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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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神社のお話(十一)

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皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮、ないくう)(一の鳥居)


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

神社の入り口には鳥居があります。
「鳥居」は神社の象徴となっていますが、これは神社の入口に建つ一種の門であり、神さまの聖域と人間世界との境界を示すものです。
大きな神社では、たいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から順に一(いち)の鳥居(とりい)・二(に)の鳥居(とりい)・三(さん)の鳥居(とりい)と呼んでいます。
鳥居の起源については、はっきりわかってはいませんが、古事記の「天岩戸開(あまのいわとびら)き」では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にお隠れになられたとき、鶏(にわとり、常世(とこよ)の長鳴き鳥)を止まり木で鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。伊勢神宮の神使いは鶏(にわとり)です。
また語源については「鶏が居る」と書いて「鶏居」という言葉が変化したものと言われています。

鳥居をくぐるときは、気持ちを静かに、頭を下げてくぐります。他の人の家を訪問するとき、いきなりドアをあけたりしないことと同じです。また、参道を歩くときは、神さまの真正面にあたる中央をはずします。
筆者が近年、多くの神社参拝でかけましたが、鳥居で一礼、若しくは頭を下げてくぐられる姿はほんの一部の参拝者にしか見受けられません。
古来よりの参拝方法を守っていきたいものです。

鳥居には大きく分類して二通りの鳥居があります。
以下にその画像を掲示します。


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神明鳥居

代表的な鳥居は上記の
皇大神宮(こうたいじんぐう)の鳥居です。
神明系の鳥居は、笠木、貫により建立され、にはころびがなく原始的で、たて横木とも直線式の形状をしています


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鹿島鳥居(かしまとりい)







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春日鳥居(かすがとりい)








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八幡鳥居(はちまんとりい)






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黒木鳥居(くろきとりい)







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靖国鳥居(やすくにとりい)






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内宮源鳥居(ないぐうげんとりい)






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宗忠鳥居(むねただとりい)






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三柱鳥居(みはしらとりい)





明神鳥居
反りのある島木笠木・貫・額束内転びのある二本円柱亀腹(かめばら)からなる、最も普通に見られる鳥居です。



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稲荷鳥居(いなりとりい)

 
 


 
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山王鳥居(さんのうとりい)
 
 
 
 
 
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奴禰鳥居(ぬねとりい)






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三輪鳥居(みわとりい)






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中山鳥居(なかやまとりい)





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宇佐鳥居(うさとりい)





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両部鳥居(りょうぶとりい)





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住吉鳥居(すみよしとりい)




ご参考になれば・・・・



天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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一年は早いもので、もうすぐお正月です。
一年に二度、民族が大移動します。
正月とは本来、その年の豊穣〔ほうじょう〕を司る歳神様〔としがみさま〕をお迎えする行事で、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。地方によっては1月20日までを正月とする(二十日正月・骨正月)ところもあります。
かっての日本人は、お正月を迎えるにあたり、家中が歳神さまをお祭りする祭りの場になったものです。そのため年末には、煤払(すすはら)いをして神棚や祖霊舎(みたまや)、仏壇などもきれいにし家中を清めました。そして注連縄(しめなわ)を張ったり注連飾(しめかざ)りを飾ったりして、不浄なものの侵入を防ぎ、家全体を神聖な場所にしなければならないとしたものです。
家の門や玄関に注連飾りや門松を飾るのは、そこが清浄な場所であることを示すし、歳神さまが家においでになるときの依り代(よりしろ、目印)とするためです。そして、床の間には鏡餅を飾って、歳神さまにお供えします。
お正月飾りはなるべく三十日までに済ませ、大晦日に飾ると「一夜飾り(いちやかざり)」といって忌み嫌いました。二十九日も「苦」に通ずるところから、お餅つきなどもこの日にはしないところが多かったようです。
現在でもこの風習は残っています。
そして歳神さまをおまつりするわけですから、家族一人一人が清浄な心身でお正月を迎えなければなりません。そのため神社では、十二月三十一日には「年越祓(としこしのはらえ)」というお祓いの神事が行われます。これは知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを祓い清めて、清々しい心と体でお正月を迎えるために行いうものです。
 
