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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫神社のお話

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鎮守の杜


四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

文明の発祥地エジプトやメソポタミア、黄河やインダス川流域は、かつて黒々とした森林に覆われていました。ギリシャもまた然りです。
2500年も以前に、古代ギリシアの哲学者であり、ソクラテスの弟子でアリストテレスの師であるプラトンがその昔の国土を振り返って歎(なげ)いています。
「アテイカ(古代アテネ付近)が損なわれないとき、山々は密林に覆われ、国内に放牧が広がっていた。雨は今のように侵食された土壌の表面をそのまま流れて海に注ぐことはなく、国ふところ深く受け入れられ、やがて泉となり川となって豊かな水量は国内広く吐き出された」と・・・
しかし、これらの文明の発祥の地はその後衰退し、また滅んでいるのです。
今日、驚異的な経済発展を遂げる、隣国「シナ」の国土も急速な砂漠化が進んでいます。

森とは、たんに木が集まっただけではなく、幾種類もの樹種、野鳥や昆虫、地中の小動物群、微生物などいろいろな生き物が生きている共同体社会です。
わが国では約二千年前に稲作が始まりました。森を切り開き耕地整理をし、道路や集落を形成してきました。しかし、私たちの祖先はその際にも、かならずふるさとの木による森を残しました。それが鎮守の森(杜)なのです。
「鎮守」とは、その土地の地霊をなごめ、その地を守護する神さまです。その言葉通り、鎮守の森は地震、台風などの自然災害から、私たちを守ってきました。さらに神社を守ることによって文化。伝統を伝えてきました。
これらは、世界のどの国にも見当たりません。
祖先の英知の結集でもあるのです。

拙稿、神社のお話(九) でご紹介させていただきました、奈良県桜井市にある『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。

 鎮守の森は強いものです。荒れ地には一気にはびこるセイタカアワダチソウなどの帰化植物も鎮守の森(杜)には侵入できません。かつては日本中の樹木を食い荒らすと恐れられていたアメリカシロヒトリも、鎮守森(杜)には歯が立ちません。
またスギやヒノキなどを人工的に植えた森では、常時、人間が手を入れてやらねばなりませんが、その土地本来の樹木でできた鎮守の森は、そんな必要はありません。鎮守の森(杜)は千年の森(杜)なのです。

これらと逆に、神社のために鎮守の森(杜)が作られた例もあります。拙稿、世界に誇る「代々木の杜」 でも述べていますが、明治神宮が代表的な例です。台湾などから持ち込まれた樹種もありますが、、基本方針として本来その地にあるべき植生(潜在自然植生)に配慮し、将来的には更新によって、自然な鎮守の森らしくなるよう計画されたものです。

今日、乱開発によって日本の都市では、緑が少なくなり、わずかに残っているのは、神社の「鎮守(ちんじゅ)の杜」などに限られています。それは、経済中心、物質中心の考え方により、人間の都合で樹木を切り倒し、生態系を破壊してきた結果です。これに対して、森を大切に守り続けたのが、神道であったことは、意外と知られていません。日本固有の宗教である神道では、森を神聖なものと考えてきました。

 
鎮守の森(杜)を育み、守り伝えていくことこそ、「お国柄」なのです。
わが国は、美(うま)し国です。





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参拝




お賽銭(さいせん)はもともとは身削(みけず)りの精神から始まったものです。
お賽銭のはじまりは、神前にお米をまく「散米(さんまい)」や、洗ったお米を紙に包んでお供えする「おひねり」です。
参拝者がお祓いの意味で、命のもとである米を捧げたり撒いたりしたのですが、このお供えは、時代が下るにしたがって、米の代わりにお金をお供えするようになりました。これを「散銭(さんせん)」といいます。それを後に「賽銭」というようになりました。
お賽銭は、お参りする前に賽銭箱にいれてお供えします。お賽銭やお供え物を神さまに捧げることは、日々お守りいただいていることを感謝する心の表れとして、あるいはお願い事を叶えていただくためのお祈りのしるしとしてお供えするのです。
よく「ご縁がありますように」などと語呂合(ごろあ)わせで、五円玉をあげるものだと思っている人が多く見受けられます。
しかし、昔から願かけの際には「身削り(みけずり)」と言って、自分の生活を切り詰めて、贅沢(ぜいたく)をがまんしてお賽銭を奉納しました。
お賽銭の額は、その人のお気持ちで結構ですが、神さまに奉納されたお賽銭は、神殿の修理や境内の整備などに使われます。拙記事をご覧いただいている皆様も生まれ育った地域の鎮守の森と神社は、皆さんのお賽銭によって支えられていることをお忘れてはならないでしょう。




