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文明の発祥地エジプトやメソポタミア、黄河やインダス川流域は、かつて黒々とした森林に覆われていました。ギリシャもまた然りです。
2500年も以前に、古代ギリシアの哲学者であり、ソクラテスの弟子でアリストテレスの師であるプラトンがその昔の国土を振り返って歎(なげ)いています。
「アテイカ(古代アテネ付近)が損なわれないとき、山々は密林に覆われ、国内に放牧が広がっていた。雨は今のように侵食された土壌の表面をそのまま流れて海に注ぐことはなく、国ふところ深く受け入れられ、やがて泉となり川となって豊かな水量は国内広く吐き出された」と・・・
しかし、これらの文明の発祥の地はその後衰退し、また滅んでいるのです。
環境問題、水問題について訴えてこられた、立正大学短期大学部教授でもある富山和子(とみやま・かずこ)氏は著書、水と緑と土―伝統を捨てた社会の行方 (中公新書)で次のように述べられています。
「文明が滅亡した決定的な理由は、蛮族の侵入や人心の腐敗などでは決してなかった。かりに支配者が入れ替わろうとも土壌がそのままである限り、つねに都市は再建された。土地が老朽化してはじめて都市は崩壊した」「いかなる文明も土壌の生産力を条件として発生し、いかなる文明もそれを失ったときに滅亡する」と・・・
では、人類は環境を破壊せずに、農業と文明を維持していくことができるのでしょうか?
歴史を振り返ると、ヨーロッパでは、小麦のできなくなったところでは、草を生やして牧畜をし肉を生産してきました。肉食をするために要する耕地面積は、人間が直接穀物を食べるために要する面積の8〜10倍にもなります。こうした小麦と牧畜の農業は、広い面積を求める農業であり、自然を征服・破壊する農業だったのです。
これらに対し、水田稲作は土壌を痩せさせることなく連作が可能であり、かつ土壌を肥沃にもします。小麦やトウモロコシなどの畑作物は、北米の穀倉地帯の現状を見るように、単一作物の連作によって地力が消耗し、ついには不毛の半砂漠に近づいていきます。一方、東アジアのモンスーン地帯の水田稲作は、ほぼ永続的な生産が可能なのです。
米は、小麦など他の穀類に比べて、栄養価が高く、生産性の高い穀物です。小麦を作ってきたヨーロッパでは、古代から中世へ、2圃式から3圃式に進みましたが、10世紀ころの小麦で播種量の3倍を収穫するのがやっとで、中世末の14〜15世紀でもわずか5倍程度にすぎなかった。ところが、奈良時代8世紀の日本では最下位の田でも7倍、上位の田では25倍もの米の収穫をあげています。近世ですでに40倍にも達していました。この差は現在でも基本的に変わっておらず、稲が、いかに人間の食糧として優れているかがわかります。
連作可能な水田稲作は、地球環境にとって非常に有効な耕作法であり、自然との共生の模範例として注目されています。また水田は、保水能力に優れ、水田の周囲に、森林をつくり、緑化を進めることもできるのです。
日本人は、自然環境を大切に守りながら、米を作るということを数千年も前から実践してきました。
我国は古代から世界に誇る文明を築いてきました。世界最古の土器を作ったのも我国でした。当時の世界の諸文明に匹敵する高い文化をもっていましたのです。しかも当時、栄えた文明はほとんどが滅んでしまったのと対照的に、我国は、今日も世界の先進国の一員として繁栄を続けています。
日本は国土の3分の2は森林に覆われています。全国土のおよそ40%は人間の手の入っていない天然林です。今日の主要産業国で、これほどの割合を誇れる国は他に存在しません。しかも、この豊かな森林は、米作りと関係があるのです。
稲作には水が大切です。水が足りないと凶作となり、多すぎれば水害になります。それを調節してくれるのが山々の森林なのです。森林は降雨による水を貯え、田に水を恵みます。いわば天然のダムの役割をし、森林は川の水を通じて田の土壌に有機源を補い、また水や風の被害を防ぐなどの役割もしています。
私たちの祖先はこうした森林を大切にし、9世紀には大和朝廷が水源林の禁伐を定める世界最古の保安林立法を行いました。その後、様々な施策によって、森の保護や育成が続けられてきたのです。
高度に発達した文明国の中で、日本人は木を伐(き)っては植え、緑を絶やさなかった唯一の民族であり、これは「世界の奇跡」ともいわれます。それは稲作のためであり、神道の教えであり、日本の森林は米が作ったといえると同時に、米は森林の賜物ともいえるのです。
今日、この精神は全国植樹祭、全国育樹祭に引継がれています。
日本神話の物語の一つに、天孫降臨があります。その神話において、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に派遣される時に、次のような言葉を下賜されたと伝えられます。