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本ブログ神社のお話で幾度も述べてきましたが、私たちの祖先は森羅万象(しんらばんしょう)すべてのものに神々が宿り、魂が存在すると信仰してきました。
作物の生命〔いなだま〕と人間の生命〔たま〕は1つのものであると考え、そのため人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、そう遠くへは行かず子孫見守っています。
死の清まる期間(弔い上げ)が過ぎると人の個性が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰って「山の神」に、そして正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言います。
 
正月は、日本の行事の中で最も古くから存在するものだと言われていますが、その起源はまだ詳しく分かっていません。仏教が伝来した6世紀半ば以前より正月は存在していたと言われています。「お盆」の半年後にやってくる正月は、かってはお盆と同じく「先祖をお祀りする行事」でした。しかし、仏教が浸透しその影響が強くなるにつれて、お盆は仏教行事の盂蘭盆会〔うらぼんえ〕と融合して先祖供養の行事となり、正月は歳神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」としてはっきり区別されるようになったと考えられています。
また、現在のようなお正月の行事(門松やしめ飾り、鏡餅などを飾ること)が浸透したのは、江戸時代に入り庶民にも手軽に物品が手に入るようになってからのようです。
1年の始めである正月は春の始まりを意味し、すなわち「立春」とも考えられており、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があり、また新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉、つまり、神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜ぶものでありました。
 
門松は、お盆の迎え火と同じで、「祖霊(ご先祖様)」、「歳神様」を松の枝、つまり門松に乗せて家々にお迎えする行事でした。前述していますが、門松は依り代(よりしろ)として、そこにご先祖さまや歳神さまをお迎えしてお祭りするという意味をもっているのです。したがって正月の歳神祭りは非常に重大な儀式であり、依り代としての門松は欠かせないものでした。もともと、お正月もお盆も共通の行事で先祖の御霊をお迎えし、丁寧にお祭りすることが本義でした。つまり、門松も迎え火もともに先祖の御霊をお迎えするための目じるしとしたものなのです。
 
若水とは、元日早朝に一番初めに汲む水のことで、人を若返らせ邪気を祓う力があると信じられてきました。 若水は、福水(ふくみず)・若井(わかい)・初井(はつい)などとも呼ばれ、地方によっては、元日の朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出会っても口をきかないしきたりであったといいます。
平安時代の宮中では、立春の日に御門(天皇陛下)に差し上げた水(立春水)を若水といいましたが、後世になり元日に汲む水を呼ぶようになりました。
この行事は新しい年を迎えるにあたって、生命を育む水の力に対する信仰がもとになっているといわれ、水神が生命誕生や再生に大きな役割を果すことは、日本神話に見られるように古くからの伝承です。
 
 
 
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お節料理(おせちりょうり)は酒の肴(さかな)ではありません
お正月の料理にも、それぞれに祈りが込められ、例えば、お屠蘇(とそ)には、山椒、桔梗などの薬草が含まれており、これをいただくと一年の邪気が祓われ、寿命を伸ばすことができると信じられてきました。筆者は現在50歳ですが、往古(おおこ)の昔では、天寿を全うした歳にあたります。現在のように医学が進歩していない時代、寿命とは天から授かったものであると考えられてきました。

