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伊勢神宮(内宮) サミュエル・ハチントンによる世界の主要文明 人類の歴史を文明の衝突の歴史であると捉えたサミュエル・ハチントンによれば、現存する世界の主要文明は、以下の7文明に分類されます。 中国文明、日本文明、インド文明、イスラム文明、西欧文明、ロシア正教文明、ラテンアメリカ文明。 多くの海外の歴史家も、日本を独自の文明としています。文明の違いによる価値観の相違は国際紛争となってあらわれています。イスラム文明と、米国を含む西欧文明との衝突がもっとも理解しやすく、多くの文明は、複数の国を含む文明圏を形成しています。世界の七大文明のうち、日本は一国一文明で仲間がおらず、孤立した文明であるといえましょう。シナ文明には、シナ、韓国、北朝鮮、ベトナムなどが含まれている。これらは、同一の価値基準をもっていることとなります。 「惻隠の情」「思いやり」は日本文明独自の発想で、他のどの文明にもあてはまる言葉はありません。。「和を以て貴しとなす」、以心伝心の心、言挙げをしない(文句を言わない)等々の日本のすばらしい言語文化であるということを自覚させることの方が大切ではないかと思うのです。 日本精神を体現した江戸末期の武士、明治初期の日本人は、「江戸しぐさ」と呼ばれる和風の振る舞いで西欧諸国では礼儀正しい、立派な国民であると尊敬されていました。 英語が出来なくても、堂々と通訳をつうじて世界と渡り合っていたのです。英語の学習を小学校から始めるより、日本文明のすばらしさ 、日本人としてのアイデンティティこそ、小学校から教えるべきことが大切です。 かって、北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれていましたが、実態はそうではなかったことは、周知のとおりです。 しかし、江戸時代末期に訪れた西欧人は、日本こそ地上の楽園、天国であると絶賛しています。今日、昔の女性は虐げられていたと言っていますが、本当は、婦人の地位の高いこと、気品にあふれていること、子供たちも大切にされていること等驚き、賞賛しています。 これらは一国一文明が為したことです。この自覚と誇りなくして、猿まねのようにコミュニケーション力の涵養、則ち、ディベート力をつける。さらに国際言語としての英語を身につけさせるようにしないといけないというのは本末転倒です。 これら、我国の素晴らしさの淵源は、文化と民族の継続性であり、その継続性の中心にあるのが、神道と皇室の存在なのです。 我国は、神代の昔より、一度も侵略され、民族が変わることがありませんでした。 世界のどの文明も、民族が入れ替わっているのが実情です。 朝鮮半島の同盟国百済の滅亡による唐による侵略の危機、元寇の危機、戦国時代のスペイン・ポルトガル人の日本植民地化の危機がありましたが、文化の交流はできるけれども、攻め込まれにくい島国としての距離感が日本を独立国即、独立の民族たらしめてきたのです。 しかも、外敵には天皇陛下の下、一丸となる民族の結束力が今日まで一国一文明一王朝を継続してきた大元でもあるのです。 縄文時代は1万6000年前に始まるとされていますが、世界最古の土器文明を発展させてきたのも我国です。縄文人は、海の幸、山の幸など豊かな自然の恵みを享受し、三内丸山遺跡など、世界の四大文明の発祥地が、砂漠化し廃墟となっているのに対して、自然との共生した、エコ文明を築いていた。この人と自然の一体感、あるいはすべてに神を感じる独自の発想が今も生きている。古代人が共有していた神との一体感も神道の神社の中に残されている。 唐の侵略の危機に対しては、唐化した国家を建設し、大化の改新から平城京の遷都まで、75年で唐の文化を完全に取り入れた国家を形成、ペリーの来航からわずか42年で、西欧文明を取り入れ、大清帝国を圧倒し、52年でロシア帝国と互角に戦い勝利しました。 このような奇跡は、本来ならあり得ない文明の資質であり、日本文明の特質といえるのです。 唐化も西欧化も、和魂洋才の言葉に象徴されるように、縄文時代の自然共生の思想に、民族の継続性故に追加され、日本化したという特徴を持っています。 漢文や英語に国語がとってかわることもなく、「やまと言葉」と呼ばれる縄文以来の言葉がのこされています。言語、言葉は思考の根源であり、文明の継続性を象徴しているのです。 一定期間、母国語と歴史を奪い去るとその民族は滅ぶと言われています。 文明の継続性の中心にあるのが、神道と皇室の存在です。神道については、いまなお全国通津浦々に無数に存在しています。