「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮(きわま)りなかるべし」
すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国であり、皇室の祖先は、この国で末永く繁栄するように、天界より遣わされてきたとされているのです。
天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられます。
「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(みこ)に御(まか)せまつる」
天照大神は、天照大神自ら高天原で作られた稲を、ニニギノミコトに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのです。
天壌無窮の御神勅
神代の遠い昔から今日まで、日本人は米を食べ続けてきました。そして、昔も今も、米を作る日本民族を象徴する存在であるのが、天皇陛下です。
初代・神武天皇は、伝承によれば、紀元前660年に、大和の橿原(かしわら)において即位式を挙げました。『日本書紀』には、それから4年ばかりたった神武紀元4年の頃に、「天神を郊祀(まつ)りて用(もっ)て大孝(おやにしたが)ふことを申ぶ可しと、乃(すなわ)ち霊時(まつりのには)を鳥見(とみ)の山中に立つ」という記述があります。これは神勅に従って大和に国を定めて農耕に励み、みるべき収穫を得た、という感謝祭を意味するものでしょう。この鳥見山の祀りが、日本の祭りを代表する新嘗祭(にいなめさい)、大嘗祭(だいじょうさい)の起源とされます。
神代の御神勅を今日まで護り、継承している無二の国なのです。
日本人は、こうして世界史にまれな、自然と調和して発展する文明を築き今日に至っている民族なのです。
戦後、農林業の担い手が減少していますが、日本人は、米と森にかけた先人の智恵と技術を、今日の地球環境問題の取り組みに生かしたいものです。
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誇り高き日本
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代々木の杜
平成24年7月30日、明治天皇陛下が崩御されて満百年を迎えます。 筆者は5年前に姪の結婚式の折に明治神宮に参拝させていただきましたが、その時に、帝都のまんなかで、樹木が鬱蒼(うっそう)と茂り、野鳥たちが住むのが、「代々木の杜」の壮大さに驚いたものです。
その森は、明治神宮の境内にあります。すぐ隣には、原宿があり、多くの若者たちでにぎわっています。そんな若者も訪れる明治神宮は、正月には全国一の初詣客が集まります。また、外国人が帝都を訪れる観光スポットでもあります。
「代々木の森」には現在、17万本もの樹木が生い茂っています。しかし、この森は、もともと自然のものではありませんでした。植林による人工の森だったのです
造営前
この場所は、原っぱや田畑が広がる荒漠とした場所でした。「豊多摩郡代々幡村代々木」、ここに、明治天皇陛下をまつる明治神宮の建設が始まったのは大正4年のことでした。建設は、政府主導で行われたのではありません。明治45年7月30日、明治天皇が崩御され、大正3年4月11日には昭憲皇太后が崩御になりました。明治天皇崩御直後から、国民の間に「ご遺徳をしのぶ所がほしい」という請願運動が起き、明治神宮造営の声が、東京区議会などを中心に起こり、大正2年には国会でも決議され、全国10数箇所の候補地から東京府豊多摩郡代々幡村代々木の御料地が選ばれ、明治神宮建設が決定されたのです。
常に国民を思われた明治天皇陛下を敬う国民の心もまた、熱いものがありました。ご不例が発表されると、多くの人が二重橋前までやってきて、ご平癒をお祈りしたのでした。
費用は国が負担しましたが、全国から延べ11万人もの青年たちが上京し、建設工事や植樹に当たりました。神社に杜はつきものです。70町歩の広大な土地に、百年後の森を想定した壮大な計画が立てられました。「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、大正4年から造営工事が始まりましたが、全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、北は樺太(サハリン)から南は台湾まで、日本だけではなく満州(中国東北部)朝鮮からも届き、全部で約10万本の木が奉献され11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生しました。その種類は365種に及びます。森の造営には、当時の最高技術が結集されました。こうして、先人たちの叡知と、明治天皇陛下に対する国民のまごころによって、「代々木の杜」が誕生したのです。