 お節料理のいわれをあげてみると、据わり鯛(すわりだい) 尾頭付きの焼いた鯛で、二尾の鯛を腹合わせにして頭と尾を高くかかげたもので、目出度いに通じ、数の子 鰊(にしん)の腹子で、その由来は二親から多くの子供が生まれるという縁起をかついだもので、子孫繁栄の願いが込められています。
芋頭(いもがしら) 里芋の親芋で、家の芋ともいいます。小芋をたくさんつけるため、子宝につながり、また頭は人の上に立つ「かしら」に通じることから縁起がよいとされています。
昆布巻き 「喜ぶ」に通じ、現在でも目出度い席に使われます。
本来おせち料理とは、お正月や節句に神さまにお供えするご馳走のことをいいました。
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お年玉は、お正月にいただくお小遣(こづか)いのことではありません
お年玉の語源は、古来の習慣であった歳神さまに供えられた鏡餅を人々に分け与えたことに由来し、鏡餅はもともと鏡をかたどったものであり、その鏡は、魂を映すものといわれてきました。古代の日本人は「魂」と「玉」は同じものと考えていたのです。このことから、歳神さまの魂は玉に通じるので「年玉」と呼び、神さまから頂くお下がりなので、敬って「お」をつけ「お年玉」と呼ぶようになったといわれています。
お年玉は、古くは現在のようにお金ではなく丸い餅でした。出生率の割に成人まで達する生存率の低かった昔、私たちの祖先は、子供たちの健全な成長を願い、歳神さまのお力がこもった丸餅を贈りました。
今はお金をあげますが、筆者の子供の頃は、まず神棚にお供えして祈りと感謝を込めて、神さまの前で一人ひとりに手渡しでいただいたものです。
初詣は、年が明けると、まず家族揃って地元の神社にお参りに行きます。年が明けてから始めて神社に参拝することを初詣といいます。氏神さまや、その年の恵方(えほう)にあたる神社などにお参りして今年一年の無事と平安を祈る行事です。
近年は、除夜の鐘が鳴り終わると同時にお参りする習慣が一般化してきていますが、古くは年籠もり(としごもり)といって、大晦日の夜から元旦の朝にかけて、氏神さまにお籠もりするのが慣わしでした。やがて、この年籠もりは除夜詣でと元日詣での二つに分かれ、初詣のもとの形となったのです。現在でも、除夜に神社などに一度参拝したのち家に帰り、元旦になって改めてお参りに出かけるという地方もあります。
お参りの順序としては、まず、一番身近な氏神さまをお参りしてその年の幸を祈り、それから日頃崇敬する神社や、恵方のお宮へ行かれるのが順序とされています。
 
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お正月が一段落した十五日には、小正月の行事が行われます。
代表的なものは、左義長(さぎちょう)・どんと焼き・鳥小屋(とりごや)などです。これはお正月にお迎えした歳神さまをお送りする行事です。お正月に飾った注連縄や門松、古いお神札(おふだ)などを焚き上げます。その火や煙に乗って歳神さまがお帰りになるといわれています。
 
日本人は太古の昔より、祈りと感謝を本義とした民族でした。
和を尊び、謀(はかりごと)を良としませんでした。
 
本来の日本人のよき精神、よき日本の文化を子孫に伝えていくことが現世の我々の使命ではないでしょうか・・・・
 
 
 
 

 
画像は日本会議「日本の息吹」よりお借りしました。

神社のお話(九)

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三輪山(大神神社HPより)

古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。
山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。


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昭和59年10月13日の、昭和天皇陛下ご親拝を記念し、また御在位60年を奉祝して建立され、昭和61年5月28日に竣功しました。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇る、日本一の大鳥居です。材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1、300年と言われています。



筆者が昨年9月に参拝させていただいいた時も平日にも関わらず、
最近のパワースポットブームでの参拝者が多く、車を駐車場するまでに一時間近くを要しました。
奈良県桜井市にある『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。大和国で中世には延喜式内社・二十二社の中七社のひとつとされました。旧社格は官幣大社
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。
神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀し、祀られています。
大神神社の由緒によれば、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。
それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら)して依り来る神」が あった。その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は、 「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、 「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。その後に、 「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。
つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、これが大神神社ということであります。続いて、同じ『古事記』中巻の 神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」であることが記されます。