神代の昔より自然と人の一体感を示す象徴です。 皇室は、法王庁にあるローマ教皇と並んで2000年の歴史をほこる権威です。しかも皇室は、日本の民族の継続性と国民性の中心に存在し、皇室のルーツは神話の世界に発しています。 世界に存在した、文明の中の王の祖先は神々に繋がりますが、多くの神々の子孫が王位に就きましたが、その子孫は今誰も王位を継承していません。 我国の天皇陛下は、古代文明さながらに皇位を継承しつづけている奇跡の存在なのです。 武士道に象徴される、日本人の勇気や潔さを重んじる行動規範は、世界に類を見ないものです。 日露戦争で大国ロシア勝利したとき、敗北したステッセル将軍に対して、降伏の調印の時に写真をとることを求めたメディアに対して乃木将軍は「武士道の精神からいって、ステッセル将軍の恥が後世に残るような写真を撮らせるわけにはいかない」「会見後、我々が友人となった後の写真を1枚だけは許す」との配慮をしました。ロシア皇帝に敗北の責任をとらされようとしたとき、よく戦ったと助命の書簡を送ることまでしています。 しかし、アメリカは、大東亜戦争の責任者の東条閣下以下を見せしめの裁判にかけ、絞首刑にしました。この違いはどうでしょうか?。 江戸時代の国学者大国隆正が1818年にオランダの通辞から聞いた西欧人の中国観、日本観が残され、紹介されています。 「西洋諸国の見る所では、アジアに未だ、支那(シナ=中国)、日本の二カ国が西洋に従はない。しかし西洋が連合して当れば、シナは十年で料理できるが、日本は三十年かかるであろう。 日本は小国であるが、三つの障害がある。 一つは、人口が多く、武くして支那人のたぐひにあらず。 一つは、海岸が多く攻めにくい。 一つは、萬古一姓の天子ありて、人身これを尊ぶ心深し。 三十年で従へることが出来るであろうが、しかし、そのあと、日本国中の人間をことごとく斬りつくし、西洋から移民を送り、草木まで抜き捨てて、植えかえなければ、我々西洋のものにはならない。一人でも日本人を残しておけば、恢復の志を起こし、また燃え立つべし、そんな国が日本だ」 この言葉は、日本文明の奇跡と、日本の伝統文化その中心にある武士道と皇室を尊重しなくなった今日の現状の原因を示しています。ペリーの来航以来の目的を大東亜戦争に勝利することにより果たし、アメリカの植民地とするための日本弱体化のためには、日本の強さの秘密を封じるしかなかったのです。そして、今成功の寸前にあります。しかし、目論見は成功しないでしょう。少しづつではありますが、日本民族は覚醒しつつあります。 西欧人は、近代的な武器を手に入れ、1492年のコロンブスのアメリカ大陸到着以来300年、着々と全世界を植民地にしました。 日本を植民地化するには、三つのハードルがあると、オランダ通辞は、世界中を見渡して日本の強さの秘密をあげました。もう一回述べます。。 一つは、武士道精神。 鎌倉武士が元寇に際して国を守るという気概を示して日本を守ったことに象徴され、西欧諸国のアジア・アフリカ・アメリカ・オーストラリア侵略から400年、ペリーが黒船を率いて開国を迫ります。その先にあるのが日本の門戸開放則ち、植民地化でした。アメリカが南北戦争で日本への侵略を一時中断した江戸時代の末、イギリス・フランスは、薩摩藩や長州藩と戦いました。近代兵器を持たないにもかかわらず日本の強靱さを改めて思い知らされたのです。敗北したことになっていますが、冷静に考えれば被害をうけたのは、イギリスでありフランスでした。日本武士恐るべし、この心意気が明治維新を容易ならしめた要因の一つでした。 一つは、島国の地理的な条件。 一つは、日本のアイデンティティの中心にある、神道と皇室。 皇室あればこそ、民族と文化の継続性を維持してきた。政権がかわっても、その上の権威として天皇陛下あればこそ、諸外国のように大量虐殺も行われることなく、速やかに混乱を収拾してきたのです。 有色人種で唯一明治維新を成し遂げ、西欧の武器で武装した日本は、白人に対抗し独立を維持しました。独立を維持するために日露戦争を戦いました。そして勝利しました。有色人種がはじめて白人の国を打ち破ったことは、アジア・アフリカに衝撃をあたえました。 「マニフェストディスティニー(明白な天命)」を信じるアメリカは、西漸運動をつづけ、1898年にはハワイとフィリピンを手に入れました。次に中国を狙っていました。立ちはだかる有色人種の国日本にいらだちを覚え、罠をかけ、大東亜戦争に引き込み、三年半の戦いと、七年にも及ぶ占領政策で、侍の国日本が、再び白人の国そしてアメリカに刃向かうことのないように徹底的に洗脳をおこないました。