「代々木の森」では、土地の能力に基づいた生態系を造り、「管理しない管理」によって森を維持するという方法がとられています。カシ、シイ、クスの広葉樹を中心に構成される現在の森の姿は、造営の時に計画されたものでした。
当時の内閣総理大臣であった大隈重信首相が「神宮のを薮にするのか、薮はよろしくない、当然杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
しかし当時の林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、関東ローム層の代々木では不向き、杉が都会に適さないことを説明してようやく納得させたそうです。
マツ類の大木を主木とし、それより少し低いヒノキ、スギ、モミを、さらに低いカシ、シイ、クスを植えることにより、樹木間で世代交代が順々に行われます。そして、やがてカシ、シイ、クスが主木になるという計画です。そして、人々の手になる森は進化し、人工林は見事な自然林へと姿を変えたのです。 当時その種類は365種でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では246種類になりました。今や、東京ドーム15個分の境内に17万本もの木々が豊かに生い茂る貴重な自然林の姿をなして国民の心のふるさと、憩いの場所として親しまれています。
海外からの訪問者に、この森が人工林であると説明すると「信じられない」と驚かれます。また今尚、全国各地で公園緑地をつくる際のモデルともされています。
また代々木の地名は、古くからこの場所では代々樅が枯れると植え直してというのを繰り返した来たことに由来しています。
今日、乱開発によって日本の都市では、緑が少なくなり、わずかに残っているのは、神社の「鎮守(ちんじゅ)の杜」などに限られています。それは、経済中心、物質中心の考え方により、人間の都合で樹木を切り倒し、生態系を破壊してきた結果です。これに対して、森を大切に守り続けたのが、神道であったことは、意外と知られていません。日本固有の宗教である神道では、森を神聖なものと考えてきました。
落ち葉は杜に返すされます
神道では、神域においては、「一木一草持ち出し禁止」とされています。
伝統によって日本人は、自然環境を保ってきたのです。すなわち、「鎮守の森」は、自然との調和を大切にする「日本の心」の現われなのです。もしこうした神道の伝統が失われていたら、日本の都市は、すっかり緑を失っていたことでしょう。
帝都に息づく「代々木の森」は、私たちに、今日取り戻すべき大切な心を教えてくれているのです。
自然と調和して生きる「日本の心」を取り戻しましょう。
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伊勢神宮(外宮)
我国は皆さんご存知のように、稲作文化の国です。
日本人は、米を作り、米を主食としてきました。日本人の生き方、また日本文化は、稲作なしではありえません。
日本人の民族性、祭祀、生活様式、伝統芸能等の多くが、米と関係があります。稲作文化は、各地の民話、民謡から絵画や詩歌、工芸品そして建造物や衣服、日用品に至るまで、日本人の生活のすみずみにまで浸透しているのです。ですから稲作を語るということは、日本人の心を語ることであり、日本文化の土台と特徴を語り知ることにも繋がるのです。稲作を通じて日本人の心、日本の文化を知ることができ、健康な生き方をし、自然と調和した文明をめざす「こころ」が得られるのです。
日本の心は、よく「和」の精神といわれます。この「和」の精神の発達において、米作りは大きな役割を果たしてきました。
欧米の白人種と違い、日本人は農耕民族です。そして米を主食としてきました。稲は連作が可能な作物です。一定の土地で、何代にもわたって水田を続けることができ、一つの土地に先祖代々にわたって生活すると、その土地にたいする強い愛着が生じ、同じ土地に住む村の人々は、先祖以来の知り合いであり、血縁・地縁による強い結びつきをもつことになります。そして、社会全体が、村を単位とした共同体の集まりとなっています。こうした日本社会を特徴づけているものが、稲作なのです。