また『日本書紀』には、同じ内容が書かれ、大国主神の別名である大己貴神(おおなむちのかみ) が、協力者の少彦名神(すくなひこなのかみ)がなくなられたので、嘆き悲しんでいるところへ、 海を照らしてやって来た神があり、この神は、大己貴神の「幸魂(さきみたま)・奇魂 (くしみたま)」であると言い、「日本国(やまと)の三諸山(みもろやま)に住みたい」と答える。 そして「この神が大三輪の神である」と記しています。
続いて『日本書紀』の崇神天皇8年に、大田田根子(おおたたねこ)が三輪君族の始祖であり、 三輪の神が大物主神であることが示されています。
大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(大田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。

摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっています。
元伊勢とは、
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。
伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神ですが、崇神天皇の御代までは大君(天皇陛下)と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり宮城内に祭祀されていましたが、その状態を畏怖した崇神天皇が皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)にその神霊を託して倭国笠縫邑(わこくかさぬいむら、かさぬいのむら)に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とされ、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地の伊勢に遷座したと伝わっています。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されていますが投稿文字数に限りがありますのでまたの機会にご紹介したい。

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大神神社は三輪山そのものを御神体としていることは上記にも述べましたが、山中には、苔むした神の憑依(よりしろ)である磐座(いわくら)が各所に厳存し、山頂には奥津磐座(おきついわくら)、中腹付近には中津磐座(なかついわくら)、山麓付近には辺津磐座(へついわくら)があります。

神宿る山ゆえに、早い時代からみだりに足を踏み入れることの出来ない禁足(きんそく)の山となり、江戸時代には幕府より厳しい制札が設けられ、神社の山札がないと入山することは出来ませんでした。

明治以降は、この伝統に基づいて、「入山者の心得」が定められ、現在ではこの規則を遵守すれば登拝(とはい)することが出来ます。
狭井神社(さいじんじゃ)で、申し込みを行い、許可を得て、「三輪山登拝証」と書かれたタスキをかけ、お祓いをすませてから、登拝します。
道中このたすきを外すことは禁止されている。行程は上り下り約4kmで、通例2時間ほどで下山できるが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められています。また山中では、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止され、下山以降も山中での情報を他人に話す事を慎むのがマナーでもある。午後4時までに下山しないといけないため、午後2時以降は入山が許可されない場合があります。
入山せずに参拝する際には、大神神社の拝殿から三輪山を仰ぎ拝みます。
下記の画像は大神神社HPのものをお借りしました。


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狭井神社入山登拝口




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磐座(山の神)



最近は、特に入山登拝の人たちが多く、登拝道に沿って、磐座(いわくら)を熱心に拝む姿が見られ、太古よりの信仰が今に生きています。
磐座とは、神の御座所(おましどころ) を意味します。
三輪山麓には聖水思想が古代から存在したことが指摘されており、。纏向遺跡尾崎花地区の井泉と家ツラの導水施設は、古典で言う井水を浄化して聖水とする為の施設であると推測し、「三輪の磐井」と呼ばれる井泉があり、大泊瀬皇子(後の雄略天皇)と「三輪の磐井」のほとりで戦った御馬皇子が、「この水は、百姓のみ唯飲むこと得む。王者は独り飲むこと能(あた)はじ」(『日本書紀』雄略天皇即位前紀)と呪詛したことを挙げ、5世紀頃の三輪山麓に聖水思想があったことが証明されています。

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大神神社詳細(大神神社HPより)



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三ツ鳥居(みつとりい)は、鳥居の様式の1つである。三輪鳥居(みわとりい)ともいいます。

明神型鳥居を三つ組み合わせた、一名「三輪鳥居(みわとりい)」とも言われる独特の鳥居で、いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明ですが、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです。
左右には、長さ16間の瑞垣(みずがき)が設けられ、ご祭神とゆかり深い動物、花鳥など、すぐれた木彫りの欄間が、はめ込まれています。三ツ鳥居、瑞垣ともに
重要文化財に指定されています。


四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。

人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません

日本最古の神社、大神神社はそれを語っています。


神社のお話(八)