お参りの作法




神社で神さまにお参りする際は、二拝(礼)二拍手一拝(礼)の作法で行います。

※出雲大社は二礼四拍手一礼


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1. 呼吸を整え、心を静めてからお賽銭を入れ、鈴を振ります。
2.姿勢を正して腰を90度に曲げ、二回拝(深くお辞儀をする)をします。



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3. 胸の前で両手を合わせ、右手指先を少し下げ、二回手を打ちます。




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4. もう一度拝をします。



いつも神様に感謝の心をもって手を合わせることが大切です





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七夕飾り


本ブログ神社のお話でも度々述べていますが、稲作を中心に生活を営んできた日本人にとって、四季の移り変わりはとても大切なものでした。春に籾を蒔いてから秋の収穫を終え、新しい年を迎えるまでの季節の節目ごとに田の神さまをお迎えし農作業の無事や五穀豊穣を祈りました。それが今日に伝わる、五節句やお正月などに代表される年中行事です。
私たちの祖先は、生命(いのち)は神さまや祖先から授かったものと捉えていました。
そして、家族が毎日健康でいられることを神さまのご加護と考えてきました。そして節句には、特別なお供え物をして日頃のご加護に感謝し、これからも家族が健康でいられるよう祈りました。桃の節句に飾る雛人形や、端午の節句に立てる鯉のぼりは、そんな家族の祈りを形にしたものといえます。
往古の昔にはたくさんの節句がありましたが、現代に伝わる五節句は、江戸時代に幕府がそれまでの節句をもとに公的な祝日として制定したものです。五節句には、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日のように奇数の重なる日が選ばれています。ただし一月一日(元旦)は特別な日と考え、替わりに一月七日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。また、これらはお正月の七草、三月の上巳(じょうし)の桃、五月の端午の菖蒲、七月の七夕の竹、そして九月の重陽の菊と、必ず季節の草や木に彩られるのが特徴です。

七月七日はもう過ぎてしまいましたが、七夕(しちせき)の節句は、七夕(たなばた)祭りのことです。願い事を書いた短冊を結んだ竹や笹が飾られる風景は、夏の風物詩となっています。七夕は、彦星と織姫が年に一度だけ天の川に橋をかけて会うことを許された日という星祭の伝説で親しまれています。こうした習俗は、奈良時代に唐(シナ)
から日本に入ってきたものです。

日本では、古来お盆に祖先の御霊(みたま)をお迎えする前に、棚機津女(たなばたつめ)と呼ばれる乙女が、人里離れた水辺の機屋(はたや)に籠って神さまをおまつりし、それが終わった日に、禊(みそぎ)をする行事がありました。そこに唐(シナ)から星祭と乞巧奠(きっこうでん、技能や芸能の上達願うお祭り)の風習が入ってきて、七夕という節句行事へと変化してきました。七夕の次の日に笹竹を川や海に流す「七夕流し」は、心身の穢れを流すというお祓いの意味が込められています。
また、棚機津女は、『日本書紀』は、瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)の妃となる木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を、「神代下第九段一書第六」において、「かの先立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」というように棚機津女として描かれています。



七夕伝説自体は、シナ・日本だけでなく、朝鮮半島・東南アジアの国々に広く分布していますが、アジアの七夕伝説は、大水で流されて二人が離ればなれになったり、水はよくないものとする傾向が強いのです。それに対し、日本の農村の七夕では、雨が降ると穢れ(けがれ)を祓うという意味で、水をよいものと捉えてきたのです。
この行事は、ちょうど稲の成長期である、旧暦のこの時期(八月)は、稲作にとって雨の欲しい時期でもあるため、七夕は「水神祭」であるとも考えられ、神社等で雨乞いの行事も行われたのです。日本の伝統、気候、風土に基づいた「雨乞い」の儀式でもあったのです。

