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韓国で唯一まともだった朴正煕大統領
拙稿をご覧いただいている皆様は、李明博韓国大統領が、わが国の国家元首であられる、畏くも今上陛下を侮辱したことはご存知だと思います。
筆者は国父と仰ぐ畏くも今上陛下を侮辱した、李明博韓国大統領をいかなる国情があるにせよ非難いたします。
そもそも、李明博韓国大統領は自国の先人たる、朴正煕大統領の朝鮮民族の認識をご存知なのでしょうか?
朴正煕大統領は大統領に就任すると、日本を模範とした経済政策を布き、1961年には国民1人あたりの所得が僅か80ドルだったという世界最貧国圏から、1979年には1620ドルになるといったように、20年弱で国民所得を約20倍にまで跳ね上げるという「漢江の奇跡」を成し遂げた功労者であり、独裁的でありながらの朴正煕大統領の私生活はいたって質素潔癖であり、縁故採用も嫌い、韓国大統領の中で極めて清廉潔白な大統領とされ、汚職も見られず、朴正煕大統領の死後には私有財産がほとんどなかった。また、自身の政治家としての潔白さを証明するため、親戚のソウルへの立ち入りを禁じていたという。
日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉だった朴正煕大統領と対決し、職を追われたことがある趙甲濟も、「日本の一流の教育とアメリカの将校教育を受けた、実用的な指導者だった」と述べています。
しかし、朴正煕大統領も、夫人も同胞である朝鮮人によって殺されています。
朴正煕大統領は著書『国家・民族・私』で朝鮮のお国柄を次のように遺しています。
「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」 「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」 自著『韓民族の進むべき道』で、李氏朝鮮について次の言葉を遺しています。
また、福田赳夫元総理が訪韓した際、酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のある高官が過去の日本による植民地統治を批判する旨の発言を始めたところ、彼を宥めたうえで次のように述べています。 日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。 近年の韓国大統領は、朴正煕大統領時代にわが国と結んだ、「日韓基本条約」を反古にし、わが国に対し、詐満に満ちた歴史を捏造し、攻撃・要求を続けています。
ヤルタ会談当時、米国のルーズベルト大統領は、朝鮮が自立できるまでの期間を40年から50年と考えていたという。
西郷隆盛を尊敬し、日本との関係を真剣に考えていたとされ、竹島をめぐる領有権問題について「両国友好のためにあんな島など沈めてしまえ」と発言したとも言われている。
日本の陸軍士官学校に学んだ朴正煕大統領のおかげで、その期間は大幅に短縮されたが、彼の暗殺後、朝鮮人の性根はまた元に戻ってしまった。
李明博大統領は朴正煕大統領の認識に学び、非礼をわが国に謝罪すべきです。
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怒ってます
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コメント(18)
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筆者は時事問題をほとんど記事にしません。 いつかは日本国民が日本人らしさ、誇りを取戻してくれると信じているからです。 しかし、世情は悪化の一途をたどり、かっての日本を知る日本人、諸外国の要人からも落胆の声さえ聞かれます。 そもそも政府という組織の究極的かつ根本的な目的は「国民の生命財産や利益を(外国による侵害などから)守ること」にあります。戦後の日本政府はこの目的を「永久に放棄」しているようにしか筆者の目には写りません。
むしろ、「国民の生命財産や利益を外国に流すこと」が実質的な目的となっている。
戦後の日本政府は支那・朝鮮の植民地総督府でしょうか?
本ブログの拙稿、心無い活動家の戦争反対は「対日戦争賛成」を意味する でも述べていますが、軍隊反対論を唱えるサヨクの中には、ゲリラ戦論者もいる。「侵略されてもベトナム戦争のベトナムゲリラのように戦えばいい」と論じる馬鹿もいます。外敵の侵略時にわざわざ自国を戦場にしようと言う本土決戦論者と言い換えてもいいでしょう。自国が戦場になることの恐怖を理解しない異常者の発想です。
国民個々が勝手に自分や郷土や民族の利益を守ろうとしても限界があります。組織を編成して協力し力を合わせて実現するほうが、より合理的により公正に生命財産や利益を守ることができるのです。特に侵略を受けた場合など大規模な有事においては。そのために、組織構成員個々の役割(国民の義務)や戒律(法律)を定め、必要に応じて専門性の高い部署を構成し、組織を統括する意思決定機関(政府)を我々は運営していると断じることができます。
しかし、日本政府の外国朝貢癖はほとんど病気と言っても過言ではありません。核武装領事館侵犯国家支那に対する大量ODA等(合計六兆円・アジア開発銀行経由の対中援助は現在も続き、こちらの総額は約2兆8000億円にものぼっています)、横田めぐみさんはじめ、同胞を拉致した国家の北朝鮮系銀行(朝銀)への大量支援(合計一兆五千億円)。かって住専への支援は少額でした。しかし大騒ぎしたメディアは、朝銀への支援には、完全に沈黙しました。
米国は北朝鮮への対応は、テロリストへの資金送付の疑いのあるとして送金機関の資産凍結しました。
わが国政府は同胞拉致が明らかな国の銀行を、桁外れの税金を出して支援しました。 この温度差はどうでしょうか?