その洗脳教育が今なお行われている現状があります。 民族のアイデンティティをなくすとその民族は滅びるしかありません。 トインビーは、「12、3歳までに自分たちの国の神話を教えない民族は100年以内に必ず滅ぶ」と指摘しました。かつて江戸時代に西欧人が指摘した、日本の強さの中心にある、武士道の精神と皇室と神道を否定する教育が戦後70年近く行われてきました。結果として、今亡国の危機を迎えています。 崖っぷち寸前ですが今ならまだ間に合います。日本と日本人の素晴らしさを自覚し誇りをもった国民が少しづつですが、目覚めています。 江戸時代まで地上の天国であると西欧人にも中国人にも絶賛された世界で唯一である、日本文明のすばらしさにつて自覚することこそが、武士道精神を発揮し、神代より続く奇跡の日本文明を再建する鍵であると信じてやまないのです。 冒頭の画像は伊勢神宮です。 トインビーは伊勢神宮に参拝したときに、 「私は、ここ、聖地にあって、全ての宗教の根源的統一性を感じます」と書いています。神道の精神こそ、宗教的な対立を解決すると喝破したのです。 フランスの作家、オリヴィエ・ジェマントマは「神道なくして日本はない、と。そして、秘めたる自然の精髄をさししめすその表しかたからして、神道は、来るべき世紀に、枢要欠くべからざる役割を演ずるに至るであろう。なぜなら、そのとき、ついに人間は、自然とのコミュニオン(合一)なくしては生きられないと悟であろうから、と。」と述べています。 神道の中心に天皇陛下がいることは、紛れもない事実です。連合国が仕掛けたマインドコントロールから覚醒し、我々のルーツである一国一文明の國「日本」に目を開き誇りを取戻して頂きたいと願うものです。 |
誇り高き日本
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日月紋(日月紋)
元来皇室の御紋は、「日月」(じつげつ)でした。現在でも天皇が即位なさる際には、「日の丸」と「月」がそれぞれ錦の御旗(にしきのみはた)に掲げられます。太陽は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月は月読尊(つきよみのみこと)を表しています。
「日像纛旛」(にっしょうとうはん)、左が「月像纛旛」(げっしょうとうはん)です。
瑞雲文様、長さ約5.5m、巾約90cmあります。 京都御所紫宸殿の前庭に立てられ、昭和天皇の即位式に使われました。 五七桐花紋
この紋章は本来皇室の紋章です。
古くから桐は鳳凰の止まる木として神聖視されており、日本でも嵯峨天皇陛下の頃から天皇陛下の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。また中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉などもこれを天皇陛下から賜っている。このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。
近代以降も五七桐は「日本国政府の紋章」として大礼服や勲章(桐花章、旭日章、瑞宝章)の意匠に取り入れられたり、菊花紋に準じる国章としてビサやパスポートなどの書類や金貨の装飾に使われたり、「内閣総理大臣の紋章」として官邸の備品や総理の演台に取付けられるプレートに使われている。
皇室の菊花紋(十六八重表菊) 国章
鎌倉時代には「桐紋」が皇室に定着していたのですが、時の後鳥羽上皇が「菊」を好みあそばされ、「菊」を自らの印とし、その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が「菊」を印として継承し、慣例のうちに「菊花紋(十六弁八重表菊紋)」が天皇陛下・皇室の「紋」となったそうです。
菊紋が公式に皇室の御紋とされたのは明治二年(1869年)の太政官布告195号によります。この時に、天皇陛下の紋章として「十六弁八重表菊紋」が、その他皇族方の紋章としては「十四弁一重裏菊紋」がそれぞれ定められ、また、明治四年(1871年)には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。が、戦後は解禁されています。「菊の御紋」とは「十六弁八重表菊紋」のことを指し、皇族でもこの紋を使用することはできませんでした。 ちなみに日本のパスポートの表紙は「十六弁一重表菊紋」であり、皇室の正式な御紋を「八重」から「一重」に略したものです。 三笠宮 ご紋章
常陸宮 ご紋章
高円宮 ご紋章
桂宮 ご紋章
秋篠宮 ご紋章