 このように、農耕民族であるわが国では、七夕は棚機津女の流れを引いて、水に関わる農耕儀礼として、さらに、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」「七日盆(なぬかぼん)」という祖先の精霊迎えの祓え(はらえ)の行事や、胡瓜や茄子を神の乗り物の馬や牛の形にして供え、田畑の収穫を神々に感謝する庶民の祭りがこれに加わり、日本独特の七夕行事が生まれたのです。
七夕に水と関係がある行事が多く行われるのはその名残といえます。たとえば青森県の「ねぶた祭」などはもともと形代に災難とのかかわりを移し水に流す行事であったといわれています。またこの日は七回水浴びをすると良いとも伝えられています。




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(大意)
(大和の国は国々の中で最も優れた国だ。重なり合って青々とした垣のように国を囲む山々。(その山々に囲まれた)大和は美しい)



往古の昔より三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でも、ひときわ秀麗な山で、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、三諸(みもろ)の神奈備(かむなび)と称せられ崇められてきました。

拙稿、神社のお話(九) でご紹介させていただきました、奈良県桜井市にある『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。
神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。

遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)は、ともに国造りに励んできた少彦名神(すくなひこなのかみ)が常世の国に渡られたのを愁い、「独りしていかにこの国を造ればよいのか」と思い悩まれていた。この時、海を光(てら)して依りくる神があった。その神は、「大己貴神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると申され、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申された。これに対して、大己貴神は、「お祭りする方法はどうしたらよいのでしょうか」と問われたところ、その神は「私を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」とお答えになった。この神こそ、大物主神であった。
天智天皇の御世、このなつかしくも思い出深い大和の地を、離れなければならなくなった額田王(ぬかたのおおきみ)は、別れを惜しみ歌を詠まれた。

「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなも 隠さふべしや」『万葉集』巻一・十八

大神神社(おおみわじんじゃ)の春の大神祭、醸造安全祈願祭(酒まつり)などで奉奏されているのが、神楽「うま酒みわの舞」です。
奈良は日本清酒発祥の地でもあります。


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神楽「うま酒みわの舞」



崇神天皇8年、大神(おほみわ)の掌酒(さかびと)(神に奉る酒を司る人)に任ぜられた高橋村の活日(いくひ)は、宴会で神酒(みわ)を天皇に捧げ、


此の神酒は 我が神酒ならず
このみきは わがみきならず

倭成す 大物主の 醸みし神酒
やまとなす おほものぬしの かみしみき

幾久 幾久
いくひさ いくひさ

活日
日本書紀歌謡15


(大意)
「この神酒は、私の神酒ではありません。倭の国を成した三輪の大物主神(おほものぬしのかみ)がお作りになった神酒です。
幾世までもいく久しく いく久しく栄えあれ」
と詠い、酒をすすめました。


崇神天皇は

味酒 三輪の殿の 朝門にも
うまさけ みわのとのの あさとにも

押し開かね 三輪の殿門を
おしひらかね みわのとのとを

崇神天皇
日本書紀歌謡17

(大意)
「一晩中飲みあかして、「 三輪の拝殿の戸を朝開いて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を 」と返歌しています。


神楽「うま酒みわの舞」の歌詞は、

此の神酒は 我が神酒ならず
このみきは わがみきならず

倭成す 大物主の 醸みし神酒
やまとなす おほものぬしの かみしみき

幾久 幾久
いくひさ いくひさ




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三輪山をご神体とするわが国最古の大神神社と日本酒の関係も、深い繋がりがあります。三輪の大神様は酒造りの神でもあり、酒造家は大きなご神恩を賜っております。また大神神社の摂社には、酒造りを行う杜氏(とうじ)の祖神を祀る活日(いくひ)神社があります。
このご祭神・活日命(いくひのみこと)に関して、日本書紀の崇神天皇紀に、国内に疫病が流行し混乱を極めた際に三輪の大神様を祀った時のこととして、その由来が記されて
います。
活日命が酒造りを行う杜氏の祖であることと共に、このような古い時代から、大神神社に聖なる酒を醸す職掌が存在したことがわかります。