日本政府の外交関係者は北朝鮮支援に成功し、同時に日本国民の子孫に対して更なる負債をおわせたのです。
領事館であれほどひどい主権侵害され、海底調査船を徘徊され、それでも支那への支援を止まなかった政治家、官僚。拉致国家の銀行に1兆5千億円もの桁外れの金を垂れ流す政治家・官僚。こういう連中は、支那米国韓国北鮮当局のご機嫌のみをひたすら心配するが、赤字国債(子孫にかぶらせる借金)など自国の利益については全く心配しない。
挙句に増税論議。ここにあるのは「国民の生命財産や利益を(外国による侵害などから)守ること」を、完全に放棄してしまった姿である。「国民の資産を守ろう」「(拉致された)国民の命を守ろう」「国民の(領事館にある)領土を守ろう」という発想が根底から欠落しています。
確かに「国民の生命財産や利益を(外国による侵害などから)守ること」を放棄してしまえば、外国との対立は生じません。売国政治家・官僚連中の大好きな対立のない「友好」が実現した状態となります。拉致をおざなりに抗議しながら桁外れの朝銀支援をすることで国民の命と共に国民の資産をも明け渡す。こうしておけば支那やら北鮮は抗議をされてもにっこり握手をするだろう。国民の命も国民の資産も国民が暮らす領土も国民の政治的主権もすべて投げ出して明けわたしてしまえば、外国との対立は生じません。
これが戦後の日本政府が行っている「友好外交」です。国民の命も国民の資産も国民が暮らす領土も国民の政治的主権も、外国様の前ではゴミクズ程度にしか認識していません。
この状態は政府関係者、外交関係者にとってはなはだ楽でしょう。外交とは本来国益をかけた丁々発止のはずです。戦前まではわが国も確かにそうでした。
しかしその本来の仕事を全くせず、相手国の要求のままにぼんぼん景気良く国益を投げ捨てていればいいのだから、こんな楽なことはないでしょう。後はにこやかに握手をし相手国要人と写真を撮ってパーティをしていればいい。メディア各社は外国要人と握手や会談をしている写真を掲載してくれ有権者に自分の存在感をアピールしてくれるだろう。
売国外交で損をするのは国民であって政府関係者は何一つ損をしないのです。 日支間で外交問題が起きた時に(ほとんど全てが支那の暴虐無理難題に端を発するもの)、日本政府やサヨクメディアは「日中国交の大局的見地・互恵関係」なる見方で外交を論じるのを好むが、「日本の主権擁護の大局的見地」なる見方では全く論じません。
サヨクメディアもまた政府に対して、国益(つまり国民の領土、国民の政治的主権、国民の命、国民の資産)と外国の主張(支那のご機嫌)が相反した場合、国益を投げ出すように煽りつづけている。大人げないどころか支那による明瞭な主権侵害への日本政府による抗議を、「大人げない」「冷静に」「日中国交の大局的見地」と支那の見解を口移したりするのを好みます。支那に対しては思考停止。
そんなメディアに逆らってまで、しゃかりきに汗水たらして国益を追求などしたところで政治家自身には益などない。政治家もまた人気商売です。わざわざメディア受けの悪いことに精を出したがらないのは当然の帰結です。
しかし、あらためて考えてみれば「国益を投げ出してしまった方がメディアウケがいい」という日本のメディア状況は、根本的に狂っています。普通の国のメディアは「国益を投げ出してしまう政治家はメディアから徹底的に批判される」という状況なのです。当然のことですが・・
終戦後に占領軍に主権を明け渡し自国による憲法制定権を放棄してしまった瞬間から、永田町にあるのは「政府」ではなくなったということだ。そして終戦後に占領軍の提灯持ちとなり占領軍による虐殺裁判に荷担してしまった瞬間から、メディア各社は「メディア」では無くなった。
「国民の生命財産や利益を(外国による侵害などから)守ること」(国防)を放棄してしまった瞬間、もはやそれは民主的な政府とは呼べません。民衆の意志や利益を中核とする政体であってこそ民主的な政府と言えます。逆に外国の意志や利益を中核とする政体は、民主的な政体というより植民地の総督府のようなものです。
永田町の自称「政府」は、対支ODAや思いやり予算や朝鮮支援などにより国民から大量の資産を収奪搾取して支那や米国や南北朝鮮に流している。また教科書などを用いて占領軍の政治的見解を国民に伝達喧伝し刷り込むことにはげみ、現地住民を搾取し資産を宗主国に流し、宗主国に逆らわないように監視洗脳するための組織。これはまさに植民地の総督府以外の何者でもない。 なぜ日本がこういうていたらくとなっているのでしょうか?
