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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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TOKYO AFTER6 Live 涼恵-Suzue-【豊葦原の瑞穂の国】






 
 
 
 
 
 
新渡戸涼恵さん
 
 
古来より、わが国の美称として、「豊葦原瑞穂国」と言ってきましたが、正式には、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(とよあしはらの ちあきのながいほあきの みずほのくに)と言い、千年も五百年も悠久に続く、 稲穂の実る美(うま)し国という意味でもあります。
 
その「豊葦原の瑞穂の国」を言霊にし唄う神職、新渡戸涼恵さんは、新渡戸稲造氏の子孫でいらっしゃいます。新渡戸稲造氏は『武士道』を著し、戦前には先帝陛下のご意向を受けて、日米戦争を回避するためにアメリカにわたり、日本の立場を訴え、多くのアメリカ人の心を揺り動かした人物です。
日本の伝統、お国柄を謡う
新渡戸涼恵さんですが、素晴らしい伝統を謡う故に新渡戸涼恵さんのコンサートや活動は民間放送は容認放送しません、NHKも同じです。
お国柄を忘れた謡(うた)多い中、神職でもある
新渡戸涼恵さんの謡は忘れかけた日本人の魂を揺さぶります。



●食前

・静座、一拝一拍手

・「味つ物 百の木草も 天照 日の大神の 恵み得てこそ」
(たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ)

・「いただきます」


●食後

・端座、一拝一拍手

・「朝宵に 物喰ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」
(あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)

・「ごちそうさまです」

かって日本人は、食前に「いただきます」食後に「ごちそうさまでした」は必ず言いました。

正式には神社に参拝する時のように、一拝一拍手してから和歌を詠んでから食事をいただいていたのです。。
食後も和歌を詠んでから「ごちそうさまでした」と感謝していました。
食事というものは、肉や魚に限らず野菜などの生命をいただくことに他ならなりません。
神のめぐみ=大自然の恵みであるから感謝していただきなさい。
植物の命、動物の命をいただいていることに感謝しなさい。

日本人は、食事を摂ること自体が神事だったのです。
筆者も祖母、両親から「食べ物を粗末にしてはいけません、お米一粒も残しては駄目ですよ」と、食事のたびに躾けられ育ちました。
儀礼、節度を失いつつある今日の日本人。
今一度、かっての日本人の慣習に倣い、その精神に思いを馳せ、取戻してみたいと筆者は願うのです。
すべては惟神(かむながら)・・・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

[京都二十四節気] 小寒








拙ブログにご訪問いただきありがとうごいざいます。
日々美し国に生(せい)をうけたことをやおよろずの神さま、先人・先祖に感謝いたしております。

美し国、四季のある国、日本。
桜が咲いてそして散り、梅雨には雨が降り、夏には穀物が成長し、秋には紅葉が散ること、そして冬には雪が降ること。
春夏秋冬、季節折々の表情を見せてくれます。
しかし、時には大自然が牙を剥き災害になります。
それでも我々の祖先は災害を恨むことなく神の怒りだと身を律し、自然を崇拝し、ともに生きてきました。
今年は元日よりあいにく大荒れの天気となりました。近年科学の発達とともに自然に対する畏敬、感謝のこころが希薄になってきたのではと思うのは筆者だけでしょうか?
私たの祖先が使ってきた旧暦の中では、二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵があり、現代の日本人にない潤いのある生活を営んでいたように思います。
それと同時に、永遠にめぐる四季のなかで移ろい変わっていくものと、その変化の裏側にある不変のものを感じとり長らく愛したのです。

古いものを捨て、新しいものがあふれていく現在社会のなかで、古くから日本にある伝統を見なおすこと。それは、移ろう季節のなかから不変のものを­みつけだすことと似ています。そしてその不変のものを大事にしなければなりません。時代が変わろうとも日本人の本質は変わってはならないものです。

ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて、自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさと­、それとともにある大切な文化をつたえていきたいものです。
 その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくる、この国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢え­る誇りとよころび、祖先・先人が大切にしてきたもの、それらを共有していきたいと筆者は願ってやまないのです。

