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先帝陛下のご尊顔を拝し奉る度、涙がでるのは筆者だけでしょうか?
日本人はしっかりと肇国以来の歴史と伝統を学ぶべきです 。一国一王朝一文明、世界最古にして、世界最長の皇室を戴く、日本のような国は世界に二つとないまれに見る国家です。畏くも天皇 陛下を要とした日本だからこそ日本の持つ強さがあり、御国の安寧、平和と、臣民の 幸せを祈る天皇陛下がいらっしゃる日本人は世界一幸せな民族です。日本の 皇室は海外の王室とは全く違った存在であり、肇国以来、民の平和と 幸せとわが国独自の民主主義を重んじられ、自己の利益を放棄あそばされ、神に祈る存在であられた 。だからそ今日まで、そしてこれからも存続すしていくのです 。悲しくも記載している動画に先帝陛下のご尊顔に微笑はありません。
わが庭の そぞろありきも 楽しからず
わざはひ多き 今の世を思へば
動画の背景となっている昭和59年の前年、昭和五十八年年頭の先帝陛下の大御歌(おおみうた)です。
総ての臣民に対し、御慈しみの心をもって接せられ、私心(わたくしごころ)を一切現わされるこ との無い 畏くも先帝陛下が「わざはひ多き世」と御詠みあそばされました。
御心を推察する時、臣民たる我々の努力の 至らなさに身の縮む思いがし臣民として恥ずかしきこと、申し訳無いという気持で胸が一杯でございます。
俗に言う「災い」としては、「戦争」「天変地異」「不景気」などが挙げられますが、この御製を詠まれた当時、戦後四十年近くも 平和が続き、大きな災害も無く、好景気に酔っている日本では、いわゆる「災い」とは全くと言って 良い程無縁であり、 陛下にこのような御歌を御詠みいただく程の事件は、何も考えられません。
それにも拘らず「わざはひ」とお詠みになられたのは、天変地異や不景気などとは比較にならない 大きな「災い」である「精神の荒廃」について深く 大御心を痛められたが故と推察致して居ります。
この荒廃の根本原因はマッカーサーが命じて作らせた占領基本法である現行憲法(と称するもの) です。
しかし、これは昭和二十七年の独立を境に廃棄しても何等差し支えの無い物であったのに、時の政 府は経済の発展を計る為に敢えて存続させ、憲法と称したままで居たため「この改正に三分の二の賛 成が必要となる」など、國民の大半が賛成しても改める事が出来ないと言うおかしな制度にしてしまいました。
厳密には正当な手続きを経て大日本帝國憲法を改正したものでは無いので「無効」であり憲法と称し てはいますが、実は真赤な贋物なのです。
良き日本の伝統を破壞し、人々を唯物的にするこの贋物 憲法が四十年間に流した害毒、これを利用し、臣民を堕落させた弊害は計り知れません。
一億二千万人の受けた打撃は、戦爭の何百倍にも及 んでいると考えます。
我國のお国柄と異 なる政権が、現在国政を担っている異常事態もこの贋物憲法の弊害です。
更に問題なのは、この被害について気付かない人が大部分であるという事である。
極論するならば「この害毒を排除しない限り、日本は滅びてしまう」ことも考えられます。
もし他の國がこの様な状態に追い込まれたら確実に滅びるでしょうが、、幸いにして日本は畏くも天皇陛下を中心とした歴史の長い國家であり、いかに末期的症状を呈そうとも一度(ひとたび) 天皇陛下の御下(おんもと)で臣民が力を併せれば如何なる苦境も脱する事が出来ると思います。
それは精神的にも物質的にも極限まで追い込また戦後の復興の原動力となった御巡幸の際にも見ら れた事であり、 畏くも天皇陛下のあらせられる限り神国日本は常に新しく、また活気に満ちみちていくものと思います。
掲げさせて戴いた 大御歌は畏多いことながら、 畏くも先帝陛下御自らが「精神の復興の為の御巡幸」 に旅立たれようと御決意あそばされた御歌と推察します。
本来ならば、 畏くも天皇陛下が何も仰せられなくとも 大御心を推察して精神の荒廃から復興させるために 全力を尽すのが臣下の勤めであるのに我々は何を為して来たのでありましょうや。 恥ずかしさと申し訳無 さとで消え入りたいような気持ちです。
しかし、何時までも恥入ってばかり居ても始まりません。
天皇陛下の「御巡幸」のお供をして、日本の精神的復興を計り、金剛不壊の実相を顕現させて、子孫に 素晴らしい國としての日本を伝えるために努力する時は今である。
戦後最大の國難 といっても過言ではありません。
我國を取巻く隣国の情勢、臣民の道徳の欠如、政治家の堕落など列挙すればきりがありません。
今ここで臣民が力を併せ、先帝陛下の大御心にお応えできなくては、いくら伝統を誇る日本と言えども、滅びる事も考えらるのです。
心ある臣民の皆様、熟慮くださいますようお願いします
日本国の非常に厳しい激動の昭和を治められた先帝陛下 のご傷心とご心情を少なからずも理解したいものです。国家のために尊い命 を捧げた日本国民、英霊に対して天皇陛下のつらかったお心を察したい 。先帝陛下万歳!