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「しるしの杉玉」


酒は、古くから色々アレンジされ、楽しまれてきたようです。平安時代に編纂された「延喜式」には十四種類もの酒について記述があり、平城京跡からは清酒(スミサケ)、白酒(シロキ)、黒酒(クロキ)、薬酒などさまざまな種類の酒を記した木簡が出土しております。しかし、ここでいう清酒は、濁酒を絹で濾したり上澄みしたものでした。現在、飲まれているような清酒が造られるようになるには、もっと後世の事です。
酒造りの先進地だった奈良で「奈良漬け」も生まれました




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日本清酒発祥の地


大神様と杜氏の祖神の御神徳を慕う全国の酒造家の集まりが、「酒栄(さかえ)講」(全国の酒造メーカー)が毎年、十一月十四日の「醸造安全祈願祭」(酒まつり)には、酒栄講の講員が御神前に集い、一同が神の御威徳を賜り、心も新たに新酒の醸造に励ませて頂きます。 お祭の中では、活日命が神酒を天皇に献上した時に詠まれた歌を神楽にした、「うま酒みわの舞」が、巫女達によって厳かに華やかに舞われます。
この祈願祭の折、神社から下されるのが三輪山の聖なる杉で作られた杉玉、「しるしの杉玉」です。酒林(さかばやし)とも言われますが、造り酒屋の玄関先に吊るしてあるのをご存知の方も多いはずです。その年の新米で醸された新酒ができたという標しですが、江戸時代の中頃からの習わしです。三輪の杉玉は、酒造家と三輪の大神様とを結んで頂く、心のシンボルともなっています。
 かつての日本人は、米に生命のエネルギーとしての神の霊性を見ていました。その象徴が、神事に欠かせない餅であり酒であるのです。
大神祭の神饌の第一が酒であったこと、酒が神と人とをつなぐ聖なるものであったことなどの現代的意味を改めて深く考えたいものです。

大神神社の摂社で、飛鳥時代に起源を持つ奈良市内では最古の神社
率川坐大神御子神社(いさがわにますおおみわみこじんじゃ)の三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)でも、神楽「うま酒みわの舞」は舞われています。
作家の三島由紀夫氏が、仏教や神道など東洋思想をもとに、人間の「生」を説明しようとした長編「豊饒(ほうじょう)の海」。三島は、第2巻「奔馬(ほんぱ)」を書くために昭和41年6月、この神事を取材し、小説の中でこう描写しました。

 《これほど美しい神事は見たことがなかった》と・・・・・


御祭神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は百合の花が美しく咲き誇る、三輪山の麓の狭井川のほとりに、住居されておられました。この縁故により後世、姫神様にお慶び戴くため、酒樽に笹百合の花を飾り、お祭りが行われるようになったと伝えています。そして、笹百合は本社の鎮花祭にお供えする百合根や忍冬と同様に薬草であることから、疫病除や病気予防のお祭りでもあります。

媛蹈?五十鈴姫命は、初代神武天皇の皇后陛下で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中で皇后陛下を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈?五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外
より崇敬を集めています。

天神地祇(てんじんちぎ)とは、すべての神々の総称です。
天神地祇は二つのグループに分類されます。
皇祖、天照大御神 (あまてらすおおみかみ) の命をうけて、高天原から地上に降りたとされる(天孫降臨)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天降った神々の総称を、天神(あまつかみ)、地祇は初めから葦原中国(あしはらなかつくに)に誕生した神々の総称を地祇といいますが、高天原から天降った素戔男尊(すさのおみこと)の子孫である大国主神(おおくにぬしのかみ)などは国津神とされています。



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神武天皇の皇后陛下は、『日本書紀』では「媛蹈鞴五十鈴媛命」と記し、『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記されています。
天照大御神の子孫である神武天皇と媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を娶られることで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されたのです。

