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畠山勇子
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
最近は野党第一党の党首の二重国籍問題やその党首に纏わる話題ばかりでうんざりしております。どこまでその資質があり、覚悟があるのかもわからず、ただ筆者に見えるのは出世欲や権力に魅せられた餓鬼にしか見えません。
平成の御代にはいり欧米の価値観が蔓延し、勝ち負けにこだわり日本人のあるべきすがたが残念ながら見えなくなってしまいました。
大東亜戦争に敗れながらも奇跡の復興、発展を遂げれたのは大正世代の方々の身命をなげうつ努力の精華でした。決して今日のわが国の繁栄は今の世代のものではありません。著書「永遠の0」の著者、百田尚樹氏が大正世代の方々の強さ、素晴らしさは世界最強世代であると言われます。筆者も左様に思う。
大正世代の方々の両親は当然のことながら明治生まれです。
明治人の教育、薫陶があってこそ大正世代の方々の人格ができたのです。
明治という時代は明治の御一新により、近代国家へと変わらねば欧米列強に呑み込まれるかもしれない激動の時代でした。
その変貌の最中の明治二十四年五月、わが国を揺り動かす大事件がおこりました。
わが国を訪問中の露西亜皇太子ニコライが大津市内で警察官に斬りつけられる凶事がおきました。皇太子ニコライの命に別状はありませんでしたが、事件は朝野を震撼させました。シベリア鉄道を建設を開始し、極東侵略の野心を見せる大国露西亜の前にわが国はまだまだ力不足でした。
この事件に憤怒した露西亜政府ががどうでてくるのかわが国の政府首脳、元老も慌てました。この事態を収拾するため明治大帝は直ちに京都に駆けつけ誠意の限りを見せられました。日本国民の多くが成り行きを憂慮し、ニコライ皇太子に見舞いの品々を贈るものがでてきました。
この時、二十六歳の畠山勇子は奉公先でこの事件を知り、いてもたってもいられずに、叔父に自分もなにかできないかと相談します。叔父は「女風情が心配したとて何になる」と諌めるけれど、勇子は、じっとしていられなかったのです。明治大帝のご憂慮を我が身に体し、四千万国民に代わりニコライ皇太子に一死をもって罪を詫びんと決心しました。
勇子には母と一人の弟がいましたが、先立つ不孝を母に詫び、弟には母の後事を託し、
「凶漢のかわりに誰なりとも命を捧げてその罪を露帝にむくゆるものありたし。少女(勇子)といえども実にこのことに感じ居れり」と遺書を記し、
きょう参る ちなみも深き知恩寺の景色のよさに 憂も忘るる
の辞世を残し、京都府庁前まで来た勇子は、遺書を脇に置いて、剃刀でのどを掻き切って自害を遂げます。享年二十六歳でした。
日本中の人々が畠山勇子を勇気ある女性と褒め称えました。
この時代、畠山勇子のような一女性、一国民までもが国家の運命を憂い、一身を国に捧げた。小泉八雲は彼女の行動に感銘し、その心を、
「天子様を欽慕して身命を顧みない至心」と讃えました。
この時代を生きた明治の人々の国家への忠誠、至心があって今日の日本があるのです。
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誇り高き日本
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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リオデジャネイロ五輪のレスリング女子58キロ級で金メダルを獲得し、女子個人種目で五輪史上初の4連覇を達成した伊調馨氏(32)は13日、国民栄誉賞の受賞が決まりました。
おめでとうございます。
御国の誇りです。
本日でブログ開設10年となりました。
更新頻度は以前に比べて減りましたが、これからも、母国「日本」の素晴らしさを発信していきたいとおもいます。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ
日本人は日本人らしく。 |
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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5月3日に埼玉スタジアムで開催されたサッカーのアジア・チャンピオンリーグ(ACL)1次リーグ、浦和−浦項(韓国)戦で、韓国選手がスポーツマン精神を疑わせる行為を行い、浦和の西川が激高するシーンがあった。韓国メディアには、浦和サポーターが浦項選手を狙って異物を投棄したと報じるメディアもあり、相変わらず自らの行為を正当化しようとする傾向がうかがえた。
(産経新聞より)
筆者は韓国選手をどうこう批判はしませんが、礼に欠ける相手選手を咎めた西川選手に賛辞を送りたいとおもいます。
日本人アスリートにとって試合を行う場所は、神聖であり、穢してはならぬ空間でもあるのです。これはどのスポーツにも共通する日本人の「こころ」です。
スケート 羽生選手 日本人っていいね。
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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国産旅客機の初飛行は戦後初のプロペラ旅客機「YS−11」以来、約半世紀ぶりの国産旅客機である三菱リージョナルジェット(MRJ)の初飛行が愛知県営名古屋空港で離着陸に成功しました。
開発に関わった関係各位のたゆまぬ努力、結束力の精華に「おめでとう、ありがとう」の賛辞を贈りたいです。
かって名機「零戦」「YS-11」を送り出したわが国の航空機技術が再びその扉を開いた瞬間でもあります。
MRJは半世紀ぶりの国産旅客機プロジェクトとして平成20年に事業化がスタート,開発は難航を極めましたが、技術者たちのたゆまぬ英知の結集で困難を乗り越えてきました。
計画は5度延びましたがこれまでにANAや日本航空、米スカイウエストなどから400機強の発注があり、開発に弾みがつきました。
滑走路をゆっくりと走り出す。徐々にスピードを上げると、前輪が浮き上がり、MRJは大空に舞い上がり、技術者たちのプライドがつまった機体が飛び立ちました。機体が空中に浮いた瞬間、約200人の航空関係者から拍手がわき上がった。ハンカチで目頭をぬぐい、握手で喜びを分かち合う姿も見られたということです。
筆者は飛行機は苦手ですが、是非乗ってみたいと思うしだいです。
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こうのとり宇宙基地到着 油井さんがキャッチ
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