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皇室の記事
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天皇皇后両陛下の山口行幸啓における小月基地隊員のと列
待機中の隊員
天皇、皇后両陛下へ敬礼
天皇、皇后両陛下へ敬礼
各級指揮官
緊張が高まる一瞬
天皇、皇后両陛下へ敬礼
上記記載の画像は、畏くも天皇、皇后両陛下が本年5月27日、山口へ行幸啓あそばされた時、海上自衛隊小月基地隊員が「と列」にてお迎えした時のものです。
「と列」という自衛官が垣のように並び立ち、訪問途上における送迎式があります。栄誉礼を受ける資格のある人たちが自衛隊を公式に訪問、視察する場合、途上において送迎し、敬意を表すために行います。
以下に「儀仗」と「と列」について海上自衛隊ミニ講座より引用します。
参考にされたい。
本日の産経新聞「風を読む」に論説委員長・中静敬一郎氏の考え直したい「天皇と自衛隊」を以下に引用します。
「厳しい環境の下、わが身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力およびその関係者の献身的努力に深く感謝しています」
昨年12月、畏くも天皇陛下は78歳のお誕生日を迎えた感想文の中で、東日本大震災発生直後に発せられた玉音同様、「自衛隊」を真っ先に挙げられた。
多くの隊員は感動を新たに奮い立った、しかし、戦後67年の歴史を振り返れば、皇室と自衛隊の「距離」は近いとはいえなかったのです。
先帝陛下、畏くも今上陛下が戦後、防衛庁や防衛省の本部、基地、駐屯地を「視察」された例はなく(国民体育大会会場としての行幸啓は除く)、防衛省担当者は「自衛隊発足後、天皇陛下が栄誉礼を受礼された実績はない」としています。
宮城(皇居)や迎賓館では国賓が陸上自衛隊・儀仗(ぎじょう)隊の栄誉礼を受けるのが慣例ですが、陛下は受礼台まで移動あそばされることはなく、少し離れた場所から国賓の様子を見守られます。
前述していますが、天皇、皇后両陛下におかれましては、過去に警視庁本部や皇宮警察の武道大会などをご覧になられ、海上保安制度創設60周年記念式典にも御親覧あそばされた。これでは「政府や宮内庁が自衛隊だけを遠ざけようとしている」との臆測を呼んでも仕方がありません。
かってわが国では、国を護る人々を「防人(さきもり)」と言いました。
現世の防人たちが、陛下をお迎えする「と列」での表情は、何れも誇らしげです。
防人たちが命を賭して、御国を護るのは、今も昔も、天皇陛下であり、美しい国土であり、愛する家族の為なのです。
「改めて法律を調べてみたら、(首相は)自衛隊に対する最高の指揮監督権を有していた」。平成22年8月、統合・陸海空4幕僚長との意見交換の場での菅直人首相(当時)の発言は、周囲をあぜんとさせました。
無知なる政権は、顔は変われど、何ら変わっていません。
日本国民とは、肇国以来の先人・先達を含めて「日本国民」と言います。
先人・先達は「美し国」を我々に紡いで、伝えてくれました。
戦後67年、日本の常識、世界の非常識と言われて久しいですが、いつになれば世界の常識の国になれるのでしょうか?