日本の稲作は、集約的灌漑水田稲作です。灌漑水田稲作は、個人労働ではは賄えません。開墾や灌漑、そして水の管理等、すべて協同労働で行なわなければ、不可能なのです。田植えから稲刈りまで、労働は集団的・組織的に行います。水田の所有権は各戸別であっても、営みは共同的な営みで行なわれます。こうした協同労働を通じて、団結心が育まれました。また、米作りは、家同士が争っていては、大切な協同労働ができません。そこで、相手との協調性が発達しました。
灌漑水田稲作で、一番重要なのは水です。水は共有のものであり、共同の営みの中で全体で管理します。水を田に、いつ、どれくらいの量や割合で入れるか、は勝手に決められません。同じ水系の上・中・下流の人たちが、何度も話し合いながら全体を調整しました。そこから話し合いによる合議が重んじられることになります。
日本の水田は海外の水田とは違い、狭く、また水田と水田が互いに接しています。ある田で病虫害が発生したり、雑草が生えたまま放置すると、その影響はすぐ周りに及びます。昔は、今日のように食糧が豊かではありません。乏しい食糧を家族みなで分け合って生きてきました。もし稲が病虫害でやられると、多くのの生命に関わり、自分の家だけでなく、村の他の家にも及びます。自分の田を荒らすことは、よそ様に申し訳ないことになります。自分勝手なことをして、人に迷惑をかけてはいけのです。まさに命懸けで、他人に気配りをすることや、相手の立場を考える思いやりの大切さを、日本人は稲作を通じ学んできたのです。
このように、日本人は米作りを通じて、勤勉性、団結心、協調性、合議、迷惑を掛けない意識、気配り、思いやりなどを、身につけてきました。それゆえ、米作りによって、日本人は「和」の精神を発達させてきたということが言えるでしょう。 今上陛下 御田植え 御尊影
畏くも今上陛下におかせられましては、神代の御神勅を、現在に体現あそばされておられます。
宮城で陛下自ら田植えや稲刈りをされています。そして、神に収穫を感謝し、神の加護を祈っておられます。これは先帝陛下が始められ、平成になってからは今上陛下が引き継がれたものです。今上陛下は、5月末ころに宮城内の水田で、五穀豊穣を祈る「お手植え」を行いあそばされ、稲の苗を植えられます。そして、10月初め頃、「お稲刈り」をされます。収穫された稲は、新嘗祭に使われます。
このように今上陛下におかせられましては、自ら稲作をすることによって、人間と自然との調和のために、本来の日本人があるべき姿、あるべき精神をお示しなられているのです。
今日の我国は、我欲が横行し、他人様の迷惑も顧みず、権利を要求し、平和を乱す輩の行為は目に余るものがありますが、一部の劣化した愚民にしかすぎません。
これらはまっとうな方々への迷惑になるだけです。 「一所懸命」という言葉があります。一生懸命ではありません。「一つの場所、この土地に命を賭けて働く」ことです。田に米が出来なければ、人は食べるものがなくて死ぬのです。幼い子どもや年寄りが死ぬのです。そういう命がけの真剣さで家族・一族が働くとき、小さな土地に労働が集約されます。そこで、一所懸命にやれば水田の生産量は目に見えて上がるのです。このことが、日本人の勤勉さや真面目さ、几帳面さ、また郷土愛の強さを醸成しました。
今一度、祖先がもっていた精神、「生かされていることへの感謝と和」の精神に立ち返ってみることが重要ではないでしょうか? |
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神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または岩(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。 上の画像は熊野那智大社の雅楽奉納のものです。 奉納とは、神仏に感謝し、喜んで納めてもらうために物品を供えたり、その前で芸能・競技などを行ったりすることを言います。 現代人の我々に比べ、私たちの先祖は、自然をもっと身近なものと感じていました。先祖は、自然を自分の親のようなものだと考えていました。儒教の経典にある「天地父母」という言葉は、そのことを表した言葉です。天とは天空、地とは大地です。大宇宙と地球といっても過言ではありません。その天を「父」、地を「母」と呼び、天地大自然とは人間の親のようなものだとするのが「天地父母」という言葉です。この考え方は、現代人が見失った自然観・生命観が見られるのです。 江戸時代の思想家・貝原益軒は、次のように述べ説いています。 「およそ人となれる者は、父母これを生めりといえども、其の本をたづぬれば、天地の生理を受けて生る。故に天下の人は皆天地の生み給ふ子なれば、天地を以て大父母とす。尚書にも天地は万物の父母と言へり。父母はまことにわが父母なり。天地は天下万民の大父母なり。其上生れて後、父母の養を得て成長し、君恩を受けて身を養ふも、其本をたづねれば、皆天地の物を用ひて食とし、衣とし、器として身を養ふ。 