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私たちは絶えず神様に護られています。
 
全国各地の神社については、皇室の皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。
氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、氏神様ともいいます。
元々の氏神は、「氏」の神と書くように、その地域の豪族である古代の氏族組織であるウヂが祖神または守護神として祀っていた神のことでした。
この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。
元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来していましたが、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。
氏神の周辺に住み、その氏神の祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われているのです。
 
これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。
氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えありません。
 
氏族と氏神の代表的な例を挙げるとすれば、別格として皇室の祖神を祭った伊勢神宮は、皇室のみの氏神でしたが、今日では日本人全員の総氏神と位置付けられています。
前回の神社のお話でも紹介させていただいた、藤原氏は祖神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)を含めた春日神(春日大社)を氏神とし、橘氏の梅宮大社も同じです。
また鎮守や産土神との区別が無くなってからの例としては、源氏の八幡神(八幡宮)、平氏の厳島明神(厳島神社)などがあります。
 
鎮守さま(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことで、平安の頃に荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊、氏神信仰も薄らぎ、代わって荘園領主達によって荘園を鎮護する目的で、その土地の守護神を祀るようになります。これが鎮守と呼ばれるものでしたが、室町のころに荘園制が崩壊、氏神に合祀されたものが多いです。
 
産土神(うぶすながみ)は産まれた土地の神のことをいい、その者を一生守護すると考えられた。昔は生まれてから死ぬまで一定の土地に住むことが多かったので、ほとんどの人にとって産土神と鎮守は同じ神でした。鎮守さまのところでものべていますが、よって氏神は鎮守と同一視されるようになりました。
筆者の地方では、地神(じがみ)さまともいいます。
今でも仏式で、三十三回忌や五十回忌などを最終の法要として、そのあとは仏が氏神さまになるのだとして、仏式の法事は止めてしまうところが多いのはそのためです。
かっては、先祖代々の守護神として、ほかに引越し、移住する場合などは、何をおいても氏神さまは持ったほど、氏神さまへの信仰は厚かったのです。
 
神社の大きなお祭りでは、お神輿や山車が練り歩くことがあります。この時に神さまはお神輿や山車にお遷(うつ)りになり、氏子区域を巡ります。お神輿が練り歩くことを渡御(とぎょ)または神幸(しんこう)といい、年に一度、氏神さまがお宮を出られて、氏子区域の各町内を巡り、直接氏子の人たちの生活をご覧になられます。各町では「お旅所(たびしょ)」といって、お神輿の休憩する所を設け、そこで神さまもしばしお休みいただき、お供え物を供えて丁重にお祭りを行います。沿道の人たちも、お神輿をお迎えして普段のお礼を申し上げ、また今後のお守りをお願いします。
 
昔より、神道では「魂振(たまふ)り」と言って、神霊の鎮まっている御神体を振り動かすことにより神威が昂(たかま)るという信仰がありました。
神霊がお乗りになったお神輿を激しく揺り動かすことで、神威が増すとともに、お神輿を担ぐ氏子の人々、地域にも生命力と繁栄をもたらしてくれるのです。 
こうして、農耕民族である日本人は、同じ神様を共有し、崇め、五穀豊穣を祈り、稔に感謝し、地域社会の結束を保っていました。
 
太古の昔より連綿と続く、無窮の営みなのです
 
 
 
 
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続く・・・・

 
 

神社のお話(七)

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春日大社
 
 
春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市奈良公園内にある神社です。旧称春日神社。式内社名神大社)、二十二社の一社で、旧社格官幣大社。全国にある春日神社の総本社です。
二十二社(にじゅうにしゃ)は、神社社格の一つで、国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた。後朱雀天皇治世の長暦3年(1039年)に22社目の日吉社が加わり、白河天皇治世の永保元年(1081年)に制度としての二十二社が確立したとされています。
 