筆者は日々、それだけを願ってやまないのです。
「美し国に戻って欲しいと」
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明治天皇陛下、昭憲皇太后陛下 御真影
今日11月3日は、明治天皇陛下の生誕の日、戦前は四大節の一つとして新年と紀元節、天長節とともに盛大に祝われていました。
明治天皇陛下の偉業は、多くの文献、史書にとりあげられています。
では、明治日本では天長節をいかに祝っていたのでしょうか?
田山花袋の『田舎教師』は病死した青年教師の日記などをもとに明治の末、書かれたものですが、その中に11月3日の天長節、つまり明治天皇陛下誕生日のことが記述されています。
先生や生徒、父兄、それに村の有力者らが晴れ着姿で集まり「君が代」などを歌い、子供たちはお菓子をもらって帰る。
先生や村長たちは茶話会に移り、さらに田んぼの中の料理屋での「2次会」に繰り出す。そこで校長と村長は今年の豊作について話しこむ。
地方の隅々に至るまで、天長節が楽しい行事として国民の生活に溶け込んでいたことが偲ばれます。
平成日本が失ってしまった日本人のこころを、明治という時代の日本人の一体感のようなものをも感じさせます。
明治日本を訪れた諸外国の識者、文化人はこの頃の日本を絶賛しています。
家に鍵をしなくとも生活できるくらい安全だ った治安、貴重品を公共の場に忘れても、財布の中身も無事に届けられた節度が この頃の日本にはありました…
台湾の国策顧問を成し、日本人に帰化された金美齢女史は、2010年1月の「正論」で次のように述べられていますので抜粋します。
一国のパスポートは身分証明書であり、外国に出たら「最後の頼みの綱」である。その頼みの綱を失ったとき、私は個人にとっての国家がいかに大切であるか、個人は国に守られて生きているということを肌で感じた。台湾(中華民国)のパスポートではどこへ行くのにもビザ(査証)が必要になるが、パスポートがなければビザの申請自体を受け付けない国がたくさんある。 先人の偉業、戦禍に倒れた英霊に感謝のこころさえ忘れてしまった日本人。 金美齢女史が述べられているように、今の日本の信用は今の日本人が築きあげたものではありません。
建国以来、道義を大切にし、それを行なってきた先人の遺産なのです。
これを、現世の日本人の都合で変えてはならないのです。
明治日本は僅か半世紀足らずで、極東の小国「日本」を世界に知らしめました。
明治節の日にあたり、明治大帝の御遺徳をしのび、明治大帝の下、道義国家日本を世界に知らしめた先人に感謝し、失ってしまった「日本人の誇り」「日本人としての矜持」を取戻して欲しいと願うばかりです。
明治大帝が人の心のあり方について詠まれた大御歌(おおみうた)に、次のようなものがあります。 久かたの 空に晴れたる 富士の根の
高きを人の こころともがな
(大意:晴れた大空にそびえる富士山の高根のように、気高い心を自分の心としたいものだ)
あさみどり すみわたりたる 大空の
ひろきをおのが 心ともがな
(大意:浅緑色に澄みわたった大空のように、広々とした心を自分の心
としたいものだ)
目の見えぬ 神に向ひて 耻(はじ)ざるは
人のこころの まことなりけり
(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)
人は親に育てられ、やがて自らの人生を歩みだします。誰にとっても親は、人生について教えてくれた最高の恩人です。明治大帝は親について次のように詠まれています。
たらちねの みおやのをしへ 新玉の
年ふるままに 身にぞしみける
(大意:年々、新しい年を重ねるにしたがって、身に染みわたるのは、
自分を育ててくれた親の有り難い教えである)
人には誰しも友だちが必要です。真の友情は、人を磨き、人を成長させます。明治大帝は、そのことを次のように詠まれています。
あやまちを 諌(いさ)めかはして 親しむが
まことの友の 心なるらむ
(大意:過ちがあれば互に注意しあって、親しんでゆくが、本当の友だちの心である)
明治大帝は、一人一人の自分の努力の大切さを、わかりやすく歌に詠まれています。
つもりては 払ふがかたく なりぬべし
ちりばかりなる こととおもへど
(大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、
そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなって
しまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)
思ふこと おもふがままに なれりとも
身をつつしまん ことを忘るな
(大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人は
わが身を慎むことを忘れてはならないぞ)