簡単な事です。日本国民が国防を行っていないからです。国防を行なわなければ植民地となり、国家への忠誠もなく、政治に無関心になります。当然の帰結です。 隣国、支那、北朝鮮が核を保有し、その照準はわが国に向けられています。
それを解っていながら、国防費を削り続けるわが国。
昔、政治家は「井戸塀政治家」と言った。私財を投じて政治に没頭し、ついには井戸と塀しか残らなかったという意味ですが、、それぐらいの気骨があってしかるべきです。「君子は、悪衣悪食を恥じず」(『論語』)とある。そのような気概のある政治家・官僚がどれほどいると言えるのでしょうか?
政治への無関心はやがて国民すべてに跳ね返ってきます。
それからでは、もはや取返しのつかない状況に追込まれているでしょう。
「忠魂慰霊祭」
護国の神々はわが国の惨状を何と仰せでありましょや・・・ |
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孝子の像
笹川良一氏が59歳のとき、82歳の母親を背負って香川県仲多度郡琴平町・金毘羅参りのため、785段の石段を登っている様子を表しています。
「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」と母への賛歌が刻まれています。 人気お笑い芸人が高額の住宅ローンを支払い、その住宅に住む母親が生活保護を受給している−。こうした実態が発覚し、お笑い芸人が釈明会見して以降、自治体には「これで生活保護が受けられるなら、うちも…」といった問い合わせが相次いでいる。国会では議員が生活保護を管轄する厚生労働省の対応を痛烈に批判、厚労省は厳しくチェックしていく方針を示したが、不公平感の解消にはほど遠いのが現状だ。と6月23日の産経ニュースは報じています。
筆者は、不公平感の解消うんぬんよりも、子が年老いた親の面倒をみない、みたがらない孝養の精神の荒廃に、日本の将来に危うさを感じるのです。
子供を生み子孫を育て、種を存続することは、生物の最大の関心事です。例えば、野生の鳥は、ひなを守るためには、大きな外敵に対して、夫婦で体当たりし、命がけで向かっていく。そうやって子供を守り、育てます。本能的な愛情と言ってもいいでしょう。
親が子供を愛し、子供を育てることは、どんな動物にも見られます。本能的な愛情は、時には人間より他の動物の方が強いくらいではないかと感じることがあります。しかし、人間の特徴は、子供が親の愛情に感謝して、これに報いようとするところにあります。特に、親が年をとって弱っても、子供が親を大切にして世話をする。この点が、人間と動物を分ける根本的な違いなのです。
こうした親子間の愛情を「孝」といいます。つまり、親から子へ、子から親への血族愛が、孝である。孝は後に、主に子から親への愛情を意味する言葉として使われるようになった。子供が親に恩を感じ、これに報いることです。これを孝一般と区別して、親孝行、孝養といいます。冒頭の画像は、子が年老いた母を背負い、金刀比羅宮(ことひらぐう)の石段を登る姿を現したものです。「孝」という文字は、子供が老人を背負った姿をかたどったものといわれています。
親に対する孝は、人間の人間たる道徳の基本と考えられ、わが国では往古の昔より実践されてきました。親孝行のできない人間は、まともな人間ではないとみなされ、自分を生み、育んでくれた親に感謝し、親を敬い大切にすることは、人間らしさの中心となるほどに、非常に重要なことなのです。 「孝は徳の始め」「親孝行は、万行の基」と、孔子・孟子などの聖賢は説かれています。わが国でも戦前までは、「修身」などで「孝」の大切さを説いていました。
これらは、時代が変われど、普遍のものです。
「親の恩は山よりも高く、海よりも深し」子を思う親の愛は大きなものです。幕末の志士・吉田松陰先生は、獄中で自らの死を予期し、母にあてた手紙の中で、「親思う心に優る親心 けふのおとづれなにと聞くらむ」という歌を詠んでいます。
「孝は親を安んずるより大なるはなし」といわれています。親孝行は、親に心配をかけないこと、親に安心してもらうことが、第一です。
「身体髪膚はこれを父母に受く。これを被傷せざるは孝の初めなり」といいます。自分の身体は、親から受け継いだ生命です。身体を大切にして、健康を損なわないよう、また身体を傷つけないようにすることが、親孝行の始めとなります。親は死んでも、自分の身体は親の生命そのものとして、親や祖先が自分の中に生きていると思って、感謝して生きていく。そして、立派な人になり、世のため、人のためになることのできる人間、社会に貢献できる人間となることが、親孝行だと考えてきました。