春日大社は当初、春日神社と呼ばれていました。
飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。乙巳の変(いっしのへん)で活躍した中臣鎌足(なかとみ の かまたり)が臨終に際し、大織冠とともに藤原姓を賜ったのが藤原氏の始まりです。
 『藤氏家伝』によると、中臣鎌足の出生地は大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)
で藤原という姓も出生地の地名から取られたものですが、『大鏡』では、大原(現在の奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説もあります。
天智天皇から藤原朝臣の姓を賜った鎌足の次男が藤原 不比等(ふじわら の ふひと)です。不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等以外の鎌足の子は、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と言われています。
中臣氏(なかとみうじ)は、古代日本において、忌部氏とともに神事祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(あめのこやねのみこと)を祖とし、(かばね)は(むらじ)、八色の姓制定後の姓(かばね)は朝臣(あそみ・あそん)。天児屋命は、天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴してきた神です。
妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神として知られています。
八色の姓(やくさのかばね)とは、天武天皇天武13年(684年)に新たに制定された「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、(おみ)、(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のことで、真人は主として皇族に与えられたので、朝臣は最高位に位置します。
 
 
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 春日大社 本殿
 
春日神社は、藤原 不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命・タケミカヅチノミコト)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まります。社伝では、神護景雲2年に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取神の経津主命(ふつぬしのかみのみこと)と、枚岡神社に祀られていた藤原氏の始祖・天児屋根命・比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としています。比売神は、特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神をいいます。春日神社では、上述の天美津玉照比売命です。
 
春日神社の御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神々であり、また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神として、比売神様、平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神として祭祀され皇室・国家の守護神とされてきました。
神紋は下がり藤。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされています。
 
昭和21年12月に現在の春日大社に改称されました。
 
 
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奈良公園の鹿
 
 
神代の時代から皇室をお守りしてきた藤原氏は、奈良時代に、南家・北家・式家・京家の四家に分かれ、平安時代までは本姓の「藤原」を称したが、鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、「近衛」、「鷹司」、「九条」、「二条」、「一条」などの苗字に相当する家名を名のり、公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった。これらをあわせると特に朝廷における比率は大きく、地方に散った後裔などもふくめ、日本においては皇室(およびその流れを汲む平など)に次いで大きな広がりと歴史を持つ家系となりました。
「近衛家」は、昭和初期の内閣総理大臣近衛文麿はこの嫡流、、「九条家」から大正天皇陛下へ貞明皇后陛下が入られた。「一条家」から幕末期の当主・一条忠香の三女が明治天皇陛下の皇后陛下となられた。
 
 
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平成20年10月31日に春日大社に御親拝あそばされた、畏くも天皇陛下、皇后陛下御尊影
 
 
 
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樹齢約800年 「砂ずりの藤」
 
 
年1回、秋頃に全国の藤原氏の末裔が春日大社に集まり、親睦を兼ねた会合「藤裔会」を執り行っています。
 現代の藤原氏の多くは全国各地に存在する藤原という地名が発祥と考えられていますが、
 
安藤 - 安房に移った藤原氏。
伊藤 - 伊勢に移った藤原氏。
江藤 - 近江に移った藤原氏。
衛藤 - 衛府に務めた藤原氏。
加藤 - 加賀に移った藤原氏。
紀藤 - 紀伊に移った藤原氏。
工藤 - 木工寮頭を務めた藤原氏。
後藤 - 備後に移った藤原氏。単に藤原氏の後裔を示す場合。
近藤 - 近衛を務めた藤原氏。
左藤 - 左衛門尉(さえもんのじょう)。
佐藤 - 佐渡、佐野に移った藤原氏。佐(すけ)など律令制の役職との合体も含まれる。
斎藤 - 斎宮寮頭を努めた藤原氏。
藤重 - 藤原氏の繁栄を祈した。
尾藤 - 尾張に移った藤原氏。
 
 
以上は、苗字の由来であり、これらの苗字だから藤原氏の子孫とは限りません。
 
続く・・・・
 
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