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古都・奈良に春を告げる東大寺二月堂(奈良市)の修二会(しゅにえ)も終わり美し国「日本」に春が訪れます。
新暦3月20日〜4月3日頃を春分(しゅんぶん)と言います。
春、爛漫と咲き誇る桜は、今も昔も日本人を花見の遊山へと誘います。花見の宴を最初に行ったのは、平安貴族だといわれます。もともとは中国から伝えられた梅を愛でる宴が開かれていましたが、やがて日本土着の桜に人気が移り、桜の宴を行うようになりました。
さくら の 「さ」は 稲 「くら」 は 神座(かみくら)のくら で神さまがお座りになるところで、「さくら」 は田の神さまが宿る木と言われ、日本人が太古より桜を愛でた淵源とも言われています。
しかし日本には、それよりずっと以前から花見があったといわれます。農民たちは桜の木の下に酒や食べ物を持ち寄り、花に宿った稲の霊を迎え、花の咲き具合で秋の実りを占っていました。 現在の花見は、この貴族と農民の風習がもとになって生まれたとも考えられています。 今も昔もさくらを愛でる日本人の慣習は変わっていません。 日の本の国がまだ神代の時代、富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる木之花咲耶姫(このはなさくやひめ:さくらのように美しい姫の意)は、日本最古の書、「古事記」に登場した女神です。そして、桜の語源は、一説によると、この「さくや」が転化したのではないかともいわれています。
美しい、世界に誇る桜の品種のほとんどが我が国にあり、このはなさくや姫の子ども達が「日の本の国」をところせましと咲き誇っています。 四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。 春分の日を中日とした前後3日ずつの7日間は、春のお彼岸です。
仏教では、悟りの境地・極楽浄土を「彼岸」、迷いや煩悩に満ちたこの世を「此岸」といいます。かつて日本では、西の彼方にご先祖様のおられる極楽浄土があると信じられていました。太陽が真西に沈む春分は、もっとも極楽浄土に近づけるとされ、この日に仏事が行われるようになったといわれます。 昔から、春彼岸には「ぼたもち」を、秋彼岸には「おはぎ」を食べる慣わしがあります。これは、春には牡丹が、秋には萩が咲くため、という説があります。往古の昔より、遠き祖先に思いを馳せ、生きとし生けるものに感謝し、伝統を紡いできた「美し国、日本」がここにあります。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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美(うま)し国 日本
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謹んでお伝えいたします。
11日、東京・千代田区の国立劇場で、東日本大震災3周年追悼式が行われ、畏くも天皇陛下から叡慮を賜りました。動画は内閣府大臣官房政府広報室 のものです。長時間視聴される方は拡大を選択され、全画面でご覧になられることをお勧めします。
陛下の叡慮全文
東日本大震災で亡くなられた御霊が安かれとお祈りいたします。
政府主催の東日本大震災3周年追悼式で、岩手県の遺族を代表して言葉を述べる浅沼ミキ子さん=11日午後3時17分、東京都千代田区の国立劇場
筆者は岩手県の遺族を代表して言葉を述べられた浅沼ミキ子さんの悼辞に心うたれ、胸が熱くなりました。
動画全編では35分ぐらいより視聴できますが、産経新聞より全文引用します。
もう顔を見られなくなって3年もたつのですね。私たち夫婦に初めて授かった子供として25年間、時には大笑いし、時には一緒に涙し、考えて、当たり前のように過ごした日々。そんな日常が、こんなにもいとしい日々だったことをかみしめる毎日です。 式典で浅沼さんは消防団員として最後まで避難誘導を行い、命を落とした長男の健(たける)さん=当時(25)=をねぎらい、讃え涙で言葉を詰まらせた。
浅沼さんは息子を残し、「自分だけ高台に行ったようになってしまった」。自分を責めた。3カ月後に夢をみた。健さんが、高台に続く4本の避難路に沿って、「逃げる人が迷うことのないよう、ハナミズキの木を植えてほしい」と訴える夢だったそうです。
生かされた私たちは亡くなった方々の無念さ、ご遺族の悲しさと悔しさを、未来へ語り伝えていかねばなりません」。まさに息子の願いをつなぐ3年間だった。昨年(2013年)5月に夢に出てきた健さんの願いを題材にした絵本「ハナミズキのみち」(金の星社)を出版され、高台へと続く避難路に目印となるハナミズキの木を植える活動を行っておられます。
《町の人たちがもう二度と津波でかなしむことがないように、ぼくは木になったり、花になってみんなをまもっていきたいんだ》