日本人は、親は子を愛情を持って育てるように努めてきた。親は子供に乳をやり、食べ物を食べさせる。それが親の一番の務めだと考えてきた。親は、子供が満足そうにしている姿を見て喜びを感じる。子供はそうしてくれた親に感謝し、親が年を取ってもどこまでも大切にする。親子一体が日本人の本来の生き方であり、伝統なのです。
ところが、こういう生き方が、戦後日本、近年特に顕著に表れています。
本来の日本人の生き方では、親への感謝は、親の親である祖先への感謝につながるものであり、その感謝の念は、国を作り、国を築いてきてくれた祖先にも及びました。こういう考え方からは、歴史や伝統の尊重という心が湧き、それが国民の社会意識、歴史意識、国家意識のもととなり、国民の間に連帯感、共有意識を培ってきたのです。また、国の中心としての皇室への敬いの心も湧いてくる。逆に親への感謝の心が薄くなると、祖先や皇室に対してもその心がなくなり、親への感謝は、その人の社会意識、歴史意識、国家意識の形成の基礎となるものである。親への感謝の心が薄いと、自己中心・個人主義・利己主義となる。親への感謝は、個人の人間形成の核であると同時に、社会・国家の発展の基礎ともなる。そこに、親への孝の大きな意義があるのです。
今の日本の現状は、親に孝養を尽くさず、祖先を崇めず、子孫の繁栄すら願わない「餓鬼の世界」を呈しています。
戦前日本とはまるで別の国であるかのように感じます。
政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善につながったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能なところまで荒廃しているのです。いまできることは、時間はかかるが立派な道徳教育を子供たちにほどこし、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。
教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものです。人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子供たちだけには素晴らしい教育を与え、素晴らしい日本人をそだて、「孝養」溢れる国に戻ることではないでしょうか。 |
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6月8日産経新聞記載の「賢者に学ぶ」より素晴らしい記事がありましたので引用します。
適菜収(てきな おさむ)「先人に「上から目線」の愚」 賢者の言葉を紹介した本が売れている。ゲーテやニーチェ、カフカといった先人の言葉をコンパクトにまとめたものが多い。こうした中、巷(ちまた)でよく聞かれるのが、「ゲーテは今から200年も前の人なのにこんなにすごいことを言っていたのか。驚きました」「ゲーテの言葉は今の世の中でも十分に通用しますね」といった類いの反応だ。「どれほど上から目線なのか」と逆に驚いてしまう。たかだか200年後に生まれたというだけで、一段上の立場から「昔の人なのにすごい」とゲーテを褒めるわけだ。これは近代−進歩史観に完全に毒された考え方である。すなわち、時間の経過とともに人間精神が進化するという妄想だ。 付け足す言葉も論評する言葉もみつかりません。 何故なら、現世の人々は先人、ご先祖の英知との上に繁栄を享受しているのですから・・ はたして、今日の日本人に教養というものがあるでしょうか? 先人・先祖の生き様を知らずして、日本人と言えるでしょうか? |
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小村寿太郎侯 肖像
本ブログをご覧いただいている皆様におかれましては、丹羽宇一郎駐中国大使が7日までの英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューで、東京都の石原慎太郎知事が表明した尖閣諸島の購入計画について「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」と述べた。ことはご存知だと思います。
丹羽氏をめぐっては今回の英紙インタビューに先立つ5月4日にも、訪中した横路孝弘衆院議長と習近平国家副主席との会談に同席し問題発言をしていたことが7日、分かりました。
丹羽氏は習氏に対し、日本国内で石原氏による沖縄・尖閣諸島の購入表明を支持する意見が多数を占めることについて、「日本の国民感情はおかしい」と述べていた。複数の横路氏同行筋が明かした。
丹羽氏はこの際、「日本は変わった国なんですよ」と発言しています。
丹羽氏が「中国最強商社」を自任し、対中ビジネスを重視してきた伊藤忠商事の社長経験者であることは、就任前から懸念されていたことです。