新暦の1月6日〜20日頃寒さが最も厳しくなる前の時期を小寒(しょうかん)と言います。
小寒は「寒の入り」と呼ばれ、この日から節分までの三十日間(寒の内)は、一年で最も寒さが厳しい頃といわれます。
昔から人々は、この時期に、寒稽古や寒中水泳などの耐寒行事を行ってきました。自らを­極限状態まで追い込み、心身を鍛練すれば、迷いや煩悩から解放され、前途が開けると考­えられていたのです。


京都の聖護院では、学僧の修行を目的に「寒中托鉢」が行われます。今年も、今日1月8日から14日まで、山伏たちが法螺貝を­吹きながら家々をまわり、家内安全や無病息災を祈る慣わしで、京都の冬の風物詩にもな­っています。

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「寒中托鉢」(京都・聖護院)



七草粥 〜小寒の暮らし〜

五節句のひとつ人日(じんじつ)の節句(1月7日)の朝に食べられている日本の行事食を七草粥といいます。
昨日7日は、七草粥の日でした。
これらの風習は平安時代中期、宮中行事からはじまったと言われています。
江戸時代になると「七草の節句(人日の節句)」が「五節句(七草・桃・端午・七夕・重陽の節句)」のひとつに定められ、1日7日に七草粥を食べる習慣が今日のように一般化しました。
古来より日本には、年の初めに若菜を摘む「若菜摘み」の慣わしがありました。
今日のように暖房のなかった往古の昔より京の都の冬は厳しく、凍てつく大地から芽生える若菜には神の力が宿っていて、これを食せば、厳しい冬も無病息災で過ごせると信じられていたのです。やがて、若菜を食べて立身出世を願う支那の風­習と結びつき、正月七日の朝に「春の七草」(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほと­けのざ、すずな、すずしろ)を入れた「七草粥」を食べる風習が生まれましたのです。
七草粥は、青菜が不足する冬場の重要な栄養補給であり、正月のご馳走で疲れた胃腸を整­える効用もありました。


では、春の七草にはどのような効能があるのか、ひとつずつご紹介しましょう。
【セリ】鉄分を多く含み、食欲を増進させる。
【ナズナ】別称ぺんぺん草。解熱・利尿作用がある。
【ゴギョウ】草餅の材料。風邪の予防や解熱作用も。
【ハコベラ】ビタミンAを多く含み、腹痛の薬にも。
【ホトケノザ】別称タビラコ。食物繊維を多く含む。
【スズナ】蕪(カブ)のこと。ビタミン類を多く含む。
【スズシロ】大根のこと。消化を助け、風邪の予防にも。


薬の普及がなかった頃、我々の先人は食事で体を癒やしました。
先人の知恵です。
地方によっては七草の種類や使う数などが異なり、全国各地でさまざまなバリエーションがあるようですが、七草粥に込める思いはどこでも同じだと思います。
昨今は七草粥を食する家庭も少なくなったと聞きますが、「今年も家族みんなが元気で過ごせますように」と願い、生命力あふれる自然の恵みに感謝し、ご先祖様に感謝し、先人に思いを馳せたいものです。 


神を崇(あが)め、神に祈り、和(なごみ)を尊し、清明心を大切にしてきたわが国は「美(うま)し国」です。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)




動画、一部の文章の一部は京都市中を走る、京福電気鉄道(株)より引用、参考にさせていただいてます。








拙ブログにご訪問いただきありがとうごいざいます。
日々美し国に生(せい)をうけたことをやおよろずの神さま先人・先祖に感謝いたしております。

美し国、四季のある国、日本。
桜が咲いてそして散り、梅雨には雨が降り、夏には穀物が成長し、秋には紅葉が散ること、そして冬には雪が降ること。
春夏秋冬、季節折々の表情を見せてくれます。
しかし、時には大自然が牙を剥き災害になります。それでも我々の祖先は災害を恨むことなく神の怒りだと身を律し、自然を崇拝し、ともに生きてきました。近年科学の発達とともに自然に対する畏敬、感謝のこころが希薄になってきたのではと思うのは筆者だけでしょうか?