故におよそ人となれる者は、初めて天地の生理をうけて生まるるのみならず、生れて後、身を終るまで、天地の養を受けて身を保てり。然れば人は万物にすぐれて、天地の窮りなき大恩を受けたり」 大意は、人間は、父母から生まれたものですが、遡ると、天地大自然から生まれており、人はみな天地の子であり、天地は実際の父母に対して大父母なのだ。人間は生まれてから、親に養ってもらって成長し、主君や天皇陛下の恩を受けて生活しているが、そのもとを考えると、人はみな、衣食住すべて自然のものを用いて生活している。だから、人間は、天地大自然の恵みを受けて生まれるだけでなく、生まれてから死ぬまで、天地大自然の限りない恩恵を受けていると・・・・ 近年は健康ブームに沸いています。
私たち人間は、誰もが健康を願います。健康な生活をするためには、自分の身体を大切にすることが必要なのは当然のことですが、昔の日本人、私たちの先祖は、自分の身体を単に自分の体だとは考えませんでした。 自分の身体は、親からもらった身体であり、大切にしなければならないと考えたのです。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)之(こ)れを父母(ふぼ)に享(う)く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という言葉があります。儒教の古典『孝経』にある言葉ですが、私たちの身体は、髪の毛から皮膚に至るまで、すべて、両親から譲り受けたものだ。この大切な身体を傷つけることのないように生活することは、親孝行の第一歩であると捉えていたのです。
現代人の我々には思いもつかない考え方でが、実際、明治生まれくらいまでの人、私たちの祖父や曽祖父の世代は、自分の身体は父母から与えられた体だと考えていました。親が死んだ後も、自分の体は父母が残してくれた体だと考えました。父母は死んでも、自分の身体として生き続け、だから、自己の身体は、父母の尊体でもある。だから大切にしなければならないと考えたのです。そこには、親への感謝の思いがありました。また、生命への確かな実感があったのです。つまり、生命とは、親から与えられ、自分を通じて、子孫へと受け渡していくものという考えです。過去・現在・未来と、世代をつらぬく生命の連続性と一体性を、少し前までの日本人は、私たちよりずっと深くとらえていたのです。 昨今、公務員の刺青問題が社会問題となっていますが、少し前の日本人の考えでは、論外なのです。
我々の先祖はまた、自分の生命は、大自然の恵みによって生かされている生命だとも考えていました。我々、自然というと、自分の身体の外にあるものと考えがちですが、実は最も身近な自然とは、自分の身体そのものでもあるのです。この身体は自然つまり環境と切り離すことはできません。身体と環境は、それら全体で、一つの自然を為し、我々は、大自然の中の一部として、その自然の恵みを受けて、生きているのです。実際、私たちは、空気や水や光や食物なくしては、生きていけません。私たちの先祖は、こういうことを深く感じ、大自然に対し、感謝の思いを持って生活していました。 朝に祈り夕べに感謝の気持ちを神々に捧げていた光景は筆者の子供の頃には珍しくありませんでした。 前述した、貝原益軒は、次のように記しています。 「人の身は父母を本とし天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし」(『養生訓』巻第一・総論上)
すなわち、人間の体は父母を本として生まれたが、生命の起源は天地大自然という大父母にある。自分の体は、親である父母によって生み育てられ、また大親である天地大自然の恵みを受けて養われたものだ。自分の体のようであって、自分の私物ではない。天地大自然から賜った物だ。また父母が残してくれた体だ。だから、健康に気をつけて、生活を慎み、体を粗末にせず、長生きできるよう努めなければならない。これが、父母や天地に孝行する根本だ。自分の体を損ない、健康を失ったら、自分の両親にも天地大自然にも報いることもできないのだ。このように、益軒は説かれています。 益軒の書は、江戸時代広く庶民の間に読まれ、親しまれました。
我々の生命は、両親から与えられ、大自然によって生かされている生命です。ですから、昔の日本人が、親さらには先祖への感謝と、大自然への感謝をもって生きていたということは、人間の本質に根ざした感情でした。
そして、生命を与えてくれたことを、親や先祖に感謝し、健康に気をつけ、子孫の繁栄に努めることは、親孝行であり、また先祖への孝養となります。さらにそれだけでなく、大自然の恵みに感謝し、自然環境を大切にすることは、大自然の恩に報いることともなります。 健康な生き方をすることは、単に自分のためではなく、親や先祖や大自然に恩返しをするために必要な、積極的行動であるわけです。 大自然というのでは理解できない方々は、神と呼ぶとわかりやすいでしょう。神とは、生命の源であり、実の両親を超えた大親のようなものを人格化して、神と呼んでいるのだからです。