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならない。11月3日が「明治の日」になり、菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。 誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」・・・・
今日は、国旗を掲げましょう・・・・・・ |
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天皇陛下 御尊影
皇后陛下 御尊影
10月20日は、地久節(ちきゅうせつ)の日です。
天皇陛下のお誕生日を「天長節」といい、皇后陛下のお誕生日は「地久節」といいます。
10月20日、皇后陛下におかせられましては、満78歳のお誕生日を迎えあそばされます。
地久節(ちきゅうせつ)は、戦前は祝日の一つとして、皇后陛下の誕生日を祝う日でした。
天長節(畏くも天皇陛下誕生日)とことなり、祝祭日として勅令で定められることはありませんでしたが、とくに女学校などにおいて休日として祝われました。
天長節と地久節を合わせると「天長地久」という対句になります。
これは老子の言葉で、「天(てん) は 長 (なが ) く 、地 (ち ) は 久 (ひさ ) し」。から由来し、天地が永久に変らぬように物事がいつまでも続き繁栄する祈りがこめられた言葉です。 ご即位以来平成15年11月の鹿児島県の行幸を以て
全国47都道府県をすべて巡幸されておられます。
そして、畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、その年の歌会始の「幸」の御題に、次のように
詠まれています。
天皇陛下大御歌 人々の幸願いつつ国の内 めぐりきたりて十五年経(へ)つ
皇后陛下御歌 幸(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの
声渡りゆく御幸(みゆき)の町に 両陛下が、このような大御心(おおみこころ)を以て全国各地をご巡幸され、 国民の苦しみにも悲しみにも心を寄せられ、励ましのお言葉をかけてこられた
ことに、感謝と感動を覚えずにはおれません。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、臣民(国民)が苦しい時、悲しい時、大きな困難に絶望した時、いつ如何なる時も、常にお心をお寄せになり心の支えとなり生きる元気と希望の光をお与えくださいます。
普段は皇室の存在を意識することのなかった人々も、この度の千年に一度ともいわれている東日本大震災を通じて、政治が迷走する今日も、両陛下の行幸啓により、両陛下の叡慮を賜わり、本来あるべき日本人の心の在り方を考える機会となったはずです。
明日は臣民一同お祝いいたします。
君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。
畏くも、天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。 皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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行幸啓あそばされた地域に御印をつけあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影 皇紀2671年天長節
畏くも天皇皇后両陛下におかせられましては、全国戦没者追悼式・日本学士院授賞式・日本芸術院授賞式など都内の式典等に出御あそばされるほか,全国植樹祭・国民体育大会・全国豊かな海づくり大会にご親覧のため地方行幸啓になり,併せて地元の福祉・文化・産業施設などをお訪ねになられ、関係者を激励なされます。
昨年の東日本大震災での被災地行幸啓に見られた、大きな災害が発生した際には、現地に赴かれ、犠牲者を悼み、被災者を慰め,救援活動に携わる人々を励まされ、その労を労(ねぎら)いあそばされます。
皇太子殿下、同妃両殿下はじめ皇族方も,全国的な規模の各種大会や総裁・名誉総裁等にご就任の団体の行事などにご行啓、ご台覧のため,東京都内や地方へお出ましになり,併せて地方事情,福祉・文化施設などをご覧になって,関係者などを励ましておられます。また,大きな災害が発生した際には,お見舞に行かれています。
首相や最高裁長官の任命など憲法が定める「国事行為」をはじめ、畏くも天皇陛下のご公務、ご活動は多岐にわたります。
通常毎週火・金曜に行われる閣議の後には、宮城に法律、政令関係の書類などがお手元に届けられ、畏くも天皇陛下は丁寧に書類に目を通し、署名や御璽を押印あそばされます。
宮内庁によると、平成22年の署名・押印は約900件。離任・着任した各国大使や、各界で功労のあった人などの拝謁、茶会などの行事が同年中に約240回行われた。宮中祭祀(さいし)は年間約20件に臨まれており、早朝や深夜にかかるものもあります。半数は畏くも天皇陛下ご自身が御告文(おつげぶみ)を奏上される「大祭」です。