現在の宮家もそれぞれ、異なった菊紋をお持ちであられます。というのは、「十六弁八重表菊紋」は天皇陛下のみがお使いになる御紋なので、皇族といえども、内廷外皇族はこれを敬避なさり、お使いになりません。
本ブログでも西郷南洲翁遺訓を記載していますが、 明治維新の功臣である西郷南洲翁も、明治天皇陛下より菊紋を下賜されました。それは明治天皇陛下自ら考案なさったもので、「抱き菊の葉に菊」紋であり、「天皇陛下を左右から補佐せよ」という意味が込められていました。西郷は恐懼(きょうく)して退下し、家人を集め、その旨を話し、「この紋は、一代限りのもの」と戒めたそうです。そのため、西郷家の子孫にこの紋は伝わっていません。
衆議院議員章
国会議員の議員記章には「十一菊」の図案が使用されています。
菊の花言葉は「高貴、高潔、真実」。
「菊の御紋」は天皇陛下の紋章として、大切に受け継がれているのです。 肇国以来の我が国の統治理念は「祭政一致(さいせいいっち)」でした。 政治を司る者は、神を祀り神の意志を慮り国づくりを行ってきたのです。 何故なら、古の日本人は、神は常に人間と共に在り、己は神によって生かされて いる。という事を悟っていたからです。 政治とは神と人間が共に行うべきものであると・・・ 畏くも天皇陛下より信任を受けた内閣が五七桐花紋を、衆参両院議員も
「十一菊」を、政治を司る者は天皇陛下の大御心を、「努々(ゆめゆめ)忘るるなか れです」
我国は道義国家でした。 道義こそが御神意であり、我国のお国柄でもあります。 国章の神意を知り、神の国としての政(まつりごと)をと願ってやまないのです。 そして、パスポートを所持されている方々は海外でも日本人としての誇りを・・・・
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福沢諭吉翁
石原知事の尖閣諸島購入発言は、「国のありかた」に一石を投じました。 購入目的について、中国が領有権を主張していることを念頭に「東京が尖閣を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守るため」だと強調されています。 大東亜戦争後、国を護るという義務を忘れ、権利ばかりを誇大解釈し、退化してしまった日本人の精神。 かっての日本人の誰もがもっていた「一身独立して一国独立す の精神」、石原知事の行動理念はすべてこの精神に依っています。 現代は、「個人」の時代です。今日、わが国では、大抵の人は、自分というものがなによりも大切だと感じ、個人の自由や権利を守り、自分らしく生きることが目標だと考えています。そして、「個人の権利」がいたるところで主張されています。また、「個人主義」が国や社会の原理とされています。それによって「公」が後退し、「私」が横行していますが、はたしてそれが元来日本人のあるべき姿でしょうか? 明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創設者でもある、福沢諭吉翁の、「一身独立して一国独立」を読んでいただきたい。
国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず。その次第三ヵ条あり。
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。 外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。 第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。 第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。 世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。 右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。 (福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋) 独立した個人こそが国家を支える基本であるという考えであり、誰かに頼るという人間ばかりでは社会は腐敗してしまうが、自分が国家を支えようと努力する人間が揃ってくれば社会は繁栄し国家は潤うと説いておられます。
ひとりの人間として己を厳しく戒めて質素倹約を旨として、学問に励み、多くの人のために生き抜こうとする滅私奉公の気概がなければ自分が所属する家庭、会社、地域、国家といった集団は繁栄しないという考え方で近代民主主義の基本となる教えです。