八紘一宇の始まりです。




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御田祭は970年の伝統を持つ宮崎県美郷町西郷区(旧西郷村)田代神社の田植え祭りです。
祭りは古来から、世襲制の家柄が中心に祭事役(ミヨド・ウナリ・ノボリモチ)を務め、これに一般の参詣者が加わり、神人・牛馬一体となって整地・田植えを行う神事です。


九州地方は梅雨前線の活動が活発になり、大きな被害をもたらしていますが、
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。
山におられた田の神さまが 春が訪れあたたかになる頃になると山から里の降りてきて桜の木のてっぺんにお座りになられます。
そして・・・「さぁ〜〜里の民たちよ 稲作の準備をするのじゃ」 と民たちに
お知らせするために桜を咲かせられるとも言われています。
さくら の 「さ」は 稲  「くら」 は 神座(かみくら)のくら で神さまがお座りになるところで、「さくら」 は田の神さまが宿る木と言われ、日本人が太古より桜を愛でた淵源とも言われています。

日本の農村において桜というものは、農事暦(カレンダー)の役割を果たしてきた。花芽が出る頃、花が咲く頃、花が散りはじめる頃、葉桜となる頃、それぞれに稲作作業の工程と結び付いているのです。
春先、桜の枝に花芽が見えると、田んぼを掘り起こし水が張られる。そこが苗床(なえどこ)となり、種籾(たねもみ)が蒔かれ、稲の苗が生育するのである。やがて種まき桜が開花し、花が散り始める頃、田植えが行われ、秋口まで続く稲作がはじまるのです。
 
五穀とは、古事記のおいては、稲・麦・粟・大豆・小豆をいい、日本書紀においては、稲・麦・粟・稗・豆をいいます。
それらが豊かにみのることを五穀豊穣といいます。
地方によって御田植の時期は違いますが、神々に五穀豊穣を祈るまつりが、
田植祭りです。



ユネスコ無形文化遺産「壬生の花田植」



田植は農耕儀礼の最も重要な段階です。田植がかつて祭の儀礼をなしていたことは今に残る各地の神社の御田植祭りの形態にみとめられます。
大田植は、字義通りには大規模な田植ということだが、最も多く植える日、田植盛りの日、最も大きな田の田植日、田植終いの日など、さまざまな意味で用いられます。上記の動画のように、広島県山県郡北広島町に今も伝わる壬生の花田植(みぶのはなだうえ、みぶのはなたうえ)があります。
旧家の由緒ある田に美しく着飾った牛を入れて代かきをし、ささら・笛・太鼓・などのに合わせて田植歌をうたいながら早乙女(さおとめ)たちが田植をします。
早乙女の淵源は、若い女性、とくに田植働きの女性のことを言います。植女(うえめ)と並ぶ古い用語で、ソウトメ、サツキ女、ハナムスメ、シヨトメなどとも呼びました。
田植は稲作の要(かなめ)で、多数の働きで一挙に仕上げる必要があり、古くから女性が主力だったのです。早乙女の「サ」はサオリ(田植初(はじ)め)、サナブリ(田植終(じま)い)、サナエ、サツキの「サ」と同じく「田の神」にかかわる語で、それに奉仕する「聖なる乙女」が早乙女の原義と言われています。



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早乙女
は、ハレの役であり、神に奉仕する神役でもある。この日はハレ着(紺の単衣に赤い、白い手ぬぐい、新しい菅笠)を着用した。田植衣装のこうした華々しさは、田植が重要なハレの行事であったことを物語っている。 五月女と書くこともあります。
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念で、ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「
晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで今日も使用されています。これ対し普段着を「ケ着」とい言いましたが、明治以降から言葉として使用されなくなり、現代では単に天気が良いことを「晴れ」といいますが、、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記したのです。

「秋祭り」は、「収穫祭」を意味しています。春から稲の成長を見守って下さった田の神に、苦労をねぎらい感謝を捧げるお祭りをします。
古来より「豊葦原瑞穂國」と称された我が国は、稲をはじめ穀物が実り豊かに実る国として遠く神話の昔より日の神「天照大御神」を崇め、田の神を崇め、「和」を大切にし、自然に感謝し、、自然と共に文化・伝統を育んできました。

そこに日本人の「魂」があるのです。

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