健さんの夢をもとに浅沼さんがノートに記した文章です。それが元編集者の目にとまり、詩となり、絵本となった。
浅沼さんは夢を現実にしようと、被災者7人で「ハナミズキのみちの会」を立ち上げ、避難路の早期整備を求める活動を開始。絵本やインターネットを通じて賛同の輪が広がり、すでに5000人の署名が集まった。
「私たちのもとに生まれてきてくれたこと、ありがとう」
ハナミズキの花言葉は「私の思いを受けてください」。優しかった息子の思いは母へ、そして未来へと多くの方々に継承されていきます。
わが国では故人との約束は必ず守るという慣習があります。浅沼さんだけにとどまらず、多くの被災者、またはそのご縁に繋がる方々の思いは尽きません。
震災後、「絆」という文字が叫ばれました。しかし、3年経ってその「絆」という文字も色褪せてきています。畏くも陛下は色褪せていく「被災地への思い」を「長きにわたって、国民皆が、心を1つにして、寄り添っていくことが大切と思います。」と叡慮を述べられ、我々国民にお示しになられたのです。
筆者は多くの日本人に思い起こして欲しいのです。
震災直後の思いを、我々が「和」を尊ぶ民族であることを・・・
天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
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謹んでお伝えいたします。
11日、東京・千代田区の国立劇場で、東日本大震災3周年追悼式が行われ、畏くも天皇陛下から叡慮を賜りました。
陛下の叡慮全文
本日、東日本大震災から3周年を迎え、ここに一同とともに、震災によって失われた人々と、その遺族に対し、あらためて、深く哀悼の意を表します。 東日本大震災で亡くなられた御霊が安かれとお祈りいたします。
筆者は畏くも陛下の玉音を拝し、先帝陛下の終戦の詔勅が脳裏に浮かびました。しかも昨日は一夜にして10万人以上の同胞が犠牲となった「東京大空襲」の日でもありました。
畏くも今上陛下の式典での叡慮、先帝陛下の「ご聖断」をもう一度熟考いただき風化していく同胞の紐帯を取り戻して欲しいと筆者は強く願うのです。
玉音放送
昭和20年8月15日 宮城前(皇居)
最近の、我國の政治のありかた、国家観なき政治家の資質を憂慮し、また、道徳観なき臣民の身勝手な行動、臣民のありかた、世相の荒廃を見るにつけ、畏くも先帝陛下が如何に戦後日本に胸を痛めあそばされておられたか熟読いただきたい。
(原文)
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク ※現代語訳
『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。 そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。』
この詔勅にこめられた陛下の日本国民への期待と激励と痛恨の想いを、いったいどれだけの臣民が、戦後、おぼえているでありましょうか。
親のこころ子知らずと申しますが、まさに、戦後日本の臣民は親不孝者であります。
「挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ』とあるが、この大御心は戦後、今日まで臣民は無視されてきたことがわかります。
確かに『総力を将来の建設に傾け』『世界の進運におくれざらんことを期す』という所だけは経済大國となった今日をみれば必死になってやってきた。
ところが、だれも『神州の不滅』など忘れ、『道義』も軽んじられ続けた。『志操』も捨て、『國体の精華』という言葉すら、殆どの国民が知らず、精神性を捨て去ってきました。
『挙国、一家』などという言葉すら、戦前の軍國主義への偏見やヤクザ一家という、ものすごく歪曲されたイメージでしかみられないという始末です。
物質的な建設と、世界の流行に遅れるまいとする姿だけ肥大し、精神にかわることを、捨ててしまいました。
『神州日本の不滅』『道義』『志操』『國体』という意識を、とりもどさないと、この先、國は亡国するかもしれません。
まっとうな民族意識と国家意識を、復活させることは可能なはずです。それが『国体の精華を発揚』するということです。
民族意識こそ、國家にとって民族にとって、最大最強の武器です。だから、戦後、マッカーサーは、まず最初に日本の「民族意識」を、神道指令、教育勅語廃止、占領憲法によって無力化したのです。
彼らがもっとも恐れたのは、我国の軍事力ではなく、それを支えつづけた日本人の民族意識・精神力だったことが、お解りいただけるでしょう。
日本人の精神力を骨なしにし、アメリカに魂を売らせることが、最大の武装解除を意味しました。
今度は中国、韓国、北朝鮮にも魂を売ろうとしています。
だからこそ、失いつつある日本の魂を取り戻さなければならない。
それこそ先帝陛下の大御心に報いることではないでしょうか?