その外交素人の丹羽氏を「政治主導」の象徴として、民間から初の中国大使に起用したのは民主党政権であり、野党からは当然、「その大使の言動について民主党の責任は免れない」(自民党の世耕弘成参院議員)と任命責任を問う声が出ています。
「日本は変わった国なんですよ」・・・・・
日本国民、ひいては畏くも天皇陛下を侮辱するものです。
政府は媚中外交を展開する丹羽氏を召還、更迭し、政府民主党も国民の信を問うべきです。
かって清国代理公使を務め、日清戦争の後、駐韓弁理公使や外務次官、駐米・駐露公使を歴任。明治33年の義和団の乱では、講和会議全権として事後処理にあたり、明治34年、第1次桂内閣の外務大臣に就任。明治35年、日英同盟を積極的に主張して締結。日露戦争後の明治38年、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印した小村寿太郎侯に倣うべきです。
小村寿太郎侯はシナの李鴻章と対面した際、巨漢の李に「この宴席で閣下は一番小そうございます。日本人とは皆閣下のように小そうございますか?」と背の低さを揶揄されたのに対して、「残念ながら日本人はみな小そうございます。無論閣下のように大きい者もございます。しかし我が国では『大男 総身に智恵が回りかね』などといい、大事を託さぬ事になっているのでございます」と切り返すなど一歩も引かぬ堂々した態度でした。
日清戦争開戦時は、小村寿太郎侯は北京の代理公使でしたが、東京から国交断絶、開戦の通告が一向にこないのに業を煮やして、これでは開戦の時期を失してしまうと言って、独断で公使館の国旗を降ろして北京を退去してしまう。 もっともこのときは、単なる電報の配達の遅れだったようで、入れ違いに訓令が来たましたが、こんなことは、一身を顧みず国事しか念頭に無い人以外は出来ないことです。 明治の人たちの出処進退について、われわれ戦後の日本人が感嘆するのは貧乏を恐れない度胸です。
ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉した際も、ヴィッテは両国間で秘密とされた交渉途中の内容をアメリカの新聞記者に漏らして恩を売るなど世論工作を繰り広げましたが小村寿太郎侯は武士道の国の代表として秘密を守り通しました。
講話会議での交渉は難しく、日本とロシアの要求の折り合いがつかず難航を極めた。
しかしアメリカの協力と、寿太郎の粘り強い努力と、巧みな交渉術と、日本政府の譲歩などによりポーツマス平和条約が締結された。 ポーツマス条約が結ばれた深夜、ホテルの一室から妙な泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備の者が小村寿太郎侯の部屋を訪ねると小村寿太郎侯が大泣きしていたのを発見したのです。
日露戦争で我国は連勝し、優勢でしたが、国の財政は厳しく、戦争を続けるのは至難だったのです。
小村寿太郎侯にとってこの条約の調印は苦渋の決断だったのです。
交渉決裂の危険もあった日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)の調印になんとか成功した小村寿太郎侯でしたが、国民は賠償金が取れなかったことに不満。マスコミも「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」と報道し、この交渉を酷評するなどしたため、戦勝気分から一転して日本国内は不穏な空気に包まれた。そんな雰囲気のなか帰国した小村寿太郎侯を新橋駅で迎えた内閣総理大臣・桂太郎と海相・山本権兵衛は、小村寿太郎侯の両脇を挟むように歩き出したという。これは、もし爆弾等を投げつけられたときに、小村寿太郎侯だけではなく共に死ぬ覚悟を固めていたのです。
小村寿太郎侯は本来はタカ派中のタカ派でありながら、ハト派の汚名を受けつつも、死ぬまで一言の釈明もしなかった男らしさ、それこそ明治の男でした。
それよりも、小村寿太郎侯の真の偉大さは、その透徹した洞察力、それをあくまでも政策に実現しようという強固な意志力、行動力、そしてその全ての背後にある強烈な国家意識、つまり愛国心にある。
小村寿太郎侯はこの後、2度目の外相時に日韓併合を指揮する一方、宿願の関税自主権の回復に成功する。そして職を辞して3カ月後の明治44年11月、療養先の葉山で静かに逝かれました。享年56。
ときに「小村がおれば」と惜しまれた明治大帝も、その8カ月後に崩御されました。
現世の政治家は、政治生命を賭してと軽々しく言いますが、明治の政治家は政治生命ではなく、命を賭していたのです。
勿論、それは強烈な国家意識、愛国心から生まれたものです。
現世の政治家は明治の偉人に倣い、国民は明治の気概を取戻すべきです。
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