また、帝室論では、国家の統一と独立に情が果たす役割に注目し、公徳教育における報国心(「報国尽忠の主義」)の重要性を説いて、帝室を日本国民の精神的中心であると説いておられます。
個人」の概念は、今日と違って「私」の方向へではなく、「公」の方向へと向けられていたのです。すなわち、「公」のための「個」の自立です。わが国では、こうして「公」、つまり国家・民族の独立のために「個人」の概念であったのです。
現在の我国は国家という体すら成し得ていない状況にあります。
戦後最大の国難とも言われる、東日本大震災に福島原発事故に沖縄基地問題、一国を指導もできない愚かな政権政党、総理の信念なき政策により、右往左往し、迷走状態にあります。
ただ摩擦を畏れ、諸外国に媚びを売る・・・ これでは主権国家とは言えません。 しかも、悪意をもった隣国の存在さえ知ろうとしません。政府も国民も・・・
今、日本は大きな「分岐点」にあります。
それは、国家として本当に自立し、繁栄していく道を歩むのか。 国家に依存する国民が増えていけば、その行き着く先は「大きな政府」、社会主義国家、共産主義国家です。 独立を保てればまだしも、外国の支配者が国を統治するならば、亡国です。
福沢翁は、、「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」
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ちなみに、日本の国土は約38万km2で世界第60位、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせると約447万km2で世界第6位となります。 拙記事をご覧いただいている皆さんは、地球儀をご覧になったことはあると思います。日本と英国は大陸から離れた小さな領土です。しかし日英両国とも今や先進国の一翼を担っています。 これは、海洋国家の特性を生かした結果だとも言えるのだが、今一つ、領土主権かの問題から見ると、排他的経済水域が陸地から200海里(370・)と定められていることから、日本はオーストラリアよりも遥かに広いということです。 かつて小笠原諸島、沖ノ鳥島(おきのとりしま)が水没せんとするときに、日本は必死にコンクリートで周りを固めて領土権を守った経緯があります。また、同時に、東シナ海の尖閣諸島を守ることの大切さもそのような意味があるからです。加えて、海洋国家にとっての特権は、大陸のように国境線が海にあるため領土問題の争いが少なく、国を守るために有利な条件をもっているのです。それは、ヨーロッパの2つの大戦を省みれば明かなことで、考えると、今極めて重要な政治的課題にしても北朝鮮の日本人拉致問題などは、日本の海上の自衛権に問題があったことは明かであり、大いに反省すべきことなのです。海上自衛隊が自衛権の行使を発揮したことなど聞いたことがなく、全ては、海上保安庁にその責があるとされているのでは、今後の問題としても「海上自衛権」問題についてもしっかりした政府見解と自衛隊の行動が望まれるのは当然の帰結です。 わが日本国は平成8年7月に「排他的経済水域及び大陸棚に関する法律」を施行した。これらは先にも述べたように、海域にも主権的権利の行使について定め、天元資源の監査・開発等・人工島、施設・構造物の設置と海洋環境の保護・保全・海洋の科学的調査を定めるとともに、日本国の国境がそこまで達していることを宣明にすることです。尖閣諸島を守る戦いは日本国にとっても重大な意義があるのです。
石原都知事らしい米国での発表は見事です。 尖閣諸島が我国固有の領土であることを世界に発信したことを意味し、値千金といっても過言ではありません。 まして素晴らしいのは地権者です。 石原知事は尖閣諸島について、「極めて重要な島々であり、所有者は代々、国益を常に念頭に置いて、これを守ってきてくれた」と感謝の意も述べられました。 東京都が買ってくれるのならと交渉に応じられたそうですが、反日勢力からの誘惑も当然あったことでしょう。我欲にとらわれがちな今日の風潮ですが、頼りない政府に委ねるよりも英断であったと思います。 会見で、石原知事は、「都の予算は都民のために使うのが大原則では」との質問にも、「大原則は国のためだ」と述べられました。 東日本大震災復興に関わる、瓦礫処理の問題に然り、石原氏の言動には「愛国心」が背景にあります。 石原知事は過去に、数名の仲間と尖閣諸島に上陸し、灯台を建設した「日本青年社」が本格的な灯台を造ったことを「造ってくれた」と賞賛も忘れてはいません。