我々日本人は、往古の昔より、その美しい自然の変化を、明治まで、二十四の季節に分けて愛でてきました。

私たの祖先が使ってきた旧暦の中では、二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵があり、現代の日本人にない潤いのある生活を営んでいたように思います。
それと同時に、永遠にめぐる四季のなかで移ろい変わっていくものと、その変化の裏側にある不変のものを感じとり長らく愛したのです。

古いものを捨て、新しいものがあふれていく現在社会のなかで、古くから日本にある伝統を見なおすこと。それは、移ろう季節のなかから不変のものを­みつけだすことと似ています。そしてその不変のものを大事にしなければなりません。時代が変わろうとも日本人の本質は変わってはならないものです。

ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて、自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさと­、それとともにある大切な文化をつたえていきたいものです。

その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくる、この国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢え­る誇りとよころび、祖先・先人が大切にしてきたもの、それらを共有していきたいと筆者は願ってやまないのです。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

新暦の11月23日〜12月6日頃、僅かながら雪が降り始める頃を小雪(しょうせつ)と言います。
かって我々の祖先、先人は現世の日本人より感性豊かで情愛に満ちていました。
自然など外界の事物にふれ、何とはなしに生じるしみじみとした情趣が哀感を、「ものの­あはれ」といいました。
これは、江戸時代の国学者・伊勢国松坂の住人で『古事記伝』の著者、本居宣長が提唱した美的概念で、『源氏物語』をはじめとす­る平安文学に日本人独特の美意識を発見したことがきっかけでした。秋の落葉は、古来、­日本人が「もののあはれ」
を感じてきたのです。
この木々のさだめに、人々は一瞬の輝きの美しさ、はかなさ、世の無常を感じ、時には自­らの人生と重ね合わせ、心を揺り動かされてきました。
無常とは、元来仏教用語ですが、他の仏教国では捉え方が異なります。
いかに権勢を振るって栄耀栄華を極めようとも、多くの権勢なき人々と同じように、やがて死を迎えます。
未来永劫、盛者であり続けることなどできず、無常を知ればこそ、敗者や弱者の姿に、明日のわが身を見る思いがして、敗者への思いやりとか弱者へのいたわりといった感情が湧き上がるが、日本人だけが持ち得る感性なのです。


農耕を主たる生活手段としていた日本人は、自然のあらゆるものに神を見出し、豊かな実­りに感謝して暮らしていました。
新嘗祭は、そんな昔の人々が、一年で最も大切にしていた祭事の一つです。その年の収穫­を天皇陛下が神々にお供えし、陛下も食して感謝する直会(なおらい)、この儀式が終わるまでは、誰も­新米を食べることはなかったといわれます。昔の日本人が持ち得ていた感謝のこころ、豊穣をもたらしてくれる自然への感謝の心も忘れたく­ないと筆者は願ってやまないのです。
神を崇(あが)め、神に祈り、和(なごみ)を尊し、清明心を大切にしてきたわが国は「美(うま)し国」です。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)


動画、一部の文章は京都市中を走る、京福電気鉄道(株)より引用、加筆、参考にさせていただいてます。




古代多賀城の栄華を再現する恒例の「史都多賀城万葉まつり」(実行委員会主催)が12日、多賀城市の東北歴史博物館周辺などであった。
史都」とはあまり聞く言葉ではありませんが、どのような意味があるのでしょうか?
宮城の方々ならご存じの方が多いでしょうが、多賀城は奈良市の平城京、大宰府市の大宰府跡と並ぶ日本3大史跡のまちです。いまから、1300年前に多賀城には日本の政治や軍治を行う国府が存在し、その跡地として多賀城市川地区に政庁跡が残っています。史跡のある都として、多賀城のことを「史都」と呼んだりします。