私はこの記事を書きながら先帝陛下ががどんな想いで起草あそばされ、読まれたか、想像するだけで目頭が熱くなり、涙がとまりませんでした。
今一度、日本國臣民は、なぜこの終戦の詔(みことのり)が「昭和の御聖断」と呼ばれたか、噛みしめて欲しい。
そして、畏くも今上陛下が
「長きにわたって、国民皆が、心を1つにして、寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。」と願われたか噛み締めてて欲しい。天皇彌榮(すめらぎいやさか) |
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美し国、四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
我々日本人は、往古の昔より、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分けて愛でてきました。
私たの祖先が使ってきた旧暦の中では、二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。それと同時に、永遠にめぐる四季のなかで移ろい変わっていくものと、その変化の裏側にある不変のものを感じとり愛したのです。
古いものを捨て、新しいものがあふれていく現在社会のなかで、古くから日本にある伝統を見なおすこと。それは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて、自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさと、それとともにある大切な文化をつたえていきたいものです。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくる、この国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよころび、祖先・先人が大切にしてきたもの、それらを共有していきたいと筆者は願ってやまないのです。
新暦3月5日〜19日頃啓蟄(けいちつ)と言います。
冬の間、地中で巣籠りしていた虫たちは、春の気配を感じると地上に這い出てきます。
春の野をひらひらと舞う蝶は、別名「夢見鳥」と呼ばれます。これは、「胡蝶の夢」という、古代中国の思想家・荘子の説話がもとになったものと言われています。 ある日、荘周という人が胡蝶になって自在に飛び回る夢を見ます。自分が荘周であることを忘れていましたが、目覚めると、やはり荘周のままでした。荘周は、夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になっているのかわからなくなった、というお話です。 春は、現実と夢の間を行き来できる季節なのかもしれません。 お釈迦さんのはなくそ 〜啓蟄の暮らし〜 釈迦が入滅し、悟りの境地に入られたことを「涅槃」といいます。 お寺では、枕を北に右脇を下に臥した釈迦の周りで、鳥獣までもが嘆き悲しむ「涅槃図」を公開し、法要が営まれます。 京都にはこの日、「お釈迦さんのはなくそ」というお菓子を食べる慣わしもあります。「はなくそ」とは、お供え物の「花供御(はなくご)」が転じた愛称といわれ、昔から、釜の底に残ったご飯を大切に取っておき、黒豆などとともに飴で絡めて作られてきました。 「捨てずに使い切る」という京都の心、我々の先人の息吹が息づく風習でもあります。 飽食の時代と言われ、昔の日本人ほど食べ物を大切にしなくなった今日。
今一度見直す時期がきているのでは?と筆者は思うのです。
古都・奈良に春を告げる東大寺二月堂(奈良市)の修二会(しゅにえ)(お水取り)が1日、本行入りしました。二月堂の舞台を駆けめぐる「お松明」の炎に、参拝客からはどよめきの声が上がった。
修二会は奈良時代から途絶えることなく続き、今年で1263回を数えます。続けることの意義、大切さは現代の我々では計り知れないものがあります