同時に、、「当時の外務省が時期尚早として海図に載せなかった」ことが今日に至っていると批判しています。 平成7年は年明け早々に阪神・淡路大震災が襲い、街は壊滅状態となり、多くの死傷者を出した。そして復興への第一歩を踏み出し始めていた頃、議員勤続25年を祝した永年勤続表彰という通常であれば政治家にとっての晴れ舞台で石原知事は辞職を表明し、辞職の弁で石原知事は、日本のことを「国家としての明確な意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じたのです。 そして「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と、沈没の様相を呈し始めている国家という巨大な船に対して、何の手の施しようもない自らの非力さを詫びたのです。 今日、心ある政治家が過去に感じ、挫折せざるを得なかった心境が感じられます。 石原知事の根幹を為すのは「自立」の哲学です。 国や自治体にとどまらず、個人としても、自らのことは自らが決定し、その責任は自らがとるという、人類、文明の普遍的な原理原則、かって日本人の誰もが持っていた精神です。 「東京から国を変える」というスローガンに真摯に取り組んでいる石原知事に多くの日本人が共感、共鳴しています。 今年、9月30日に満80歳を迎える石原知事ですが、筆者には「古武士の最後のご奉公」に思えてなりません。 筆者が尊敬してやまない、さくらの花びら大兄さまが、石原都知事、尖閣諸島の購入検討。議員たちが一向に動かない。とすれば私たちは一体どこの誰にこの国の安危をゆだねたらいいのだろうか。... でも石原知事のことを述べられています。 反原発の急先鋒、山本太郎
我国には、動画や上記画像にも記載しています、摩擦を恐れ、安易に反日勢力に迎合する輩が存在します。 筆者は、彼らに尋ねたい・・・・ 明治維新は何故為し得たのか?靖国神社の護国の神々、先人・先達は何故戦ったのか? 何故我国は、一国一文明の国であるのか? 「日本人が日本の国土を守る」 気概を肇国以来持っていたからではないでしょうか? 荒廃してしまった「国を護る」という日本人の精神・・・ 我々の祖先が、命を賭して護った、国土に思いを馳せて欲しいと願うばかりです。 |
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伊勢神宮(外宮)
昨今、健康ブームといっても過言ではありません。 無病息災を誰もが願っています。健康な生活をするためには、自分の身体を大切にすることが必要です。これは当然のことですが、昔の日本人、私たちの先祖は、自分の身体を単に自分の体だとは考えませんでした。何故なら、自分の身体は、親からもらった身体、祖先から受けついだ体、だから大切にしなければならないと考えたのです。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)之(こ)れを父母(ふぼ)に享(う)く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という言葉があります。古典『孝経』にある言葉ですが、私たちの身体は、髪の毛から皮膚に至るまで、すべて、両親・祖先から譲り受けたものだ。両親・祖先から譲りうけた体に刺青などもってのほかという考えがありました。
この大切な身体を傷つけることのないように生活することは、親孝行・祖先崇拝の第一歩であるということを意味します。
こうした考え方は、現代の私たちには思いもつかない考え方ですが、しかし実際、明治以前は当然のことながら、昭和初期生まれくらいまでの人々、私たちの祖父や曽祖父の世代は、自分の身体は父母から与えられた体だと考えていました。親が死んだ後も、自分の体は父母が残してくれた体だと考えました。父母は死んでも、自分の身体として生き続けている。だから、自己の身体は、父母の尊体でもある。だから大切にしなければならないと考えたのです。そこには、親への感謝の思いがありました。
大東亜戦争で護国の神となられた神々の、遺書には両親、祖先、兄弟、子孫への感謝、願いが記されています。
また、生命への確かな実感がありました。つまり、生命とは、親から与えられ、自分を通じて、子孫へと受け渡していくものという実感です。過去・現在・未来と、世代をつらぬく生命の連続性と一体性を、少し前までの日本人は、現世の我々よりずっと深くとらえていたのです。
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