我々現代人は、健康で有意義な生活を送るために、昔の日本人に学ぶ必要があることに必然と至ります。地球の自然環境を保全するためにも、大いに学ぶ必要があることもお解りいただけるでしょう。そして、私たちが最も学ぶべきものとは、「生かされていることへの感謝の心」です。 このことこそ、西洋化・近代化、我欲にとりつかれた日本人が忘れているものであり、自然の中に生きる人間として取り戻すべき、最も大切な、根源的な感情です。 「日本の心」を学ぶとは、「生かされていることへの感謝の心」をよみがえらせることでもあります。また、それは、私たちの先祖が持っていた「天地父母のこころ」を、現代において実践し、人間が、健康な生き方をし、また自然環境を保全し、自然と調和した文明を創るうえでも、今日、まさに必要なことであり、先人・先祖のみ教えであり、日本人として大切なことなのです。 |
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画像は「日本の息吹より」
社会問題にまで発展した生活保護の不正受給。 かって我国には、少子化も社会保障問題も存在しなかったものです。
一方で核家族化による、「孤独死」・・・・・
これらも戦前日本には存在しなかったものです。
日本の家族制度崩壊はGHQが日本人の精神的強さ、団結力に恐れをなし日本弱体化の為に行なった施策です。
戦後七十年近くなろうとしている今日、様々な弊害が噴き出しているのです。
今の日本に必要なのは、愚かな政治屋が唱える「改革・維新」ではなく、戻ることです。日本人があるべき姿に・・・・
今の日本人は、日本のよき伝統、文化、風習、慣習、制度を過去のものとしようとしています。 本当にこれでよいのでしょうか? 約300年前、元禄年間に来日したフランス人は、「子育ては日本の最大の美徳で、到底外国人の及ぶところではない」とまで激賞し、160年前の文政年間に、来日していたフィッセルは『日本風俗備考』の中で、次のように述べています。
「私は親子の愛情の交流こそが、日本人の特質であると考えている。この密接な関係は、死ぬまで誰も引き裂くことはできない」。子供に対するこうした親の愛情が、田舎町に至るまで貸し本屋とおもちゃ屋を繁盛させていた。黒船を率いて来日したペリー提督も、日本の幼児教育の素晴らしさを賞賛しました。西洋人にとって、このような親子の愛情の交流の深さは驚きだったのだろう。そして、西洋人にそういう驚きと感嘆を与えたものが、もともとの日本の家族の姿だったのです。
この姿は、戦前までは、日本の家族に受け継がれていた。大正11年11月、20世紀を代表する科学者・アインシュタインが来日し、日本の家族主義の伝統に感銘をうけ、アインシュタインは次のように述べています。
「日本の家族制度ほど尊いものはない。欧米の教育は個人が生存競争に勝つためのもので極端な個人主義となり、あたり構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。家族の絆はゆるみ、芸術や道徳の深さは生活から離れている。激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独にしている。
日本は個人主義はごく僅かで、法律保護は薄いが、世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって、人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。この尊い日本の精神が地球上に残されていたことを神に感謝する」
西洋人によるこうした見方は、多くの日本人にとって意外な感じがするだろう。
戦前までの日本は封建的で、個人は「家」に縛り付けられ、自由が抑圧されていた、人権が保障されていなかった、その主たる原因は家父長制・男尊女卑の家制度にある、伝統的な家族制度を破壊したことによって、戦後の自由で平等な社会が実現したと、邪悪な思想にとらわれている人が多いからです。
確かに、そういう一面はあったかもしれません。しかし、戦前までの日本のあり方が、すべて悪かったわけではない。何もかも悪かったのであれば、上に引用したような西洋人の見方はありえません。彼らは、「子育ては日本の最大の美徳」「親子の愛情の交流こそが、日本人の特質」「世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている」と言っている。そこに、戦後の日本では失われつつある、本来の日本の家族の美点があったと考えられます。
