安全と生存」をゆだねたことを意味するのです。これは、日本国は降伏し、被占領下にあるということを意味しています。実際、憲法の制定公布のときには日本国は主権を制限されており、憲法に謳われている国民の主権以上の権力が、日本を実質的に統治していたのです。それが占領軍の中心たるGHQの権力であり、最高司令官であるマッカーサーの絶大な権力です。 そして、その権力の統治下に、日本国民は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と記させられました。 しかし、憲法公布のわずか4年後、南北朝鮮よって朝鮮戦争が勃発し「平和を愛する諸国民」は激しく戦うことになります。米国と中ソが事実上、激突する事態となったのです。憲法前文に盛られた「崇高な理想」は、暴力革命によって世界を共産化しようとするイデオロギーと、各国の国益の対立・抗争によって、空文化したのです。そして、共産主義の赤い悪魔の脅威を知ったマッカーサー司令官は、自らの手で、防共のために日本再軍備を進めました。
しかし、皆さんご存知のとおり、憲法前文は、いまなお存在し、一文一句変えられていません。前文のみならず憲法そのものが時代にそぐわないにも関わらず改正も破棄もされていないのです。 そして、日本人から過去の記憶と歴史を奪い、贖罪意識と暗黒自虐史観を植え付け、日本人を精神的に骨抜きにするものとして、国民を呪縛し続けているのです。
憲法第9条は国防論議の最大の焦点であります。条文は次のようになっています。
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない こうした第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だという人たちがいます。これは麗しいウソです。 第1項の「国際紛争の解決の手段としての戦争放棄」は、侵攻戦争を否定し、侵攻戦争を認めないことを意味するものです。こうした条項は、わが国だけではなく、多数の国々の憲法に見られます。イタリアやフランスの憲法、ドイツ基本法もそうです。これらの規定は、1928年の不戦条約をもとにしたものであり、表現も各国でほとんど同じです。ですから、第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だなどと誇っている人たちは、他の平和を愛する国々に、無礼なことを言っているのです。
第9条の本質は、次の点にこそあります。すなわち、日本国民自らが願った平和条項ではなく、勝者・米国によって押し付けられた主権制限条項であることです。当時の連合国は、日本が一方的に戦争を引き起こした国であり、日本を国際的な支配下に置くことが、平和を築く条件だと考えたのです。そして、第9条は、わが国が戦勝国の障害とならないようにするための条項だったのです。その狙いは、日本・ドイツを敵国とした国連憲章第107条の敵国条項と同じものです。この敵国条項は、いまなお公式に削除おらず、わが国は、国際連合に加盟しながら、国連にとっての敵国という矛盾した地位に置かれているのです。 国連とは、戦勝国による、戦勝国の為のものにしか過ぎないのです。
日本人はこの事実を覆い隠され、また多くの国民が知らないのです。
筆者が交流させていただいている大正世代の多くの方々は「九条」についてこう述べられます。
「九条」で国が護れるなら、大東亜戦争は起きていなかったと・・・
続く・・・
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