奈良・平安時代の貴族や歌人に扮(ふん)した万葉衣装行列はかっての先人、先祖の文化を偲ぶに相応しいものです。



イメージ 1
貴族の衣装で会場を歩く子どもたち(写真、河北新報)


歴史の浅いまつりですが、過去の事柄や思想などを勉強し、それを基に新しい道理や知識を見いだす日本人らしさがある「まつり」ですね。
歴史文化を蔑ろにしているのは、政治家であり、経済人かもしれません。

天皇彌榮(すめらぎいやさか) 


4月の水口播種祭、6月の田植祭と大神のみたまの働きによって成長し稔った稲を刈り取るお祭り、「抜穂(ぬきほ)祭」が25日、京都市伏見区の伏見稲荷大社で営ました。神楽女(かぐらめ)が舞う中、菅笠(すげがさ)をかぶった講員が稲を刈り取り、実りの秋に感謝した。
 同大社では、2月の初午(はつうま)の日に稲の豊作をもたらす祭神を山から迎え、11月の火焚(ひたき)祭で送る。抜穂祭は一連の農耕神事で、三島初穂講(大阪府摂津市)の講員が約3・3アールの神田で収穫。
 本殿での神事に続いて森に囲まれた神田に移動。祭場の舞台で神楽女が「稲穂舞」をゆったりと舞う間、すげがさ、たすき姿の22人が神職から手渡されたかまを手に稲穂を刈った。稲は11月23日の新嘗(にいなめ)祭で神前に供えられる。
伏見稲荷大社は、伝承によれば奈良朝和銅四年(711)2月初午の日に、深草の里の長者秦伊呂具公(いろこのはたのきみ)が勅命により、三柱の神を伊奈利山三ヶ峰の平処に祀ったのが始まりで、「伊奈利」又は「稲生」と表記された御神号に、「稲荷」の文字か広く使われるようになったのは、稲束を荷った老翁の姿を神像として礼拝することが普及したことによるものと考えられる。社記には「衣食住ノ大祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」とあり、稲荷山が古くから民衆の信仰の“お山”であったことは、平安朝の女流日記随筆等によって偲ぶことができます。
また秦氏(はたうじ)は、古代の氏族で、秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦(うずまさ)(現在の京都市右京区太秦)、現在は映画村としても有名です。
 また、朝廷より神威の盛大な神々に対して神階が贈られて格式が高められたが、稲荷大神に対しても、天長四年(827)に始めて「従五位下」を授けられて以降数次の贈位があり、、ついに天慶五年(942)「正一位」に叙せられた。今も「正一位稲荷大明神」と奉称されているのはその名残です。
 
主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で
古い祝詞に、この大神について「是稲霊也。宇賀能美多康謂」説明しているように、穀物の神様であり、ウカはウケとも云い、立派な「ウ」、食物「カ・ケ」の意味である。ミタマは、清明を養い育てる貴い根源の力を意味する語であり、この大神は生命の祖神に坐しますのである。
神々の伝説によると、我々の食物は五穀を始め、魚も家畜も、更に衣料のもととなる蚕もすべて、この大神がお生みになり、天祖天照皇大神は、稲を日本民族の主食とすべきことを教示し給うた。古来我国を、豊葦原瑞穂国と称え、国家繁栄の基本としてきた所以である。

御神名「稲荷(いなり)」は「稲成(いねな)り」から変化したともいわれ、もともとは農業の神さまとして信仰されていましたが、現在では結びの信仰(ものごとを生み増やす生成発展の信仰)から、諸産業の神さま、特に商売繁盛の神さまとしても信仰されています。
稲荷神社の社頭には、朱塗りの鳥居が幾重にも建てられていることがありますが、朱色は生命の活性化、躍動感を表すといわれ、災厄を防ぐ色ともいわれます。また、狐の置物もよく見られますが、これは田の神、山の神の信仰との結びつきと考えられ、稲が実るころに山から人里近くに姿を現す狐の姿を、人々は神さまの使いと考えたと思われます。



神の遣い(狐)  伏見稲荷
 
 
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