午後7時すぎ、鐘の音を合図に長さ6メートル、重さ40キロの燃えさかるお松明を担いだ童子(どうじ)が、「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる僧侶たちを先導。お松明を舞台で豪快に振り回し、夜空を焦がした。火の粉をかぶると一年を健康に過ごせるとされる。お松明は14日まで毎晩続く。 |
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京都・下鴨神社 流しびな
明日三月三日は、桃の節句です。
本稿は一昨年三月に投稿した記事ですが、わが国の伝統文化の継承を願い、再投稿いたします。 昔の我国には、五つの節句がありました。この節句という行事が、季節の節目の身の汚れを祓う大切なものでした。
人日(じんじつ) → 1月7日「七草がゆ」 上巳(じょうし) → 3月3日「桃の節句」 端午(たんご) → 5月5日「端午の節句」 七夕(たなばた) → 7月7日「七夕祭り」 重陽(ちょうよう) → 9月9日「菊の節句」 (※「菊の節句」は現在はなくなっています) 上の日にちからもわかるように、「上巳の節句」が、現在の「ひな祭り(桃の節句)」になっています。平安時代、上巳の節句の日は薬草を摘んで、その薬草で体のけがれを祓って健康・厄除けを願いました。 「雛祭り」の「雛」とはもともと雛形のことで、人間の雛形を意味します。 平安時代には、出産の際の死亡率が高かったので、命を持っていかれないよう、枕元に身代わりの人形を置く風習がありました。人形(ひとがた)とは、身代わりという意味で、この風習は、自分の災厄を引き受けてくれた人形を流す「流し雛」へと発展し、今日も残っています。
源氏物語にも、人形流しの故事が描かれています。ここには、「穢れと清め」という日本文化の核をなす観念が見られます。
古代の人々は、人形(ひとがた)を作ってそれで身体を撫で、自分の病や罪・汚れを背負わせて、川や海に流して祓い清め、健康や安寧を祈るという行事を行っていたようです。こうした古代の行事と、子供の人形遊びが結びついたことが、雛祭りの始まりと言われます。 紀の川 流しびな(和歌山)
鳥取 流しびな
「穢れ」とは、生命力を衰弱させるもので、「清め」とはそれを祓い清めて、生命力をよみがえらせることです。この生命観は、神道の深底にあるものです。そして、やまと民族は、清らかで明るく素直な心を理想としてきました。それは清明心とも呼ばれていますが、もし「穢れと清め」の観念を否定するならば、日本固有精神・文化の重要部分を破壊することになります。それは、日本固有の伝統を否定し、お国柄を否定することであり、自らのアイデンティティを自ら否定する愚かな行為です。
雛人形のひな(ひいな)とは、小さくてかわいいものという意味があります。平安時代、「紙の着せ替え人形」で遊ぶ「ひいな遊び」が行われていました。
今日のような雛人形は、室町時代ごろ宮中や貴族の間で始まり、江戸時代に武家、やがて国民全体に広まったといわれます。 当初の雛人形は、立ち姿で紙でつくられたようなもので、人形は、はじめは男女一対でした。江戸時代初期の寛永時代(17世紀)に、寛永雛と呼ばれる公家風の雛人形が表れました。これが改良されて、元禄雛、享保雛と、徐々に大型化し、優雅な人形になっていきました。また、雛祭りの習俗が、大名家を始めとする武家にも広まっていきました。そして、18世紀の半ば、1755年頃に、有職故実にのっとった正確な装束を着た人形が、つくられました。これは、有職雛と呼ばれるものです。
江戸時代の後期には、豪華な装束を身につけた雛人形を祀り、雛壇に調度品を飾る今のようなスタイルが出来上がりました。そして、雛祭りは、商家や地方にも普及し、全国に広がり、国民的な行事となりました。
現在の雛人形
旧暦の3月3日は桃の季節でもありますが、それだけで「桃の節句」になったわけではありません。昔から桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。
また、桃は不老長寿を与える植物とされており、百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の節句には桃花酒を飲む風習もありました。 昔から邪気の象徴は鬼とされており(だから節分には鬼を祓います)、邪気を祓う力のある桃には鬼を退治する力もあると考えられてきました(節分に桃を使って邪気祓いをする神事も多数みられます)。これが土台となり、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生しました。 余談になりますが、雛人形を早く片づけないといけない理由