つい最近までの日本の家庭では、子供や孫と父母・祖父母・曾祖父母が同居し、世代間の協力が行われてきました。若い者は、人生の先輩の経験や知恵を尊重して老人を大切にし、老人は、愛情をもって子孫の養育に協力しました。社会においても、先人の努力によって今日の社会があるとして老人に感謝し、老人をいたわる敬老の精神がありました。老人も、子孫に文化・伝統を伝え、次世代に立派な社会や国を受け渡せるよう、生涯責任を果たす努力をしてきました。
こうしたよき世代間のつながりは、さらに祖先と子孫の関係へとつながっていきます。日本人は、祖先と自分たちの生命とは切り離せないものと感じてきたのです。
自分の存在を考えてみると、父母があって自分がある。また両親にはその親があり、そのまた上にも親がいる。自分は父と母の2人から生まれたが、祖父、祖母は4人ある。曾祖父、曾祖母は8人、更に遡れば16人、32人という様に、代をさかのぼって、連綿と続いています。しだいに世代を重ねていくと、どれくらいの祖先につながるのかといえば、10代で約2千人、1代を30年として換算して3百年ぐらい、江戸時代の初めで2千人の祖先とつながる。28代、約840年さかのぼると、なんと1億3千万人にもなる。日本の現在の人口を超えてしまうわけである。50代さかのぼれば、平安時代の中ごろで何と20億もの人々と繋がる。人類が発生した時に遡れば、莫大な数の祖先がいることになります。
これは生物学的・生命科学的な事実です。日本人は、こうした祖先から自分に続いてきた生命の流れを自覚、感謝し、その過去からの流れの中で自分の役目を考えてきたのです。それは、自分から子供・子孫へという、これから将来へ向かう流れの自覚でもあったのです。
子として親に感謝する心は、親のまた親である祖先への思いとなっていく。子孫として今日あることは祖先のおかげであると感じて、祖先に感謝する。そして、祖先から受けた恩に対して、子孫としてこれに報いようとするのです。自分が祖先もそうしてきたように、子どもを産み育て、さらに子孫が幸福に暮らし、繁栄していけるように、親としてあるいは祖父母として、努力し、そこに自分のアイデンティティや役割意識を感じてきた。世代間の生命の継承という流れの中で、祖先には感謝と敬愛を表し、子孫には子孫繁栄の基礎作りに努めてきたのです。現世の日本人のように自分たちの代の幸福を望むだけでなく、祖先を慰霊し、子孫の繁栄を願ってきたのです。ここには本来の日本の家族の姿があります。
日本の家庭では祖先を大切にし、祖先の霊を祀り、祖先の生命が死後も存続し、祖先と子孫が霊的につながっているという観念がありました。祖先祭祀は、一般に仏教の教えと思われていますが、仏教に由来するものではありません。わが国独自のものなのです。
仏教発祥の地・インドには、先祖供養の風習はなく、お墓もなく遺体を川に流して自然に帰すところが多く見られます。本来、亡くなった人を供養するという考え方のなかった仏教が、中国を経て日本に入ったのちに、日本人がもともと行っていた祖先祭祀の習俗を取入れ今日に至っているのです。ですから、日本人が先祖供養をするのは、日本人本来の精神の表れなのです。
日本人は祖先祭祀を行うことで、自分の生命の源を敬い、祖先の生命は、どこまでも遡れば神に到る。それゆえ、祖先への崇敬の念は神への信仰へと連続していたのです。
日本人は、自分というものを一人ではないと考えていました。親も祖先も、子供も子孫も、みな自分と繋がっており、そういう繋がりの中に自分がいると考え、親子は一体であり、祖先と子孫も一体である。親子一体、祖孫一体が、日本精神の特徴なのです。それは、生命を重んじ、生命を大切にする生き方にも連なります。
戦後の日本では、生命というものが最高の価値であるという考えが一般的になった。そこで考えられているのは、個人個人の生命でしょう。しかし、実際の生命は、親から子、子から孫、祖先から子孫へと受け継がれ、受け渡されてきたものです
東日本大震災が発生した昨年「絆」が叫ばれました。
しかし、現在の復興状況、多くの諸問題を見につけ、関東大震災より見事に復興した戦前の日本を見れば、荒廃してしまった日本人の精神ばかりです。
今日、求められているのは、こうした生命観に基づく価値観であり。そして、生命の実態に基づいて道徳を考えるならば、家族から祖先へと道徳を広げていった日本の伝統的な道徳には、時代が変わっても失ってはならないものがあるのではないでしょうか?
失ってはならない日本の姿、失ってはならない日本人の魂を・・
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