今上陛下が75歳になられた直後の21年1月、先帝陛下が74歳になられた昭和50年当時と公務の量を比較するデータを発表しましたが、外国賓客らとの会見、引見などは約1・6倍、赴任大使や帰朝大使の拝謁などは約4・6倍、都内や地方へのお出ましは約2・3倍に増加しています。
我々臣民は負担軽減を願っていますが、ご負担軽減が進んでいない背景には、公務を大切にされる畏くも天皇陛下の叡慮でもあられるのです。
皇室には「国見」という伝統があります。地方行幸啓をあそばされ、地方の臣民(国民)と触れあわれ、首長から県政・地域の諸事情などの報告を受けられる。
行政の長、内閣総理大臣よりもあらゆることに精通なされています。
地方行幸啓でのもう一つの大きな意味は、その地方を「予祝」「祝福」されることにあります。「予祝」とは、あらかじめ祝うことですが、古代日本では、お祝いはめでたいことが起きたからするものではなく、先にお祝いをして めでたいことが起きるのを 予め祝い、そのの結果として祝事が起きると考えられてきたのです。
農耕民族であるわが国は、五穀豊穣、民族の生命線である多産を祈ってきたのです。「祝福」とは、忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こり、逆に祝福の言葉で状況が好転するというもので、災厄を避けることにもつながります。
我が国は、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」とも称されるように、言霊に対する信仰が見られます。言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることにより、この霊力が発揮されると考えられています。
「国見」という言葉は、万葉集に第二首目で舒明天皇が天の香具山の頂きに登られて、大和の国をみそなわされている御製
「大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は」 の一節に初めてみられるものですが、仁徳天皇の「民のかまど」はまさに、国見による仁政と言えましょう。 そして国見は皇祖の御神勅へと繋がるのです。
日本書記第二に「天壌無窮の神勅」
天照大神が孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊に
と仰せられたとあります。
簡単に訳すると
『日本(と言う国)は、これ、我が子孫が治めるべき国である。我が子(子孫/天皇)よ。天皇となりこの国を治めなさい。そして国の隅々まで我が恩寵を届け、民が幸福せになるよう、努めなさい。私が与えた使命(約束)が守られる限り、皇室(と共に人間界)の繁栄は天壌(宇宙)と共に、終わる事はありません。』 平成16年の歌会始 お題 (幸)
今上陛下大御歌 人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ 皇后陛下御歌 幸(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの声渡りゆく御幸(みゆき)の町に まさに行幸啓あそばされることにより、御神勅を継承なされているのです。 大東亜戦争後、先帝陛下が日本各地を巡幸あそばされた。
世界的食糧難の当時、先帝陛下が巡幸された地では、食糧難が改善されていったのは記憶に新しいところです。
畏くも両陛下の行幸啓は、玉体の健康をも顧みず、皇祖の御神勅、歴代天皇陛下の国見の伝統を護られ、ただ臣民の「安寧・幸福」を祈られる大御心なのです。
山口行幸啓 奉迎
臣民の奉迎行事にご答礼あそばされる両陛下 御尊影=山口行幸啓
畏くも天皇皇后両陛下のお姿と国民の紐帯を見る時、この光景は、「日本でしかあり得ない尊い光景だ」といつも感じます。
北畠親房公が神皇正統記に記したように、「(万世一系の)我が国のみこのことあり。異朝にはこの類なし」とはこのことです。 日本は、一国一文明一王朝の国です。これは他国ではあり得ない誇りです。日本人にしか感じられない至福です。
今上陛下は、昨年の震災では、被災地の人々を慰め励まし、自衛隊をはじめ救助復興にあたる組織の人員の労苦をねぎらい努力に感謝され、さらに、全国民に一致協力して復興にあたるように呼びかけられました。
これは、まさに、非常時における「統治者」として呼びかけられておられ、ここから、真の危機克服が始まってきている。このことは、世界が感嘆する紛れもない事実です。今上陛下のお言葉に直に接した被災地の人々の表情や言葉から明らかです。
また行幸啓先での臣民の熱烈な奉迎。
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すへからす」
天壌無窮の我国の國體であられます。
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