「節句を過ぎたら雛人形を早く片づけないと婚期を逃す」といった話を聞いたことは有りませんか? まあ大きなお世話だと言えなくもないのですが、「早く片づけないとよくないことが起こる」という考えには理由があります。 本文でも説明したとおり、雛人形のルーツは、形代(人形)に身の穢れを移してこれを流し汚れを払った、その形代です。本来なら、穢れを移し、これを流すことによって穢れを払い、禍を遠ざけたのですから、その人形をいつまでも飾っておくことは、穢れと禍をいつまでも身近におくのと同じです。 ですから、早くしまわなければならないと考えられたわけです。 今日も皇室は国民から崇敬の念を集めていますが、江戸時代には、今日我々が想像する以上に、多くの人々が皇室への憧れを抱いていました。皇室への憧れは、明治になって初めて、政府が上から浸透させたというようなものではなく、江戸年間に、庶民の間に広く行き渡っていたものなのです。だからこそ、幕末の危機の時代には、天皇陛下を中心とする国をつくろうという目標が、明治維新の原動力となったのです。
江戸時代には、雛祭りだけでなく、百人一首なども民間で広く親しまれています。また皇室の仁愛や雅に憧れる心は、一部の特権階層や近畿地方など一部地域のことではなく、国全体に浸透していたのです。皇室への憧れが、いかに広く深いものであったかは、江戸時代のあらゆる庶民文学や娯楽の中に、はっきりと表現されています。
皇室への憧れ・崇敬の念から、雛人形は、江戸時代後期には、今日のような親王飾りとして完成されていきました。
お内裏様とは、内裏つまり宮中ですから、天皇陛下のことを意味します。これに対するお雛様は、皇后陛下のことを意味します。そうした雛人形が、全国に広まりました。
雛祭りは女子の祭であり、健やかな成長、幸福な結婚、子孫の繁栄を願う行事となりました。親王とは、本来、皇子のことですから、お内裏様とお雛様は、皇太子殿下の結婚の儀を表したものといえましょう。より広く言えば、天皇・皇后両陛下がご結婚されたときの姿なのです。
ちなみに三人官女、五人囃子等の人形は、皇室に仕える女官や雅楽の楽師等に当たり、また、雛壇に飾られる調度類は、結婚の際の嫁入り道具に当たるのです。 今日の我々は、皇太子徳仁親王殿下、同妃雅子殿下のご結婚の際に、平安絵巻さながらの装束を目の当たりにしました。また、昭和天皇から皇位を継承された今上陛下のご即位の儀式においても、天皇陛下・皇后陛下に、雛人形の源である「みやび」の姿をご拝顔しました。こうした模様は、世界中の国々に報道され、驚異・賞讃の声が寄せられました。万世一系、天穣無窮の皇室の「みやび」の文化が、自然と庶民の生活に浸透し、皇室と国民が一つの文化を作り上げているところに、わが国の国柄が表れています。
雛まつりは、桃の節句とも呼ばれます。古来、桃は桃源郷という理想郷に生えるものといわれ、邪悪(穢れ)を祓い清める霊力が宿るとされてきました。『古事記』には、妻のイザナミを亡くしたイザナギが黄泉国(よみのくに 死の国)から逃げ帰るときに、追ってくる黄泉醜女(よもつしこめ 黄泉国の女、死の力が擬人化されたもの)に桃の実を投げ付けるくだりがあります。これは、桃のもつ霊力を物語っています。死の穢れを祓う「清め」の力です。 この話に出てくるイザナギ・イザナミは、日本列島の「国生み」をした男女両神とされます。またイザナギの「みそぎ」(=水による清め)によって、天照大神・須佐之男命や自然の神々が生まれたと、日本神話に記述されています。
こうして、3月3日の桃の節句に雛祭りを祝うことは、私たちの祖先が建国以来、数千年もの間、語り継いできた神話にも連なり、「日本の伝統」「皇室の伝統」「神道の奥義」を感じることができましょう。
いつまでも、伝統を護り、継承せねばなりません。 「お國柄を・・・・」
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